『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二章 『村』

二人の客人に気を使ってか、それとも単なる気まぐれか。バルは人目を避け裏側から村に入り、『小屋』と自ら呼んだ家へと駆け込んだ。カルロスを自分の寝台の上へと降ろすと、客人たちに装備を解いたらどうだ、と促した。
「ま、俺が信用できないならそのままでもかまわないけど」
内心を読まれ、言葉を失うホセと対照的に、カルロスは穏やかに笑っている。だが、甲冑が外されると、その下からは所々血の滲んだ服が露わになる。思いの外、多くの傷を負っているようだった。
バルは戸棚の一つを指さし、その中から適当に見繕って着替えてくれ、と言い残すと、水をくみに中庭へと出ていった。その後ろ姿を見送ってからホセは扉を確認したが、鍵はかけられてはいなかった。
「彼が私たちを売るなら、あそこで矢を放っているさ。もし通報されても仕方ない。私はそれまでの人間と言うことだ」
「殿下…」
これが主の良いところなのだが、どうも頼りない。やれやれ、と言うようにホセは溜め息をついた。と、その視界に、前触れもなく何かが入ってきた。
「どうかしたのか?」
「いえ…剣が…」
それは、飾りもややはげ、一見みずぼらしい剣であった。だが、鞘に収まっている刀身は並の物ではないだろう。ホセの騎士としての経験が、そう告げていた。しばらくホセはその剣に見入っていたが、ふと違和感を感じ振り返る。するといつになく険しい表情でカルロスも剣を凝視していた。だが、ホセの視線に気が付くと、決まり悪そうにうつむいた。
「…彼は、騎士なのでしょうか…万一他国の騎士籍を持っていたとしたら、厄介では?」
「さあ…。戻ってから聞くことにしよう…私は、少し疲れた…」
ホセが主人の方を省みると、すでにその目は閉ざされ、穏やかで規則正しい寝息が漏れていた。主の無防備な姿に、ホセは呆れつつも感心し、手近な椅子を引き寄せた。そして、主を守るように腰を下ろした。

目が覚めると日差しはすでに傾き、ランプの明かりが室内を照らしている。カルロスは自分の傷に手当が施され、血と泥で汚れた服が取り替えられているのに気がついた。
「気が付いたか?悪いな、粗末な奴しか無くて。…何か食えそうか?」
不意に扉が開き、食欲を誘う良い匂いと共にバルがひょっこりと顔を見せた。半身を起こしカルロスがうなずくのを確認すると、バルは再び姿を消した。
薄暗さになれた目で改めてカルロスは室内を見回した。殺風景な室内にはこの家の主の人となりを感じさせるような物は何一つ無い。隅の長椅子では、それまでのカルロスの姿を映すかのようにホセが剣を抱いたまま熟睡していた。
「立派な物だよな。移動させたはいいけれど、剣だけは絶対放そうとしないんだ」
湯気の立つトレイを手に、再びバルが姿を現した。その顔には僅かに苦笑いが浮かんでいる。
「そんなに大切な物なのか?…俺にはよく分からないけれど…」
「騎士にとっては、自分の生きている証と言っても良い物だから」
トレイを受け取りながら答えるカルロスに、バルは僅かに首を傾ける。
「じゃあ、剣を手放すときは?」
「…その騎士が、死を覚悟したときだと思う。それほどのことがない限り、私たちは剣を手放すことはない」
「…そう、か…」
そう呟くと、バルは窓枠に腰を下ろし、何を見るでもなく外を見つめながら言った。
「…親父は、死んだんだな…」
「…お父上は、騎士だったのか?」
カルロスの問に、バルは無言で首を横に振った。
「解らない。でも、そこにあるだろ?親父の置き土産だ。顔も知らない、親父の…」
バルが指さす先には、先ほどホセが目に留めた、あの剣があった。ほの暗いランプの明かりの中で、剣は異様な威厳をたたえていた。
「…親父が残した物は、あの剣と、時が来るまで抜くな、と言う言葉だけだ」
重苦しくなった空気の中に、カルロスの食事の音だけが響く。その音に気付いてか、ホセが僅かに身じろぎをする。その時、バルは前触れもなくカーテンを閉めた。
「…どうかしたのか?」
「誰か来る。厄介なことになるから、しばらくは音を立てるなよ」
低く言うと、バルは部屋を出ていった。その後ろ姿を見送ってからホセはカルロスに近寄り頭を垂れた。
「大丈夫。何事もなかった。それより、そっちがホセの分」
そんな場合ではないだろう、と口には出さず、ホセは戦場さながらの身のこなしで扉に張り付いた。扉の向こうからは、落ち着き払ったバルの声と、くぐもった老人の声とが、途切れ途切れに聞こえてくる。やがてある単語を耳にして、ホセの顔色が変わった。
「アプル女侯…?」
「なんだって?」
カルロスはその言葉に耳を疑う。そして、客人を送り返した後、戻ってきたバルの顔はややおもしろくなさそうだった。
「鎌を掛けてきやがった…」
硬い表情のまま呟くバルに、ホセが思わず聞いた。その口調は、バルを信用し始めたのか、本来の穏やかな物に戻りつつあった。
「アプル女侯が、わざわざお出でになる、と?」
「帰順の意を示すために、明日中央広場に全員集まれ、とのお達しだ」
「出席しなければ叛意あり、か…」
「おおかた、空っぽの家を家捜しするつもりなんだろ」
ホセに一つうなずいて見せてから、バルは寝台に腰を下ろしているカルロスに目をやった。だが、カルロスの口から出た言葉は思いもかけない物だった。
「これ以上、迷惑をかけるわけにもいかないな。夜明け前に起つよ」
「馬鹿な!そんな怪我で動けると思ってるのかよ!」
言ってしまってからバルは照れたように横を向き、主従はまじまじと発言者を見つめた。やがてふてくされたようにバルは呟いた。
「…やるだけのことはやる。諦めるのはその後だ」

 

第二章『村』完
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