『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第三章 『女侯』

暗闇は嫌いだ。幼い子どものような考えだが、真っ暗な闇はあの夜を思い出させてならない。
目の前で手が、首が、血飛沫が飛ぶ。悲鳴が上がる。後ではばたばたと人が倒れていく。所々で火の手が上がる。そして…。
「いかがなさいました?殿下?」
震える背後でホセの声がする所まで一緒だ。カルロスは大きく息を付き、額に浮かぶ汗を拭った。そして見えるはずもないのに笑顔を浮かべて見せた。
「もう、だいぶ昔のことのような気がする」
何と答えて良いか解らず、ホセは押し黙った。その困惑を感じ取ってか、カルロスは小さく笑い声をたてた。
「まだ…貴方の所へ行くわけには行きませんよ…陛下…」
低くカルロスは呟く。それをかき消すかのように荒っぽく扉が開け放たれ、数名の足音が室内に響き渡った…。

聖堂前の中央広場に集まった人々の間に、ざわめきが広がった。
相も変わらずつまらなそうな村の三役を従えて颯爽と現れたのは、甲冑に身を固めた初老の女性であった。正面を向き、居並ぶ人々を真っ直ぐに見つめるその顔は、威厳と同時に高貴さに満ちあふれている。
「わざわざ、ご苦労であった」
その第一声が発せられると、人々は命令されるまでもなく口をつぐみ、姿勢を正す。広場は水を打ったように静まり返り、女侯の次の言葉を待った。
「妾がサヴォよりアルプ地方を預かるテレーズ・ド・サヴィナじゃ。イノセン陛下の命により、この地に参った」
良く通る、凛とした声である。言うなれば号令を発するに適した、上に立つ者特有の声である。初めて目にする生まれながらの『支配者』に、人々の顔には緊張が走る。
すべてを計算し尽くしたようなタイミングで、アプル侯テレーズは整ったその顔に、穏やかな笑みを浮かべて見せた。先ほどとはうって変わった慈愛に満ちた表情に、図らずも人々の口から吐息が漏れる。
「案ずるな。陛下が妾を使わした理由はともかく、妾に何をしようと言う気はない。いわば建前上の支配者に過ぎぬ。されど、来た以上はそなたらへの義務は果たす。万一我が配下の者共がそなたらに理不尽な振る舞いをしたときは、遠慮なく申し出て欲しい…」
完璧だ。短く口笛を吹こうとしてバルは止めた。彼は集団の最後尾にいたにもかかわらず、人々が抱いていた恐怖や不安が、次第に信頼に変化していくのが理解できた。ほんの僅かな時間で、この女性は初対面の半ば敵意を持つであろう人々の心を、ほぼ完全につかんでしまった。今後、神聖王国がその王権を復活したとき、この村は元通りフエナシエラに帰順するだろうか…そこまで考えが及んだとき、バルは思わず頭を振った。
自分には全く関係が無いことだ。なのに何故、こんなことを考えるのだろうか…。彼らに会ったからだろうか。
胸騒ぎを感じながら、バルは女侯をたたえる人々に背を向けた。

暗闇の中に静寂が流れる。もうどれほど息を殺して、ここにこうしているだろう。
侵入者たちはどうしたのか、ここからでは知る由もない。ついに耐えきれなくなり、カルロスは大きく息を付く。同時に頭上から僅かに光が射し込んだ。思わず身構え、剣に手をかけるホセとカルロスの耳に入ってきたのは、聞き覚えのある声だった。
「悪いな、こんな所に押し込めて。大丈夫だったか?」
床板が完全に外され、梯子が降ろされる。ついでバルが手をさしのべた。
「こっちは大丈夫です。ただ数人踏み込んで来たようです」
カルロスを支えながら登ってくるホセが言う。その言葉通り、若干室内の調度は乱れていた。この床下の収納庫に彼らが気が付かなかったのか、或いは故意に見落としたのかは定かではない。
「そっちは…何かあったのか?」
首を傾げるカルロスに、バルはようやく重い口を開いた。
「女侯が直々にお出ましだ。…あんなすごい人を、俺は今まで見たことが無い」
「テレーズ殿が?それは…」
カルロスは僅かに顔をしかめる。それが眩しさのせいなのか、サヴォの王族の名によるのかは解らない。
「何だ?知ってるのか」
「ああ。すばらしい方だ。私は足下にも及ばない」
中央広場で何が起こったのかを察し、カルロスは深く吐息をつく。そして聞こえないほどの小さな声で、低く言った。
「私がしようとしていることは、皆にとって、良いことなのだろうか…」
バルは2.3度瞬きをした。図らずも先ほど、直接女侯を目にしたときに感じたのと同じ思いを、カルロスも持っている。妙な安堵感と、複雑な思いを感じて、バルはカルロスをまじまじと見つめた。だが、カルロスの視線はバルを通り越してホセを気にしていた。
「どうかしたのか?」
カルロスに声をかけられたホセは、慌ててこちらを向いた。その顔には戦場さながらの緊張が張り付いていた。
「…囲まれています」
ホセの短いがはっきりとした返答が室内の空気を打つ。何か言おうとするバルを手で制して、カルロスは続きを促した。
「数までは解りませんが…完全に取り囲まれています」
「…付けられたのか…俺が…」
「バルは軍人じゃないんだ。解るはずがない」
一度頷いて、ホセはカルロスの言葉を肯定した。その顔には僅かに微笑すら浮かんでいる。
「できるところまでは私が引きつけます。殿下は退避を…」
「俺も援護する」
突然のバルの言葉に、ホセは目を丸くした。
「剣の方はあまり使えないけど…弓なら自信はある。ここから狙えば多少は役に立てると思う」
じっと見据えるバルに、ホセはもう一度頷いた。
「助かります。では…」
「待て!あれを…」
カルロスの叫びにも似た声が両者の会話を遮った。
「いかがなさいました?殿下」
「誰かが、来る」
カルロスは一点を指さした。その言葉通り、狭められていた包囲の輪から一人、こちらに歩み寄る者の姿が見えた。
「あれは…」
「女侯…?」
見まがいようもない。サヴォのアルプ女侯テレーズ・ド・サヴィナが、先ほどとは異なり、平服でこちらに近づいてくる。
「…パロマ侯、こちらにおいでか?…是非、折り入って話がしたい」
先ほどと変わらぬ澄んだ声が、辺りに響き渡った…。

 

第三章『女侯』完
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