『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第六章 『神聖王国』

「フェナシエラの、名前…?」
解らない、と言うようにバルは首を傾げる。そのバルの様子を見、カルロスはそれまでの気難しげな表情を崩し、いつもの穏やかな笑顔で言った。
「ごめん。まず、フェナシエラのと言う名前の由来から話さないと駄目だよね」
けれど、バルはまだ納得がいかない用である。寧ろ馬鹿にするな、とでも言わんばかりにぼそりと呟いた。
「『善き王の国』だろ?自分の国のことくらい知ってるさ」
「その他にも『正しき玉座の国』と言う意味も、あるんですよ」
ホセの言葉に、バルは二、三度瞬きする。カルロスを省みると、先刻の笑みのまま頷いていた。
「じゃあ、『神聖王国』って呼ばれている理由は、聞いたことは?」
『神聖王国』。それは幼い子供ですら知っているフェナシエラの二つ名である。歴史有る国は周辺にいくらでもあるが、そのように大仰な通称を持つのはフェナシエラだけである。
しかし、奇妙なことにフェナシエラは『宗教国家』と言うわけではない。確かに領内には大陸全土に信徒を持つ宗派の総本山を抱えてはいるが、それはフェナシエラとは全く別の支配形態を形成している。そして歴代のフェナシエラ王も敬虔な信徒ではあるが、王国の統治に宗教を持ち込んだことは、ほとんどない。
「…攻められたことがないとか…攻めたことがないとか…」
考えた末のバルの返答を、カルロスは柔らかな笑みで否定した。そしてふと、先ほどのおだやかな表情に影が差す。
「不思議なことにね、『正しき玉座』はこれまで一度も血塗られたことがないんだ。継承争いが起こらない王家なんて、常識で考えれば奇妙だろう?だから皆、畏怖の年を込めて『神聖王国』と呼ぶのさ」
そのカルロスの口調は、いつもの穏やかな物とはほど遠かった。自嘲と皮肉とが混じり合ったような辛らつな言葉に、バルは目を丸くする。そして僅かに身震いしてからこう呟いた。
「…何だか…とんでもない名前なんだな…」
今度は一つ頷いて肯定すると、カルロスはさらに続けた。
「普通に考えれば、悲しいことだけれど絶対的な権力を前にして争いが起きる方が普通なんだ。けれど、歴代の王族達は、フェナシエラの名前が傷つくことを恐れた。それこそ異常なほどにね」
それは王族だけでなくて、重臣達も同じだけれど。そう言ってしまってからカルロスは慌てて口を閉ざした。不安げなホセの視線と、無表情なバルのそれに気が付いたからだ。変なことを言ってごめん、そう謝るカルロスの顔に、ようやくいつもの穏やかさが戻っていた。
「…名前の由来は、良く解った。でも、それと『遺言の人』との関係が…」
言いかけてバルは慌てて口を閉ざした。通りすがりの一介の庶民が、いかに好意とは言え、こちらからはこれ以上踏み込んではいけない。直感的にそう判断したようである。
「いや、構わないよ。…実を言うと、私も立場的にはバルと似たような物だから」
「…は?」
再びバルは首を傾げる。目の前の王子様は一体何を言い出すか解らない。当のカルロスは、静かに笑っているだけで、その内心を知る由もない。意識的にかその部分を無視し、カルロスは先を続けた。
「…そう…陛下とロドルフォ殿下は、聞くところに寄ると、とても仲の良い兄弟だったらしい。けれど、それが一番の原因だった」
ようやくカルロスの話は核心に触れた。既にホセは止めるのを諦めたらしく、外の様子を伺っている。それほどまでに王家の暗部は根深い物らしい。一方バルは、カルロスの言葉に飲み込まれたように身動き一つせず聞き入っている。
「仲が良かったからこそ、二人は互いに王位を譲り合った。それを察知した重臣達が分裂し始め、ロドルフォ殿下は自らフェナアプル侯の継承を申し出、王宮を去った」
「だから、どうして兄貴の方が追い出されたんだ?」
普通に考えれば逆だろう。もっともなバルの言葉に、先ほどから黙りを決め込んでいたホセが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「…ロドルフォ殿下は、カルロス4世陛下の異母兄に当たられるんです」
「え…じゃあ?」
不謹慎だ。そう解っていながら、身を乗り出さずに入られない。口ごもるカルロスに代わり、少し言いにくそうにホセは続けた。
「つまり…その、ロドルフォ殿下は、先王陛下の正嫡ではなかったんです」
王家に限らず、貴族の間でも良くある話である。生まれた順番と血筋とが逆転してしまう。両者の間にどんな感情があったかは想像に難くない。
意図的に感情を抑えたようなホセの声は、バルの背筋を冷たく滑り落ちていった。そのバルの耳に、カルロスの言葉が、流れ込んできた。
「…だから…王都陥落の直前、陛下は私に遺言を残された。音信不通になっているフェナアプル侯…真の王を探せ、と…」

第六章『神聖王国』完
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