『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第十二章 『障壁』

山々の間からわずかに見えていた白亜の城壁が、次第に目前に迫ってくる。そのあまりの迫力に、その手の物を初めて目にするバルはぽかんと口を開けたまま隣に座るオルランドの視線を気にすることもなくただ見入っていた。
「開門!オルランド=デ・イリージャ、帰還である!開門されたし!!」
オルランドの声に応じるように、ぎしぎしと音を立てて跳ね橋が堀に下ろされる。その動きをはじめから終わりまで食い入るように見つめていたバルに笑いかけてから、オルランドは手綱をふるう。一行は城門の中へと吸い込まれていった。
内部に馬車が迎えられると、待ちかまえていた騎士や兵士達が口々に歓喜の声を上げる。馬車から降りるやいなや、カルロスは走り寄る人々にすっかり取り囲まれていた。目を丸くしながら御者台から降り立ったバルの後ろには、いつの間にか馬を引いたホセがいた。
「凄いな…本当に…カルロスは、みんなに慕われているんだな…」
「ええ。直接殿下にお仕えする者からは…」
曖昧なホセの言葉に、バルは振り返る。当のホセの顔には、今まで見たことがない自嘲と苦笑とが入り交じったような表情が浮かんでいた。
「実は…ラベナの一部高官の間では、私たちパロマ候配下の者は名前だけは高貴な寄せ集めとか、何処の馬の骨かわからない自称貴族の集まりとか、そう言われているんです」
「な…どうして…?」
「私は…筆頭騎士の私からして、アラゴンの名を名乗っていますが、候の実子ではありませんし…」
「自分も見ればわかると思うが、生粋のフェナシエラ人じゃない」
ようやく人波から脱出してきたオルランドが、言葉を継ぐ。相変わらずの神出鬼没ぶりにあきれながらも、だがバルはあまりのことに憮然としたように口を閉ざす。だが、いつもと変わらぬ人好きのする笑顔を浮かべたまま、オルランドは実にあっけらかんとした口調で続けた。
「こんな風に見た目とか正嫡かどうかなんて気にしないで殿下は人材を引っ張ってくるから色々なのがそろっているわけさ。頭の固い中央の御偉いさんにはわからないみたいだけれど」
「へえ…」
再びバルは、自分を取り囲む人々一人一人に笑顔で応じるカルロスを見やった。その姿は彼が良く知るあの穏やかさに加え、アプル女候程までは行かないが、人々の上に立ち、命を預かる者が持つ独特の雰囲気さえ感じさせる。だが、何かが違う。その違和感の正体を突き止めようとしたとき、突然のオルランドの囁き声が、その思考を停止させた。
「…女帝の…マルガレーテ陛下のお出ましだ」
それとほぼ同時に、ざわめきは次第に水を打ったように静まっていく。集まっていた人々は自ら道をあける。人々が傅く中、共の者を数人後ろに従えたまだ若い女性が姿を現した。
「あれが名高き『氷の女帝』だ。…こっちに世話になってから何度かお見かけしたが」
一度言葉を切ってから、オルランドは生真面目な表情を作ってバルとホセとを交互に見やった。
「…あの方の笑顔を…微笑みも含めて、まだ一度も見たことがない」

白い石造りの堅牢な建物を、バルは何をするでもなくただ見上げていた。自分はただの通りすがりの一般市民なのだから、城壁の内側に入れただけでも破格の処遇であるに違いない。そうとはわかっていてもこうして一人、外に取り残されてみるとそれをいやと言うほど思い知らされた。
カルロスは無事、同盟国にたどり着いた。もう自分の役目は終わった。帰ろう。…でも、何処へ?
ぐるりとバルは周囲を見回した。外に出ようにもどう言って跳ね橋を下ろして貰おうか。下らないことを堂々巡りのように考え続けるバル、だが呼び止める者がいた。
「フェナアプル、アルタ村のバル殿ですな?」
プロイスヴェメ独特の、少し固い響きのフェナシエラ語に、バルは戸惑いながらも頷く。口元に髭を湛えた壮年の武人は、それを認めると礼儀正しく一礼した。その顔にはわずかに微笑みを浮かべている。
「失礼。私はゲオルグ=フォン・プロイスハイム。…先ほどからパロマ候が貴殿をお待ちです」
武人…ゲオルグの言葉にバルは目を丸くする。が、この申し出は歓迎こそすれ断る理由はない。ゲオルグに導かれるまま、バルは場内へと足を踏み入れた。案内された一室は、城内ではさほど広くない部類に入るのだろう。しかしその面積はバルの家とあまり変わらないようでもあった。
借りてきた猫のようなバルの姿を認めると、カルロスはすぐさま立ち上がって迎え入れ、そして遅くなってごめん、と頭を下げた。
「もっと早くに話を付けるつもりだったんだけれど、時間がかかってしまって」
「話を付けるって、…何を?」
「表向きは、殿下お抱えの従者と言うことで話を付けたんだ」
これから頼むぜ、同士、とでも言うようにオルランドがバルにウインクを返す。自分がいないところで進んでいた話に唖然とするバルに、カルロスは笑いながらその肩を2.3度たたいた。
「こんな所まで巻き込んでしまって…必ずどうにかするから…」
それまでは一蓮托生という訳か。言葉には出さず、バルはだが安堵とも苦笑とも付かない表情を浮かべて見せた。そしてふと、見慣れた顔が一つ、足りないことに気が付いた。どうしたのか、と口を開きかけたとき、背後の扉が前触れもなく開いた。
「すみません。伯に伺うつもりが、逆にいろいろと質問を受けてしまって…」
頭を下げるホセに、オルランドはひらひらと手を振った。
「悪いな。最近親父も話し相手がいなくて退屈してたみたいだな」
「いえ…相変わらずピピン翁はお元気ですね。お怪我と伺っていましたが、安心しました」
「気ばかり若いんだよ。…それをよくわかっているから逆に辛いんだろうけど」
両者のやりとりを、バルは無言のまま見つめる。ふと気が付くと、カルロスの様子がおかしい。無事目的地に着いたはずなのに、その顔にはどこか深く沈んだような陰があった。
「どうしたんだ?無事味方と合流できてうれしくないのか?」
「…それはそうなんだけれど…」
苦笑いになりきらない、どこか落ち着かない表情で、カルロスは決まり悪そうにバルから視線を逸らす。その先を何気なく追うと、そこには先ほどから一言も発さず、衛兵よろしく扉の脇に立ちつくしていたゲオルグのそれとぶつかった。
「実は…我が国も現在、内外に火種を抱えておりまして…候に援軍を出せる状況にないのです」
落ち着いた、だが言葉の発音と言うこと以上に固い声が室内に響く。戸惑いながらもバルは再び室内に視線を巡らす。その中で、絶対の信頼関係で結ばれているはずのカルロスとホセが、意識的にか無意識にか、目を合わせようとしないのを、彼は見逃さなかった。

 

第十一章 『障壁』 完
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