『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第十四章 『凍てついた玉座』

ホセがザルツワルトに旅立って後、表面上は穏やかに時間が過ぎていった。
無事同盟国にたどり着いたカルロスが、フェナシエラの正当な継承者としてしなければならないことは、自らの生存を隣国に知らしめ、共に侵略者であるサヴォに対抗するよう仕向けることである。
が、言葉にしてみるのは簡単なことだが、なかなか容易ではない。例えば書状でいかに訴えようにも、偽書だと握りつぶされてしまえばそれまでである。
面識のある王侯には直接出向けば手っ取り早いのだが、先方が既に懐柔されている可能性もある。歓待の裏で何をされるか解らない以上、この方法も取るわけにもいかない。
かくして確率的にはさして期待は出来ないが、書状の物量作戦の決行のため、カルロスはプロイスヴェメ城の一室に籠もることとなった。
「そんなに心配するなよ。片道二日はかかるんだろ?」
不意に声をかけられ、カルロスは思わず振り返る。盆の上に水差しとコップを乗せたバルが、僅かに苦笑を浮かべながらそこに立っている。二、三度瞬きしてから、カルロスはバルの視線の先を見やると、果たしてそこにはすっかりペン先からインクを吸い取り真っ黒になった紙があった。
気まずそうな表情を浮かべながら彼はそれを丸め、半ば一杯になったくずかごの中へと放り投げる。そうして出来た場所に、バルは手にしていた物を置いた。
「…言いたいことははっきりしているんだけれど、いざ書こうとするとなんて書いたらいいのか解らないんだ」
取り繕ってみても、内心の動揺は隠せない。上に立つ者として失格だね、ふとカルロスは笑った。だが、机の端に行儀悪く腰をかけたバルの口から出た言葉は、思いもかけない物だった。
「…俺が、様子を見に行ってくる」
いったん手にした水差しを、カルロスは無意識に机の上に戻す。ごとり、と重い音がした。
「でも…」
「今更何言ってるんだよ。乗りかかった船じゃないか」
「そんな危険な目に遭わせるわけには行かない」
些か強い口調で言い返し、勢い良く立ち上がるカルロスに、バルは僅かに首を傾げる。
「俺は他のみんなと違って正式なあんたの臣じゃない。だから逆にあまり縛られることなく、自由に動くことが出来る」
「けれど…、」
「それに、相手が恨んでるのはあんた達偉い人なんだろ?あいにく俺はただの一般人だ」
別に俺は恨みを買っている訳じゃない。そう言いながらバルは屈託無く笑う。まだ納得がいかないようなカルロスに、彼はとどめとも本音ともつかない一言を投げかけた。
「俺よりも頼りになる奴は、金髪の兄さんとか他にもたくさんいるじゃないか。実のところ、俺は城の中なんて慣れないから…少し外に出たいんだ」
そのあまりのあっけらかんとした口調に、カルロスは気を削がれたように息をつき、すとんと腰を下ろす。そして急に緊張が解けたように声を立てて笑い始めた。ようやくそれまで…正確に言えばヴェメに到着してからこの方流れ続けていたどこか硬直したような重苦しい空気が溶けた。
「…そう言えば…」
それを見計らったかのように、バルはおもむろに話題を変える。
「この国の皇帝陛下は、どうしてそこまで『楽園の騎士団』に…ヴァルキューレにこだわるんだろう…」
当然と言えば当然とも言えるバルに、カルロスは謎かけのような答えを返した。
「…ここはフェナシエラじゃないから…いや、だからそこ、こんな悲劇が起きたのかも知れない」
「え?」
「陛下には、弟君と母君が違う妹君がおられた」
目を伏せ、バルからの視線から逃れるかのようにしながら、カルロスは静かに話し始めた。

プロイスヴェメ先帝ハインリヒには、先妻エリザベトとの間にマルガレーテとヨーゼフ、エリザベト没後に娶った後妻アンネ・マリアとの間にセシリアと、三人の子どもがいた。プロイスヴェメの法では生まれた順に関わらず男子が女子に優先するため、皇帝の再婚とセシリアの誕生は世嗣ヨーゼフの立場に何ら影響は与える物ではなかった。
だが、自体は思わぬ方向へと急変した。元々身体がが弱かったヨーゼフが幼くして病没したのである。後はお約束通りの跡継ぎを巡る重臣達の泥沼の権力争いである。困ったことに、生まれ順ではマルガレーテが有利であり、母親の家柄という点ではセシリアの方が優勢であった。
そして、争い続ける重臣達に先帝は残酷とも言える方法で自らの意志を示したのである。

「あそこに塔が見えるだろ?」
徐にカルロスは窓の外に見える塔を指さした。周囲の建物とは明らかに違う造りのその塔は、絡まる蔦や壁面を覆う苔の色も手伝って、どことなく暗く不気味にバルの目に映った。
「先帝陛下は、アンネ・マリア妃とセシリア姫をあそこに幽閉したんだ」
「じゃあ、今も二人はあそこに…?」
バルの問に、カルロスはゆっくりと首を左右に振る。
「それからしばらくして先帝がお隠れになったとき、暴走したマルガレーテ陛下派の一部が塔の中になだれ込んだ。もちろん目的は解るだろ?」
予想通りの答えに重苦しさを感じながらバルは頷く。カルロスは塔を見つめながら低い声で続けた。
「アンネ・マリア妃は彼らの手に掛かることを嫌って自ら命を絶った。けれど、セシリア姫の姿はどこにもなかった、らしい」
「…らしい、って…」
拍子抜けしたようなバルに、カルロスは困ったような表情を見せる。空のままのグラスを両手で弄びながら、独白のように彼は言葉を継いだ。
「正確に言うと、誰も真実を知らないらしい。その時妃が手に掛けたとか、逆臣の手に掛かったとか…最初から姫はそこにいなかったとか言う人もいるくらいだから…」
しばらくバルはそれを反芻するように黙り込んでいたが、やがて何か合点がいったのか、小さく声を上げた。
「じゃあ、女帝は妹を捜してるって訳か…」
偉い人のやることはよくわからない。そう言いながらバルは水差しを手に取りカルロスの持つグラスに水を注ぐ。再び水差しを机上に戻してから面白くなさそうに呟いた。
「それにしても…どうして偉い奴はそんなに家とか力とかにこだわるんだ?…あいつの兄貴も、似たようなもんなのか?」
グラスの水の表面を見つめるカルロスの表情が、ふと厳しくなる。その彼の口から漏れたのは思いも寄らない物だった。
「いや…私には、フェルナンドが何故あんなことをしなければならなかったのかが、解るような気がする…何より彼は…正しくない行いをこの上なく嫌っていたから…」
バルがこの謎のようなカルロスの言葉の意味を理解するのは、再びプロイスハイムに戻ってからのこととなる。だが今はまだ、物事の本質を漠然とすらとらえることは出来ないでいた。

 

第十四章 『凍てついた玉座』 完
次へ
戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送