『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第十五章 『金鷲旗』

目の前には、冷たく閉ざされた城門がある。彼がここにたどり着いてからただ一度だけ開かれたきり、ぴったりと閉ざされ、全く動く気配はない。それどころか、この城門の内側にも全く軍団の…人の気配を感じることは出来ない。
扉が一度開かれた時、生ける神話とも謳われる『ヴァルキューレ』ことシシィが、彼の前に姿を現した。鋭く光る青い隻眼で彼を一瞥すると、彼女はこう言い放った。貴様らはいつも、都合の良いときだけ私たちを利用するのか、と。
「ここにいる者達は、私と同様大なり小なりの傷を負っている。私のように目に見える傷なら痛みは直に癒える。けれど、目に見えない傷の痛みは、大きくなりこそすれ消えることはない」
激しい怒りと言葉とを、彼は無言のまま受け止めた。一瞬ヴァルキューレの顔に意外そうな表情が浮かんだが、再び彼女はきつい口調で言い切った。例え女帝本人がここまで出向いても会ってやるつもりはない、と。
そして扉は閉ざされたまま、彼だけが外に取り残された。彼は自らの予想が正しかったことを痛感すると同時に、自分の読みが甘すぎたことを悟った。けれど、このまま手ぶらで戻るわけにも行かない。良からぬ考えが一瞬彼の脳裏をよぎったとき、背後で人の気配がした。反射的に剣を抜き振り返る。が…。
「何だよ…物騒だな…」
そこにいたのは、喉元に剣を突き立てられ両手を方の高さに挙げるバルだった。大きく溜息をついてからホセは抜き身を鞘に戻し、再び城門に視線を移した。
「すみません…少し苛立っていたようです…それよりも…」
「ちゃんとカルロスの許しは貰ってる。と言うよりあれから見ちゃいられなかったから、強引に出てきたって言う方が正しいかもしれない」
そうですか、と答えながらもどこかその言葉は上の空である。そんなホセに並んで立ちながら、バルもまじまじと強固な城門を見やった。
「ヴァルキューレは中にいるのか?」
「ええ…恐らく…ですがこの所、内部からの生活臭を感じることが出来ないんです。朝夕に炊事の煙が立ち上るのも見えませんし…」
「そう言えば…上に見張りもいないみたいだな…」
言われてみれば確かに妙である。門自体は強固だが、それを護る人の姿がない。或いは物見櫓に潜んでいるのかとも考えたが、それにしても炊事時に煙が見えないのはおかしい。
「あんたの後ろに軍勢でも潜んでるとでも思われたんじゃないか?」
非戦闘員はどこかに避難したんじゃないか、そう言いたげなバルに、ホセは僅かに首を傾げる。そうするとあの時出てきたシシィは時間稼ぎをしたと言うことか。だが彼女ほどの人物が、わざわざ危険を冒してまで一人で敵の前に出てくるだろうか。しかしホセの疑問をよそに、バルはどんどん城門に向かって近づいていく。そしてホセが止めるよりも早く、扉に手をかけた。そして…。
「…開いてるじゃないか…」
「え…?」
手をかけ、僅かに押しただけで、一瞬の抵抗の後重々しい音と共に城門は口を開いた。唖然としながらもホセは歩み寄り、内部を伺う。予想通り、ザルツワルトの真ん中を貫く大通りには人の影を見ることは出来なかった。ふと横を向くと、どうする?と言わんばかりのバルと目があった。
「行ってみましょう。武器は…?」
その問いかけに、バルは背中の弓を指し示した。一つ頷くと、ホセは内部へと足を踏み入れた。

街の中は、人っ子一人、猫の子一匹見あたらない。やや小高いところにある旧領主の館…恐らく今はシシィがそこにすんでいるのだろう…に至るまで、全く人の気配はない。だが、そこかしこにはためく洗濯物などから、人々はつい最近までここにおり、せき立てられるように異動を余儀なくされたのだろうことが理解できた。
「…街の造りってどこの国もあまり変わらないんだな。真ん中に広場と聖堂があって、四方に道があって…」
ぐるりと見回しながらバルが呟く。建物の材料である石の色が違う以外、彼らが慣れ親しんだフェナシエラの街と大差はない。中央広場に立ちつくす二人は、四方をぐるりと見回した。だが、やはり動く物は何もない。
「街の入り口は、あそこだけなのかな?」
「いえ…それでは攻められたときに退路が無くなるので、何カ所かあるはずですが…」
言いながらホセは、やはり街の人々は裏門かどこかから脱出したのだ、と確信した。そうだ、何も出入り口はあそこだけではない。自らの失策に大きく溜息をついた、その時だった。
僅かに蹄の音がする。二人の間に、緊張が走る。ホセが束を握る手に力を込めたのとほぼ同時に姿を見せたのは、裸馬にしがみつくようにしている女性だった。よく見ると、馬も乗り手も傷を負っている。ようやく広場にはいると、馬は乗り手を放り投げ力つき崩れ落ちた。
「どうしました?しっかりして下さい!!」
慌てて駆け寄り、抱き起こそうとするホセに、女性は悲痛な声で叫んだ。
「あたしのことはどうでも良い!それより…シシィを助けて!!あいつらに…」
言葉が解らず立ちつくすバルに、その内容を伝えてから、改めてホセは女性に向き直った。
「あいつら…?ルーソの襲撃ですか?」
「いや…あれは…あの青い旗は、ルーソの旗じゃない…。攻めてきた方角もルーソの方じゃない…一体、誰がシシィを…」
青い旗、と聞いて、ホセの顔色が変わった。剣を手にしたときとはまた違う厳しい表情に、バルは何も言えずにいる。ややためらって後、ホセは女性に尋ねた。
「青い旗と言いましたね…他に何か書かれていませんでしたか?」
「海の色の十字と…王冠と、盾と、剣と…金の鷲…」
「旗の他に、何か…」
「旗の上に…あんたの瞳の色とよく似た…布が…」
女性の言葉に、ホセは目を閉じ、首を左右に振った。心配そうにのぞき込むバルに、ホセは絞り出すように告げた。
「王冠と盾と剣は、アラゴン候旗です…その中でも金鷲旗は、フェルナンド様の物で…紫の旗印は…直属の部隊の物です…」
「でも…わざわざどうしてこんな所まで?」
「恐らく…殿下と同じことを考えられたのでしょう。でも同盟を結ぼうとした相手は、殿下とは違っていた…」
言いながらホセは女性の傷の状態を確認する。命に別状なしと判断すると、バルに手当を頼み、立ち上がった。何処へ行く、と呼び止めるバルに、ホセは沈痛な面もちで告げた。
「ヴァルキューレ殿を、取り戻しに行って来ます。方角は東で間違いはありませんね?」
信じられない、と言うような表情を浮かべながらも、女性は頷く。止めようとするバルにホセは僅かに笑いかけた。
「大丈夫。必ず戻ります。しばらく、待っていて下さい…」

第十五章 『金鷲旗』 完
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