『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二十一章 『荒鷲の行方』

室内には、どこか言い難い空気が流れている。
定例の軍議、とは言っても集まっている人数はごく僅かだ。その彼らの視線の先には、フェナシエラの嫡流、パロマ候カルロスがいる。だが、その僅か後方に穏やかな笑みを湛えて常に控えているはずの筆頭騎士の姿はない。そのいつもとは異なる現実が、部屋の空気をより重苦しい物にしているようでもあった。
「ヴァルキューレ殿の配下が持ってきた情報は、まず間違いないと思います。…先日、自分の持っている情報網にも、似たような話は引っかかってきましたし…」
そのよどんだ空気の中、オルランドの良く通る声が流れる。透き通った水色の双眸に、今日はいつもの茶化したような光はなく、どこか冷たい氷のような鋭さで満たされているようであった。明るく気さくなオルランドのもう一つの面、それはパロマ候配下の『草』を一手に束ねる司令官である。その普段は見せることのない凍り付くような雰囲気に飲まれ、居並ぶ人々にグラスを配っていたバルは、思わずそれを取り落としそうになった。
「もっとも、この度の国内の混乱で、皆かなりちりぢりになっていることは否定できません。…下手をすると、ヴァルキューレ殿の方が、より正確に事態を知っているかもしれません」
頷きながらも、カルロスは机上に置かれた書状を見つめている。それは先刻、サヴォに潜入しているシシィの配下からもたらされた物だった。
それによると、先の戦のさなか、大将軍アラゴン候フェリペを殺害した後行方が解らなくなっていたフェルナンドが正式にサヴォ王室に迎えられ、滞在を許されているらしい。王宮にサヴォ王家の王旗と共に金鷲旗が掲げられていると言うことからも、まずフェルナンドがそこにいることは間違いないだろう。
だが、これだけ証拠を突きつけられても、カルロスはまだ心のどこかでフェルナンドを信じたい、と思わずにはいられなかった。
あれだけのことをしたのは、必ず何か、理由があるはずだ。そうでなければ、あのフェルナンドがあんなことをするはずがない…。
幾度となく去来するその考えに、カルロスはまた囚われていた。そして、フェルナンドがその行動をとらざるを得なかった理由は、と自問し、導き出された答えを慌てて否定した。まさか、そんなことが…。
主の沈黙に、再び室内の空気は重苦しくのしかかってきた。誰もがそれをうち破る機会を探りながらも、決定的な材料を持たず切り出せずにいる中、乾いたノックの音が前触れもなく響いた。
一同は不審に思い顔を見合わせる。プロイスヴェメからの協力者、と言う形で同席しているプロイスハイム候ゲオルグは、全く心当たりが無い、と言うように首を僅かに横に振る。困ったように戸口付近からこちらを見つめるバルに、カルロスは一つ頷いてみせる。それを確認したバルは、思い扉を押し開いた。
「どうでも良いけれど早くあけろ!重くてかなわん!」
扉が開くや否や聞こえてきたシシィの声が、よどんだ空気を一気に押し流した。唖然とする人々を完全に無視し、彼女はずかずかと室内に足を踏み入れる。そんな彼女に『引きずられる』という形容詞そのままに支えられながら姿を現したその人に、どよめきに似た声が部屋のあちらこちらから漏れる。自らの視界に入ってきた物を信じられずに、カルロスは思わず立ち上がる。
「何故…まだ動くなと…」
「こんな大事なときに、私一人寝ているわけにはいきません」
ようやく長椅子に身を落ち着けたホセは、色を失う主君に僅かに笑いかける。安堵と不安とが入り交じったような表情でカルロスが再び席に着くのを待ってから、オルランドは改めてホセに向き直った。
「お前がそのつもりならそれでもいいが、今日の議題はフェルナンド殿だ。それでも…?」
「私は殿下に剣を捧げました。…この度のことで私にも咎があると言うのでしたら、喜んでこの命を差し出します」
いつになく強い語調のホセに、シシィはまじまじとその顔を見つめる。オルランドが僅かに目を細め、再び何かを言おうとしたとき、カルロスは慌ててそれを遮った。
「…フェナシエラの法では、罪科は親兄弟にまで及ぶと定められていたか?ルーベル伯」
「…い、いえ、罪はあくまでも個人で背負うべき物。親族までに及ぶことはありませぬ」
前触れもなく名を呼ばれたルーベル伯ピピン=デ・イリージャは反射的に姿勢を正し、そう答えながら隣に立つオルランドの脇腹を小突く。決まり悪そうな苦笑を浮かべながらオルランドはいつもの明るい調子で言った。
「そうじゃなくて…病み上がりにこんな話じゃ、傷に響くんじゃないか?あまり聞いていても楽しい話しでもないし、下手すりゃ尋問にもなりかねない」
「いえ…何も出来ずにいる方が、逆に傷に障ります」
どうやら決意はそう簡単にひるがえりそうもない。やれやれと、あきらめにも似た吐息をつきながらオルランドは再び表情を改め、中断していた報告に目を戻した。
「では…フェルナンド殿と行動を共にしているのは直属の八千の他、どうやら亡くなられた候の配下も含まれているようで…少なく見積もっても一万五千弱」
そこまで言ったところでカルロスが手を挙げ遮った。
「候の配下も?彼らにとっては、フェルナンドは敵じゃないか。それがどうして…」
「自分もその点が腑に落ちないのですが…フェルナンド殿がよほど周到に計画を進めていたか、或いは、候がフェルナンド殿に殺されても仕方のないことをしていたか…」
オルランドは言葉を切り、殆どが自分よりも年長者である同席の人々の顔を臆することなくぐるりと見回した。少し離れた場所で様子を見ていたバルは、気付かれないようにオルランドの視線の先を追った。正面からオルランドの視線を受け止めようとしなかったのは、三人。大将軍の『暗部』を知るカルロスとホセ、そしてオルランドの父親であり、アラゴン候の長年の盟友であるルーベル伯だった。

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