『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二十二章 『不協和音』

軍議が終わり、人気もなくがらんとした室内を一人黙々と片づけるバルだったが、ふと人の気配を感じて顔を上げる。戸口にはいつの間にか、プロイスハイム候ゲオルグがこちらを見つめ佇んでいた。慌てて頭を下げるバルに、候は穏やかに笑って見せた。
「言ってもらえれば人手を手配しますよ。この広さを一人じゃ大変でしょうに」
その申し出に、バルはぶんぶんと首を横に振る。
「…でも…言葉も良くわからないし…。一人でやってる方が気が楽で…。何より、何かしないと申し訳ないんで」
正直なバルの言葉に再びほほえむと、ゲオルグは手近な椅子を引き寄せ腰を下ろし、厄介なことになっているので少しこちらにかくまって欲しい、と言う。訳が分からないものの、バルは取りあえず一つ頷き、再び作業を再開する。
そんなバルの様子を、ゲオルグは何をするというわけでもなくしばらく眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「失礼ですが、貴方はアプル地方の出身ですか?」
全く脈絡のない問に、一瞬戸惑ったような表情を浮かべたバルは、すぐに首を横に振った。
「いや…育ったのはアルタだけど…。生まれたのはどこだか」
けれど何でそんなことを、と言いたげなバルに、ゲオルグは軽く手を振りながら言葉を継いだ。
「いえ、大した意味はないんですがね。パロマ候の配下の方にしては、珍しくフェナシエラ人と見て解る方だったので…」
なるほど。言われてみれば確かにカルロスの配下には、ホセと言いオルランドと言い、淡い茶色の髪に『フェナシエラの海の色』とも言われる深い青色の瞳を持つ、フェナシエラ人特有の容姿をしている人物は少ない。確か、プロイスハイムに入ったとき、それはカルロスが外見には全くこだわらないからだ、とオルランドから聞いたような気もする。
そんなバルの内心を知ってか知らずか、ゲオルグはつまらないことを聞いて申し訳ない、と生真面目に頭を下げた。再び沈黙の中、バルの作業の音だけが響く。だがそれは、第三者の乱入により突如として中断された。
「父上!どうして私に同席を許していただけないのです?!」
非難の声と同時に、扉は勢い良く開け放たれた。怒りのあまりか、頬を紅潮させた若者を、ゲオルグはやれやれ、とでも言うようにやんわりとたしなめる。
「私はマルガレーテ陛下のご命令に従っているだけだ。お前は私の名代としての役割を賜ったのだろう?エドワルド」
だがエドワルドと呼ばれた若者は、憮然とした表情のまま立ちつくすだけだ。
「お前がパロマ候に心酔しているのは良くわかる。だが、こればかりは私の一存では…」
「ならば直接候に伺って参ります!」
怒声にも似た捨て台詞を残し、若者は部屋を出ていった。その刹那、殺意に近い視線をバルに突き刺して。訳が分からず呆然とするバルに、ゲオルグは申し訳なさそうに言った。
「お恥ずかしいところをお見せしました…不肖、私の後嗣なのですが、まだまだ血気ばかり盛んで…」
再びバルは慌てて首を横に振る。けれどその脳裏には、先程伸さすような視線が焼き付いて離れなかった。

「だから言ったろ?おとなしくしてろって」
ぐったりと寝台に横たわるホセに言いながら、オルランドは行儀悪くテーブルに腰掛け、皿の上に積んであった林檎を一つ手に取ると、断りもせずそれを囓った。その様子を咎めることもせず苦笑を浮かべて見せてから、ふとホセは大きく息をついた。
「それにしても、何故…。一言の相談も無かったのに…」
「もし計画をうち明ければお前は絶対止めにかかる。それを振り切ってまで実行に移す自信が無かったのか、最悪、お前を手にかける気でいたか…」
本当のところはあの人にしか解らないさ。言いながらオルランドは芯だけになってしまった林檎を屑籠へと投げやった。それが見事な放物線を描いて目標物の中へと吸い込まれていくのを目で追って確認し終わって、オルランドはホセに向き直った。
「にしても…お前、本当に理由は思い当たらないのか?」
「パロマ最大の情報網を持つ貴方が知らないことを、私が知っていると思いますか?」
改めて水を向けられて、ホセの顔は僅かに強張る。それを一瞥してから、オルランドはテーブルから飛び降り、窓際へと足を向けた。光を受けてきらきらと輝く金髪のまぶしさに、ホセは僅かに目を細めた。
「実の父親を殺すだけじゃなくて、敵国と手を結ぶ。…フェルナンド殿は殿下の守り役を務めたくらいの方だ。それが王家に弓を引くようなことをする…殿下のご心痛もさることながら、何故そんなことをしなければならなかったのか…」
「大将軍閣下を、と言うよりは、『フェナシエラ王家』を恨む…というか、憎んでいるようでもありませんか?」
ホセの言葉に、オルランドは振り向いた。
「…そうだな…あの方は自分たちの知らない何かを知っている。そうとしか思えないんだ」
低く呟くオルランドの顔には、いつもの陽気さはなかった。冷たい、『間者の長』の表情を張り付かせたまま、彼はさらに続ける。
「…体調悪いところで申し訳ないが、もう一つ聞きたい。…『フェダル』。この単語に聞き覚えは無いかな?」
一時期、それこそ身近に耳にした単語が、全く予想外の人物の口から出たことに、ホセは数度瞬きを返す。
「…アルタの皆さんは、バルをそう呼んでいましたが…?」
「お前を見送っていたときな、親父が彼に言ったんだ。『フェダルは息災か』と」
腕を組みながらオルランドは言う。しばらく納得がいかない、と言うように彼は首を傾げていたが、やがてかみ砕くように切り出した。
「それに対する彼の答えはこうだ。『どうやら亡くなられたようです。剣をおいていくことは、そういうことだと』」
「じゃあ、『フェダル』というのは、元々バルのお父上、と言うことになりますね」
ホセの答えに、オルランドは僅かに目を細めた。
「そして、そのフェダルは、親父の知り合い、と言うことになる」
何だか、訳が分からなくなってきた。言いながらオルランドは大きく溜息をつくオルランドを見やりつつ、ホセは苦笑を浮かべながら言った。
「…実のところ、私に聞くまでもなく答えを知っているんじゃないですか?」
「さあな。推測は出来るが、確証がない。材料を探してるって所かな」
一瞬生真面目な顔をして、オルランドは答える。一瞬の沈黙の後、理由もなく両者は吹き出していた。

 

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