『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二十四章 『矢は放たれたか』

「…では、こちらがご注文のお品物でございます」
貴方様ほどのお方でしたら、このような物は無用の物ではありませんか。言いながら慇懃な笑みを浮かべ、金色の小さなケースを手渡すと、男は小走りに去っていく。その後ろ姿を忌々しげに見送りながら、フェルナンドは大きく息をついた。
完全なまでに人の手によって作り上げられた不自然な自然が、彼の周囲を取り囲んでいる。人工的に組み合わされた草や木は、木漏れ日や木の葉のざわめきを演出することは出来ても、安らぎを与えることが出来るのか、と聞かれたら返答に困るところだ。
下草一本生えていない石畳を歩んでいくと、楽しげな笑い声が聞こえてくる。その方向を見やると噴水脇のベンチでなにやら談笑している女性達の姿が見えた。向こうもこちらに気が付いたのだろう。見事な金髪を日の光に煌めかせてカトリーヌは立ち上がり、大きく手を振る。その姿に、フェルナンドの厳しい表情がふっとゆるんだ。
知らぬふりをして行き過ぎるわけにもいかず、フェルナンドは右手に固く握りしめていた金色のケースをポケットにしまいつつ、そちらに向かって歩み寄る。姿勢を改めようとするベアトリスを軽く制し、僅かにはにかんだような笑みを向けるカトリーヌとベンチに腰を下ろしている女候とにそれぞれ頭を下げる。その彼の視界にふと、ベンチの上に載せられているゲーム盤が飛び込んできた。専ら戦場で戦のない時に騎士達の間で行われている、駒を動かし陣地を広げ敵の『王』を取れば勝ち、という物である。
「少し、ベアトリス様に教えていただいたんですの。でも、二人がかりでも伯母様にはかないませんわ」
僅かに肩をすくめながらカトリーヌが言う。確かに、その言葉通り、誰がどう見ても状況は女候の圧勝だった。無言のままゲーム盤を見つめるフェルナンドの様子を、さも面白い、とでも言うように勝者はころころと笑った。
「所詮は戦と同じ…どちらにしても女性の誉れとは言えぬこと…」
カトリーヌ殿には無用の物ぞ、とたしなめる女候に、ベアトリスは苦笑を浮かべながらも同意を示した。
「確かに…私が申し上げるのも何ですが…ご婦人が得手とするのは少々…本当でしたらば私の方が色々と教えていただきたいのですが」
「わたくしは…伯母様やベアトリス様が羨ましくてなりません。殿方と肩を並べられて戦場に立たれて…」
「武芸に秀でることが本当の強さではありませんよ」
フェルナンドの言葉に、はっとカトリーヌは顔を上げる。先程までの穏やかな表情は既に消え、厳しい面差しで盤を見つめるフェルナンドがそこにいた。
「…では今日はここまでにして…後日再戦を受けましょうぞ」
女候の視線に気付き、ベアトリスは手早く盤を片づける。女候に促されるように城へと下がっていくベアトリスを怪訝な表情で見やるフェルナンドに、カトリーヌは困ったように言った。
「フェルナンド様は…いつも何を見ておられるのです?」
そんなカトリーヌに優しく笑いかけてから、フェルナンドは失礼、と僅かに頭を下げ、彼女が座るベンチの反対側の端に腰を下ろす。足を組み、背もたれに頬杖を付きながら、フェルナンドは独白のように呟いた。
「他国との交渉でより良い条件を得るのもある意味、勝利…強さですし、逆境にあって自ら道を切り開くことも、何事にも代え難い強さです。ですが…」
深い海の色にも似た瞳を一瞬、カトリーヌに向けてから、彼は静かに続けた。
「その状況に堪え忍んでいるだけで、足掻くことを忘れてしまうのは、弱さ…敗北であると、私は思います」
自分は、敗残者にはなりたくない。…何より、あの方を敗北者としてこのまま埋もれさせたくはない…しかし…。
「では…わたくしは立派な敗北者ですね…」
深い思考の海に沈んでいこうとするフェルナンドを、カトリーヌの泣きそうな声が現実へと引き戻した。気まずい沈黙が、微風と共に両者の間に吹き抜ける。
「まだ決まっておりませんが、近々、私は出陣することになると思います」
それを嫌ってか、フェルナンドは思い出したように切り出した。驚いたようにカトリーヌがそちらを見ると、フェルナンドはやや厳しい表情で真正面を見据えていた。
「時期的には…そう、陛下のラヴェナ入城前後になるかと思います。主な兵力は皆、陛下と共にフェナシエラへと向かい、私は未だ陛下に仇なす者の掃討というとう建前でこのエルナシオンを全配下と共に離れます」
これが何を意味するか、おわかりになりますか?そう言うかのように、再びフェルナンドはカトリーヌに海色の双眸を向けた。しばらくカトリーヌは、フェルナンドの言葉を反芻しているようだったが、やがてあっと言うかのように口元に手をやった。その様子に、フェルナンドの顔に僅かに笑みが浮かぶ。
「良いですか姫君、貴女はまだ敗北者ではありません…時期、その機会はやってきます。その時動くか動かぬか、あくまでもそれは貴女ご自身が決めることであって、私がとやかく言うことではありません」
「でも…でも、もしわたくしが…お父様や、フェルナンド様は…」
「ですから、それをどうするかを決めるのは、貴女ご自身と申し上げました」
…実の父親を手に掛けた私が言うのもおかしなことですが…。言いながら、少し微笑を向けてから、フェルナンドは立ち上がり、大きく伸びをした。淡い茶色の髪が僅かに傾きかけた日の光を受け、金色と見まがうような光を振りまいた。ふと、カトリーヌの視線が、それまでフェルナンドが腰掛けていたところに停まる。
「あの…フェルナンド様…?何かが、落ちたようですわ」
カトリーヌがそれを手にするより早く、フェルナンドは金色のケースを拾い上げた。そのあまりの素早さに驚いて瞬きを返すカトリーヌに、彼は言った。
「このような汚れた物に、姫君を触れさせる訳にはいきませんので…これは香の一種で…長時間嗅がせられると、一種媚薬のような作用を及ぼすのです」
「では、何故そんな物をお持ちなんですの?」
あまりにも無邪気なその問いかけに、彼は暫し言葉を失い、やがて毒気を抜かれたように声を上げて笑った。
「…この香のせいで狂わされた者を、私は知っています。彼に、伝えてやりたいのです。お前があのようになったのは、決してお前のせいではない、と…」
だが、その場所は間違いなく戦場となる。そして、必ず敵味方として向き合うことになるだろう。お前と一戦、どうしても交えなければならない…そう、もう矢は放たれてしまったのだから…。
再び言葉を失うフェルナンドを、カトリーヌはただ見つめていることしか出来なかった。

次へ
戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送