『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二十七章 『暗転』

彼は何故行ってしまったのだろうか。
彼はもしかして、すべてを知っていたのだろうか。
カルロスは、人気のない部屋の中で一人、大きく溜息をついた。
あれはパロマ候となる直前のことだった。宮廷内に渦巻く暗い噂、そして何より、自分が誰よりも強く感じていた違和感。それを確かめるべく、カルロスは王城内のとある一室の前である人物を待っていた。
待ち人の規則正しい靴音が聞こえてくる。廊下の突き当たりから姿を現した大将軍アラゴン候は、自らの執務室の前に立つカルロスの姿を認め、僅かにその顔色を変えた。
「で…殿下…このようなところで…一体…」
「閣下、無礼を承知で聞きたいことがある」
半ば狼狽えるようなアラゴン候フェリペの目を、カルロスは正面から見据える。
「あの噂は…私は本当に、陛下の…父上の子なのか?」
予想されていた問いかけに、だがアラゴン候は言葉を失い、視線を逸らす。だがカルロスは一歩も引かない。
「陛下は文武に秀でたお方だ。…それに引き替え、私は勉学ではともかく、武では遠く及ばない。…私は、私は本当に、父上の血をひいているのか?」
「…そのようなことを…殿下は立派な騎士で有らせられます。それを御存知無いのは、殿下ご自身だけかと…」
「けれど…何かが…根本的な何かが、陛下と違うんだ…私は…一体…」
重苦しい沈黙。切羽詰まったようなカルロスの視線を背中に受けて、アラゴン候は執務室の扉を押し開いた。
「侯は陛下の忠臣であると同時に、無二の親友でもある。何かを知っているのならば、教えて欲しい…他ならぬ、私のために…」
その言葉に、アラゴン候は諦めたように息を吐き出した。振り向きざま、彼は低い声でカルロスに告げた。
「殿下は真っ直ぐで…お優しいお方で有らせられます…本当に外見だけでなく内面までも父君に似ておられる…」
そこまで聞いたところで、カルロスはあっと息をのむ。
何かを思いだしたのだろうか。次の瞬間、アラゴン候に突然押し掛けた非礼をわびることも、ようやく重い口を割り真実を語ってくれたことに対する謝意を述べることも忘れ、カルロスは走ると言っても良い早さで白のある場所を目指していた。
長い回廊の左右にずらりと並ぶのは、歴代の王族の肖像画である。その回廊の一角でカルロスは息を切らしながら足を止めた。どうにか呼吸を整えてから、彼は自らの左右に架けられている絵を代わる代わる見比べた。
右手にあるのは彼の『父』。現国王カルロス=デ・フェナシエラ四世が腰に剣をはき、左手に弓を持った狩装束でこちらを鋭く見つめている。
そして、左に架けられているのが物心付いてからは一度も会ったことのない彼の『伯父』。フェナアプルロドルフォ=デ・フェナシエラが、文机を前に足を組んで座し、書物を手に穏やかな面差しをこちらに向けている。
カルロス四世が『動』だとすれば、フェナアプル候は『静』。性格の全く異なるこの腹違いの兄弟は、自他共に認める仲の良さであったという。
淡い茶色の髪に、海の色の瞳。典型的なフェナシエラ人の容姿をしている二人の顔立ちは、兄弟と言うだけあってどこか似通っている。改めてこの二枚の絵を見比べるカルロス。この二人のどちらに、自分はより似ているだろうか…。
ある結論を導き出した彼は、その足で父王のもとに赴き、立太子の辞退を申し入れた。その時、カルロス四世は深々と溜息をつきながらこう言った。
…もし今後五年のうちに自分に何かあったならば、自ら即位することなく、一度フェナアプル候に王位について貰うように…
あの時は陛下はまだ『フェナアプルの名』を気にしておられるのだ、そうカルロスは思った。だが、今冷静に考えてみれば、あの言葉はカルロス自身の即位を名実ともに正当化するためだったのではないだろうか、と。
けれど。カルロスにしてみれば、フェナアプル候の子である自分ではなくて、『本当の』陛下の子こそが王位につくべきではないか、そう思う。フェナアプル候が即位した後は、その子として育てられた真の陛下の嫡子こそが王位につくのが正しいことではないだろうか。
だからこそあの乱の最中、カルロスは自らの危険を省みずフェナアプルへと赴いた。ロドルフォを、そして万一ロドルフォが他界していた場合はその子を王位に付けるために。だが、予想通り侯は既に亡く、残されたのはその子だけ。
それが解ったからこそ、危険だと思いながらも無理矢理に止めることをしなかったのではないだろうか。自分と共にいる方がまだ安心だ、そんな考えが働いたからこそ…。けれど、彼は自分に何も告げずに去った。今、彼はもうここにはいない。しかも剣を置いていった。もう戻ってくる意志は、無いのだろう。
そしてフェルナンド。彼がどうして、あんな行動をとらなければならなかったのだろうか。
もしかして、自分の心の内を、そして事実を知っていたのではないだろうか。だからこそ合ってはならないはずの事実を知る大将軍と、国王とを消しにかかったのだろうか。…だとすれば、その真意は…。
自らの考えに、カルロスは身震いした。あのフェルナンドだ。自分の即位を誰よりも望んでいる彼ならば、そのための手段を選ばない、と言えなくもない。自分の存在こそが今回の惨劇の元凶だったのだろうか…。
カルロスは薄暗がりの中、鏡に映る自らの姿をぼんやりと眺めた。そしてまた再び、机上を何というわけでもなく見つめる。
まてよ、と、カルロスは思い直す。今までの仮定がすべて正しいとすれば、フェルナンドの最終目標は自らの名誉を引き替えてもカルロスを即位させることだ。そして、フェルナンドはすべてを知っている。今の所、『過去』を知る者で生涯になり得る者は存在しない。後に残るのは『真の王の血』を受け継ぐ者。そうすると…。
「…バル…!!」
叫びながら立ち上がるカルロス。
が、次の瞬間、自分の周囲が休息に色を失っていくのを感じる。天井が、すべてが、遠く離れていく。そして…。
「殿下!如何なさいました?!」
異変を感じたオルランドが、部屋に駆け込む。彼の目にまず飛び込んできたのは、豪奢な絨毯の上に倒れ伏すカルロスの姿だった。
「誰か!誰か、医師を!!」
珍しく取り乱したオルランドの声に、人が集まってくる。
果たしてその騒ぎがカルロスの耳に届いているかどうか、定かでは無かった…。

第二十七章『暗転』 終

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