『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第三十一章 『開戦前』

いつもは静かな村が騒然となっている。
ここ数十年、虫干しと手入れの時にしか開かれなかった村の武器庫の扉がすべて開かれている。ガチャガチャと耳障りな音を響かせて、剣が、甲冑が、盾が運び出されている。
道の所々には篝火が焚かれ、女性と病人、戦うのは困難であろう老人、そして子ども達は安全と思われる東の山際へと避難を始めている。そして戦える村の男達は進んで手に手に武器を取り、村の中央から少し離れた小高い丘の上の屋敷…かつて『フェダル』と村人に慕われた人物が住んでいた所に集まり始めた。
その家の中では、破れかけた古い地図を机の上に広げ、数人の男が『軍議』を行っていた。
「アラゴン候子フェルナンド殿は、アプル女候殿と共に、街道を進んでいるようです。ですが…」
鋭い視線を一同に巡らせて、かつて騎士だった『長老』は重々しく口を開いた。良くも悪くも、『戦場』を経験したことがあるのは彼だけなのだから、その指示に従い、頼るしか無い。
「その歩みはことのほか遅い。まるで我々が軍備を整えるのを待っているかのように…」
「恐らく、女候様が時間稼ぎをしてくださっているのだろう。あの方は我々を見殺しにするようなお方ではない」
一人の言葉に、一同は頷く。サヴォの王室と、直接身の安全を保障した村人との板挟みになっているであろう女候の心情は、想像するに固くない。
「…みんなは…みんなは本当に戦うつもりなのか?」
やや躊躇いがちに口を挟むバルに、長老達は一様に首を縦に振る。
「そんな…俺がいなければ起きなかった戦いだ。それなら俺が…」
「フェダルと交わした誓いを破るわけにはいきません」
一人の言葉が口火を切り、机を囲む面々は異口同音にこう答える。
「貴方一人を犠牲におめおめ生き残るわけには生きません」
「自分の土地は自分の手で護らなければ。例え敵が誰であろうとも」
「だけど…だけど俺は、俺のせいでこれ以上誰も傷ついて欲しくないんだ…」
重い沈黙が流れる。それを笑顔で破ったのは他の誰でもない『長老』の一言だった。
「貴方は自分の我が儘を通そうとして、私たちの我が儘を聞いてはくれないのですか?」
虚を突かれたように、数度バルは瞬く。その顔には何時しか涙混じりの苦笑が浮かんでいた。
「本当に…本当にみんな、馬鹿だな…」
「そうですよ。一度腹をくくった馬鹿は、一度こうと決めたら心変わりをしない物です」
そうでもなければ絶対の忠誠など存在しないでしょう、と言って見せる『長老』。
束の間、人々の間に笑みが漏れた。

「本当に宜しいのですか?」
不安げに問いかけるベアトリスに、フェルナンドは僅かに視線を向けた。自分より半馬身後ろに従っている彼女の姿を見つめると、結果自分が率いてる騎馬の群、歩兵、そして旗印を掲げる従者の姿が視界に入ってくる。まるでこれから自分がしようとする事を見せつけられているようだった。
「女候が先行をお許しくださったんだ。…まあ露払いとでも思えばいいさ」
フェナシエラ人特有の淡い色合いの髪を風に預けて、フェルナンドは言う。斜め後方からではその表情を伺い知ることは出来ない。
「戦場に立ったことのある者は、華々しさの裏にある愚かさも知っている。だから女候は我々が先に行くことを許されたのさ」
謎めいた言葉に、ベアトリスは口を閉ざす。当のフェルナンドも特に返答を最初から期待していなかったのだろう。独白のような低い声で、彼はさらに続ける。
「何故イノサン五世が国王になれたのか…それは彼のお方が本当の戦場を知らない人間で…宮殿から一歩も出ようとしない馬鹿な文官と意見が合ったからだ」
言葉を失うベアトリスを、フェルナンドは省みる。その口元には僅かに皮肉な笑みが浮かんでいるようだった。
「ちっぽけな国益のために、どれだけの血と涙が流れるか、奴らはそれを知ろうともせずに胡座をかいているだけなのさ」
「では…フェルナンド様は…?」
「少しでもましな道を選んだだけだ。あの方ならば…」
うつむきながら、フェルナンドは言葉を継いだ。
「今以上のまともな世界を作ってくださるだろう」
フェルナンドの言う『あの方』が誰を指しているのか、ベアトリスは言われずともすぐに理解できる。脈々と続くフェナシエラの『負』の部分を一身に背負おうとしているのだ。この方は。
「村人が大人しく『邪魔者』を差し出してくれれば、それで済むのだがな」
「先のご領主様のご人徳を考えれば、難しいのでは無いでしょうか」
「そうだな…何せ『あの方』の性格は紛れもなくお父上譲りだから…」
重い行軍は、山間の道を整然と進んでいった。

「…どうやら国境付近に到達したようですが…」
本当にどうされるおつもりなのですか。斥候兵の青ざめた表情が言外にそう尋ねてくる。
「フェナシエラの因習に振り回されるのは一度で充分。妾は同じ過ちを繰り返したくはない」
扇を口元に添えながら女候は僅かに目を伏せる。サヴォの国広しと言えども、この人のこんな表情を見たことのある人はいるのだろうか、と斥候はふと思った。その思考を遮るかのように女候はぱちんと扇を鳴らす。
「それに…ここで撃たれるので有れば、その御仁もそれまでの者と言うこと。真に国王に相応しい人物で有れば、自ら道を切り開くであろう…」
その時の女候は、遙か過去を見つめているようだった。
「人は、己の運命を自らの手で掴む者。如何に救いの手を差し伸べても、相手にそれを取る気がなくば、何の意味もない」
「ご心痛、お察し申し上げます…」
「ロドルフォ殿が望んでおられたのは『フェナシエラ』の名が汚されぬことであり、御身の安泰では無かった。妾も無駄なことをした者よ」
何時しか女候の顔には寂しげな微笑が浮かんでいた。かつて、自分の弟が練り上げた暗殺計画を事前に察知しながら、そして手を打ちながら止めることが出来なかった苦い想い出が、その脳裏をよぎったのかも知れない。
「フェナシエラの行く末、見届けさせていただく」
言い残すと、女候は踵を返し、輿の中へと消えていった。

「見えました!敵軍は女候殿領土を僅かに出たところで休息をとってます!」
物見櫓からの伝令が息を切らせて報告を持ってくる。確実に彼らは、首都からも忘れ去られるようなこの小さな村へと近づいている。
自分には何もできない。悔しさに唇を噛むバルに、伝令がある物を差し出した。海色に染められた羽根を持つ軸には文がくくりつけられている。
「フェナシエラ正規軍の物ですな」
長老に頷いて見せてから、バルは矢文に目を通す。そして無言で長老に差し出した。
「さすがは親子…大将軍殿とよく似た字を書かれる物だ」
僅かに笑みを浮かべて見せて、バルは再びうつむく。その内容は、彼の予想通りだったからだ。その場に居合わせた面々を一通り見回してから、長老はその文を蝋燭の炎にかざした。一瞬のうちに燃え尽きていく矢文を見つめながら、長老は低く言った。
「フェダル…ロドルフォ殿下の名にかけて、我々はその御子を差し出すようなことはせぬ…」
一様に頷く面々とは裏腹に、バルの表情は暗く沈んでいくばかりだった…。

第三十一章『開戦前』 終

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