『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第三十三章 『逃れ得ぬ道』

眼下に見下ろすアルタの村は、彼らが知る街とは比べ物にならないくらいちっぽけな物だった。だが、それを見つめるフェルナンドの表情に笑みはなかった。
「いや、今度の戦いは楽が出来そうですな」
「馬鹿を言うな」
軽口を叩く参謀に、フェルナンドはぴしゃりと言った。
「…村全体が、一つの山城のようですね」
両者の後ろに控えたベアトリスが遠慮がちに口を挟む。その言葉をフェルナンドは硬い表情で頷き肯定した。
「両脇には山。後背には崖。攻める道はただ一つしかない」
フェルナンドの言葉通り、アプル山脈に貼り付くように集落が身を寄せ合っているアルタの村は、天然の要塞と言うに相応しい条件をすべて持ち合わせていた。他国から…フェルナンド達が陣を構える方向から村を攻めるとすると、切り通しになっている細い道しか入口はない。ぐるりと回ってフェナシエラ本国側から攻めるとなると、街道から別れる山道同然の測道を通るしかない。人の足ならまだしも、騎馬の大軍を率いて進むことは不可能だ。
「…だから大将軍はロドルフォ殿を畏れたのさ。ここを拠点に独立を宣言されたら手も足も出ないからな」
興味を失ったかのように、フェルナンドは馬首を返し、本陣へと戻っていく。慌ててベアトリスと参謀はその後を追った。
「それでも落とさねばならぬのさ」
嘯くフェルナンドに、ベアトリスは心を痛める。だが、何も事情を知らされていない参謀は調子よく賛同する。
「仰せの通り。閣下に仇なす愚か者どもに、後悔させてやりましょう」
お調子者の参謀のあまりに白々しい言葉に閉口しながらベアトリスは静かに続けた。
「すべて、フェルナンド様の御心のままに…」

「非戦闘民の避難は完了です。皆東の森に逃れました」
その報告に、長老は大きく頷いた。東の森は特に斜面が急で、馬が攻め入ることは不可能だ。最悪自分たちが全員玉砕したとしても、村その物が無くなる可能性はこれで消えた。
「どうやらフェルナンド殿は待ってくれたようですな。では…」
「俺は、物見の塔の上に行く。みんなを矢で援護する」
前触れのないバルの言葉に、一同の視線が集中した。
「みんなだけを危険にさらしたくない。親父がみんなを思っていたように、俺もみんなのことを大切に思っている。俺の所為でこうなったんだ。俺が責任をとってみんなを護る」
一同が言葉を失う中、長老が静かに切り出した。
「フェダル、貴方は我々の象徴…総大将であると言うことは、ご理解いただいてますか?」
落ち着き払った声に、バルは少々むくれながら頷く。その様子に苦笑を浮かべ、長老はだだっ子をたしなめるような口調で続けた。
「我々武人にとって、総大将は最後の砦です。すなわち総大将が直接最前線に立つ、と言うことは戦の最後と言うことなのです」
ふてくされたようにバルは視線を逸らす。穏やかな口調のまま、長老は続けた。
「つまり、貴方が先頭に立つ、と宣言するのは、戦う前から敗北を前提としている、と言うことになるんですよ」
「悪いけれど、俺は貴族でも騎士でも武人でもない。只の一般市民だ」
吐き出すようにバルは言う。大人達は一様に顔を見合わせた。
「だから俺はやりたいようにやる。自分の村…故郷は、自分で護る」
言い捨てるとバルは使い慣れた長弓を手に、部屋を出ていく。その後ろ姿を見やりながら、長老は深々と溜息をついた。
「やれやれ、頑固で不器用な所がお父上にそっくりだ。血というのは奇妙な物だ」
目を閉じ、頭を揺らしてから、長老は切り出した。
「さて、皆の衆。いよいよ決戦だが、覚悟は宜しいか?」
長老の言葉に、居合わせた者は各々頷く。
かくして同じ国民同士の泥沼の戦いが、はじまろうとしていた。

王冠と盾と剣。そして鷲の紋が縫い取られ、三方に金色のふさがあしらわれた自らの軍旗の前に、フェルナンドは立った。自分の前には、自分を信じてここまで付き従ってきた数万の人々がいる。その前で、フェルナンドは口を開いた。
「いよいよ戦端は開かれようとしている」
しん、と静まり返り、人々は主の次の言葉を待つ。
「同胞同士が争う戦ではあるが、これは聖なる玉座を護る為の物である…即ち、先王カルロス四世陛下の兄君、ロドルフォ殿下の血縁と主張する者を担ぎ出し、玉座を私が物にしようと計る愚か者どもを狩り出す為の戦である」
人々の間にどよめきが走る。それが完全に収まるのを待ってから、フェルナンドは先を続けた。
「我が望みは玉座に非ず!正統なる王位継承者たるパロマ候カルロス殿下を、安心してフェナシエラにお迎えするための戦である!」
どよめきがさらに大きな物へと変わっていく。それは今まで、大将軍アラゴン候がフェナアプル候ロドルフォを暗殺した、とだけ聞かされ、カルロス四世とパロマ候が既にサヴォによって処刑されたと思い、唯一王家の血を引くフェルナンドを最後の望みと付き従ってきた者達にとっては、信じがたい物だった。
だが、最後の生き残りと思われていたフェルナンドは、パロマ候はまだ生きているという。それだけではなく、暗殺されたロドルフォの血を継ぐ物さえいるという。
つまり、かつての国王兄弟の間に起きた当人達は全く感知しなかった玉座を巡る戦いを、未然に防ごうというのだ。…そう、それが大事になる前にロドルフォを暗殺した父アラゴン候と、全く同じことをしようとしているのだ。
「我が意と同じく、パロマ候の安泰を望む者は、この盾に集え!『王の盾』たるアラゴンの血を、不届きな者に思い知らせてやれ!」
地鳴りのような歓声が、やがて鬨の声へと変わっていく。人々は抜刀し、それを高々と振り上げる。
「金色の鷲に栄え有れ!」
「戦の女神の恩恵よ、我らの鷲の元に!」
口々に叫ぶ騎士達と、フェルナンドとをベアトリスは複雑な面持ちで見やる。無言のまま手を挙げて応えるフェルナンドの海色の瞳は、無感動にその様を見つめていた。

闇の中、いくつもの光が浮かび上がる。
東には、希望と共に村を離れた避難民が心細く囲んでいるであろう焚き火の炎。もう一つは今にも攻め込もうと手ぐすね引いているフェルナンドの本陣。
物見の塔の上で、バルはそれを見つめる。あの炎の中に、僅かな期間行動を共にした人物のかけがえのない『友人』がいる。『兄』がいる。
まだ見ぬその人は、一体何を思っているのか。単に玉座を狙っているのなら、自分が投降すれば話は終わる。だが、護るべき人々はそれを許さない。
この戦いは何を生み出すのか。否、奪おうとしているのか、バルにはまだ解らなかった。

第三十三章『逃れ得ぬ道』 終

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