『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第三十六章 『使者』

その時何が起きたのか、バルには理解できなかった。
ただ、櫓が組まれた木のすぐ脇にこちらに向けて投げられた長槍が突き立っているのだけは見ることが出来た。
そして、それからしばらくして、眼下を村に進む軍団の足並みが急に乱れた。そして、それこそ転がるように元来た道を逃げ帰っていく。唖然としてその一部始終を見つめていたバル。その彼の耳に、村との繋ぎを取っていた少年の声が飛び込んできた。
「フェダル!早くお館へ!援軍が来ています!!」
信じられない、と言うようにバルは省みる。自分は何も言わずにあそこを出てきたのに、まさか『彼ら』が来るはずがない。けれど…。
「あの騎士様が、大軍を連れてきてくれたんです!」
しかし。櫓を降りながらも、バルはまだ信じられずにいた。村の人々が知っている騎士と言えば、あの主従とアプルの女候しかいない。だが女候は敵対するサヴォの人であるし、今やフェナシエラ復興の旗印であるカルロスが、わざわざ危険を冒して来るはずもない。そしてホセも、あの傷がまだ癒えていないはずだ。
期待と不安、そして何も言わずヴェメを出たという後ろめたさを感じながら、バルは本陣となっている自分の家へと走った。
中央の広場には、傭兵隊と思しき不揃いの甲冑で身を固めた一団が各々の武器を整えている。そしてそこにそびえる聖堂の塔には『戦乙女』の旗と、先程まで戦っていた騎士達が持っていたのとよく似た旗が誇らしげに翻っていた。そして丘の上にある家の前には数台の馬車が停まっており、戸口では紛れもないヴァルキューレ、シシィがこちらに向かって手を振っているのが見える。
「良くやった。初陣で生き残れたお前は、もう立派な戦士だ」
息を切らせるバルの肩を、隻眼の戦乙女は笑いながら叩く。それでもまだ夢でも見ているかのようなバルを、シシィは室内に引き込んだ。部屋の中には長老達、そして長椅子には僅かに青ざめた黒髪の騎士の姿があった。
「おい…何でこんな所へ…あんたは、カルロスを…」
「バル、お願いがあります。一刻も早く、ヴェメに戻ってください」
脇腹の傷が響くのか、すぐにホセは眉根を寄せる。慌てて駆け寄るバルには、何でそんなことを言われるのか解らない。
「一体、何があったんだ?第一、あんたや金髪の兄さんがいれば、俺なんかいなくても…何処の誰とも知れない俺は、いても邪魔になるだけだろ?」
そのバルの瞳を、ホセの東の国特有の不思議な光彩を放つ瞳が捉える。ただごとではない。バルがそう確信したとき、それを裏付けるようにホセが口を開いた。
「…殿下が、倒れました。うわごとで、貴方を呼んでいます。急がないと、もう…」
思いもかけないその言葉に、バルは呆然として立ちつくす。
「でも…なんで…あんなに、良くなったのに…」
「ここに落ち延びる途中、負った矢傷が原因のようで…詳細はまだ解りませんが…」
「…俺の所為だ…」
ぽつりと、バルは呟く。青い瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「俺が適当に手当しないで、ちゃんと長老か医者に見せてれば…」
「…ですが、あの状況では仕方ないでしょう、フェダル。私がもし同じ立場だったら、貴方と同じようにしたでしょう」
かつて『父』の忠臣だった長老が歩み寄り、その背後から静かに声をかける。だが、バルは首を横に振った。
「…ごめん…俺は結局…カルロスや、あんたを見捨てた…」
「まだ…まだ解りません。だから一刻も早くヴェメに向かってください。シシィの配下の方が、送り届けてくださるそうです」
「でも…でも、村が…」
「私と、シシィとで、貴方の替わりに護ります。ですから…」
「けど…」
「この戦は、私が決着を付けなければならない物です。…どちらにしても、この傷では、私は早馬には乗れません」
寂しげに笑いながらホセは言う。不安げに振り返るバルに、長老は優しく頷いた。
「こちらは我々に任せて…一刻も早く殿下の元へ…」
早く来い、とでも言うようにシシィが手招きをしているのが見える。暫し躊躇った後、バルはホセの肩に手をかけてから立ち上がった。
「必ず…必ず後から来てくれ。頼む」
解りました、と頷くホセに後ろ髪を引かれる思いでバルは踵を返す。扉が閉じられ、バルの姿が見えなくなると同時に、ホセはそれまで辛うじて堪えていた傷の痛みに目を閉じ、身体を横たえる。再び傷の場所は赤く染まっていた。
「黒豹殿、どうかお休みください。自分の村は、自分たちの手で…」
「…この戦を起こしたのは、私の兄です…家名の汚点は、同じ名を持つ者が…」
いたたまれなくなって長老は頭を揺らす。
「解りました。が、くれぐれも前戦には出られませんよう…」
荒い息の下でホセは笑いながら僅かに頷いた。

そして慌ただしくその日は終わろうとしていた。夕日に染まる山々の稜線を背に、バルは自ら決別を決心したカルロスの元へ…ヴェメに戻ろうとしている。
「かなり飛ばしますから、決して口を開かないよう…出来れば何か布でも噛んでいた方が宜しいでしょう」
同じようなことを、確かあの時も言われたような気がする。騎手に頷いてからバルは振り落とされないようしがみつく腕に力を込めた。

第三十六章『使者』 終

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