『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第三十九章 『帰還』

アルタを出るときから、バルは殆ど馬上にいた。
元々強行軍だ。休む間も惜しんでの旅である。もう何日、ぶっ続けで馬の背に揺られているのかさえ朧気になっていた。
時折、冷たい氷混じりの雨が頬を打ったこともあった。
しかし、灼熱の太陽に焼かれながらの旅でなかったことだけでも運が良かったと思うべきかもしれない。
騎手の身体に自らを縛り付け、途中で意識を失っても落馬しないようにしておけ、と忠告をしてくれたのはシシィだったか、長老だったか、それとも自らの命も省みずやって来たホセだったのか、それさえも思い出せなくなっていた頃、見覚えのある巨大な門が、目の前に現れた。
「開門!アルタからの帰還者である!開門せられたし!!」
騎手の鋭い声に呼応するように、プロイスハイムの城壁を堀と隔てている跳ね橋が降ろされ、重い音を立てて鉄の扉が開かれる。
元々皇帝が避暑のために使うこの夏の宮殿にいる兵員は、バルが飛び出したときよりも遙かに少なくなっていた。恐らく『氷の女帝』マルガリータと共に、本来の帝都であるヴェメへと戻っているのだろう。
そして、本来ならカルロスを始めとするフェナシエラの騎士達も共に移る筈だった。
しかし、城に残っているのは殆どがフェナシエラの騎士達だった。ヴェメに移ることすら出来ないほどにカルロスの様態は悪いのだろうか。いや、もしかしたら…。
自分で思い描いた最悪の予想に、バルは自分と騎手とを繋ぎ止めていた命綱を着るのももどかしく、馬から飛び降りる。
「待っていたぞ、こっちだ!」
城内から飛び出してきてバルを迎えたのは、オルランドだった。バルが事の次第を聞くよりも早く、彼はその手を取り走り出した。
「な…まだ…」
戸惑いながらも尋ねるバルに、オルランドは振り向きもせずに答えた。
「君は本当についている。医者は昨日がヤマじゃないかと言っていたんだ」
幸い、殿下には辛うじて息がある。まだお言葉が聞けるかもしれない、早口で言うオルランドの後ろ姿を見つめながら、バルは後悔した。何も告げず、一人勝手に村に戻ってしまったことを。
けれど、あの状況では…由緒有る家臣団に囲まれ、サヴォに落とされた王都ラベナを奪還する兵を挙げようとしていたその時に、自分のような何処の誰ともしれない人間がこんな所にいては、不協和音になると、彼なりに考えた結果だった。
しかし、よかれと思って取った行動が、何故かこの混乱の元凶になっている。どうしてそんなことになってしまったのか、当のバル本人にも理解できなかった。
「…フェルナンド殿は、アルタに来たんだろ?」
固い声でオルランドが言う。ようやく彼は走るのをやめていた。何が何だか解らないままここに引きずり込まれたバルは、ようやく大きく息をついた。
「村が…駄目になるかと思った。いきなり山間から大軍が雪崩れ込んできて…シシィ達が来てくれなければ、今頃、廃墟になっていたと思う」
「そこまで持ちこたえられたのは奇跡だな。仮にもフェナシエラ一の実働部隊を足止めしていたんだから…やっぱり…」
その後に続く言葉をバルは尋ねたが、オルランドは答えなかった。替わりに突き当たりの扉の前に立つ。
「答えは、殿下が教えてくださる…さあ」
オルランドが手をかけると、重々しい扉は音もなく開いた。
そこは中天にある太陽の光が優しくさしこむ、白く明るい部屋だった。
部屋の中央には天蓋付きのベッドが置かれ、その周囲をこの地にたどり着いた全てのフェナシエラの重臣達が固めている。そして、彼らの視線の先には、微動だにしないカルロスが横たわっていた。
部屋を包み込む張りつめた空気に、バルは戸口から動けなくなった。
やはりどう考えてみても、一介の村人である自分が、フェナシエラの最後の望みである世継ぎの王子が程なくして迎えるであろう臨終の瞬間に立ち会うなど、相応しくない。
そのバルの背を押したのは、扉を開いたオルランドだった。よろめきながら寝台に歩み寄ることとなったバルに向かい、予想外に重臣達は自然と道をあけた。
そして、気が付いたときには、バルは寝台のすぐ脇…枕元に立っていた。
近づいて改めて見つめると、常に穏やかな微笑みを絶やさなかったその顔は紙のように白く、かなりやつれてしまったようだった。
変わり果てたその様子に何も言うことが出来ず、立ちつくしていたバルの様子を察したのか、反対側に控えていたオルランドの父、ルーベル伯が僅かに腰を屈め、カルロスの耳元に二、三言葉をかけた。それに応じるかのように夢から覚めたカルロスは、『フェナシエラの海の色』と言われる青い瞳を、戸惑うばかりのバルに向けた。
「…ごめん…俺は…あの…」
自分の行動を弁明しようとするバルに、カルロスはいつもと変わらぬ微笑を向ける。そして、消え入りそうな声で言った。
「…いいよ…私は、ずっと君を捜していたんだ…バル…いや…バルトロメオ…」

第三十九章『帰還』 終

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