『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第四十一章 『闇の中で』

全てが静寂の中に包まれていた。
広大なプロイスヴェメ皇帝の夏の離宮は、夏の緑とはまた異なる美しさを持つく白銀の輝きに等しく彩られ、高い塔には『銀色の双頭の鷲』と畏れられるプロイスヴェメの皇帝旗と、見慣れた『フェナシエラの海に金色の獅子』と讃えられるパロマ公旗、二つの半旗が掲げられていた。
アルタ村でのフェルナンドと楽園の騎士団との争いが膠着状態になったところを見計らい、先に行ったバルを追ってプロイスヴェメに向かっていた馬車にカルロスの逝去が伝えられたのは二日前。凍てついた空気の中、ホセとシシィが目にしたのは、それこそ全てが死に絶えたような、だが目をそらすことができない異質な美しさを感じさせる、そんな風景だった。
「大丈夫なのか?お前、どうしていつも自分を大事にしないんだ。殿下はいつも…」
出迎えたオルランドは、言いかけて慌てて口を閉ざす。馬車からシシィの肩を借りて降りてきたホセの顔は青ざめ、辺りを取り巻くような景色とまったく同じ凍り付いた様な教条を浮かべている。が、オルランドの姿を認めるや否や、開口一番言った。
「バルは…バルはどうでしたか?今は一体何処に?」
「お前とシシィのお陰で、どうにか間に合った。けど…あれ以来ずっと、殿下のお側に…霊廟にこもったきり出てこようとしない」
「この寒い中、火の気のないところへ?どうして誰も何もしない?」
自分なら首根っこを掴んででも引きずり出すぞ、と苛立ったように怒鳴るシシィをよそに、ホセは脇腹を押さえたまま霊廟のある聖堂の方へとしっかりとした足取りで向かう。
「おい!待て!」
肩に手をかけ、止めようとするシシィに、ホセは振り向き、寂しげに笑って見せた。
「大丈夫です。…私も殿下にお別れのご挨拶に行くだけですから…」
その言葉に、得も言われぬ感情を感じたのか、シシィはあっさりと手を引く。オルランドの方を省みると、彼は僅かに頷くだけだった。
降り積もった雪の上に、足跡が聖堂の方へと向かい伸びていった。

重い扉を開くと、黴臭い匂いが鼻を突いた。
何時の時だったか、夢の中だったのか定かではないが、以前にもこんな事があったような気がする。頭の片隅でそんなことを思いながら、ホセは導かれるように聖堂の中を進む。そして霊廟のある地下へと続く会談を一歩一歩降りていった。その度、塞がりきっていない傷が鈍く痛む。それに顔をしかめながら進むこと暫し。いくつものプロイスヴェメ皇帝ゆかりの人物が眠っているであろう双頭の鷲の紋が彫り込まれた扉が左右に並んでいる。そしてその中で一つ、半開きになっている扉があった。そこには唯一、獅子の紋章が彫り込まれ、扉の隙間からはほんのりと明かりが漏れていた。
そこがまだ新しい物であるのは明らかだった。細長い部屋の中央には石造りの棺が安置され、その蓋にもやはり獅子が浮き彫りになっている。傍らにはランプの光に幽霊のように浮かび上がるバルの姿があった。
涙で汚れた顔を拭おうともせずに、石畳の上に座り込み虚ろな瞳でただ石棺を見つめていた。
「…ひと思いに殺してくれないか?…俺は…俺の不注意で、あんたの大切な人を殺してしまったんだから…」
ホセが声をかける前に、バルの口から枯れた声が漏れる。やれやれとでも言うように一つ息をつくと、ホセはゆっくりと歩み寄る。そして痛みに顔をしかめながらバルのすぐ脇に腰を降ろす。
「隣、失礼します」
軽く頭を下げてみせるホセに驚いたようなバルの視線を気にすることなく、ホセは改めて石棺を見つめた。
「オルランドから、聞きました。間に合われたようで、何よりでした」
「ごめん…俺が…俺が勝手なことをしなければ…あんたも…」
「人間にはどうしようもできない見えない力、と言う物があるんですよ。どう足掻いても、恐らく結果は同じ事になっていたでしょう」
穏やかな口調でホセは答える。それは既に何かを悟っているようでもあった。視線をもう一度石棺に向けてから、バルは自らの傍らに置いてあった剣を手に取った。
「知らなかったんだ、本当に…。これが一体どういう物なのか…。顔も知らない親父がこの国の王様の兄さんで、しかも実の親じゃなくて…カルロスと…従兄弟だったなんて…」
言葉が終わると同時に、バルの目から涙が溢れる。一人きりここにこもり、何度も何度も自分を責めていたのだろう。そして泣いていたのだろう。その姿に、ホセにはかつての自分の姿が重なって見えた。
無言でホセは自分のマントをバルの肩に羽織らせた。何事かと見つめ返してくるバルに、ホセは優しく言った。
「こんなに寒いところにいたら、冗談抜きで風邪をひきますよ。…前に私に風邪をひくと行って夜着を投げてくれたのをお忘れですか?貴方に風邪をひかせてしまったら立つ瀬がありません」
寂しげな微笑を浮かべるホセに、居心地の悪さと妙な照れくささを感じて、バルはぷいとそっぽを向いた。
「殿下は薄々、ご自身の出生について御存知だったようです。パロマ侯に封ぜられた時に立太子を辞退されたのは、その為ではないかと…。そして常々…正統な玉座の継承者を見つけだすと…」
「…解らない…何がそこまでさせたのか…。親父がどうしてアルタなんて辺鄙なところに来たのか…それに、それが全部本当なら…」
一度言葉を切ってから、バルは再び石棺を見つめる。
「親父は何故、俺を助けたのか…。俺が生きている限り、同じ様なことが起こるのは解るはず…」
「私は勿論直接お会いしたことはありませんが、ロドルフォ殿下は大変慈悲深く、お優しい方だったそうです。恐らく殿下の御性質は、お父君譲りの物だったのでしょう」
だから自分が『フェナシエラ王の王子』であることに疑問を持ったのだろう。猛将として隣国に畏れられる、あの偉大な王の子どもであることに。
実際、行動をしてみても、カルロスは文武に遜色無かったが、どちらかと言えば人格者として優れている、という印象が色濃くバルの中には残っていた。どんな状況に置かれても、穏やかさを失ったところは見たことが無かった。
「結果はどうあれ、殿下は喜んでいらっしゃると思いますよ。結果的にこんな事になってしまいましたが、バルが戻ってきてくれたんですから…」
石棺を見つめたままホセは呟く。その言葉に打たれたかのように、バルはその方向を省みた。
自分とは縁もゆかりもない、命を賭した騎士の主従関係。その強い絆で結ばれた両者。
本来であれば、自分が主の盾とならなければいけないにも関わらず、その瞬間にも立ち会うことができなかったホセの心境は、一体どんな物なのだろうか。
「…これから、どうするんだ…?」
譫言のように呟くバル。視線を動かすことなくホセは答える。
「私たちの願いは、あくまでもフェナシエラの再興です。最後までそれを諦めるつもりはありません。ですが…」
この状況で、バルをフェナシエラの後継者として…即ち旗印として立てられるのだろうか。
根拠となるのは古びた王家の宝剣のみ。それだけで一度サヴォに靡いた諸侯を引き戻すことができるのだろうか…。むしろ、確実に王家の地をひいているフェルナンドをより強く指示してしまうかもしれない。
「そういえば…」
突然思い出したように切り出したバルに、ホセは慌てて振り向く。バルの表情は心なしか落ち着きを取り戻しているようだった。
「カルロスの、遺言があるんだ。あんたが帰ってくるまで待とうと言うことになって、まだ開いていないんだった」
「解りました。私は…どちらにせよ最後まで殿下のご命令に従うつもりです。では、行きましょうか?」
「でも…」
躊躇うバルの手をホセは取り、いつもの笑みを浮かべて見せた。
「肩を貸していただきたいんです。まだ傷が完全に治っていませんし…それに開封の場に宝剣があるのと無いのでは意味合いが違ってきますから…」

第四十一章『闇の中で』 終

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