『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第四十三章 『玉座を継ぐ者』

「やはりこちらにおられたか」
女性の声にバルは慌てて顔を拭い、振り向いた。目の前には、カルロスの棺がある。そして背後に立っていたのは紛れもなく、このプロイスヴェメの『氷の女帝』マルガレーテ…シシィの異母姉だった。慌てて姿勢を正そうとするバルを手で制すると、女帝は棺に向かい深々と一礼し祈りの言葉を呟いた。
「申し訳…でも…カルロスに…」
「そなたにはここに来る資格がある。誰も咎めぬのがその証拠ぞ」
その通りである。
歴代皇帝の霊廟に、『何処の馬の骨とも解らない』バルが何度も立ち入っても誰も何も言う者は今までいなかった。この時初めて、バルは誰のお陰でそれができていたのかを知り慌てて石畳に額をこすりつけた。
「本当に…わがままばかり言って…陛下には…」
「余の妹を助けた恩人に我が儘も何も詮無きことぞ。そのようなことは気にせずとも良い。されど…」
顔をあげるカルロスの視線が、初めてマルガレーテとぶつかった。
「獅子の御子よ。そなたはこれから如何する所存じゃ?このままここで友人のために泣き暮らすか?それとも悲しみから立ち上がった兵を率い、玉座を奪還するか?…まあ余が何を言っても仕方がない。全てはそなたが決めること」
「…玉座を奪還って…俺が…?だって俺は一介の…」
「村人で通すのはもう無理ぞ。剣に遺訓。証拠はそろいすぎておる。あの勇猛な黒豹殿を始め、パロマの軍勢の行く末を握っているのは紛れもない、そなた自身じゃ」
その通りだった。
重臣達の間にはバルを見る目に微妙な緊張を感じる。それはカルロス亡き後、彼らに残された唯一の旗印がバル…バルトロメオ他ならないからである。
恐らく今、彼が死ねと命じれば皆それに従うだろう。その命の重さにバルは逃げだし、ここに来たのだ。それを悟ってか、マルガレーテは静かに目を伏せた。
「余は、望まれて皇帝になったわけではない…。先帝陛下のご決断が遅かったばっかりに押し上げられてしまったまでのこと。そなたと同じじゃな」
思いもかけないその言葉に、バルは涙を拭うのも忘れて顔を上げた。皇帝の瞳は、遙か遠くを見つめているようだった。
「私には、セシリアの他、弟もいた。物心付く頃、弟が生まれ、私はこの国を背負うことから開放されたと、ひととき安堵の吐息を付いた。…今にして言える事ではあるが…」
だが、皇太子は幼くしてこの世を去った。残されたのはマルガレーテとセシリア、母親の異なる二人の皇女だけだった。
「正直、私は皇帝になどなりとうは無かった。だが、その重さを妹に…尤も殆ど会うこともなかったが…背負わせるのも不憫だった。けれど、先帝陛下は周りからの世継ぎを定めよとの重圧に負け…」
「シシィを幽閉してしまった…?」
バルの問いかけに、マルガレーテは頭を垂れた。そこにいたのは『氷の女帝』と呼ばれるその人ではない。ただの妹の不幸を嘆く一人の姉がいるに過ぎなかった。
「夏の宮にある塔はこの通り、冬になれば雪に埋もれる。同じ血を分けた妹がそのような所でどんな暮らしをしているのかと思うても、私は陛下に何も言うことができず…そしてついには、見殺しにしてしまった…」
「でもシシィは生きて…ちゃんと今陛下の側に…。俺は逃げ出して…今は…」
「じゃが、間に合った。違うか?」
その問いかけに、バルは答えを返すことができなかった。
確かにバルは戻ってきた。そして、ただ一人の『従兄弟』の死に際に間に合った。そして全てを聞くことができた。けれどそれは、今まで何も知らずフェナシエラの片隅で暮らしていたバルにとっては余りにも重い宿命でもあった。
「決めるのはそなたじゃ。余でも、ましてやフェナシエラの騎士達でもない」
再び女帝の声がバルの耳朶を打つ。
「では…何で陛下は俺にそんなことを…」
生まれ持っての粗野な言葉遣いに口をつぐむバルに、マルガレーテは再び柔らかく微笑んだ。
「私は何もできなかった。抗うことができず、唯一の継承者として、皇帝にならざるを得なかった。それが過ちだったかどうかは私が死んでみなければ解らぬ。だからかもしれん。同じ立場に立たされた者としての…いや、そなたの方が過酷やもしれんな…今まで何も知らず、穏やかに暮らしていたにもかかわらず、いきなり中枢に放り出され…」
言葉の後半は飲み込まれバルには届かなかった。女帝とカルロスの棺と、バルは再び交互に見やった。

第四十三章『玉座を継ぐ者』 終

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