『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第四十四章 『運命の歯車』

戦は膠着状態に陥っていた。
前方を固めるアルタの村は、『楽園の騎士団』という最大の援軍を得て、その戦意はますますとどまるところを知らない。
一方のフェルナンドの軍はといえば、思いもかけない不意打ちと、もっとも相手にしたくなかった敵の新手、そしてなれぬ土地での戦を強いられて動くに動けない状態だった。
「いかがなさいますか?」
珍しく不安げな表情で訪ねてくるベアトリスに、フェルナンドは曖昧な笑みを浮かべて返すだけだった。全てがなるようにしかならない、と。
「しかしそれでは、将来の災いとなる芽を摘むことができなくなります」
「血筋は確かでも、果たして本人が知っているのかすら怪しい。それならいっそ長期戦に持ち込んで、自滅するのを待っても良い」
「しかし、それでは…」
「騎士にあるまじき戦法か?…確かにそうだが…」
フェルナンドの心中にあるのはただ一つ。自らが幼い頃から使えていたカルロスが新たなるフェナシエラの王として即位することである。それがかなうのであれば、自分がどんな汚名を着せられてもかまわない。だがその本心を知らない彼の配下の者たちの中には、本気でフェルナンドの即位を希望する者たちもいることも確かである。
「…敵の動きがどうも鈍いな」
ふと、フェルナンドは呟いた。何故か、とでも言うように見返してくるベアトリスに、彼は笑って言った。
「地の利は相手にある。夜襲をかけるのはこちらではない。むしろ向こうの方だ。にもかかわらず動こうとはしない」
あの負けん気の強い『ヴァルキューレ』であればそれぐらいのことは仕掛けてくるだろう。そう言うフェルナンドに、ベアトリスは頷くことしかできなかった。確かにあの人ならば、そして翻っている旗印通り『黒豹』がいるのであれば、全く可能性がないわけではない。
「何か…何かあったのでしょうか?」
もしかしたら、目指すその人はもう落ち延びているのではないか。だとしたら何故。しかし落ち延びるとしてもフェナシエラ国内は既にイノサンとフェルナンドの手中にあるといっても良い。だとしたら目指す先はただ一つ。そしてその先にいるのは…。
「申し上げます!」
静けさをかき消す伝令の声にベアトリスは現実に引き戻された。
「何事か?」
慌てて振り向く彼女に、伝令はうわずった声で答えた。
「山脈に…山脈に点々と狼煙がともっております!」
「プロイスヴェメからか?それともエルナシオンからか?」
「それが…双方からです!!」
「な…」
ベアトリスは思わずフェルナンドを省みた。果たして彼女が剣を預けたその人からは、表情を読みとることができなかった。
「…殿下が…まさか…」
その口から漏れた言葉は、ベアトリスの頭部を打った。
もっとも起きて欲しくないことが、起きてしまった。これで正当に玉座を手中にできるのはただ一人。その人物を、フェルナンドは討とうとしている…。
「フェルナンド様…」
掠れたベアトリスの声を、新たな伝令が遮った。
「申し上げます!女候殿の軍が、国境を封鎖いたしました!!」
差し出された文をフェルナンドは無表情のまま受け取る。すい、と目を通してから興味を失ったかのようにそれをベアトリスに渡した。
「どうやら我々は本物の逆賊になったらしい」
そこはエルナシオンにいるサヴォ王女カトリーヌの名に記された、正式に父王イノサン5世及びそれに組みするフェルナンドを討つべしとの宣戦布告書であった。
「それでいい…全てが正しい道へと戻ろうとしている…」
だが、それを受け止めたフェルナンドの声にはどこか安堵にも似た感情が入っているのをベアトリスは聞き逃さなかった。
「フェルナンド様…いかがなさいます?これでは…」
アルタと女候の挟み撃ちになる、そう告げるベアトリスにフェルナンドは笑みさえ浮かべながら言った。
「夜陰に紛れてここを経つ。一刻も早くイノサン陛下と合流しなければな…」

フェナシエラとサヴォの国境で一騒動起きている頃、プロイスヴェメの夏の都である『儀式』が行われようとしていた。
その部屋の中には、ちりぢりになったフェナシエラの重臣たちがいる。その見つめる上座にはフェナシエラの王家に伝わる宝剣を手にしたプロイスヴェメ皇帝、マルガレーテ=フォン・モナートヴェメの姿があった。彼らはある人物が来るのを待っていた。
扉が音もなく開く。そこには甲冑に身を固めたバルがいた。衆人の視線が集まる中、一歩一歩、上座に向かって歩んでいく。女帝と『フェナシエラの象徴』に向かって。その足は、女帝の目前でついに止まった。
「プロイスヴェメ皇帝の名において、バルトロメオ=デ・フェナシエラを正当な神聖王国の嫡流たることを支持する」
言って、女帝は手にしていた剣を目の前の青年に手渡した。それを受け取ったバルは、神妙な面もちで暫し見つめ、やや躊躇った後それを鞘から引き抜いた。施されていた封印がはじけて落ちる。
「親父…父は大切な物を護る時にのみこれを抜けと告げた…。今がその時だ…」
居並ぶ歴戦の猛者達に向けてバルは言った。白刃が閃く。
「この雪が溶け次第、我々はラベナへと向かう。サヴォに蹂躙されているフェナシエラの民を護るために…。何よりカルロスが護ろうとした者たちを護るために…。そんな俺の我が儘に、着いてきてくれるか…?」
歓声が、室内を支配した…。

第四十四章『運命の歯車』 終

戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送