『夜明けの詩 月夜の涙』
 

外伝 『眠れる獅子』上

フェナシエラ。血塗られたことのない、聖なる玉座。
それを護るが為、皮肉にもその周囲では常に様々な悲劇が起きていた。
王の寵愛を受けながら、『家柄』が釣り合わず結ばれなかったのを苦にして自ら命を絶った美姫の話。
暗愚な王を廃立しようという一派の旗印にされるのを防ぐため、一族もろとも自決した王室に連なる一族の話。
それほどまでの血と涙とで固められた上に至上の聖なる玉座は自らは決して血を吸うことなくその身を保っていた。
そして、これから語られるのも、そうした悲劇の一つ…いや、尤も悲惨な結末を迎えた事件の発端である。

時の国王、カルロス3世は文武に長じ、加えて情に厚い人物だった。だが、その情の厚さが聖なる玉座を危うい物にしようとは、誰が思っただろう。
カルロス3世には生まれながらに決められた許嫁がいた。だが、成人した彼は宮廷で働く女官に好意を持つようになっていた。それに気が付いた側近らは、単なる気まぐれだ、と思いこもうとしていた。
そして、しかるべき時外つ国から定められるままにしかるべき姫君が王都ラベナに嫁いできた。名だたる国内外の名士の前で、大司祭の名において二人の結婚式は盛大に執り行われた。これで聖なる玉座はまた安泰だ。誰もがそう考えた。
だが、そのお祭り騒ぎの影でひっそりと、一人の女性が赤子を産み落としていたのである…。

後にカルロス4世と呼ばれることを約束された少年は、常に歳の近い2人の少年が兄弟同然に仕えていた。一人は従弟に当たるアラゴン候子のフェリペ、もう一人が乳兄弟のロドルフォだった。王家に連なる血筋のフェリペがどことなくカルロスに似ているのは誰もが頷ける。
だが、単なる乳兄弟に過ぎないロドルフォを見て、王に謁見を許可されている者達は誰もが言葉を失う。カルロス王子から父譲りの勇猛さを差し引いて思慮深さを足したら恐らくこうなるのではないか。それほどロドルフォはカルロス王子に似ていたのである。
形ある事実は消して隠し仰せる物ではない。知れて欲しくない秘密ほど、口から口へと疾風の如く伝わっていく物である。
…ロドルフォは陛下のご落胤ではないか…
まことしやかにそんな噂が宮廷内で囁かれるようになるまで、さして時間を必要とはしなかった。だが、腫れ物に触るかのように接する大人達とは対照的に、ロドルフォはカルロス王子の『忠臣』であり続けた。
やがて王妃もカルロス王子の乳母もこの世を去り、事実を知る物はカルロス3世のみになった。そしてしかるべき時…3人が正式に騎士に叙せられたとき、初めてカルロス3世の口から真実が語られた。ロドルフォはカルロス王子の異母兄である、と。
やはりそうか…そんな空気に囚われながらしかし、動揺を隠しきれない貴族達の衆人環視の中、臆することなくロドルフォはカルロス王子に向かって跪き、深々と頭を垂れ、こう言った。
「かくなる次第は、私には全く関係のないこと。これからも私はカルロス殿下にお仕えできることを無二の幸せと思ってやみません…」

かくして、それまで日陰の存在であったロドルフォが、突然一介の平民から正式に王族に名を連ねる存在へと引き上げられた。だが自らの身分が急激に変化したにもかかわらず、ロドルフォはカルロス王子やフェリペから一歩引いた態度を崩そうとはしなかった。
自らの微妙な立場を尤も理解していたのは他の誰でもない、ロドルフォ本人だった。そして自分を取り巻く貴族達の温度差を、誰よりも敏感に感じていたのも、ロドルフォだった。
…カルロス殿下は確かに勇猛果敢で優秀ではあるが、些か国王たる品格と言う点ではどうか…
…いっそ、ロドルフォ殿下の方が国王には相応しいのではないだろうか…
腹の中に一物も二物も持つ、主に下級の貴族達が、人目を忍んでロドルフォに使いを送ってくる。けれどロドルフォは頑なにそれを拒み続けた。

そして、ついに運命の日がやって来た。
カルロスの立太子とパロマ候継承の時期に頭を悩ますカルロス三世のもとに、常ならばカルロス王子の傍らから離れることのないロドルフォが、単身訪れたのである。
何事かと表情を固くするカルロス三世に対し、ロドルフォは開口一番こう切り出した。
「私をフェナアプル候に任じてください、陛下」
その言葉にカルロス三世は言葉を返す失った。
フェナアプル。長年対立関係にあるサヴォと国境を接する守備の要地。
そう言えば聞こえはよいが、領土の半分以上を山岳地帯が占め、少ない平地も荒野が広がる、国土の北の端…僻地であり、侯爵とは言っても事実上の左遷である。無言のまま血を分けた子どもを見つめるカルロス三世に、ロドルフォは静かな声で続けた。
「私の存在はこの国にとって諸刃の刃です。聖なる玉座を護るためにも、北方の守りを固めるためにも、私をフェナアプルに封じてください…」
ロドルフォの決意は揺らぐことはなかった。
カルロス王子がパロマ候に封じられ、立太子された直後、ロドルフォはごく僅かな近侍達を伴い、この世に生を受けたときと同じくひっそりとラベナからフェナアプルへ旅立ったのである。

やがて何年か過ぎた頃、カルロス王子と既にアラゴン候を継いだフェリペに同盟国のプロイスヴェメとの縁談が持ち上がった。それと同時に、それまで忘れ去られていたロドルフォにもしかるべき后を、という話が出た。
カルロス三世の使者がロドルフォ本人の意向を問うべくフェナアプルへ送られたが、彼らがそこで目にした物は信じがたい物だった。
土地の者から『フェダル(この地方独特の訛で、御領主の意)』と慕われ、まだ慣れない手つきで領民と共に土にまみれ農作業に精を出すロドルフォの姿。そしてそんなロドルフォをかいがいしく世話する一人の素朴で美しい村娘。その時、使者達は悟った。ロドルフォは聖なる玉座を護るべく、この地に根付き、骨を埋める御覚悟なのだ、と。
見たままの事実を、使者はカルロス三世に告げた。驚きつつもやや安堵の表情を浮かべたカルロス三世。そして心底残念そうな表情を浮かべるカルロス王子。そんな親子の様子を、フェリペは複雑な面持ちで見つめていた。
しばらくして歴代の王子がそうであったように、かつてのカルロス三世の時そのままに、華やかな華燭の宴が催された。久しぶりに宮廷に訪れたロドルフォは穏やかな面持ちはそのままに、だが日に焼けたその顔には以前には見られなかった精悍さを見て取ることが出来た。再会を喜ぶ国王親子の姿から、何故かフェリペは目をそらしていた。

「如何致しました?閣下?」
執務室で一人立ちつくしていたアラゴン候フェリペは背後から声をかけられ、身体ごと振り返った。そこには代々アラゴン候に仕える家柄のカプアの領主が立っていた。実年齢よりやや老けた印象を与えるこの男は、3人の息子のうち一人を病で失い、残る二人をサヴォとの戦で失っていた。そのためか、カルロス王子、フェリペ、そしてロドルフォの三人を自らの息子のように面倒を見、剣を使う術を教え、勉学を授けた。
やや躊躇った後、フェリペはカプア卿を身近に呼び寄せた。卓の上には封が開けられた封筒が置いてあり、その中身はフェリペの手にあった。
「…これを、どう思う?」
言いながらフェリペは手にしていた書状をカプア卿に差し出す。一度は固辞したものの、断りきれず彼はそれを受け取った。サヴォ語で書かれたその書状に一通り目を通し、卓の上に視線を落とす。先程は気付かなかったが、朱色の封蝋に押された紋章印は、獅子と盾を基調とするフェナシエラ貴族のそれではなく、百合をそれとしたサヴォ王室の紋であった。
「…先方も一枚岩ではない、と言うことですかな?」
「そして、我々もそうであろうと踏んでいる、と言うことを察している、と言うことになるな」
無造作にフェリペは卓の上の封筒を取り上げ、カプア卿から書状を受け取り、それらを手近な本に挟み込んで書棚に納めた。暫しその場に手をかけたまま、低く呟いた。
「しかし、サヴォの王弟殿も大胆なことをなさる。フェナシエラ王室に連なるこの私に、恐れ多くも…」
一端フェリペは言葉を切り、目を閉じる。
「ロドルフォ殿下を手にかけてはどうか、等と持ちかけるとは…」
「して、如何なさるおつもりですか?」
だが、フェリペはカプア卿の問いかけに答えることはなかった。

以後、多少のサヴォとの小競り合いはあったが、平穏に時間は流れ、ほぼ名君と言って良い統治を行ったカルロス3世は天寿を全うし静かに息を引き取った。
国葬も一段落付き、ようやく平静さを取り戻しつつある王宮で、カルロス…即位を済ませた彼はカルロス4世となっていた…は、自らの婚礼以来久方ぶりに登城していたロドルフォを内々にロドルフォを私室に呼び入れた。
「…そのようなお顔をされて…如何なさいました、陛下?」
国王の兄とは言え、一介の貴族に自ら望んで身分を落としたロドルフォの口調は以前とは変わらぬものだったが、弟を心配する心情を隠すことは出来なかった。暫し無言のまま卓に手をついていたカルロス4世は、ようやく重い口を開いた。
「…兄上…私が妻を娶ってからもう2年の月日が流れました。が、未だ後嗣に恵まれることなく、サヴォとの戦も続いております。このままではいつ私も先陣に立ち、命を落とすやもしれません」
「…陛下自ら先陣に立たれるなど…そのようなことは我々が…」
言い返そうとするロドルフォを、カルロス4世は手を挙げて制した。
「しかし…中には私に愛妾を持て、と進める者もおります。しかし私は…私は亡き父上のようなことを繰り返したくはないのです」
本来であれば玉座はカルロス3世の長子たるロドルフォの物…言外にカルロス4世は訴えていた。二人の間に暫し沈黙が流れる。確かに家臣団の中にはまだロドルフォを押す者もいる。その重圧にカルロス4世は耐えられなくなっていたのであろう。
「勇猛で名を馳せた陛下らしくもない…。陛下は紛れもなく…」
「それでは私の気が済まぬのです!」
両者の視線が空中でぶつかる。
「…これ以上自分を偽りながら聖なる玉座にいるのは、苦痛なのです…」
「では、陛下に忠義を誓う万民からお逃げになるのですか?」
ロドルフォの言葉は丁寧だが厳しい。確かに即位の儀を済ませ、国王を名乗る以上カルロス4世にはフェナシエラ国民を護る義務がある。卓の上で握りしめられたカルロス4世の手の上に、涙の滴が落ちる。
「…ならば、こうしては如何でしょう」
ついに決心したのか、ロドルフォは口を開いた。
「臣の愚妻は丁度今懐妊しております。その子を陛下のお子、と言うことになされば、些か陛下の気は晴れましょうか?」
未だ涙で潤む瞳で、カルロス4世は異父兄を見上げる。そこには常と変わらぬ穏やかな面差しがあった。
「…本当に…宜しいのですか…?」
「…それで陛下のお心が腫れるのでしたら、喜んで」
かくして、王妃の懐妊がフェナシエラの全土に伝えられた。だがこれが皮肉にも本当の悲劇の始まりだったのである。…そう、王妃は『本当』に懐妊していたのである…。

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