『夜明けの詩 月夜の涙』
 

外伝 『眠れる獅子』下

世継ぎの王子が誕生した、との報に国中が喜びに沸いた。
山間のフェナアプル地方アルタ村にもその一報は伝えられ、ロドルフォに祝宴出席のため登城を促す書状が届けられた。
「殿下、剣をお忘れです」
フェナアプルからこの地へ赴いたときからの従者が、慌ててロドルフォに剣を差し出す。ロドルフォがフェナアプル候に封ぜられたときにカルロス3世から授けされた、王家に伝わる宝剣である。だが、ロドルフォはそれを受け取ろうとはしなかった。
「私は二度とここには戻らないだろう。…それに、その剣は私には重すぎる」
「…殿下…」
苦笑を浮かべるロドルフォに対し、従者は不安げな表情を見せる。そんな従者に、ロドルフォは静かに言った。
「幸い、私からの公文書や書状はそなたがすべて清書しているからな…私に万一のことがあったとしても、今までと変わらず、そなたが書状を送るように」
「…しかし…それは…万一のことがあった場合は、殿下は未だご存命だと王室を謀れ、と言うことですか?」
「聖なる玉座を護るのと…ある者の罪の意識を和らげるためには致し方ないことだ」
憤慨する従者に、ロドルフォは固い表情で続ける。」
「アプルの女候殿から使者が来た。サヴォの王弟イノサン殿が王位を狙っていると」
その言葉に、従者の顔が不意に強張る。だがそれを意に介さず、ロドルフォはさらに続けた。
「そして、彼はアラゴン候をも巻き込もうとしているから、ご注意召されよ、とな」
「では…では今王都に赴くと言うことは、自ら火の中に飛び込むような物ではありませぬか!」
「しかし、行かねば行かぬで、要らぬ争いを起こすこととなる。それに…少し気になることも…」
素朴だが頑丈な卓の上に肘をつき、上目遣いで従者を見つめながらロドルフォは言った。
「私は戻らぬやもしれぬ。が、一人の赤子は必ずここに戻ってくる」
「で、殿下…それは、まさか…」
無言で頷き、ロドルフォは目を伏せた。
「そなたに頼みたいことがある。その赤子をこの村で育てて欲しい。無論、王族や貴族とは関係ない、一人の村の子どもとして…そして…」
鋭い視線でロドルフォは従者が未だ手にしていた剣を見つめる。その眼力に押されるかのように従者は数歩後ずさった。
「その剣を、その子に託して欲しい。そして、自らが護るべき存在を見つけるまで、決して抜くな、と…。それが私の遺言だ」
言い残すと、何事もなかったかのようにロドルフォの一行はアルタ村を後にした。

人々が『王子誕生』を祝う宴に浮かれる中、一人カルロス4世は宴の間を抜けだし、赤子の寝所へと向かった。薄暗いその部屋には小さな寝台が置かれ、一人のこの世に生を受けたばかりの赤子が、静かな寝息を立てている。
紛れもない王妃の産み落とした男児。そして自分の血を分けたかけがえの無いはずの存在。…宴の間で王妃の隣に侍る乳母に抱かれているのは言うまでもない。
…聖なる玉座を汚してはならぬ。王室に必要な世継ぎはたった一人のみ…
その考えがカルロス4世の脳裏をよぎった。薄暗い中、彼はすらりと短剣を抜く。そして…
火のついたように泣きわめく赤子。カラン、という乾いた音と同時にカルロス4世の手から鞘が落ちた。
「お止め下さい、陛下!!」
「お放しください兄上!私は…私はこの子を…!!」
脱力したようにカルロス4世はがっくりと膝をつく。その姿をロドルフォは何とも言えぬ表情で見つめている。
「何と言うことを…陛下…一体何をしておられるのですか…!」
怒声とも如何ともつかないロドルフォの声に、カルロス4世は返す言葉もない。沈黙の中、僅かに剣を持つ手がそれたのか、額に真っ赤な筋を付けられた赤子は激しく泣き続ける。
「こうするしかないのです…兄上…」
うなだれ、感情を押し殺したような絞り出す声で呟くカルロス4世。慌てて赤子の横たわる寝台に駆け寄りながらロドルフォはカルロス4世の言葉を待つ。
「聖なる玉座を継ぐのは只一人。王家に二人の赤子は不要です…」
「しかし…しかし、この御子には何の罪もございません…」
「私の後嗣は、兄上の…今皆から祝福を受けているカルロス、只一人です…」
沈黙と静寂。やがて何かを心に決めたかのようにロドルフォは既に止血を終えた赤子を抱き上げた。
「幸いにも陛下は御子を授かった。では約束していた臣の子を、返していただく、と言うことにいたしましょう」
「…兄上…?」
「この子は私の子として…フェナアプルの山の村で、一人の村人として何も知らずまま一生を終えると言うことになります。それで宜しゅうございますか?陛下」
「…兄上…」
その後に続く言葉が『ありがとうございます』なのか『申し訳ございません』なのかは聞き取ることは出来なかった。穏やかな、だが少し寂しげな笑みを浮かべ、ロドルフォは言った。
「何という顔をしておられるのですか、陛下。皆が陛下をお待ちだというのに…」
そして世継ぎ誕生の宴が終わった後、フェナアプル候ロドルフォはお披露目をかねて同行してきた元々『村娘』だった妻と、『その妻との間に生まれた』男児を伴って領土へと帰っていった。

卓の上には赤い封蝋が押された封筒が無造作に置かれている。封印に押されているのは件の百合の紋である。
「如何なさいました?」
カプア卿の言葉にフェリペは目を落としていた書状から慌てて顔を上げた。
「以前の件はどうなったか、と催促してきた…。まだこちらが首を縦に振ったわけでは無いのだがな」
言って、さして重要な物でも無いかのように、サヴォからの書状を卓の上…封筒の上に放り投げた。
「して…如何致しますか?」
無感動な声に、ちら、とフェリペはそちらに目をやった。常と変わらぬ、厳つい顔をしたカプア卿が、いつものように控えていた。
「ロドルフォ殿下は分をわきまえたお方だ。自ら僻地とも言えるフェナアプルへ身を引かれた」
「国境を接するサヴォ側のアプルには、サヴォ王室のテレーズ殿下が守護として侯爵として封ぜられております」
フェリペの表情が、僅かに動く。
「何度か戦場でまみえたこともあるが…テレーズ殿下は女性にしておくのは勿体ないほど聡明なお方だ…だが、あちらの王室ではあまり好かれてはいないようだがな…そんなお二人が、万一手を組まれるようなことがあれば…」
卓に置かれたフェリペの手が僅かに震える。だが何事もなかったかのように、書状と封筒とを以前と同じ本に挟み込む。そして、書棚に向きながら呟いた。
「狩にでも出かけるとするか…近頃、戦以外で遠乗りすることも、すっかり無くなったな…」
その目には、僅かに狂気の色が見て取れた。
「今から出立すれば、ロドルフォ殿下に追いつくことも出来るか…」

「兄上はどうしておられるのだろうか…書状では息災と言っているのに、あの宴以来、全く上洛されぬとは…」
何気ないカルロス4世の言葉に、フェリペは僅かに身を固める。だが、いかにも普通であると言うように答える。
「…ロドルフォ殿下なりに気を使われておられるのでしょう…宮廷内には未だ良からぬことを考えている輩がおりますので…」
「それならば良いのだが…」
言いながら見下ろす窓の外には、幼い3人の少年が遊んでいるのが見える。
「我々はもう、あのころには戻れぬのだな…」
「何か仰いましたか?陛下…」
聞き返すフェリペに、カルロス4世は首を横に振る。

フェナシエラとサヴォ、この二つの強国の歴史は、音もなく動き出していた…。

外伝 『眠れる獅子』完
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