THOUSAND FOURTHダウンロード版

この文章の無断転載、改編、改良(笑)をしないで下さい。
どうぞお願いいたしますm(__)m

 道はひたすら真っ直ぐ目的地へ向けてのびている。見渡す限りの荒れ野原を真っ直ぐと貫いている。
 聞くところに寄るとこの道路は『鉄道』や『飛行機』などと言った文明の利器が移動の主流になった頃から、通る人も疎らになったらしい。もっとも文明の利器がヒトの手から放れて久しい今も、この一直線のこの道を通る者は殆どない。
 いや、殆どの人間が自らの『足』以外の移動手段を持たない現在、何も危険を冒してまでもこの道を通って他の街へ行こうなどという考えを持たないのだろう。
 その通る人もいないかつて『ハイウェイ』と呼ばれた荒れた道を、一台の大型地上車が飛ばしている。巨大なコンテナを引っ張っているところから、この車の持ち主はこの『西の大国』の街から街を渡り歩き、行った先々で何某かの稼ぎをあげることを生業としているのだろう。
 些か年代物の地上車は、快調に荒れ野の一本道を飛ばしている。このスピードで走り続ければ、恐らく日暮れまでには『西の聖母の街』にたどり着けるだろう。そしてたぶん運転手自身もそれを望んでいることだろう。
 が、快調に飛ばしていた地上車が、突然止まった。扉が開き、運転手が道へと降り立った。そして、自身が車を止めざるを得なかった『原因』に向かっておそるおそる、歩み寄る。
 そこに転がっていたのは、黒ずくめの物体だった。いや、物体と言うのはまだ正しくない。それがまだ生きているか否か、運転手は確かめていなかったから。
 運転手はそこに転がっている『モノ』をしげしげと眺めた。一体全体、何でこんな所に…そう言うかのように色の濃いサングラスをはずす。その下から現れたのは悪戯っぽく光る茶色の瞳だった。しっかりと作業着を着込んではいるが、まだ若い女性である。
 無言のまま彼女は倒れ伏す『モノ』を見つめていたが、その行き倒れの肩が僅かに上下動しているのを認めると、諦めたように深々と溜息をつき、目深にかぶっていた野球帽を脱いだ。瞳よりやや暗い色合いの癖のある髪を掻き回しながら彼女は雲一つない青空に向かって絶叫した。
「馬っ鹿野郎ー!!」

 絶えることのない振動、そして意識がはっきりしていくにつれ重いエンジン音が次第に大きくなっていく。その時初めて、彼は自分が何某かの乗り物の中にある簡易寝台に横たえられていることに気が付いた。
 注意深く起きあがろうとしたところで車はひとしきり激しく揺れる。僅かに跳ね上げられた彼は後頭部をひどく壁にぶつけることとなった。
 ようやく振動が収まる。どうやら停車したらしい。しばらくして前方の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
「気分はどう?それよりあんた、何であんな所に寝てたの?そんな真っ黒な格好じゃ日焼けする心配は無いだろうけどこの炎天下じゃ暑いんじゃない?」
 取り付く島を失って、彼は戸惑ったように数度瞬く。だが、女性はそれを無視するかのように矢継ぎ早に続けた。
「乙女のか細い腕だけで大の男のあんたをここに引き上げるのは大変だったんだから。お陰で日が沈むまでには街に着ける予定だったのに、遅れまくりだよ…え…と…」
 一度言葉を切り、女性は『拾い物』をまじまじと見つめた。

 その出で立ちは見事なまでの黒ずくめだった。黒い髪に、黒い瞳に、黒い服。しかし、東方系の顔立ちをしているのかと言えば必ずしもそうではなく、抜けるような白い肌と鼻筋の通った顔立ちはどこか異質だった。計算されたかのように整ったその容姿はどこか作り物めいた印象を彼女に与えた。
 そこまで考えが及んだところで、自身を見つめる視線に気付く。現実に引き戻された彼女は慌てて言葉を継いだ。
「あんた、名前は?」
 突然の質問に、黒ずくめの男は首を傾げる。癖のない黒髪が僅かに揺れた。
「名…前…?」
 間の抜けた返答に、彼女は頭を掻き回した。が、気を取り直してもう一度。
「言葉、わかる?…じゃあ、あたしは他の人間からはパットって呼ばれてる。つまりそれがあたしの名前。あんたはどうなの?」
「…それが名前かは解りませんが…皆は、私を…フォースと呼んでいました…」
「…フォース?」
 男の言葉を、パットはしばらく反芻する。それから改めて彼女は、男を頭の先からつま先まで眺めやった。多少天然ボケの気があるが、悪い奴ではなさそうだ。
「じゃあフォース、あんたは何故あんな所に倒れてたの?」
 パットの言葉に再びフォースは首を傾げる。
「覚えてないの?」
 こいつはやばい。内心そう思いつつも、パットは引きつった笑みを浮かべ、先を促した。まるでバラバラに散らばったパズルの断片を拾い集めるかのように、彼はぽつりぽつりと口を開く。
「覚えていない…と言うより…解らないんです…ただ…」
 フォースの黒い瞳が、言い難い光を放つ。その異質な美しさにパットは言葉を忘れ見入っていた。
「行かなければならないんです…そこへ…けれど…」
「それがどこか解らないわけ?…なんだかなあ…」
 再びパットは再び頭を掻き回した。それにしても…男のこの格好、どこかで見たような気がする。だが肝心のどこかが思い出せない。
 これじゃ自分も対して変わらないじゃない。そう考えると、思わず笑いがこみ上げてくる。きょとんとした顔でこちらを見つめるフォースに、彼女は徐に人差し指を突きつけた。
「じゃ、こうしよう。あたしはこれからこの道を真っ直ぐ行って『西の聖母の街』って所に行くつもりなの。当然乙女の一人旅はそれなりに危険でしょ?一応対策は立ててるけど、それだけじゃやっぱ少し不安だし」
 パットの茶色の瞳が悪戯っぽく光る。
「これも何かの縁でしょ。あんたは自分の目的地が解るまであたしの用心棒ってことでどう?その代わりいろいろとやって貰うこともあるかと思うけど」
 一応提案という形を取ってはいる物の、どこか有無を言わさない圧力があった。それに押されてフォースが思わず頷くのを確認すると、満足げにパットは膝を打ち、勢いよく立ち上がった。
「じゃ、決まりね。道中よろしく頼むわ」
 差し出された手をおそるおそるフォースは握り返す。
 長い旅路の始まりだった。

「…じゃ、それがすんだらそっちのを上の棚にのせといて」
 自慢ではないが、パットは自分の状況の変化に対する順応力の高さと臨機応変さには自身があった。加えていかにして生き残る道をさぐるかという能力にも長けていると思っていた。そうでもなければこのだだっ広い大陸で、一人で生きていけるはずがない。
 運良く(?)そんな彼女に拾われ、路上での野垂れ死にを免れたフォースと名乗る男は、先ほどから黙々と彼女の指示(命令?)に従い、お陰でかなり荒れ放題になっていたコンテナの内部は、見違えるほどになっていた。
「ほんと、助かったわ。あたし一人じゃ持ち上げられないもの。…何だかいつの間にかに随分物が増えちゃったわね…」
 久しぶりに視界の開けたその中で、パットはしみじみと呟く。なにやら得体の知れない物が詰まった箱を棚の上に乗せ終わったフォースは、ゆっくりと首を傾げた。
「これは…何に使うんです?見たところ、全部何かの部品みたいですが…」
 遠慮がちに尋ねる彼に、パットは笑って見せた。
「そう、これだけじゃただのゴミよ。部品どころか部品を作る欠片でしかないのもあるし。でも仕事に必要だから、捨てる物は一つもないの」
「仕事…ですか?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ?あたし、『直し屋』なの。結構腕はいいんだよ」

 『直し屋』とはミリオンによる支配体制が確立し、文明がヒトの手から奪われてから発達した職業の一つである。
 文明そのものが奪われても、奪われる以前にもたらされた物は存在する。武器と、それに類する危険性のある物以外は、ミリオン達はヒトの手からそれらを奪おうとはしなかった。
 だが新しくそれらを製造する技術は奪われている。結果として、既にある物を使える限界まで使っていくしか残された道はない。そこで現れたのが『直し屋』と呼ばれる人々である。
 彼らは大陸を渡り歩き請われるままに『文明の利器』の修理を行い、時には『鉱床』と呼ばれるかつては『埋め立て地』や『ゴミ捨て場』だった所からそれに必要な道具などを集める。
 無論誰でもなれるわけではないが、腕が良ければ無条件に大陸を移動できるフリーパスが与えられるので、一種憧れの職業でもあった。同時に彼らは飛び飛びに生息する『ヒト』達にとって、重要な情報源でもあった。
「『西の聖母の街』に行くのもそれなのよ。あの近くに良い鉱床が出たらしいって、この間すれ違った同業者から聞いたもんで…でも…」
 数日前その話を教えてくれた逆送する同業者は、道の途中に黒ずくめの男が落ちているなんて話はしていなかった。すると、彼はどこから来たのだろう。疑惑の瞳をパットはフォースに向ける。
「けれど…これだけあれば、もう大丈夫ではないんですか?」
 だが、当の本人は全くそれに気付く様子はない。素なのかわざとなのか計りかねながらもパットは答える。
「そうもいかないのよ。物によってはどうしてもこのネジじゃなきゃ入らないってのもあるし…っ痛!!」
「どうかしましたか?」
 思わずフォースは歩み寄る。見るとパットの右掌から僅かに赤い物が流れ落ちていた。
「…片づけてるときにどっかで切ったみたい。平気よ、なめとけば治るから」
「見せて下さい」
 有無を言わさず、フォースはパットの手を取る。そして、自らの両の手で優しく包み込む。次の瞬間起きたことに、パットは自らの目を疑った。
 いや、それは気のせいと言われればそれまでかもしれない。だが、自分の掌が包まれた瞬間、目の前の黒ずくめの男を、暖かな光が包み込んだ…そんな気がした。
「…え…?」
 そして再び自らの手を見ると、そこにあったはずの切り傷は、綺麗さっぱり消えていた。これ以上無いくらい目を大きく見開いて、パットはフォースをまじまじと見つめる。
「あんた…『能力者』だったの…?」
「『能力者』…?私は…ただ、傷が治ればいいと、願っただけです…」

 『文明』をその手から失ってから、一部の『ヒト』には明らかな変化が現れた。すなわち、彼らの総称が『能力者』である。
 もっとも殆どが金目当ての与太話のたぐいではあるのだが、触れただけで怪我を治しただとか、正確に未来を言い当てたなどといううわさ話は後を絶たない。
 無論『ミリオン』達もそう言った者達を野放しにして置くはずもなく、厳しい監視を付けているだとか、『危険分子』と判断された場合は密かに収容し懐柔或いは処分を行っているなどとまことしやかに言われている。
 目の前で事実を見せつけられてしまっては疑いようもない。そうすると…。
「もう一度聞くけど…あんた一体どこから来たの?」
だが、フォースは悲しげに首を横に振るだけだ。
「…そんな顔しないでよ…あたしがいじめてるみたいじゃない…」
 溜息をつきながらふと、パットは困ったようにフォースから手を引く。その時視界に入ってきたのは彼の手首に残る古い傷跡だった。いや、傷跡というのは正確ではない。僅かに茶褐色に変色してしまった皮膚から察するに、それは火傷の跡だろう。けれど、どうしてそんなところに…。いや、でも前にどこかで…。
 けれど、脳裏の奥底にあるはずの記憶は、またしても掘り起こされることを拒否した。どうもおかしい。苛立ちながらパットは頭を掻き回す。
 改めてパットはここ数日の自分の記憶を反芻する。ハイウェイに設置されているお尋ね者のポスターにはこの顔は無かったはずだ。いや、お尋ね者がこんな怪しげな格好で歩いているはずがない。
 ならば、自ずと結論は導かれる。
「まあ、機械の直し屋が人の直し屋をつれていても文句はいわれないよね」
「…はい?」
「検問所通るときは知らぬ存ぜぬで通してね。街入ったら色々手伝って貰うから」
「…はあ…」
「さ、そこが終わったらこっちお願い。止まったら止まったでやることは一杯あるんだから」
 遙かな地平線の彼方に既に日は落ち、広大な空には夜のとばりが降りようとしていた。

 そして、すっかり日は暮れた。
 元々人も住まないところを貫く大陸横断道路である。街灯などと言う洒落た物はない。トレーラーの周囲は完全な暗闇に閉ざされていた。
 食べられない物とか無いわよね、という言葉を残して台所に籠もっていたパットは、しばらくしてから二人分の食事を手にして再び姿を現した。唖然とするフォースの前にパットは次々と皿を並べていく。
「あり合わせの物しか無いけれど、ごめんね。大陸股に掛けてると、どうしても保存食ばっかになっちゃうのよね」
「…はあ…」
 が、相変わらずかえってくるのはどことなく間の抜けた返事である。先ほど、不思議な力を見せた人物と同じとはどうしても思えない。内心首を傾げ、溜息をつきつつも気を取り直してパットは話を切りだした。
「今日はここで泊まって、夜が明けるのを待つから。明日日が出てから出発して、昼過ぎには西の聖母の街に着くと思う」
 スプーンを手にしたままフォースは頷く。脱力感を感じながらも気を取り直し彼女は続けた。
「あんたは一応あたしの助手ってことで街の入口突破するから。…取りあえずその格好じゃやばいかもしれないわね。後で着替えてくれる?」
 神妙な顔でもう一度、フォースは頷く。その反応を気にするでもなく、パットは自分の食事と格闘しながらさらに続けた。
「それと、入口でハンドレットに何か聞かれるかもしれないけど、変なこと言わないでね。話がややこしくなるから。…まあ、あんたなら素で行っても全然大丈夫と思うけど」
「……はあ…」
 ハンドレット。それは支配者階級となった『ミリオン』直属の『人間』の総称である。
 『人間』でありながら『ミリオン』の手足となって権力を振るう彼らを、人々は快く思うはずがない。忌み嫌いながらもだがその背後にいる物の力に畏れおののいている、と言うのが実際の所である。
「せこいわよね。奴ら、」
「せこいって…ハンドレット、ですか?」
 やはりどこか間の抜けたフォースの問いかけに、パットは大きく首を横に振り、行儀悪くスプーンを振り回しながら力説した。
「あいつらは所詮ミリオンの駒よ。元々はあたし達と同じなんだから。せこいのは上にいる奴らの方。奴らは自分の手を汚すことは絶対しない。粛正とか、血なまぐさいことはハンドレットにやらせて。…同族同士でいがみ合いさせて共倒れになるのを待ってるのよ」
 一気に言ってしまうと、彼女はコップの中の水をやはり一気に飲み干し大きく息をついた。そして身じろぎもせずに聞き入っているフォースにちらりと目をやってから、ぽつりと呟いた。
「あいつら…自分たちを聖人君子か何かだと思ってるのよ。天使様宜しく羽根なんか生やしちゃって…顔だって絵に描いたみたいに綺麗で…」
「…失礼ですが、貴女はミリオンに会ったことがあるんですか?」
 予想外の質問にパットは思わず食事の手を止める。しばらくまじまじとフォースの顔を見つめてから、何故か彼女は僅かに姿勢を正した。
「前にね。本当に小さい頃。死んだ親父が国の軍需工場に勤めてたから、その関係で…って、何また泣きそうな顔してるのよ」
「いえ…嫌なことを思い出させてしまったかと…」
 生真面目に答えるフォースにパットは吹き出さずにいられなかった。ひとしきり声を立てて笑い、そしてようやくその発作が収まってから、僅かににじんだ涙を拭きながら言った。
「大丈夫。親父が死んだのはあいつらとは無関係だし。第一、三年も前よ。何もあんたが気にしなくても…」
「三年前、ですか…」
 そう返すフォースの瞳に、一瞬とまどいにも似た光が浮かんで消えた。だが、当の本人はそれには全く気が付いてはいないようだった。ふと、それを目にしたパットの脳裏に、何とも言えない違和感が靄のように広がっていく。
 そう、親父は三年前、病気で死んだ。一日泣きはらしたし、それに唯一の肉親の死を忘れるはずがない。いや、間違いはないのだが、その前に何か…。けれど、違和感という断片を掘り起こすことは出来るのだが、肝心な本質をどうしても思い出すことが出来ない…。
「…どうか、しましたか?」
 声をかけられて、パットは慌てて顔を上げる。どうやらパンを手にしたまま硬直していたらしい。照れ隠しの笑いを浮かべるパットを、フォースはどことなく間の抜けた表情で見つめていた。

 何気なく覗いた父の部屋。そこに確かに父親はいた。だが、それは尋常ではなかった。
 父親はこちらに背を向けた男に、片手で首を絞められている。むき出しになっている男の二の腕には、なにやら文字のような物が彫り込まれているが定かではない。父親の足は、床から十五センチほど浮き上がっている。やがて男は、首を絞め上げている手を離した。赤紫に変色した顔色の父は、それこそゴム人形のように、床に落ちた。
「…と…父様…」
 掠れた声が思わず彼女の口から漏れる。それに気付いた男が、ゆっくりとこちらを振り向く。その背に、次第に黒い大きな翼が現れる。そして…。

「……―――っ!!」
 思わず叫び声を上げ、パットは勢い良く起きあがった。パジャマもシーツも、気持ち悪いくらいに汗でぐっしょり濡れている。
 嫌な夢…いや、夢にしてはやけにはっきりしていたような気がする。でも、あれは一体…。
 無理矢理それを振り落とすようにぶんぶんと頭を振ると、パットはベッドからすべりおり、いつもの作業着に着替え外に出た。が…。
「…何してんのよ」
 丁度扉の真ん前に立ちつくすフォースに、少々機嫌悪い声で言ってみてから、数秒間、パットは彼の姿をまじまじと見つめた。どこか間の抜けた顔はそのままだが、着ている物は昨日の黒ずくめではなくて、彼女が用意した作業着姿だった。
「いえ…悲鳴みたいな声が、聞こえたので…」
 心配になって、と気弱そうにうつむくその肩をぽんぽんと叩きながら、パットはある物を手渡した。
「…これは、何ですか?」
「リストバンド。手首にはめといて。その跡、見ていて少し痛々しいんだもの」
 食べたらすぐに出発するからね、そう明るく告げながらも、先ほどの夢がパットに妙に引っかかっていた。

 遙か前方に『西の聖母の街』に入るための検問所が見える。
 検問所とは言っても木で設えただけの一見お手軽な物だ。けれど、そこに常駐している『モノ』の表情から察するに、決してお手軽に通してもらえそうもない。
「あれがハンドレット」
 早い話がミリオンの腰巾着よ。好意の欠片も感じられないパットの言葉に、助手席に座っているフォースは目を凝らして前方を見つめる。遠目に見ても『ハンドレット』の様子は普通ではなかった。いや、外見こそ普通の人間なのだが、目つきやその雰囲気は明らかにどこかおかしかった。
「…あの…あれは…人間、なんですよね?」
「元々はね。今はどうだか」
 天使に魂を売った悪魔なんじゃないの、と、冗談とも本気ともつかない言葉を吐き出しながらパットはブレーキを踏み、トレーラーを減速させた。フリーパスを持っているとはいえ、色々なあらを探してくるのがハンドレットだ。絶対余計なことを言わないでよ、と隣に座るフォースにもう一度釘を差してから、パットは窓を開け、胡散臭そうな表情をしているハンドレットに自らの通行書と『直し屋営業許可証』を示した。
「滞在期間は規定通り十日間。業務上の諸般の事情で延びるようだったら正規手続きをとります」
 彼女が大陸を縦横無尽に移動してきたことを示す、通行許可の判が無数に押された通行書と、その持ち主とを交互に見やり、一度重々しく頷いてから、検問官のハンドレットはふと助手席の方に目を向けた。
「…拾った助手よ。確か二年以上の実績があれば、一人は無届けで同行させて良かったよね?」
 そのパットの言葉に、もう一度頷いてから、改めてハンドレットは営業許可証に目をやった。
「確かに一人ならこちらの許可を仰がずとも可能だが…」
 射抜くような視線を、ハンドレットはパットに向ける。だが、ここで萎縮するわけにもいかないので、パットはどうにかそれを真正面から受け止める。
「『聖母の街』からは、街を出た住人がいるとの報告は受けていないが」
 初めてパットは言葉に詰まる。
 …そう。実績に応じて、無許可でも助手を持つことが出来る。だが、街を出るときには入るときと同様、『ハンドレット』の許可がいる。そして、パスにはそれまでの移動の記録が残っている。パットがここにくる前に滞在したのは『聖母の街』。フォースを拾ったのは二つの街の間。無論『聖母の街』からの記録があるはずがない。
 その記録が無いと言うことは…不法脱出。または住民記録に未登録。どちらにしろ厳罰は免れない。
「ほらそっちの。I.D.はどうした?」
 …やばい。内心冷や汗をかきながらパットは膝の上で両手を強く握りしめる。居丈高に迫るハンドレットに対し、だが、フォースは静かに視線を返すだけだ。
「黙ってないで何か言ったらどうだ?!」
 怒気をあらわにしてハンドレットは掴みかからんばかりに歩み寄る。
「…通しては、頂けませんか?」
 それまで聞いたこと無い、感情の感じられないフォースの声がパットの脳裏を打つ。理由のない空恐ろしさを感じ、彼女は思わず身を引いた。
「…通ることを、許可していただきたいのですが…」
 再びフォースの声が流れる。同時に、昨日パットの掌の傷を治したときと同じく、不思議な光が彼の身体を包んだ。またそんな気がした。
「…通行を…許可…する…」
 虚ろな声に、パットはハンドレットを省みる。今までの威勢の良さはどこへやら。別人のような力無いその姿に、彼女は言葉を失った。
「…通ってもかまわないそうですよ?」
 やや牧歌的なフォースの声に我に返ったパットは、慌てて頷くと、ハンドレットの気が変わらぬうちにトレーラーを発進させた。

「…あんた、一体なんなのよ」
 検問所を抜けてのパットの第一声は、不機嫌さを隠さない、ぶっきらぼうな物だった。
「…何…とは、…何でしょう…」
 相変わらずどこか抜けたような返答に、パットは力強くブレーキを踏む。そのかなり乱暴な運転に、トレーラーはけたたましい抗議の声を上げた。
「…危ないですよ?」
「そうじゃなくて!」
 ぎっと睨み付けるパットにも、フォースは全く動じる気配はない。完全に天然ボケなのか、よほど根性が座っているかのどちらかだ。
「あのね、あたしのケガ治すくらいならただの能力者で話はすむの。でもね…」
 大きく溜息をつき、少し頭を冷やしてから、彼女は言葉を継いだ。
「…ハンドレットは、主人であるミリオンの命令しか聞かないのよ?それなのに…」
 今度も通してくれるように願っただけなの?と困ったように聞くパットに、フォースはこくこくと頷いた。
 悪いやつではない。それは確かなのだが、でも…。
 昨日から幾度となく浮かんだ疑惑とも何ともつかないその思いを強引に振り落とすと、パットはアクセルを踏む。
前方に、『西の聖母の街』の町並みが、姿を現した。

 西の地平線は早くも見事な紅から複雑な色合いを経て漆黒へと移り変わろうとしている。
 今日一日、パットの『手伝い』にかり出され、居並ぶ人々の交通整理からギャラリーのお子さまの相手、はたまた完成品や届け物の配達をこなしたフォースは、ややぐったりとソファに腰を下ろしていた。
 そう、『直し屋』は本来の物品修理と言う仕事だけでなく、離ればなれになった人々の間を繋ぐメッセンジャーのようなこともしているのだ。街に着くまでの間に一応聞いてはいたものの、聞くのとやるのとでは大違いである。
 しかし、その張本人は珍しく親切によく冷えた水を差しだした。
「大丈夫?ま、こんなのは初日くらいだから。明日からはもう少し落ち着くと思うけど?」
 屈託なく笑ってその正面に腰を下ろすと、パットはそこに転がしてあった何某かの機械を熱心にのぞき込む。恐らく今日預かってきた何かの道具なのだろう。
「『写真機』っていうの。中にフィルム入れて風景とかを焼き込んで、それをまた薬付けして紙に写し取るんだよね…ま、本体直しても、フィルムが作れないんじゃしょうがないけど」
 でもそれを言っちゃ商売にならないから黙ってたけど、と、パットは再び笑う。
「それより…お子さまの相手、上手じゃない。助かっちゃった。…凄く慣れてたけど、前に何かしてたの?」
「…さあ…」
「…さあって…、自分のことくらい覚えていなさいよ」
 まだ思い出せないの、と問うパットに、フォースはこくこくと頷く。だが、そんな彼にパットは疑惑の目を向けた。
「…っつーか、あんた、都合の悪いことだけ忘れてるんじゃないの?」
 今度は勢い良くぶんぶんと首を横に振る。
 ま、子どもに好かれるくらいだから、悪い奴でないとは思うけど…やれやれとでも言うようにパットは深々と溜息をつく。自分が色々と詮索しても本人が思い出さない以上どうしようもないし。思い直すとパットは改めて口を開いた。
「じゃ、気長に思い出してよ。明日もギャラリーのお子さま、よろしくね」
 その言葉に、フォースは何故か煮え切らない表情でこちらをじっと見つめている。
「何?それとも直した物の配達の方が良い?」
「いえ…そうではなくて…」
 珍しく深刻な響きのその言葉に、パットは一端浮かしかけた腰を再びソファに落ち着けた。それを待ってからフォースは、静かに切り出した。
「その…仲間はずれというか…遠巻きに見ているんですが近寄ってこない子がいて…少し気になるんですが」
 私に何か原因があるんでしょうか、とうつむくフォースをパットは神妙な面もちで見つめる。僅かに躊躇った後、彼女は沈黙を破った。
「たぶん、近い親戚…たぶん親かな…が、収容所送りになってんのよ。それでみんなから爪弾きにされてるの。あんたのせいじゃないって」
「収容所…ですか?」
 驚いたように顔を上げるフォースに彼女は不承不承頷いた。
「昔の軍の関係者とか、政府の要人とか…後は今のミリオン支配体制に歯向かったヒトとかをね、ハンドレットが手当たり次第にぶち込んでるの。皆ハンドレットの目が怖いから、その家族は村八にされちゃうのね」
 今時、どこの街でもあることだから、と言うパットに、フォースは目を丸くする。
「ま、あたし達はよそ者だから、そんなに気にしなくても平気だと思うけど…あ、こっちは片づきそうだから、しばらく休んでいいよ」
 食事になったらまた声をかけるから〜とでも言うようにひらひらと手を振るパットに従い、フォースは立ち上がる。そして戸口で立ち止まり…何かを呟いた。
「…え?」
 思わず立ち上がるパットに、フォースはいつものどこか抜けた笑顔を向け、暗がりに消えた。
…まだ、思い出さないんですね…
 辛うじて耳に届いたその声は、そう言っていた。そんな気がした。
 僅かに頭をもたげた疑問を包み込むように、夜が訪れた…。

「お兄ちゃんはどこから来たの?」
「お兄ちゃんはどうしてお姉ちゃんと来たの?」
「お兄ちゃん、次はどこに行くの?」
 子ども達に囲まれて、フォースはいつものどこか抜けた笑みを浮かべている。
 正直パットにとってこれは大きな収入だった。一人でやっていると周囲を取り囲むお子さま達の相手をしながら仕事をしなければならないのだが、今回はそれらを全てフォースに任せてしまっている。
…思考回路が近いのか、単に子どもが好きなのか…
 首を傾げながらも、ふとパットは視線を巡らせる。
 彼らを取り囲む子ども達の群から少し離れたところに、その輪に入れずにいる子が一人いる。あれが昨日フォースが心配していた子なのかもしれない。でも…。
 ふと、パットは不安に駆られた。こちらを伺う少年の視線は、羨望のそれはもちろんだが、それだけではない鋭さがあった。射抜くような、何か…。それが何であるのか気付きかけた時、大量のギャラリーがこちらに寄ってきた。
「何、何?どうしたのよ?」
「お姉ちゃん、今、お兄ちゃんから聞いたんだけど」
「お兄ちゃん、あっちの方から空飛んできたって本当?」
「はい!?」
 とんでもない子ども達の言葉にパットは手にしていたドライバーを取り落とした。彼女はしばらくの間、言葉もなく地面に転がったそれを見つめていたが、徐にきっと顔を上げると、つかつかとフォースに向かい歩み寄った。
「ちょっとあんたねえ、何突拍子もないこと言ってるのよ!」
「…は?」
「は?じゃないでしょ?!ったく、空飛んできたなんて、背中に羽根でもはやして…」
 そこまで言ったところで、パットは急に口をつぐむ。先日見た嫌な夢…父親の首を締め上げる黒い羽根を持つ男の姿が、何故かフォースと重なり、激しく首を振る。
「…一体どうしたんです?」
「…もういいわ」
 気を取り直してパットは再び仕事に戻る。『仲間はずれ』の少年の姿は、既に見えなくなっていた。

 その日の夜、昨日と同じように預かった修理品の山を整理している時のことだった。激しく扉を叩く音に、パットは訝しく思いながらも注意深くそちらに歩み寄った。
「何かご用ですか?本日の営業は終わったんですが」
 けれど外からの返事はない。しびれを切らした彼女は恐る恐る扉を開いた。
「…あれ、君は昼間の…」
 そこに立っていたのは、子ども達の輪に入れずこちらを伺っていたあの少年だった。ほっとしつつも、どうしたのこんな時間にと言いたげなパットに、彼は泣きそうな声で言った。
「あの…薬を持ってたら少し分けて…妹が…急に熱を出して…」
 ついに我慢できず泣きじゃくる少年をなだめながら、パットは手持ちの薬箱の中身を反芻する。解熱剤は持ってはいるが、子どもに渡すには少し強すぎる。専門家ではないので下手に渡して妙な副作用が出るかどうかも解らない。…そうすると、残された方法は…。

 それは町はずれにぽつりと建つ、かなり年代物の小さな家だった。事前に何の説明もなく引っ張ってこられたフォースは、瞬きをしながらそれを見つめる。
 ここなの?との問に少年が頷くのを確認すると、パットは立ちつくすフォースの腕を取った。
「ほら、入った、入った」
「…え…?」
 戸惑うフォースだったが、室内を一瞥してその表情は目に見えて変わる。やはりこぢんまりした室内には小さなベッドが置かれ、小さな女の子が寝かしつけられている。傍らに座る母親とおぼしき女性は、泣きはらした目でその様子を見守っていた。
「…どんな具合なんです?」
 軽くお辞儀をしてからパットは少年の妹の額に手を置き、その熱さに思わず母親に向き直った。
「お医者は?なんて言っているの?」
パットの言葉に、母親は首を横に振る。訳が分からずただ立ちつくすフォースの背中を、少年が突っついた。
「医者なんて来てくれるはずないよ。…どうせ」
 深刻な話題を前にして、なおもどこか抜けた表情を浮かべるフォースを、パットはぎっと睨み付けた。
「解った?だから今はあんただけが頼りなの」
「…頼り、ですか?」
 まだ当を得ないようなフォースを、パットは引きずるようにベッドの脇に引き寄せる。高熱にうなされる少女をフォースはしばらく見つめていたが、やがてその手を取った。
「解りました」
 ようやく自分に何が期待されているのかを理解したフォースが、低く呟く。それを確認すると、パットは不安げにこちらを見つめる母親と少年に釘を差した。
「いい?これから目の前で起きることを誰にも言っちゃ駄目よ。サービス残業なんだから」
 室内が暖かい光に包まれる。
 それが収まると、少女は何事もなかったかのように起きあがり明るい笑い声を上げていた。

 それからしばらくの間、何事もなく、慌ただしくもどこか長閑な日々が続いた。
 心配していたあの一件も表面上は全く人の口に上っている気配もない。
「ウチは他のとこから全然相手にされてないから大丈夫だよ。何せ、誰も口をきいちゃくれないんだから」
 少し日をおいてから具合を見に少年を訪ねると、彼は年に似合わない大人びた少し斜めに構えた笑みを浮かべながらこう言った。内心ほっとしつつも、その残酷な現実にパットは僅かに表情を曇らせる。
「安心しろよ。…オレは誰も裏切らないからさ」
 突然飛び込んできた少年の言葉に、パットは顔を上げる。だが、既にその時彼の姿は遠くにあり、パットに向かってにこやかに手を振っていた。

 その日の夕方のことだった。
 大量の預かり物を抱え前を歩いていたフォースが、前触れもなく足を止める。
「…何してんのよ」
 勢い余ってその背中にぶつかったパットは思わず毒つく。しかし、立ちつくすフォースの視線の先を見やった彼女は、口をつぐんだ。
 そこに停まっていたのは、黒塗りのトレーラーだった。大きさはパットのそれの比ではない。そしてその中から、どこか尋常でない空気を漂わせた男たちが三々五々、出入りしていた。
「…早くいきましょ」
 慌ててパットは立ちつくすフォースの袖を引っ張る。
「あれは…一体、何ですか?」
「軍の…ハンドレットの移動基地よ」
 忌々しいとでも言うようにぶっきらぼうに吐き捨ててから、再び彼女はフォースの袖を引く。…やばい。直感的にパットはそう感じていた。とにかくこの場を離れた方が良さそうだ。そんなパットの内心とは裏腹に、フォースは相変わらずずるずると引きずられている。
 だが、確実に事態は望まれない方向に動き始めていた。

 少なくなってきたとはいえ、相変わらずお子さまの群に取り囲まれながらパットは仕事を続けていた。
 滞在期間もそろそろ終わる。預かった物の数もだいぶ減ったが、そろそろラストスパートをかけなければ。でもこのまま行けば延長手続きをとらなくても大丈夫そうだ。正直、一刻も早くこの町から出たい。…そういえば最近、帰ってないや。あの天然ボケにあたしの故郷を見せても良いかもしれない。
 手を止めることはなく、そんなことをぼんやりと思いながら、ふとパットは顔を上げた。何かが違う。いや、何かが足りない。彼女は周囲をぐるりと見回し、それが何であるか気が付いた。
 あの少年の姿が、無い。
…オレは誰も裏切らないから…
 最後にその姿を見たときに、彼が発した言葉が耳に甦る。
「ねえ、いつも遠くから見てたあの子、知らない?」
 思わずパットは尋ねると、それまでのざわめきが水を打ったように静かになる。
「…あいつは…ハンドレットのパシリだから…」
 顔を見合わせる子どもたちからどこからともなくそんな言葉が聞こえてくる。少年の言葉と、昨日のハンドレットたちの姿がパットの脳裏で一つに繋がった。
 …彼女はあることを、決意していた。

 ようやく配達を終え戻ってきたフォースは、薄暗がりの中に現住所となっているパットのトレーラーを認め、思わず数度瞬きした。
 もうだいぶ日も傾き、夜の帷がおりかけているにも関わらず、トレーラーには明かりがついていない。この時間なら、パットはまだ細かい作業をしているはずだ。にもかかわらず明かりがついていないのはおかしい。
 しばらく立ちつくしていたフォースは、不意に自分の周囲を子どもたちが取り囲むのに気が付いた。
「…どうしたんです?」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんが行っちゃった」
「もし明日までに帰ってこなかったら、お兄ちゃん一人ででかけてって」
 口々に言う子どもたちの顔を一通り見やってから、戸惑ったようにフォースは口を開く。
「あの…パットは、何をしに、何処へ行ったんです?」
 フォースのどこか抜けた問に、子どもたちは互いに顔を見合わす。
「だって、誰も止めなかったじゃん」
「あんなパシリ、助けなくったっていいって…」
「黒いトレーラーのおじさんたち、怖い顔してるし…」
「パットは、ハンドレットの所へ、行ったんですか?」
 やや強い口調のフォースに、少しおびえたように子どもたちは頷く。
「駄目だよ、お姉ちゃんが絶対来るなって!」
「行ったら僕らが怒られちゃうよ」
「お兄ちゃん帰ってこられないよ!」
 口々に叫ぶ子どもたちに僅かにフォースは笑いかける。
 そのまま彼は、その場を後にした。

 問答無用で腕を掴まれ、連れて行かれた小さな部屋にうずくまる物を認め、パットは声を上げた。その様子に、常に無表情なはずのハンドレット達は僅かに笑ったようだった。
「馬鹿な奴さ。自分の立場を忘れて勝手なことをするから…」
「この街で起きた出来事を知る限り我々に報告する義務を怠った。当然の報いだ」
 一瞬、力が弱まったハンドレットの腕をふりほどき、パットはぴくりとも動かない少年に駆け寄った。目に見える部分には等しくひどい痣や傷がまだ生々しく残っている。かがみ込むパットの気配に気が付いたのか、少年はうっすらと目を開けた。
「姉ちゃん…兄ちゃんは…?心配してるよ…早く…」
「あの天然なら一人でどうにか出来るって。それよりも自分の心配をしなさいよ」
 言いながら彼女は血泥に汚れた少年の顔を拭ってやった。
「パット…パトリシア=フォールか…通りで…」
 意味ありげに呟くハンドレットを、パットはぎっと睨み付ける。
「だったら何だって言うのよ?」
「お前と言い、お前の親父と言い、よほど我々に盾突くのがお好きなようだ」
「…何ですって?」
「お前は知らないか。無理もない。あの時はまだガキだったからな」
「だから何なのよ!?」
 叫ぶパットに、ハンドレットは互いに笑いあった。対象を見下すような嫌な笑いだった。
「お前の家に押しつけられた『欠陥品』…あの逃亡に、お前の父親は一枚噛んでいたようだ」
「慈悲深い我らが主のお目こぼしで、お咎め無しとはなったがな…」
「お前は泳がされていたのさ。いつか必ずあの逃亡者が接触するはずだと…」
 自分の耳に飛び込んでくる言葉を、パットは理解できなかった。いや、正確に言えば、理解しようとすると感覚の一部が急に麻痺する、そんな感じだった。頭の隅に、鈍い痛みが走る。
 親父はあの時、確かに黒い羽根を持った男に首を締め上げられていた。
 あの男は、夏に入る直前、親父の勤め先を統括する軍人が連れてきて…。
 私は、親父がいない間は、あいつと一緒に…私は、あいつを…と呼んで…。
「敵襲!肩口の製造番号確認!!欠陥品登録番号一〇〇四…!」
 室内に割れんばかりの音量で放送が入る。
だがそれもつかの間、すぐに耳障りな雑音に変わった。
「一体何事だ?」
「奴は来たんだろう?」
「外に配置したのは精鋭ばかりだ。それが何故…」
 苛立たしげにハンドレットの一人が壁のスイッチを押す。すると正面の一部が明るく光り、外の様子を映し出した。

 人相の悪いハンドレット達は等しく銃器を構え、取り囲んでいる者にねらいを定めている。その輪の中に所在なげに立ちつくしているのは、パットの言うところの『黒ずくめの天然ボケ』だった。しかし…。
 全く動じる様子はなく、フォースはどこか冷めた目でハンドレット達を見やると、一歩足を踏み出した。その氷のような威圧感に、恐れを知らぬはずのハンドレットが僅かにたじろぐ。
 気圧されたような空気に焦ったのか、指揮官とおぼしき一人が慌てて右手を振り下ろす。それを合図に一斉に引き金が引かれようとする。さすがのパットも顔を覆おうとした、まさにその時だった。
「〜〜〜〜っ!!」
 声にならないハンドレット達の叫び声がスクリーンを通しても室内に溢れてくる。それこそドミノのようにばたばたと彼らは倒れていく。フォースの周囲を、あの不思議な光が包み込む。だがいつもの暖かく柔らなかなそれではなくて、怒りと悲しみに満ちていた。やがて、彼の背の部分の光がその密度を増す。
「あ…?」
 倒れ伏したハンドレットの中心に立つフォースの背には、漆黒の翼。そして剥き出しになっている肩口に刻まれた文字に彼女は見覚えがあった。それはM、I、V。
「何をしている!早く撃て!!」
 その怒号に呼応するかのように、車載の機関砲がフォースに向けられる。冷たい視線でそれを一瞥する彼の手に光が集まる。いつしかそれは、不気味に光る巨大な鎌を形作っていた。
 それとほぼ同時に一斉射撃が始まる。まるでスローモーションのように彼は鎌をふるった。無数の弾丸がフォースを目指して放たれてはいるのだが、一つとして彼に危害を加えるどころが到達することすら出来ない。バラバラという音と共に弾が地面にこぼれ落ちて散らばる。
 一瞬、弾の補給のためか、斉射がとぎれた。
 ばさり、と黒い翼が広がる。フォースの身体は、僅かに宙に浮く。と。閃光と同時にその姿は消えた。
「侵入!目標に侵入されました!!」
 怒声とも悲鳴ともつかない報告が響く。
 機関銃の音、拳銃の音が入り交じって周囲を埋め尽くす。だが、最初のうちこそ盛大だったそれは、次第に疎らになり、やがて水を打ったように静かになった。
 次に聞こえてきた物は、ガチャガチャという装甲服の擦れあう音だった。銃撃戦から接近戦へ作戦を変更するようだ。確かにこんな狭いところで乱射しても流れ弾や跳弾で味方に被害が出るのがオチだ。いや、そんな基本的なことに気が付かなくなるくらいハンドレット達は焦っていたと言うことか。
 けれど、白兵戦になれば多勢に無勢。加えてハンドレット達は筋金入りの生きた『兵器』である。体格一つ取ってみても圧倒的にフォースの方が不利だ。常識的に考えれば。
 しかし、彼は普通ではない。少なくとも今の外見は。
 ぐしゃり、という嫌な音がした。
 良く小説で使われる『蛙を踏みつぶしたような』という形容詞そのままの声が、繰り返し響く。やがてそれらも絶えて静まり返った中、足音が次第にこちらへ近づいてくる。それはついにパットがいる部屋の前で停まった。
 固唾を飲み込んで見守るパット、必死に身を起こそうとしている少年、慌てて銃を取り出そうとしている3人のハンドレット。等しく扉を見つめている。
「ぐわあああ!!」
 前触れもなくハンドレットの一人が頭を抱え崩れ落ちる。我に返った残りの二人が、扉に向かって銃を撃つ。
 持ち弾を全て撃ち尽くし、身構える両者。だが、次の攻撃は思いもかけない所から仕掛けられた。
「あぐっ!」
「げへっ!」
 背後から首を締め上げられて、ハンドレット達は等しく情けない悲鳴を上げる。
 今まで倒れていたはずのハンドレットが突然、仲間に組み付いたのだ。目の前で起きた仲間割れに、パットは言葉を失う。
 やがて、力つきた二人が床に投げ出されると、穴だらけになった扉が静かに開いた。立ちふさがる敵を切り伏したであろう巨大な鎌は、再び光となって消えた。忘れたはずの恐怖に身を固めるハンドレットを、彼は氷のような目で見据えた。
「…戻って主に伝えろ。この街には何もなかった、皆はシステムの暴走で勝手に殺し合った、と…」
 冷たい声がその口から漏れる。夢遊病者のようにふらふらと出ていくハンドレットを見送るパットの視線と、フォースのそれとがぶつかった。底のない深淵のような、黒い瞳だった。
「…兄…ちゃ…ん?」
かすれた声で呟く少年の脇に、フォースは静かに跪く。
「すみません…辛い思いをさせました…もう大丈夫ですよ」
 言いながらフォースは少年に手をかざす。暖かい光に包まれると、それまでの苦悶の表情は穏やかな寝顔に変わっていた。
「…フォース…?」
 パットの呼びかけに、フォースは顔を上げる。深淵のような深い漆黒の瞳が彼女を捉えた。ふとその中に吸い込まれていくようにパットは感じた。緊張がとぎれたかのように、パットは倒れ伏した。
 折り重なるパットと少年をフォースは無言で見つめていたが、二人をそれぞれの腕に抱き上げた。
 金属質の嫌な匂いが充満する装甲トレーラーを抜け出、彼は地面に降り立った。
 既に夕闇に閉ざされた中、二人を抱えたフォースは大きく息をつく。黒い翼が広がる。その身体は音もなく浮き上がり、いつしか闇の中へと溶け込むように消えていった…。

 長い夏休みにはいるため、パトリシアは大きなトランクを押しながら、久々の家路を急いでいた。
 早くに母を亡くし、軍需工場に勤める父は留守がちなため、彼女は寄宿学校に通っていた。
 ふと、彼女は足を止める。それは荷物の重さから来る疲れもあったが、一番の理由は家の前に車が止まっているのが見えたからだ。遠目に見ても軍用と解るそれは、父親の職場関係の物だろう。だが、まだ日も高いこの時間、父親が帰ってくるはずもない。
 嫌な予感を感じつつも、彼女は心持ち歩みを早めた。果たして玄関口には、見覚えのある軍人がうわべだけの笑顔を浮かべて立っていた。
「やあ、パトリシアお帰り。お疲れさま」
 無言で彼女は頭を下げる。正直彼女は、父親の直接の上司でもあるこの軍人を好きではなかった。いや、むしろ嫌いと言っても良かった。だが、相変わらず軍人は自分以外の全てを見下すような笑みを張り付かせていた。
「明日から休みだって?こんなご時世に昼間と言っても一人じゃ物騒だと思ってね」
 言いながら軍人は車の方に目で合図を送る。何事かと思いつつそちらに目をやると、兵士二人が車後方の荷台の扉を開き、中へと消えた。
「ボディガード代わりというのは何だが…仲良くしてくれるとありがたいんだけれどね」
 その言葉に呼応するかのように、先程の二人が車内から黒ずくめの男を車内から引きずり出しながら再び姿を現した。各々、強引に腕を掴み、彼女と軍人の前に彼を放り出す。 突然のことに、パトリシアは思わず後ずさる。
 これじゃ顔も見えないだろう、と言う軍人の言葉に、兵士のうち一人が乱暴にうずくまる男の髪を引っ張った。
 絶望と怒り。黒曜石のような男の瞳からパトリシアが感じ取ったのはこの二つだけだった。言葉を失う彼女に、軍人はある物を示した。
「まあ、大丈夫だとは思うが、まだまだ人にあまりなつかなくてね。万一危害を加えられそうになったらこのスイッチを押すと良い」
「………!!」
 言葉にならない絶叫に、彼女は耳をふさぎ目を閉じる。暫し軍人はもだえ苦しむ男を、薄笑いを浮かべつつ見下ろしていたが、ようやくスイッチを押している指を放した。
「彼の両手首には電子手錠がかけられていてね、これを押すと見たように命には別状無い程度の電流が流れる」
 言葉を失い立ちつくすパトリシアの首に、軍人は件のスイッチの鎖をペンダント宜しくかけた。そして言外に入口のドアの鍵を開けるよう促した。

 ソファに横たわる黒ずくめの男を、パトリシアは見つめながら途方に暮れていた。果たしてどうすれば良い物か、全く見当もつかない。
 その時、家の中へかつぎ込まれてからこの方ずっと閉ざされていた男の目が開いた。吸い込まれていきそうな黒い瞳が写している物は、不安と疑問、そして…。
「ごめんなさい…」
 パトリシアの目から、大粒の涙がこぼれる。男の表情が、少し動いた。
「私たち、ひどいことを…ごめんなさい…」
 泣きじゃくるパトリシアにに、男は半身を起こし、手を差し伸べる。
「…泣かないで…貴女は…何も、悪くない…」
 涙に濡れた目で、パトリシアは男を見る。黒い瞳は僅かに笑っているようだった。

 日もすっかり暮れ、彼女が知る限りでは早い時間に帰宅した父親は、黒ずくめの男を一目見るなり、あの野郎が約束を守ったか、と一言つぶやき、大きく安堵の息をついた。
「覚えているかな、工場で一回会っただろう?いや、我々の行為を、君たちにはなんと謝ったらいいか…」
 深々と頭を下げる父親に、男はだが首を横に振った。このやりとりで、パトリシアは薄々、始めて二人が会ったとき一体何があったのかを察した。
「そうだ、まだ自己紹介をしていなかったね。私はジョン=フォール、こっちは娘のパトリシアだ」
 そう言われて男は僅かに首を傾げる。
「その…君の名前は…君のことをなんと呼んだら良いのかな?」
「私…は…管理登録番号…一〇〇四…」
 男の言葉に、父娘は顔を見合わせる。
「それは名前じゃないからなあ…ええと…」
 ジョンは困ったような男と戸惑ったような娘とをしばらく見比べていたが、やがてぽんと手を打った。
「一〇〇四…サウザント・フォース…そうだ、じゃあ、フォースと呼んでも良いかな?」

 その日から奇妙な共同生活は始まった。
成り行きでフォール家にやってきた男は、主の思いつきで『フォース』と呼ばれるようになり、細かいことを気にしない主の性格も手伝って、気が付けばすっかり家族の一員になっていた。
 何故、この男が軍需工場にいたのか、そしてあの嫌な軍人からあのような仕打ちを受けていたのか、パトリシアは知る由もなかったが、ある時思いもかけずその片鱗を目の当たりする事となった。
 慣れない手つきで夕飯の支度をしているとき、不注意で手を切ったパトリシアに、フォースは心配そうに駆け寄った。
「大丈夫。そんな深くもないし、後でちゃんと消毒しておくから…」
 言いかける当の本人には耳を貸さず、彼は僅かに血の滲むてを優しく取り、自らの掌でそっと包み込んだ。気のせいか、僅かに柔らかな光が溢れるような気がする。
「…え?」
 改めてその手を見、パトリシアは目を疑った。先程まで開いていた傷口は跡形もなく消え去っている。
「…凄い…」
 尊敬にも似た眼差しを向けられて、フォースは困ったように僅かに笑ってみせる。そして誰にも話さないで下さいね、と付け加えた。
 …だが、穏やかな暮らしは程なくして残酷な結末を迎えた。
 何時になく深刻な顔をして帰宅した父親は、殆ど口をきくことすらなく、早々に自室へと引き上げた。不安に思いながらも床についたパトリシアは、しばらくしてから物音を感じ、ベッドからすべりおりた。
 廊下に出ると、僅かに開いた父親の部屋の扉の隙間から、父親と『フォース』とが言い争う声が漏れ聞こえてくる。
…私には、出来ません…そんな…
…を守るためなんだ…のが心苦しい…頼む…
 途切れ途切れに聞こえてくる切迫した声。漏れ伝わってくる緊迫した空気。そして…。
 父親の足が、次第に宙に浮く。その顔が徐々に紫色に変色していく。首を掴む二の腕に刻まれた文字は、M、I、V。昔の数字で一〇〇四を意味する。声を出すことも出来ずに座り込むパトリシアと、フォースの視線がぶつかった。
 絶望と、謝罪と、悲しみ。そして、彼の背に漆黒の翼が広がり…

「行かないで!!」
 自分の叫び声に、パットは目を覚ました。注意深く起きあがり、周囲を見回す。
 そこは紛れもなく、トレーラーハウス内の自分の部屋だった。
 恐る恐る部屋の外へ足を踏み出すと、真っ暗な廊下の突き当たり、食堂兼居間の扉の隙間から僅かに光が漏れている。
 意を決して歩み寄り、扉を押し開く。が、予想に反して、そこには誰もいなかった。気が抜け、パットはそのままソファに座り込んだ。
 一人になると、今まで忘れていた静けさが四方八方から襲ってくるような気がする。そんな気持ちに囚われて、彼女は耳をふさいだ。
 その時、ばさり、と大きな羽音がした。息を殺し、身を固め、パットは扉を見つめる。しばらくして扉は音もなく開き…どこか間の抜けた表情を浮かべた黒ずくめの男が、姿を現した。その背にはもう翼はない。
「…彼を…家に送ってきました。…遅くなってしまって…」
「…嘘つき…」
 気まずそうに言うフォースに、パットは一言、言った。
 戸惑い、瞬きを返すフォースを見つめるパットの目から大粒の涙が零れる。
「何が、何にも覚えていない、よ…!」
 泣きじゃくるパットに歩み寄るフォース。困ったような彼に、パットは思わず抱きついていた。
「…やっと、思い出してくれたんですね…パトリシア…」
 静かな声に、パットは顔を上げる。目の前にあったのはやはりどこか抜けたような笑みを浮かべるフォースの顔だった。

「嘘をついていた、と言うわけではなくて…今でも何故あの時、あそこにいたのか、自分でも解らないので…」
 ようやくパットが落ち着いた所で、フォースは静かに切り出す。当のパットはクッションを抱え込み、その言葉を一言も聞き漏らすまい、としていた。
「覚えていたのは、私が何をしてしまったのかと、それを償わなければならないということと…」
 深淵のような漆黒の瞳を向けられて、今度はパットが瞬きを返す。
「あの時…親父は一体、何を言っていたの?」
 その問いかけに、フォースは目を閉じ、首をゆっくり左右に振った。あの時のことを思い出し、反芻しているかのようだった。
「おぼろげだけど覚えてる。あの後すぐ、ミリオンの反乱があって…軍人は親父の嫌な上司ももれなくハンドレットに粛正されて…何故かうちは、何もされなかったんだけど…」
「ミリオンが手に負えなくなってきていて…軍は、ミリオンと同じ力を持つ私を、再び接収しようとしていたんです。ジョンは…それだけはどうしても避けたいと…」
「ミリオンと…同じ…?あんた、一体…?」
 まじまじと自分を見つめるパットに、フォースは寂しげに笑った。
「私は、管理登録番号一〇〇四…ミリオンの制作過程で生まれた欠陥品の一つです」
 言い終えてから僅かにうつむくフォースをさらに穴の開くほど見つめ、パットは戸惑ったように言う。
「ミリオンの欠陥品って…それよりも接収って、何よ…」
「簡単に言えば、一度用済みとして処分した物を再利用しようとした、という所でしょうか」
 殺伐とした話であるにもかかわらず、フォースの口から出るとどこかやはり間が抜けている。だがそのお陰で嫌な想い出を突きつけられても、重苦しさにつぶされずにすんでいるのかもしれない。彼女はぼんやりと思った。そんなパットの頭上を、フォースの声が通りすぎる。
「覚えては、いないですか?あの日のこと…」
 僅かにフォースは首を傾げてみせる。そんな頼りなげな顔を見つめながら、パットは『あの夜』のことを必死に思い出そうとしていた。

 …その日、珍しく早く戻ってきたジョンは、何時になく無口でどことなく落ち着かない様子だった。
 半ば上の空で食事をとり、殆ど口をきくこともなく二階の自室へと引き取った。
…まずいことになりそうだ…
 こうなる直前の日曜日。休日なのにも関わらず職場からかかってきた電話を切るや否や、彼は低い声で呟いたのを、パトリシアは少し気にかけていた。そして、今日である。
「…何かあったのかしら…」
 不安を紛らわせようとパトリシアはテレビのスイッチを入れてみる。だがどこのチャンネルを回してみても、別段重大な事件や事故が起きているような気配はない。それが逆に不気味でもある。
「後で…様子を見てみましょうか?」
 遠慮がちに切り出すフォースに、彼女は涙を堪えながら頷くのが精一杯だった。

「そうよ…確かそんなことを言ってたかも…まずいことになるって」
 行儀悪くソファの上に胡座をかきながら、パットは記憶を反芻するように呟いた。その言葉を裏付けるように、フォースの言葉が被さってきた。
「丁度あのころ、完成品…登録番一万番台の一部が工場を脱出し、試作品…一〇〇番台をほぼその管理下に置いたんだそうです」
 一万番台って言うのがミリオンで、一〇〇番台がハンドレットね、あたし達が言うところの。そう確認するパットに、フォースはこくこくと頷いた。
「でも、それとあんたと何の関係があるの?だって、あんたは欠陥品だって、自分で言ってるじゃない」
 聞きようによっては相手を傷つけるであろう一言を、パットは悪びれもせず口にする。言われる側はそれに気付いているのかいないのかは定かではないが、ゆっくりと首を左右に振った。
「確かに、私はミリオンの欠陥品です。けれど、欠陥はあくまでも私の容姿というか、見た目…外見だけであって、」
 不意に、黒曜石のようなフォースの双眸に鋭い光が宿る。パットは魅入られたように身動きを取ることができずにいた。
「能力その物は、完成品…ミリオンと全く同じなんです。なので、開発者達は、完成品に対して全く同じ力を持つ私たちで対抗しようとして…」
「ちょっと待って!」
 ようやくのことでパットはフォースの言葉を遮る。何時になく深刻な面差しのパットに、僅かにフォースはどうしたんですか、とでも言うように首を傾げて見せた。抱え込んだクッションに視線を落としながら、固い声でパットはつぶやくように言った。
「じゃあ、何?親父の上役達は、あんたみたいに黒い髪に黒い目だからとか、そんな下らないことで…」
「彼らは、古の絵画に描かれた完璧な『天の使い』を作ろうとしていたんですよ。…貴女が以前会ったミリオン達は、どんな容姿をしていたか、思い出して頂ければ解ると思うんですが」
 その言葉に、パットはあっ、と息をのむ。確かに、おぼろげながら見覚えがあるミリオン達は、皆創られたように(事実創られたモノなのだが)揃いもそろって見事な金髪碧眼、そしてひびのない白磁のような肌の色をしていた。そんなパットの様子を見やり、黒い髪や、黒い肌をした天使の絵なんて、あまり見たことはないでしょう、と言い、フォースは寂しげに笑った。
「私のように髪や目や翼や肌の色が、彼らが望むそれと違っている者は…欠陥品として容赦なく実験の材料になっていたんですよ…たまたま、ジョンはその現場に踏み込んで、私の保護を訴えてくれたんですが…」
 もしジョンに出会っていなかったら、様々な実験を施されて、最終的には細胞のレベルにまでバラバラにされていただろう、寂しげな笑みのまま、フォースはパットに告げた。
「いわば、ジョンは私の恩人です。その恩人を、私は…私は彼自身の望みとは言え、この手に、かけてしまった…」
「親父が…?あの親父が、あんたに自分を…殺してくれって…頼んだの…?」
 かすれる声で問うパットの唇は、僅かに青ざめている。フォースは頷くと、両の手を固く膝の上で握りしめ、目を固く閉ざした。
「もうすぐ、軍がやってくる。いや、もしかすると、ミリオン達の方が先かもしれない。どちらにせよ君の運命は決まっている。…だが幸いどちらも表向きは慈悲深いと言う仮面をかぶっている。君と、パトリシアを助ける方法はただ一つしかない。…私を殺して、ここを立ち去りなさい…」

「…私を殺して、ここを立ち去りなさい…。君とパトリシア、両方を助けるにはこれしか方法がない」
「そんな…私にそんなことができるとでも思っているんですか…!?」
 沈痛な面もちで叫ぶフォースに、ジョンは既に決意を固めた意志の強い視線を向けた。
「君が軍に連れて行かれれば、我々はミリオン達に反逆者として扱われる。例え軍の側が勝利を収めたとしても、君は再び実験材料とされてしまうだろう。君をミリオンに差し出したとしても、我々は裏切り者として軍から始末され、君も『彼ら』からどう扱われるか…」
 どちらに転んでも八方ふさがりなんだ、それならば何もしないでいるよりも、何かした方が良い。吹っ切れたように笑顔を見せるジョンに、だがフォースは食い下がった。
「私がここにいるのが原因ならば…その原因である私を消してくれれば良いのではないですか?…貴方もパトリシアも、その術を手渡されているはずでしょう?」
 言いながら、フォースは両手首をジョンの前にかざす。度々高圧の電流を流され続けたため、焼けただれた皮膚、そして、しっかりと電子錠が下りた戒め。その言葉に応じるように、ジョンはポケットから小型のリモコンを取り出した。覚悟を決めたのか、目を閉じるフォース。けれど次の瞬間、ごとり、と言う重い音が二つ、静かな部屋の中に響いた。
「…何故…こんなことを…」
 唖然としながらも、フォースは解放された両手首を見やる。寂しげな表情を浮かべたジョンは、リモコンを床の上に置き、勢い良く踏みつぶした。
「奴らのことだ。こいつに発信器でも仕込んでいたんだろう。…まあ、これでレーダーによる君の感知は不可能になった。君の力を持ってすれば、ハンドレットやミリオンから逃げおおせることは可能だろう?」
 さあ早く、もう時間が無い。立ち上がるジョンに、フォースは激しく首を左右に振った。
「なんと言われてもできません…そんな、恩人を手に掛けるようなことは…」
「君とパトリシアを守るためなんだ、頼む…君を助けると言って連れ出し、こんな思いをさせて、…そして何より、あの子を残していくのは心苦しいんだが…頼む」
 穏やかなジョンの視線が、黒曜石のようなフォースの瞳を正面から見据えた。そこにはもう迷いも後悔も見いだせなかった。何者にも変えることのできない決意だけがそこにあった。静かに、フォースはジョンに歩み寄る。
「…できれば…できれば君が自由に空を飛ぶところが見てみたかったな…」
 それこそ天使みたいだったろうに、そう冗談めかして言うジョンに、フォースは泣き笑いのような表情を浮かべて見せた。
「私は、残念ながら翼も黒いので…天使と言うよりは堕天使でしょうけれど…」
 うなずき、ジョンは目を閉じる。その目尻から二筋の涙がこぼれ落ちた。ありがとう、そして、すみません、小さく呟きながら、フォースはその首に手をかける。程なく、恩人の足は床を離れ…扉の向こう側から引きつった悲鳴が聞こえた。
 パトリシア…?その声の主を認め、反射的にフォースは手を離した。ゴム人形のようにジョンの身体は床の上に崩れ落ちる。怯えきった少女に、一瞬フォースは視線を向ける。ここで何を言ったとしても、彼女は受け入れてはくれないだろう、ならば遺言を守らなければ…。
 淡い光が、フォースを包む。呼応するように黒い翼が、その背に広がった。窓に歩み寄り、彼はその身を躍らせる。漆黒の翼は始めて風を孕み、彼の身体を宙へと舞い上がらせた…。

 失われていた記憶が甦ったのか、パットは今までに見せたことの無いような重苦しい表情を浮かべ膝の上で握りしめられた自らの拳を見つめている。
「そのまま、私は飛び続け…翼が動かなくなるまで…そのうち、意識が薄れて…完全にそれがとぎれる前に、最後に思ったことは…」
 一瞬の躊躇のあと、黒髪の『堕天使』は、その姿を直視するのを避けながら低い声で言った。
「貴女にもう一度会って…それですむことではないとは解っていますが、どうしても謝らなければ、と…」
「…で、気が付いたらあたしに拾われていたの?」
 その間、それこそ十年以上どこで何をやっていたのか、全く覚えてないの?と言いたげなパットに、フォースは例の如く頷く。いつもと変わらぬその様子に、パットは思わず吹き出した。
「あ、あの…」
 慌てて立ち上がろうとするフォースにひらひらと手を振り、ようやくパットは顔を上げた。そこには僅かに、苦笑にも似た笑みが浮かんでいる。
「ちょっと待って。取りあえずあんたが何者で、どうしてこうなったのかは何となく解ったから…今度はあたしにも話をさせてよ。…それに、前にも行ったでしょ?」
 話が見えず首を傾げるフォースに、パットは畳みかけるように言った。
「親父は三年前、病気で死んだって…。あんたは親父を殺しちゃいないのよ」
 固い岩石の底から封じ込められた記憶の鉱脈を掘り進むかのような口調で、パットは『あの時』のことをぽつりぽつりと語り始めた。

 ぴくりとも動かない父を目の前にして、パトリシアは開け放たれた窓と、風にはためくカーテンとを見やるだけで、何もできずそこにへたり込んでいた。
「…どうやら遅かったようだ」
「彼は行ってしまったようだな」
 不意に聞き慣れない声…いや、声と言うよりはむしろ響きあう音の集合体と言う方が正しいかもしれない…がして、彼女は恐る恐る振り向いた。戸口にはいつの間にか、こちらを見やる人影があった。
 それを『人』と呼ぶには語弊があった。彼らの容姿はそれこそ絵に描かれたように非の打ち所がなく、波打つように自然なウエーブがかかった髪は、まばゆいばかりの金色である。何より彼らを完全に『人』と分け隔てているのは、その背に広がる純白の翼だった。
 立て続けに信じがたい光景を目の当たりにして言葉も出せずにいるパトリシアに、そのうちの一人が歩み寄った。そして、彼女と倒れ伏すジョンとを交互に見やりながら、静かに告げた。
「我々はどうやら間に合ったようだ」
「どういう意味だ?彼はもう…」
「確かに彼は飛び去った。けれど」
 深い青色の瞳を僅かにパトリシアに向けてから、彼は宣誓するような口調で続けた。
「彼にはまだ息がある」

「もちろん…ミリオンの力を使っても五体満足とまでは行かなくて…少し足に麻痺は残っちゃったんだけど、親父は運良く一命を取り留めて…軍に反発しようとしたってことで、他の軍関係者と違って大した制裁も受けなかったし…結局、親父の読みは当たったのね。それからよ。ちまちまと直し屋を始めたのは」
 けれど、とパットは言葉を切った。近所から持ち込まれる物を黙々と修理している父親の背を見つめるのが、何故か怖かった。理由は解らないけれど、この家にいるのが怖くなったのは、それからだった、と言う。
「今にして思えば、あたしもミリオンに記憶をどうかされてたのかもしれない。親父が最期に『彼を恨んじゃいけない』って言ったんだけど…」
 恥ずかしいけれど、何のことを言っているのか全く解らなかった、言いながらパットはぺろりと舌を出した。どうやらすっかりいつもの彼女に戻ったらしい。大きく息をつくと、彼女は緊張がとぎれたように笑った。
「あんたのこと言えないわね。結局あたしもあんたのことすっかり今の今まで忘れてたんだもの…ちょっと、どうしたのよ?」
 慌ててパットは腰を浮かす。目の前に凍り付いたように座っていたフォースの頬を、二筋の涙が伝い落ちていた。
「…解りません…ただ…その…うれしいのか、どうなのか…」
 それを拭おうともしないフォースの肩をパットは掴み、少々乱暴に揺さぶる。
「男が何泣いてんのよ…情けないじゃない…」
「そう言うあなたも…」
 そう、笑みを浮かべているはずのパットの瞳にも、僅かに光る物がある。互いに泣き笑いの表情で見つめ合いながら、先に吹き出したのはやはりパットの方だった。
「…取りあえず顔洗ってらっしゃいよ…安心したらお腹空いちゃった…」

「…これから、どうするの?」
 食事の手を止めることなく、しかし唐突に、パットは切り出した。自分とパット。それ以外誰もいないはずなのに、周囲をぐるりと見回して、その問いかけが自分に対して投げかけられた物であると確認してから、フォースは困ったように数度瞬きをしながら、どこか抜けた返答を返す。
「これから、ですか?」
「取りあえず、あたしはこれ以上ここに長居したくはないの。預かり物もあらかた全部お返しできたし、あとは鉱床を少し漁ってから出発しようかと思うんだけど」
 そんなフォースの様子を全く意に介さず、パットは畳みかけるように一気に言う。無言のままそれを見つめるフォースに、一瞬ちらりと視線を向けてから、パットは少し、照れくさそうに言葉を継いだ。
「その…一緒に来る?最近殆ど帰ってないから…あの…久しぶりに親父の墓参り、しようかと思ったの。あんたが来れば、親父もたぶん、喜ぶと思うし…」
「ジョンの…ですか?」
 さらに瞬きをしてから、戸惑ったように言い返すフォースに、パットは少々乱暴に首を縦に振った。
「でも…良いんですか?たどり着くまでに、またハンドレットの検問に遭わないとも限りませんし…そのたびに貴女に迷惑をかけてしまうのも…」
「そんなのは簡単よ。ここに入ったときみたいに『無かったこと』にして貰えば良いんだから」
「…はあ…」
 どこか気のない返事を返すフォースに、ビッとパットは指を突き立てる。反射的にフォースは姿勢を正した。
「うだうだ言ってないでよ。あんた、男でしょ?それとも一緒に来たくないの?」
「ご一緒したいのは山々なんですが…本当に良いんですか?私は、ジョンを…」
 さらに続きそうなフォースの言葉を、鋭い視線を向けて遮って、パットは相変わらず困ったような彼に向かって僅かに笑いかけて見せた。
「大丈夫。さっきも言ったでしょ?親父はあんたを恨むなって言い残して逝ったんだし…きっと待ってると思う」
「…ありがとう…ございます…」
「じゃあ決まりね。…片づけ当番、今日は確かあんただったよね?」
「…はい?」
 相変わらず間が抜けたフォースの返事に、パットは思わず笑っていた。

 翌朝、いつものように目覚めたパットは肌寒さに思わず身震いした。彼女が良く知る、孤独が呼ぶ寒さである。胸騒ぎを感じ、彼女はパジャマの上から上着を羽織り、居間兼食堂に駆け込む。ここ数日、ぬぼけた表情を浮かべ、先に起きているはずのフォースの姿は、そこになかった。
 胸騒ぎを感じ、パットはその格好のまま外へ走り出る。家々が身体を寄せ合うように立ち並ぶ方ではなくて、町外れの高台に人影を認め、パットは一息に駆け上がった。
「…フォース…?」
 息を切らせながら呼びかける彼女に、フォースは振り返った。その背には漆黒の羽根がある。
「いつもより、少し早いお目覚めですね?パトリシア…」
「そんなの、どうでも良いじゃない。…どうしたの…?」
 風が、フォースの黒い髪と翼を揺らす。
「助けていただいたとき、お話したと思います。私は、行かなければならない、と」
 そう、確かにパットが彼を拾ったとき、彼は言った。行かなければならないところがある、けれどそれはどこかは解らない、と。
「でも…でも、それは、あたしに…」
 食い下がるパットに、フォースは寂しげに笑い、首を横に振った。
「私は…私は欠陥品…つまり創られた物です。このまま貴女と行動を共にすれば、確実に貴女に迷惑がかかる」
「だってあんたはミリオンと同じ力を持ってるんでしょ?ハンドレットを手なずけられるなら、何も問題ないじゃない?」
「追っ手がハンドレットだけなら、確かにそうでしょう。でも」
 一度言葉を切り、フォースはパットの顔を正面から見つめる。その表情はいつもの長閑なそれではなかった。その真剣な眼差しに、パットは言葉を失う。
「一人だけならまだしも、複数のミリオン達から貴女を守れる保証は、有りません。残念ながら…」
 うつむく彼の表情を、癖のない黒い髪が覆い隠す。両の手を固く握りしめながら、パットは次の言葉を待った。
「申し訳有りませんが、私は、貴女と一緒に行くわけには行きません。貴女を、守りたいから…」
「だから…だから、また逃げるの?あたしから逃げるの?」
 半ば叫びながらパットはフォースにしがみつく。癖のある茶色い彼女の髪を、フォースは愛おしげに撫でた。
「…お別れです…すみません…そして、ありがとう…パトリシア…」
 肩に手をかけ、フォースはパットを引き離す。そして、ゆっくりと翼が広がり、その身体が静かに宙に浮かぶ。黒い翼が風を孕み、次第に地上から、パットから遠ざかる。
「待って!行かないで!」
 叫びながらパットは追う。だが、追いつけるはずもなく、フォースの姿は空のかなた、地平線に消えていった。呆然とその方向を暫し見つめてから、ふと地面に視線を移すと、黒い羽根が一枚、忘れ去られたように落ちていた。それを大切に拾い上げると、パットはきゅっと握りしめる。堪えようとしても止めどなく涙がこぼれ落ちてくる。
 袖口でぐいと涙を拭くと、大きく深呼吸をし、パットはフォースが消えた方向に叫んだ。
「馬っ鹿野郎ーっ!!」

「じゃあ、お姉ちゃん気を付けてね」
「お兄ちゃんとまた会いたいから連れてきてね」
「必ずまた来てね」
「はいはい、だからあんた達もいい子にしてんのよ」
 わらわらと駆け寄る子ども達に一通り笑顔を向けてからパットはトレーラーを発進させた。
 行き先は…黒髪の堕天使が消えた方向。
 支配者達の住まうところ…『一千万の谷』へ…。
      THOUSAND FOURTH』    end

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2003 sora hiroi@henkousei

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