AGAIN〜sideA〜ダウンロード版
老婆心かもしれませんが、万一著作権なる物が発生するとします
と、それらはすべてひろいそらに帰属するのではないかと思われます。
なので、無断での引用、転載、改編、改良(をいをい)はしないでください。
よろしくお願いいたします。
なお、加筆修正を行いますので、今後発行される冊子とは若干の違いが生じますので、よ
ろしくお願いいたします。

プロローグ
 ようやく報告書を書き上げ、ジャック=ハモンドはふと時計を見る。既に夜十時を回っ
ていた。また今夜も泊まりか。欠伸をかみ殺しながら、気分転換にラボを出た。
 既に一般の職員たちは帰宅し、残っているのは恐らく自分たちだけだろう。廊下の暗
さも手伝ってたった今やりおえた仕事に空恐ろしさを感じ、ジャックは思わず身震いし
た。肩を竦めながらロビー兼休憩室へ向かうと、ぼんやりとした明かりが目に入った。
 まさかこんな時間に。非科学的な思いが一瞬ジャックの脳裏を過った。意を決して角
を曲がると、そこには外でもない、彼の同期の姿があった。
「…エド?まだ残ってたのか?」
 お前さんは技術方だから、こんな遅くまで残っていなくても、と言いながら近寄るジャ
ックに、エドワード=ショーンは穏やかに微笑みながら片手を上げた。
「君達が苦労してるのに、僕だけプログラムを上げたから失礼しますとも行かないよ。…
ちょっと気になってね」
 今までのデータを見直していたら、この時間になった。そういって再びエドワードは苦
笑した。
「気になるって…お前さんでもそんな事あるのかい?」
「ああ…恥ずかしながらしょっちゅうだよ。情けない限りだけれどね」
 僅かに眼鏡をずらし、目頭を押さえる。それからエドワードは座りなおし、ジャックに
向き直った。
「…どうしたんだ?急に改まって」
「申し訳ないけれど。今回の件、完全な成功とは言いがたいかもしれない」
 穏やかな口調だが、厳しい言葉がジャックの背筋を滑り降りていった。少しの間を置
いてから、エドワードは静かに続けた。
「AIチップのプログラム自体にはまず問題は無いと思う。けれど、材質と大きさ。それと
移植位置の問題だな。このままでは」
「…彼は、目覚めない?」
 ジャックの問い掛けに、エドワードはゆっくりと首を横に振った。
「目覚めるとは思う。でも生前の記憶の保存という点では疑問符が付くな。後、今後彼
が長期間生存した場合は、何らかの不具合が生じると思う」
「…やっぱり、自分らがやってることは、絵空事に過ぎないのかな…」
 天井を仰ぎ見るジャックに、エドワードは穏やかに言った。
「けれど、誰しも一度は望む事だよ。…ニコライのは少し、度が過ぎているかもしれない
けれど」
「ニックか…やっぱり、お嬢さんの具合、良くないのかな?」
「もし自分が同じ状況に置かれたら、と思えば、分からないことも無いけれどね…それよ
りも」
 ふと、エドワードの顔に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。嫌な予感を感じ、ジャックは僅か
に身を引いた。
「君はどうなんだい、ジャック」
 更に続きそうな言葉を、ジャックは両手を上げて遮った。
「勘弁してくれよ。とてもじゃないけど、今は自分以外の面倒まで見られないよ」
 心底辟易しているジャックに、エドワードは珍しく声をあげて笑った。
「…いや、冗談で言ってるんじゃなくて…自分にはその資格は無い。それだけさ」
「ごめん。ちょっと悪のりしすぎたかな。じゃあ、僕はそろそろ戻るよ」
 余り根をつめないように、そう言い残してエドワードは出ていった。その後ろ姿を、何
か言い知れない不安を感じながら、ジャックは見えなくなるまで見送っていた。

act1
テラでは平穏な日々が続いている。
情報局の事務所で、日々何と言うこともないデスクワークを続けていると、初めて稼働
してからここ数ヶ月
の慌ただしさがまるで嘘のように思われてくる。
だが、彼が係わってきたことは、いずれも悲しい現実である。事実、マルスでのMカン
パニー関連の事件はは佳境に入っているし、ルナの惑連でも先頃すべて書き換えら
れたパスワードなどのセキュリティシステムの復旧作業で技術方は青息吐息の毎日ら
しい。
それら一連の経過報告文書に目を通し終わってから、デイヴィット=ロー中尉は不謹
慎にも大きく伸びをした。
表面上は今のところ、何事もなく平和が保たれているようだ。フォボスの独立戦争も現
在休戦協定は守られてはいる。ルナのI.B.もあの一件以来、目立った動きをしてい
ない。
何より平和を裏付けるのは、デイヴィットがこうして、次の出向先が見あたらず、事務方
の勤務に就いている、と言うことである。
それはそれで良いことなのかもしれない。本来、自分たちが必要とされない世界こそが、
もっとも望ましいのだから。だが、そうすると、自分たちの存在意義とは何なのか。
デスクワークに付き初めてから何度となく思った疑問に、彼は突き当たった。いわば自
己の存在矛盾である。
考えても仕方がない。自分の運命は自分自身の手の中にはない。解ってはいるが、思
わずにはいられない。
やれやれ、とデイヴィットは小さく溜め息をついた。平穏であると言うことは、どうやらい
らないことまで気
を回してしまう物らしい。苦笑を浮かべるデイヴィットの端末に、ランプが点灯した。何
か着信したらしい。
一瞬、良からぬ想像をしたが、その可能性はまずない。
万一非常召集であれば、こんな長閑に命令が送られてくるはずもない。これは紛れも
なく、一惑練職員デイヴィット=ロー個人に当てられた、何らかのお知らせ、の類に過
ぎなかった。
「お、面会人か?いつの間に?お前も隅に置いておけないなあ」
それを隣から覗き込む同僚が、軽口をたたいた。冗談はやめてくださいよ、と受け流し
てから、はて、とデイ
ヴィットは首を傾げた。面会人。全く心当たりがない。
「そういや、お前、今まで家族やら友達やらの話、全然しないよなあ。どういう風の吹き
回しだ?」
それとも大本命は何処かに隠していたのかと、ここぞとばかりにまくしたてる同僚に、デ
イヴィットは曖昧な
笑みで答えた。確かに人当たりもよく、付き合いも悪くないにも拘らず、その手の話が
全く無いのは妙なことである。だが事実、家族や友人が存在しないのだから、話しよう
もない。
「…自分も、全く見当が付かないんで…。何かの間違いでしょうか?」
「さあな。でも、間違いならサボりのいい口実になるじゃないか。取りあえず行って来い
よ」
一件無責任だが、極めて建設的な同僚の意見に従って、デイヴィットは事務所を後に
した。
一般人が入れるのは、二階のロビーと、指定された研学通路だけであるである。だが
彼の面会人が待つのは、その見学順路からも外れた関係者以外立入禁止区域のは
ずの、プレス関係者の喫茶室だという。
報道関係者の知り合い、と言ってデイヴィットに全く心当たりが無いわけではない。だ
が、先方は自分のことを『忘れて』いるはずだ。
幾許かの不安を感じながら、デイヴィットは指定された場所へと急いだ。さして事件も
ない今時、普段は貪欲なプレスの面々もさすがにネタを拾う気力も尽きかけたのか、休
憩室兼喫茶室は閑散としている。現金なものである。意を決し足を踏み入れ、怪訝な
表情で周囲を見回すデイヴィットの視線が、ある一点で止まった。
一人の女性が、彼に気が付いたのか静かに立ち上がり、一礼した。目を丸くするデイ
ヴィットに、彼女は笑いながら歩み寄った。
「御無沙汰しています、中尉さん。お元気ですか?」
「貴女だったんですか…どうしてここへ…?」
さしずめ『ヒト』であれば、苦い思い出に心を痛める所だろうか。この時ばかりは彼は自
分が『ヒト』ではな
いことを感謝した。返す言葉に詰まりながら視線をさまよわせるデイヴィットに、彼女は
首から下げられた身分証を示す。そこにはやはり見覚えのある単語が並んでいた。
「恒星間通信社マルス支局記者…クレア=T=デニー…じゃあ?」
驚くデイヴィットに、クレアは嬉しそうに一つ頷いた。
「あれから支部長さんの所でお世話になっているんです。まだまだ見習いと言ってもい
いくらいなんですけれど…」
そこまで言って、ふと、クレアの言葉が止まる。きょとんとした表情で二、三度瞬くクレア
の様子にデイヴィ
ットは何気なく後ろを省みた。
「…皆さん…何をしていらっしゃるんです?」
半ば呆れたようにデイヴィットは言う。柱や自販機の陰に隠れるようにしてこちらの様子
を窺っていた彼の同室の面々は、照れ笑いを浮かべながら、気まずそうに去っていっ
た。
「…ったく…」
憮然とした表情を浮かべるデイヴィットに、クレアはくすくすと笑ってみせた。
「髪を下ろしていらっしゃるせいかもしれませんけれど…何だかあの時と全然印象が違
いますね」
そう言えるほど、クレアの中で、『傷』が昇華されつつあるのだろうか。少し安堵してから、
デイヴィットは言った。
「ここじゃ何ですから、下のカフェの方に移動しませんか?味はあまり保証できません
が…」
act2
そこはカフェ、などとご大層な呼び方で通ってはいたが、その実態は何のことはない、
格安の職員食堂と大差はなかった。
もう一つ下の階まで行けば、一般も入場できる少し洒落た店もあるのだが、何処から話
が漏れるか定かではない。その点こちらは部内者しか出入りできない為、余程のことが
ないかぎり、話が漏れることはないだろう。
「あの…本当に、あの時は、お世話になりました」
不意に改まった声をクレアからかけられてデイヴィットはいきなり現実へと引き戻された。
沈黙が急に空恐ろしくなり、彼は慌てて言葉を継いだ。
「そんな…それより、お元気そうで良かった。でも、どうしてここまで?」
当然といえば当然のことだ。現に、クレアの身分証にはマルス支局、と記入されており、
テラ特配員とはなっていない。
「実は、無理を言って、支部長さんに着いてきたんです」
「え?」
ではやはり、歩く好奇心の固まりであるカスパー=クレオ氏もこちらに来ているのか。懐
かしさを感じると同時に、デイヴィットは頭を抱えたい気分だった。どうやら自分も、完
全にあの一件から立ち直ってはいないらしい。
「テラで一波瀾あるかもしれないってどうしても自分で行くと言い張っていたんです。と
ても嬉しそうだったんですけど、少し、心配で」
確かに、惑連取材にあの支部長一人では、何が起こるか分からない。いや、何も起こ
らなければ何かを起こしかねないといっても過言ではない。クレアの選択は正しいと言
える。しかし。
「でも、何でわざわさ?支部長のクラスの人が出向いてくるんです…あ、」
あることを思い出し、ぽん、とデイヴィットは膝を打った。そう、惑連では今、とある計画
の実用化で上を下への大騒ぎになっていたのだ。
「ええ。T−S計画の件で…この間、正式に倫理委員会を通過したんですよね」
「…だいぶ、記者らしくなってきましたね…」
その手には乗りません、鹿爪らしい表情を作ってみせてからふと、デイヴィット視線を
彷徨わせた。
『トイ・ソルジャー計画』。マルスから戻って以来、何かと彼の周囲にこの言葉が付きまと
っていた。要は、危険なことはすべて、人間以外のロボットの様なものにやらせてしま
おう、そういう事なのだ。
「だからといって、わざわざご自分から辛いことを思い出すようなことをされなくても…」
デイヴィットの言葉に、クレアは首を横に振り、顔を伏せた。
「でも、どうしてももう一度、お礼とお詫びが言いたくて…」
「お気持ちは有り難いんですが…」
状況は、自分たちにとっては何ら変わっていない。そうデイヴィットはクレアに告げた。
「くどいようですが、自分たちは公には存在しない『モノ』なんです。だから、何もそこま
で改まって頂かなくても良いんですよ」
言ってしまってから、デイヴィットは慌てて周囲を見回した。見えない支部長に対する
警戒感が働いたようだ。
「でも、いいタイミングでした。丁度この間、ルナから戻ったばかりで。今、偶然こっちの
勤務に付いているんです」
 一端言葉を切ってから、実は、と改めてデイヴィットは切り出した。
「少佐殿ですが…あれから起動…と、任務に付いていないのようで、まだ会えていない
んです。なので、例の物はまだ…」
一瞬、クレアの顔に意外そうな表情が浮かんだ。だが、すぐに納得したようにそれを納
めると、急ぐことではないから、と言って笑った。だが、言葉にならない想いを、デイヴィ
ットはいたいほど感じていた。
そんな彼の心中を思ってか、クレアはふと、話題を変えた。
「実は…それ以外に少し、ご相談したいことがあって…」
「…相談、ですか?自分にできることでしょうか?」
突然のことに彼は姿勢を正した。おそらく『支部長さんが心配』と言う口実の裏にある本
音は、これだったのか。だが、テラにまで彼女を来させるまでの出来事とはどういうこと
なのだろう。デイヴィットは不謹慎だと思いながらも、僅かに興味を抱いていた。
「この向こうに、真っ白な建物が、ありますよね?」
不意にクレアが指さす方向を見やり、デイヴィットは一瞬ギクリとした。
たしかにそちらには、彼らが『生まれ』、事実上彼らの本拠地となっている建物が、確か
に存在した。通称は『白亜の迷宮』。外壁も内壁も、廊下さえも真っ白に統一された、
一見不気味な建物である。
「急に思い出したんです。昔、そこに、私はいたんです。殆ど顔を見せない父を、一人
で待っていると、決まって、気をつかって下さる方がいて…何時も豪快に笑っているよ
うな…そんな楽しい方でした」
Jかもしれない。確証はない。だが、何故かデイヴィットは確信した。確かにこんな相談
は、親代わりといえどもカスパー氏にはできる物ではない。けれどそれを顔に出さない
ように彼は一つ頷いた。
「あと、もう一人…口数は少ない方だったけれど、やはり研究員の方がいらっしゃって
…いつもお忙しいのに遊んでくださったのを、急に思い出して…でも、夢なのか、現実
なのか、自分でもはっきり解らなくて…」
はて、と、デイヴィットは首を傾げる。そちらの方にはどうも心当たりはない。けれど初期
の開発メンバーならば、粗方Jに聞けは消息ははっきりするはずだ。
それにしても失敗した。どうして一階のカフェテリアに行かなかったのだろう。あっちな
らまだ張本人がいたかもしれないのに。今更ながら彼は自分の選択を悔やんだ。
「どうか、しましたか?」
「いえ…、後の方のほうは分からないですが…一人は心当たりがあります。夢でも幻で
も無いですよ」
おそらくそれは、情報局が使う記憶操作の薬品の効力が切れ始めた所為ではないか。
そう付け加えてから、もしかしたら今ならすぐ会えるかもしれない、デイヴィットはそう告
げた。
「本当ですか?」
思わず立ち上がるクレアに、じゃあ、と言いかけたときだった。無機質な電子音が、No.
21の脳裏に響いた。直通の、緊急命令である。
「まさか…」
彼が腰を浮かしかけた時だった。突然照明が僅かに落とされ、フロアは前触れもなく薄
暗くなった。同時にけたたましいアラームが本部ビル全体に反響する。
「な…何ですか?」
戸惑うクレアに、デイヴィットは言った。
「非常事態です…何があったんだ…」
見回すうちにも、所々で重い音がする。各部署をブロックごとに区切る障壁が降りてい
るのだ。これは只事ではない。ともかく、これでは行くことも戻ることもできない。そんな
デイヴィットに与えられた『特務』としての命令は、ごく簡潔なものだった。
「…その場で通常任務を果たせ、か…」
しかし、何の説明もない分、逆に不気味である。だが一般の回線を通さず、直接彼自
身に送られてきた命令は何よりも優先する。取り敢えずは…。
「大丈夫です。自分が貴女を守ります…少佐殿には遠く及びませんが」
 茶化して言うデイヴィットに、クレアは笑いながら頷いた。
act3
 
「一口に非常事態と言っても、何段階かに分けられているんですが」
 相変わらず薄暗いカフェに、デイヴィットの声だけが響く。『現状の説明』をしているわ
けではあるが、その
内容ははっきり言って惑連の一級機密に触れる。
だが、この際仕方がないだろう。開き直りにも似た心境と、また、彼女なら信頼に値する、
という確信が彼にはあった。
「電力及び動力のセーブと、ブロック毎の隔壁作動、という点から察するに、今回のは
一級非常事態です。通常時のコントロールは完全に無視され、セキュリティシステム網
が現在、全館を管轄している状態です」
「その…具体的に言うと、どんなときにそうなるんですか?」
 疎くてすみませんとクレアは頭を下げる。無理もない。一般人がそんな事に詳しいは
ずがない。
さて、どの程度かみ砕いたら良いか。しばらく思案してから、デイヴィットは再び口を開
いた。
「つまり、その…危険因子を隔離して、他の場所に飛び火しないようにする、ということ
です。例えば、それこそ内部で大規模火災が発生したとか…」
 けれど、余程のことが無いかぎり、火災程度ではこれほどまでにはならないはずだ。
何よりこの建物では、一部の喫煙所を除いて火の気はない。
火災に伴っての有毒ガス発生に対応するための酸素マスクのシステムが作動していな
いこともあり、火災の線は捨てても良さそうだ。
「何処かに爆発物が仕掛けられたとか、も、それに入ります?」
 なかなかクレアは呑み込みが早い。火災よりはそちらの方が可能性がありそうだ。
「…最も重点的に隔離されているところが分かれば、多少は原因が掴めるかもしれませ
ん。…ちょっと待ってください」
 早速、デイヴィットは彼らを統括する『特務』のメインシステムにアクセスを試みた。し
かし。
「どうか、しましたか?」
「変だな…返事がない…?」
 嫌な予感がした。虫の知らせ、胸騒ぎがする、と言うのは正にこういう状況を言うのだ
ろう。先程の素っ気ない指令というのも、妙に引っ掛かる。
障壁によって回線が混乱しているのだろうか。いや、水銀ドーム内に閉じ込められたな
らばまだしも、防火・防弾障壁程度で混乱するシステムではない。
「…訓練、と言うことは…無かったよな…」
 念のため、デイヴィットはここ数日間の行事予定を反芻してみる。残念ながらそれに
当たるような事例はない。
何よりそんなものに載っていたら訓練にならないじゃないか。何より自分自身が一番混
乱しているらしい。
取り敢えず落ちつくため、デイヴィットは卓上の水を一気に飲み干した。
「…支部長さん、心配してるな…」
「え、出てること、お伝えしてないんですか?」
 驚いたように聞き返すデイヴィットに、クレアは申し訳なさそうに頷いた。聞けば、こち
らの古い知り合いに
会うとかで、外出中だったという。
「電話も置いてきちゃったし…あ、でも、これじゃ使えないですよね…」
 テーブルに添えられたクレアの手が、僅かに震えている。無理もない。けれど、それと
は裏腹に、クレアは少し笑ってみせた
「でも、本当に、一人じゃなくて良かった。プレス室にいても、たぶん皆さん、出払って
いるだろうし」
 頷いて同意の意を示してから、さて、と、デイヴィットは周囲を見回した。『緊急事態』
が起きた状況によって、隔壁の閉まり方も違うはずだ。確認したいのは山々だが…。
「動かないほうが、いいですね。何が起きているか分からない以上」
「でも、中尉さん、戻られなくて大丈夫ですか?」
「自分は、現在面会人の貴女に会うために、席を外していることは認証されてますし
…」
 クレアの尤もな疑問にデイヴィットは片目をつぶってみせた。
「何より、『惑連職員』として、居合わせた一般の方をお守りするのは、当然の任務で
す」
 生真面目な表情でこう言ってから、デイヴィットは破顔した。つられてクレアも笑いだ
す。
「ごめんなさい…いつも…助けられてばっかり…」
「自分たちは『モノ』ですと、先ほども言ったでしょう?」
 これは、少佐殿の受け売りですが、そう言って笑ってみせつつも、彼の内心は複雑
だった。けれど。今はこの事態をどうにかしなければ。デイヴィットは燻りつづけていた
思いを無理やり払い落とした。
「状況によっては一部通常システムが復旧する時間です。何か説明があるかもしれな
い。待ちましょう」
act4
 
そして、薄暗がりのなかで少なくとも十分が経過した。
本来ならば点灯しているはずの電子時計のデジタル表示は、一向に回復する気配が
ない。
どこで何が起きたのか、全く予想も付かない中、さすがにデイヴィットもしびれを切らし
かけた、その時だった。
「何だよ、こんな所に隠れていたのか?」
暗い廊下の向こうから、前触れもなく第三者の声がする。反射的に身構えるデイヴィッ
トだったが、その声の主を確認し、大きく息を付いた。
「その様子だと、貴方も取り残され組ですか?覇王樹主任研究員殿」
正式役職名+フルネームで呼びかけられた予想外の闖入者は、その名の通りハリネ
ズミのような頭を揺らしながら作り笑いを浮かべていた。
「いや、参ったよ。野暮用でこっちに来たら戻れなくなってさあ。この分じゃどうやら火
種は研究練みたいだな…と、そちらは?」
漸く王樹はクレアの存在に気が付いたらしい。しばしの間まじまじと見つめていたが、
やがて納得がいったようにぽん、と手を一つ打った。
「するってえと、Jか。ま、今はもちろんだけど…ちょっと難しいかもしれないな。例の一
件で、相当絞られてるみたいだから」
また『T−S計画』か。気付かれないようにデイヴィットは吐息をつく。だが、王樹はすぐ
に思考を切り替えると、徐にデイヴィットに向き直った。
「それよか、これ、君何か聞いてないか?」
「聞くも何も…こっちが知りたいくらいですよ」
向こうと連絡も取れないし。そう文句を言うデイヴィットに王樹はうんうんと頷いて見せた。
「やっぱ、あの設備工事はやばいと思ったんだよなあ。見る奴が見りゃ、メインシステム
が丸坊主になるんだ。進入するならグッドタイミングだ」
あまりにあっけらかんとした口調だったため、思わず聞き流しかけたが、その言葉の内
容にデイヴィットは耳を疑った。
「ちょ…解ったならどうして上申しないんですか?」
「無駄だよ。俺は一介の研究員以外の何者でもないし。頭の固いデスクワーク組さん
は現場の声を聞かないって、君たちも良く言ってるじゃないか」
あ、でも君は今後方勤務だったっけ。そう言って再び王樹は笑った。普段なら単なる煩
い奴に過ぎないのだが、何故か今は妙な具合に救われるような気がする。つられて笑
い出すクレアに、デイヴィットは王樹に礼を言いたい気分だった。
「で、君は今どこにいるんだっけ?」
「自分ですか?情報部の資料分析室ですけど…」
それが何か?と言いたげなデイヴィットの様子を全く意に介することなく、王樹はことも
なげに言った。
「そこの端末、触らせてくれないかな?何か解るかも」
「はあ?」
言葉を失うデイヴィットに、王樹はさらに続ける。
「ここでこうして世間話していてもらちは開かないし。まあ、俺は楽しいから良いけど、ど
うせならベターな方を取った方がいいだろ?」
それだけ聞けば確かに正論だ。問題は発言者の性格と、その目的地にある。
「けれど…非常時とはいえ、部外者を入れるわけには…」
殊に本部館勤務組は研究練組を快く思ってはいない。それは周知の事実であるにも
かかわらず、ことさら事態を悪化させるようなことを楽しんでしまうのが、この人物である。
提案を却下された王樹は口の中でなにやら呟いていたが、やがて再び何かを思いつ
いたように満面の笑みを浮かべデイヴィットに向き直った。
「…うちらのメインには、アクセス出来なかったんだよね?」
「ええ、落ちる寸前に、通常勤務続行の命令が来てからは、何も」
「本部のシステムは?」
「…あ!」
言われてみればその通りだ。情報は何も一箇所から得られる物ではない。同様に、接
続経路も一箇所にこだわる必要はないのだ。
「了承?ならこれを繋いでみて」
いつの間にか、デイヴィットの目の前に、小型の端末が置かれている。どうやら王樹が
白衣の下に隠し持っていたらしい。
「…それって、立派な内規違反ですよ」
「平時ならね。非常時なら君らは何をしたって文句は言われないだろ?」
事実を自分と自分が置かれた状況に都合良く解釈するのも、王樹の『長所』であり『欠
点』でもある。
だが、ここでこのまま缶詰になっていても状況は好転しない。不安げなクレアの視線を
感じ、今回だけですよ、と念を押してから、デイヴィットは王樹の端末に向かった。
act5
本部メインシステムへの接続には、さして時間はかからなかった。
接続と同時にけたたましく鳴り響いたアラート音は、入力されたデイヴィットのパスワー
ドによってすぐさま沈黙し、端末には次々と情報が流れ込んでくる。
「上等。愛すべき我が家へは帰れるかな?」
言葉こそ冗談めかしてはいるが、いつになく王樹は真剣な表情を浮かべている。未だ
気が進まないデイヴィットは不承不承、研究練メインシステムへの侵入を試みた。しか
し。
「駄目です。やっぱりこっちからも入れません」
「何で?君のパスワードはフリーパスなんだろ?」
「そのはずなんですが…自分の目で見て確かめてください」
言いながらデイヴィットは端末を持ち主の方へ押しやった。画面は相変わらず漆黒の
みを映し出している。
「と言うことは、落ちちゃったのかな…?」
物騒なことを言いながら、王樹は暫し、端末をいじっていた。すると、それまで真っ黒だ
った画面に、白い文字が不意に浮かび上がる。出来上がっていく文章を追う視線が、
次第に熱を帯びていく。
「こいつは…」
「サイバージャック、ですか…?」
「I.B.…」
画面を見つめる三人の口から、三者三様の言葉が漏れる。
「本格的に落ちちゃったみたいだね。これじゃ、フリーパスでも無理なわけだ」
で、どうする?と言わんばかりに王樹はデイヴィットを見やる。水を向けられた側は仕方
なしに首を横に振った。
「どうしようもないでしょう。何かしたら命令違反になりますから…」
そう、今のデイヴィット…bQ1に化せられた任務は、あくまでも通常勤務である。侵入
者をどうこうする事ではない。
八方塞がり。そんな単語が脳裏をよぎりかけたとき、王樹が指を鳴らした。
「今度は何です?」
睨み付けるデイヴィットに、王樹は全く懲りた様子はない。それどころか得意げに目の
前に人差し指を立ててみせる。
「惑連憲章23条、職員の項。覚えてる?」
「…惑連職員たる者は、その職務に係わることなく、万一…」
何かを思いだしたように、すらすらと諳んじていたデイヴィットが急に口ごもる。それを
認めて王樹はしてやったりとにんまりと笑った。
「職務に係わることなく、万一惑連の機能を破壊しようとする行為に直面した場合、全
力をもって機能維持に尽力し、その行為に対抗すること。…君のデータとは違って正
確じゃないと思うけど、確かそんな内容だったよね」
言いながら王樹は片目をつぶって見せた。取りようによってはこの条項に従えば、『一
般職員』デイヴィット=ローは、サイバージャックの犯人と対峙しなければならないこと
になる。よりによってこんなことを覚えているとは。デイヴィットは悟られないように溜め
息をついた。
「けれど…どこから手を着ければ良いんです?この端末だと、下手に動けば相手に悟
られます」
「本部経由で、進入経路を割り出す。たぶん内部からも手を引いてる可能性があるけ
ど、それは愛する同胞に任せるとして…早く終わらせてお邪魔虫は退散しないとね」
余程この御仁は真面目になりきることが嫌いらしい。お茶らけたことを言ってから立ち
つくすクレアに一つウインクを送り、再び王樹は本部からの逆解析のため研究練との
接続を切る。普通ならそれこそ懲戒物であるその行為を、止める気力はデイヴィットに
は既になかった。
「あった。これだね。ルナ経由。これを受信してからおかしくなったみたい」
「けれど…あっちは今、復旧作業も殆ど終わって…」
「目に見えるところに仕掛けは残しておかないよ。たぶん奥の奥の方に、何かやられた
んだね…終わったら小龍に伝えとくよ」
そう言えば大尉殿は戻っていたんだっけ。これは帰り際また荒れるだろうな。そんなこと
を考えながらデイヴィットは王樹に向き直った。
「で、経路が解ったら、次はどうするんです?」
「ボムを仕掛ける」
「はい!?」
何を言い出すんだこの人は。言わんばかりにデイヴィットは王樹を見つめる。一歩下が
ったところで成り行きを見ていたクレアも、突然のことに数度、瞬きした。
「正確に言うと、ボムを発動させるって言った方がいいかな。元々セキュリティ目的で、
メインシステムには隠しプログラムが組んであるんだ。部外者がそれに触れれば、あっ
ちのシステムの中で静かに増殖して、一定の条件がそろえば内側から崩壊する」
その最後の条件をそろえてやろうって訳さ。王樹は笑みを浮かべながら指を鳴らした。
一抹の不安を感じ、遠慮がちにデイヴィットは聞いた。
「…ひょっとして、楽しんでやっていません?」
「こんな緻密な作業、楽しまなきゃやってられないよ」
予想通りの返答に、デイヴィットは脱力せざるを得なかった。
act6
しかし。
喜々としているしている王樹とは対照的に、デイヴィットの表情に鋭さが増す。その変
化に気付き、王樹はふっと顔を上げた。
「…何?どうしたの、深刻な顔して」
「いえ…今、自分の中のデータを総チェックしてみたんですが、そう言った項目が見あ
たらないので…」
「…君、まさか知らないの?研究棟の七不思議」
生真面目な顔をして答える王樹に悟られぬよう、デイヴィットはこの日何度目かの溜め
息をついた。
「失礼ですが…あれ、本当なんですか?」
「さあ、一度試してみたいとは思っていたんだよね」
呆れたようなデイヴィットをよそに、王樹は妙に自信たっぷりで答えた。最早、何を言っ
ても無駄だ。だが、念のため、彼はもう一度釘を差す。
「じゃあ、主任研究員殿はもちろんパスワードもご存じなんですよね?」
「…Dearest Alicia」
不意に王樹の顔からお茶らけた笑みが消えた。その視線はいつになく真剣に目の前
の端末を見つめている。そこへ、申し訳なさそうにクレアが口を挟んだ。
「最愛なるアリシア…?どなたなんでしょうか」
それに対する王樹の口調は、今まで聞いたことのないくらい、真剣で深刻な物だった。
「かなり前…不慮の事故で亡くなった研究員がいたんだ。彼、まだ新婚で、お嬢さんが
生まれたばっかりだった」
「じゃあ、仕掛けたっていうのは…?」
全てを理解したデイヴィットに、王樹は頷いて答える。そして改めてクレアに向き直った。
「その人のお嬢さんの名前がアリシアっていうんだ。…でもま、学校に伝わってる怪談
みたいなものだけどね」
冗談もいささか、いつになく歯切れが悪い。何時しかデイヴィットもそれにつられ、真剣
な面もちになっていた。
「やってみましょう…。万一パスワードが違うようでしたら、自分が可能性有る単語をサ
ーチします」
その言葉に、王樹は長く口笛を吹いた。先ほどまでのしんみりとした表情は既にどこか
へ消し飛んでいる。ぱきぱきと指の関節を鳴らしながら、王樹は今一度端末へ向かっ
た。
「そうこなくっちゃ。でももしこれがメインシステムのオールデリートのパスワードだったら
一緒に責任とってね」
「そんなのも有るんですか?」
「噂だよ。ウ・ワ・サ。第一、これ以外にも候補なんてざらざらあるし、情報が錯綜してる
から、どれがどのパスワードなんかわかんないよ」
だが、口ではそう言いながら、彼は既に例の単語を打ち込み、エンターキーを押して
いた。止める機会を失ったデイヴィットは為す術もなくそれを見守る。やがて…。画面
上に変化が起きた。
Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest
Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia
Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest
Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia
Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest
Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia Dearest Alicia …
それまで不気味にI.B.の名を映し出していたディスプレイが、例のパスワードに浸食…
そう、まさしく浸食という表現が相応しいだろう。黒い画面に真っ白な文字が踊る。埋め
尽くされていく。スクロールを繰り返しても同じ文字列が並ぶ。
そしてついに文字の洪水が収まった。
画面から例の文字列が消え、仄明るいいつもと同じ光彩が戻る。
『…中尉殿〜無事ぃ〜?』
間延びした女性の声が、No.21の脳裏に直接響いてきた。
そして、ほぼ同時に、室内の照明が復帰した…。
act7
「…何だったんでしょう…」
周囲を見回しながらクレアは呟く。情けなくも首を横に振りながらデイヴィットも周囲を
伺う。すでにそれまで傍らにいた主任研究員の姿は、そこにはなかった。
「すみません、結局何のお役にも立てなくて」
「いえ…とても心強かったです。いて下さってありがとうございました」
そうこうするうちに、あちらこちらに取り残されていた職員達が三々五々集まってくる。
いずれも口々に文句を言ってはいるが、確信にふれた物はどうやらなさそうだ。とりあ
えずプレスルームへと戻る道すがら、二人を呼び止める者がいた。
「クレアちゃん、カスパーが探してたよ。今迷宮の入り口に張ってるから、顔を見せに行
くといい」
そういい残すと、やはり彼も何かを掴みに行くのか、足早に去っていった。
「…あちらは会見場方面ですね…」
「あの…中尉さん?」
遠慮がちにこちらを見上げるクレアに、デイヴィットは少し間をおいてから点頭した。俗
に言う『気の進まない』状況というのは、こういう状況なのか、と『思い』ながら。
記者のカン、という者は、本当に存在するのだろうか。何の公式発表もされていないに
も関わらず、研究練前には数十名に上るプレス関係者が手持ち無沙汰にたむろして
いた。その居並ぶ記者達の中から目指す目標を発見し、クレアは駆け寄る。
「やあ、どうした?大丈夫だったか?」
そう言うカスパー=クレオの目は笑ってはいない。すでに事件をかぎつけた記者の目
である。
「上物が何ともないところを見ると、地下か…、と、こちらは?」
少し離れたところに、遠慮がちに立っていたデイヴィットを目敏く見つけ、カスパーはま
じまじと見つめる。返答に窮している様子を見かねて、クレアはあわてて助け船を出し
た。
「取り残されていたときに助けて下さったんです。親切にもここまで案内して下さって」
「それはそれは…うちの職員がお世話になりました」
頭を下げたところでふとカスパーの動きが止まる。胸の職員証を一瞥すると、彼はクレ
アに耳打ちした。
「…よくやった。情報部員なら、いいニュースソースになる」
「やめて下さい」
苦笑しながらも、クレアは複雑な思いに駆られた。本当にカスパーは何も覚えていない
のだ。だが、そんな思いをよそに、当の本人は早速新たなカモに話しかけている。
「それにしても何事でしょうか?戻ってきたら中に入れない物だから…」
「それがさっぱり。自分は末端の一人ですから」
デイヴィットは努めて曖昧に答えた。あまり詳しく答えても墓穴を掘るだけだ。
やがて、いかにも不吉な印象を与える黒塗りの大型車が3台、目の前に止まった。色
めき立つ人々が見守る中、研究練の正面玄関が開く。中から運ばれてきたのは、担架
に乗せられ、厳重にくるまれた物体だった。
「…!!」
突然クレアがしがみついてくる。不審に思いデイヴィットがそちらに目をやると、そのう
ち一つから赤黒い液体がこぼれ落ち、地面を濡らしていた。
「これだけの犠牲者がでるとはねえ…一体何が有ったんだろう…」
再び水を向けられて、デイヴィットは勢いよく首を左右に振った。
「見ての通り、この建物は窓も殆どないですし…。仰るとおり地下で何かあったとしても、
シェルター並の強度ですから、本部館からは何が起こっているかは、まず…」
「防火壁が降りる音は聞こえたけれど…他の音は全然」
口をそろえる二人にカスパーはやや不満気味だったが、どうやら納得はしてくれたよう
だった。そして、物体の搬出がすんだ正面玄関から、出てくる人影に、彼らは釘付けに
なった。
「…レディだ…」
どこからともなくざわめきが起きる。クレアの瞳が大きく見開かれる。そこに現れたのは、
軍服姿の女性だった。だが、それは見慣れた宇宙軍の物とはわずかに異なっている。
居並ぶ人々は、彼女が『何者』であるのか、知っているようだった。
「お集まりの皆様に報告いたします」
彼女は硝子色の瞳で一瞥してから、よく通る声で告げた。それまでのざわめきは嘘の
ように収まっている。
「02:35に地第27研究室において中規模の爆発事故が発生しました。現在原因の究
明中です。なお、事故に伴う危険物質の流出の可能性は有りません」
追って正式発表が行われます、と頭を下げ下がろうとする彼女に、記者達は口々に言
った。爆発とは本当なのか、もっと詳しい説明を要求する。そして、オーバーヒートした
そのうちの一人が掴みかかろうとした、その時だった。
「現在我々も総司令官及び議長の指示を待っている状況です。これ以上は申し上げら
れません」
有無を言わさぬ冷たい声が響く。
血染めの軍服をまとった男が、静かに歩み寄った。
「後ほど、広報部より正式に会見があります。それまでお待ち下さい」
待たなければどうなるか。男は無言でそれを匂わせているようでもあった。勢いをそが
れた記者達は、すごすごと散らばっていく。その流れに逆らいながら、クレアは駆け寄
ろうとする。だが、デイヴィットはその腕を取った。
「違います…あれは、貴女がご存じの少佐殿ではありません」
あらかた人波が退けると、男は女性を伴って建物の中へと消えていく。泣きそうになり
ながらも立ちつくすクレア。だがその刹那、男の視線がこちらに向けられた。
「…え?」
クレアは、そしてデイヴィットも、目を疑った。男は両者を認めると、わずかに会釈を返
した。その顔には、クレアの知る、あの穏やかな笑みが浮かんでいた。
「…まさか…そんなことが…」
ぽろぽろと涙をこぼすクレアと、建物に消えた男とを交互に見やりながら、デイヴィット
は何故か、いい知れない不安を感じていた。
act8
「…で、籍も役職もそのまま継続してますんで、戻られた後も引き続き…」
「わかってる」
足早に歩きながら小龍はデイヴィットの言葉を遮った。あわてて言葉尻を折られた方は
その後を追う。
「もっとも頭が消えたんだ。先方さんもしばらくは目立った動きは出来ないだろう。せい
ぜいゆっくり復旧させてもらう」
独白にも似た言葉が小龍の口から漏れる。
例の『爆発事故』から一週間あまり。結局ことの真相は有耶無耶なまま、闇の中に葬り
去られようとしている。惑連お得意の情報統制さ、と、先ほど顔を合わせるなり小龍は
吐き捨てていた。
大まかな事実はデイヴィットも後で知らされてはいたが、それはあまりに大まかすぎた。
目の前の小龍は何が起きたのか、最前線で見ていたとのことなのだが、何を見たのか
と聞けるほど彼に度胸はない。
「すみません、後、軍服の件ですが…」
「不要だ」
ぶっきらぼうに言い放つ小龍に、デイヴィットは2.3、瞬きをする。その様子を知ってか
怪訝そうに振り返る小龍に、彼は食い下がった。
「けど…一応届けると言うことになっているようなので…」
「わかった。勝手にしろ」
しかし、我ながらずいぶんな物言いだな。言ってしまってから小龍は思った。そしてふ
と横を見ると、そこにいるはずの『後輩』の姿が見えない。視線をさまよわせると、彼は
なにやらプレス関係者とおぼしき女性に呼び止められていた。
何をしているんだ、と思いつつ相手を伺う。今まで会ったことはないにも関わらず、小
龍は相手の女性に既視感を感じた。やがて、こちらに気がついたのか、女性は小龍に
頭を下る。つられて会釈を返すと、彼女はデイヴィットにも何度か頭を下げてから、人
混みの中に消えていった。
「すみません。…マルスの件での関係者の方なんですが」
その一言で、先ほどの既視感に合点がいった。
「…レディの片割れか」
「その言い方は少し語弊があると思いますが」
ややムキになって言い返すデイヴィットに、小龍は短く口笛を吹いて見せた。
「…お前も隅には置けないな」
「…はあ?」
思いもかけない一言に、デイヴィットは間の抜けた返事を返す。そんな様子に珍しく微
笑を浮かべながら、小龍は片手を上げた。
「世話になったな。じゃ」
度重なる予想外の反応に、デイヴィットは唖然としながらその後ろ姿を見送っていた。
エピローグ
 
突然の首筋への冷たい感覚に、ジャック=ハモンドは僅かに椅子から飛び上がった。
慌てて振り向くと、そこには穏和な笑みをたたえたエドワード=ショーンが、よく冷えた
缶コーヒーを二つ持って立っていた。
「こんな所で寝ていたら風邪を引くよ」
「生憎、自分は特異体質なんでね。その心配はないよ」
負け惜しみを言ってから缶コーヒーを受け取る。目の前にエドワードが座るのを待って
から、ジャックは徐に缶を開けた。
「でも、顔色が悪いじゃないか」
痛いところをつかれてジャックはむせ返る。そして、観念したかのように口を開いた。
「患者の意識が、さっき戻ったんだ…けど…」
「…駄目だったのか?」
エドワードの問にジャックは無言で頷いた。
「予想されていたとはいえ、現実を突きつけられると、さすがに堪えるよ」
そうだね、と言ってからエドワードは缶をテーブルの上に置き、足を組み直した。
「何だか、今は、ニコライの気持ちが、解るような気がするよ」
不意の言葉に、ジャックは耳を疑った。僅かにその身を乗り出す。
「え…じゃあ、無事生まれたのか?」
こんな時に自分一人喜んでいて申し訳ないけれど。そういいながらエドワードは頷いた。
そしてふと、神妙な面もちで呟いた。
「人は…守るべき物を持つと強くなれると言うけれど、それは同時に、この上なく脆くな
ることなのかもしれないね」
「…何?」
聞き返すジャックに、エドワードはいつもと変わらない静かな笑みを浮かべて見せた。
「いや…守るべき物の為ならどんなことでも厭わなくなるってことは…それは恐いことだ
なあと、ふと思ったのさ」
変なことを言ったね、忘れてくれても良いよ。エドワードは笑いながらそうは言ったが、
その言葉は、いい知れない不安をジャックの心中に植え付けていた。
既に空になった缶を手に、エドワードは立ち上がった。
「じゃあ、僕はもう少しやることがあるから、これで失礼するよ。あまり無理しないように
ね」
「ああ…」
殆ど上の空で、ジャックは立ち去るエドワードを見送る。その脳裏には、先ほどの言葉
がぐるぐると回っていた。
自分が今、作り出してしまったモノと、これから作り出すモノと、出会うモノと…。
不安とも、恐怖とも付かない感情が、不意にこみ上げる。
真っ白い廊下と壁に、エドワードは溶けていった…。
 
AGAIN〜sideA〜
end

ご意見ご感想などもしありましたら
sorah04@hotmail.com
までお願いいたします。
変光星
http://henkousei.tripod.co.jp/

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