Missing Links ダウンロード版

一応(?)著作権なる物があるとすればひろいそらに帰属すると思われます。
ので、無断改変改良引用などはしないでください。お願いいたします。
文字ばっかりですが、どうぞお楽しみ下さい。
なお、加筆修正の関係で、冊子版とは異なっておりますのでご了承下さい。

ACT1

かつて、人は大空へ飛ぶ夢を抱いていた。
そのため、端から見ればくだらなくとも映る努力が繰り返されいつしか彼らはその夢を実現した。
空がその手に落ちれば、次は宇宙である。
果たして、大空を飛ぶ、という一つのことから人間は神の領域を侵し始めたのである。
今や、その漆黒の空間を流線型の物体が飛び交い、テラ型と呼ばれる岩石を主成分とする惑星は逐次人が居住可能な物へと作り替えられていった。
今や、人はテラのみにとどまってはいない。いにしえの小説の言葉を借りれば大宇宙へと散らばっていく時代へ突入したのである。
かくして、狭い一惑星の上を無数の国境線が横切る時代は終わり、おのおのの惑星単位国家が誕生するようになった。
しかし、統合と和平を望む人々の手によってかつての人類発祥の地テラにかつての国連宜しく惑星連邦なる物が置かれ、全てを超越する軍や警察機関が置かれるに至ったのである。
科学の発達によって、招かれざる弊害が起きるようになった。
恒星間事故、及び盗難、遭難。長距離を物ともしない凶悪犯罪者。
これらの捜査、追跡は、訓練された物にとっても危険、かつ効果の上がらない物であった。
現在、これらの犯罪、事故の捜査に当たる特務機関が惑星連邦宇宙軍に置かれている。
危険な捜査に当たる彼らを人々は畏敬とさげすみを込めてDOLLと呼んでいた。
それは、彼らが厳密に言えば『人間』と呼ばれる種族ではなく半ば人工的に作られた亜人種であったためである…。      

ACT2

緩やかな衝撃とともに、彼は目覚めた。テラからマルスへのほんのわずかな時間で彼はどうやら眠ってしまっていたらしい。
飽きるほど眠っているはずなのに、と、普通の人間なら苦笑いの一つでもするところだろうか、と彼は内心思った。
宇宙港に降り立った彼を、手を振って出迎えるものがいた。
「アンドル=ブラウン特務少佐殿?」
人好きする笑顔を浮かべながら、たずねる男に対し、彼は無表情にうなずいて答えた。
「お忘れですか、少佐殿。以前フォボスでごいっしょした…」
そこまで言いかけて、男は慌てて口をつぐんだ。それをまったく意に介さず、彼はようやく口を開いた。
「前置きはともかく、概要を聞こう。デイヴィット=ロー大尉、いや」
一度言葉を切ってから、アンドルと呼ばれた男はゆっくりとかつ聞こえないくらいの大きさの声で言った。 「No'21」
それを聞き、男は背筋を伸ばした。先ほどの笑顔はすっかり消えた。
「名前は、所詮隠れみのに過ぎん。見るものが見れば、われわれの正体などすぐに分かる。偽るだけむなしいだけだ。」
そしてまた小声で、自分のことも『名前』で呼ぶ必要はないと彼は付け加えた。それを聞き出迎えの『男』にあの笑顔が戻った。
「失礼。自分はまた、気に障ることでも言ったのかと心配に思っていたところです。申し訳ありません、No'5」
「『システム』の違いは仕方がないことだ。私はすでにスクラップ直前の旧型であることに変わりはないのだからな」
まったく抑揚のないしゃべり型も、そのゆえんであろうか。一瞬思いを巡らせかけたNo’21の思考を、平板な声が遮った。
「時間がない。詳しい話は、いく途中で聞こう」
「アイ・サー」
『二人』の姿は、止めてあった車の中へ消えた。  

まだ充分緑化の進んでいない赤茶けた大地を一台の車が進んでいる。運転席に座る男は、時折助手席に座る同乗者になにやら声をかけている。
…これだけ見ていれば、彼らが『人間』ではないと思うものはまずいないのではないだろうか。
「生きて動いてはいる。だが私は、厳密には生きていない」
そう言うと助手席のNo’5は車窓から外の風景に目をやった。
「奇妙なものだな。それがこんなことをしているのだから」
運転をしているNo’21はわずかに隣を見かけたがすぐに前方に視線を戻した。相変わらずNo’5の言葉は辛辣だなと内心思っていた。
「正直なところ、貴官と以前行動作戦を取ったといわれても、しっくりこない」
「それは、例のシステムの違いってやつですか」前方に視線を固定したままのNo21’に対し、No’5は無言で肯いてから言葉を継いだ。
「10番台以降のように行動をメモリーで登録するのと違って、私は起動のたびにデータで登録しているからな。データはあくまでも記録であって、記憶ではない」
そして、おもむろにその手を前方へとかかげた。
「下手をすると、この手も腐り出すかもしれない。まだ十分に修復がなっていないから、申し訳ないが、短期決戦となるな」
「かまいませんよ。早く終わるぶんには歓迎します。ところでM.カンパニーの内部事情と今回の件についてなんですが」
右手でハンドルを握りつつ、No’21は手元のファイルを引き寄せた。

act3.

「とりあえず、宿舎に向かいます。Mカンパニーへは一息ついてから行く、ということでいいですか?」
片手にハンドル、片手にファイルという、事故が起きても文句は言えないような体制で、No’21は同意を求めた。幸運にも危機は長くは続かず、前方の信号は停止になった。
赤茶けた大地を走る長い直線道路に、後続を含めて他の車影は見られない。それを良いことに、No’21は路肩に車を寄せ、しばしの信号無視を決め込んだ。
「それより、詳しいデータが欲しい。数式で頭に入ってはいるがいまいちしっくりこない」
平板なNo’5のしゃべり方の端々に苛立ちを感じ取って、あわててNo’21は手元のファイルを差し出した。しばらくそれにNo’5は目を通していたが、おもむろに口を開いた。
「概要は分かった。だが、しかし」
ファイルを閉じ、手渡しながら彼は言った。
「これだけのことで、われわれが動くというのも奇妙なものだな。少し考えれば常識的におかしいと分かりそうなものだが」
至極当然なNo’5の言葉に、No’21は無言で頷き同意を示してから言葉を付け加えた。
「そりゃ、そういうことを疑うってことは、それなりにやましいことをしてるって証拠じゃないですか?」
なるほど、とつぶやいてから、No’5は、再び車窓から殺風景な外の景色を見やった。
Mカンパニーはマルス有数の巨大企業であり、さまざまな日用品の類を生産すると同時に、流通を牛耳っている。マルスの住民にとっては巨大な雇用口であると同時に生活上の生命線でもある。
しかし、そのMカンパニーにもよからぬ噂がない訳ではない。惑星連合で採算を禁止している、恒星間兵器の生産という黒い噂がまことしとやかにながれていた。
表向きは惑星間の自治は認められていても、基本的に惑星連合下での連邦国家的な色合いが強い。そのため、その和を乱す行為として、恒星間兵器の生産は惑連によって厳しく規制され、禁止されている。
しかし、すべての星がその規定に従ったわけではない。先に起こったフォボスの動乱も、その一端である。宗主権を主張するマルスに対し、その衛星のフォボスの住民が反発したのである。
このように、戦乱の火種は場所が変われどくすぶりつつけている。いつの時代にも、肥太るのは、黒い商人たちなのである。
Mカンパニーの現在の会長は、相当のやり手として聞こえている。割り引いて考えてみても、彼がこの手の商売に乗り出したということは考え過ぎとは言い切れない。
その矢先に、Mカンパニーの一社員がスパイ容疑で本社に拘束されていると、ある通信社がすっぱ抜いたのである。正規の警察組織ならまだしも、仮にも一民間企業が社員とはいえどもそのような行為に出ることは尋常ではない。
前述の黒いうわさも含めて、調査が必要ということで表向きは惑連の人権組織のメンバーという肩書きで特務の『二名』はMカンパニーの調査に当たることとなったのである。
不意にNo’21は厳しい表情になり、サイドブレーキに手を伸ばした。何事か、とNo’5がたずねる前にNo’21は車を急発進させていた。
「見てください。…ホテルを出たときからずっと来てるんです。つい先刻まで姿が見えなかったんで。油断しました」
その言葉どおりバックミラーには不審な車の影が見える。おそらくは異変を感じたMカンパニーの職員だろうか。しかし、その念入りなことからただの職員ではないだろう。
想像が事実であるならば、それこそ洒落にならない。珍しくわずかに笑みを浮かべてNo’5はつぶやた。
「これは、非常事態だな」
「そりゃあそうでしょう。よほどのことがなければ『休暇中』の少佐殿にお呼びがかかる訳ないでしょうから」
「まったくだ」
しばらく会話が途切れ、No’21の運転で車はホテルへと向かう。やがて市街地に入り、前方にひときわ高い建物が見え始めた。
「あれが当面のアジトです」
「運営資本は?」
「独立系、となってますが、株式の38%はMカンパニーが保有してますね」
それから意味ありげな笑みを浮かべてNo’21は付け加えた。
「ま、ダミーを加えれば全体の60%以上を占めるようですが」
なるほど、と言ってからNo’5は腕を組み直した。そして思い出したように口を開いた。
「ところで、空港周辺の様子だが、マルスの緑化は確か二年前に終わっているはずだが」
「そう言えば…自分も変だとは思っていたんですが、それが何か?」
「少し、気になる。それだけだ」
「一応、記録事項ですね。…入ります」
『二人』の乗る車は、吸い込まれるように地下駐車場へと消えていった。

act4

マルス最大級のホテル、ということもあり、内部の調度品は見事なものだった。だがさすがにMカンパニー関連の資本である。一筋縄では行かない。
ロビーや廊下のそこかしこに『防犯』カメラが設置され、ベルボーイの中にも人相が悪いものが何人か混じっている。No’5は滞在する部屋の隅々に視線を巡らせた。ダミーを含めて数箇所に盗聴機らしきものが仕掛けられているのが理解できた。
文句の一つでも言いたいところか、と言葉には出さずに、No’5は改めて先刻No’21から受け取ったファイルに目を通した。
スパイの嫌疑をかけられて拘束されているのは生産管理部門勤務の女性。名はクレア=T=デニー、年は27歳となっている。勤務態度は真面目で、人望も申し分ない。その彼女が拘禁される原因となったのは、一枚の写真である。
たまたま研修先の工場で撮った記念写真の背景に、企業秘密に関わるものが写っていた、とのことである。彼女はディスクの提出を拒否したため、スパイとされたというのだがなぜこれだけのことで、と思うのは当然のことである。
「電卓からミサイルまで、売れれば造る」と言われているMカンパニーの疑惑を裏付ける『何か』が写っていたのかもしれない。すべては当事者に会ってからである。
そして、ふとNo’5は容疑をかけられている女性の写真に目を落とした。少々きつい印象を受けるが端正な顔立ちの女性が、こちらを見つめている。どこかであったことが有る、思い出そうとしたとき、ノックの音が部屋に響いた。
「ブラウン捜査官、そろそろ面会のために出発したいのですが、よろしいですか?」
扉の向こうからNo’21の声が聞こえた。おそらく彼も盗聴機の存在に気がついているのだろう。資料をまとめ、IDカードを確認してから、No’5否、アンドル=ブラウン捜査官は『敵地』へと出撃した。

「先ほどのあれ、本部に送っておきました。データは2,3日後に自分に直接くることになります」
わずかに車を離れた時間の細工の可能性を気にしてか、デイヴィット=ローことNo’21は妙に遠回しな言い方をした。それが空港周辺の緑化の後遅れをさすと理解しアンドル=ブラウンことNo’5は無言で頷いた。
「Mカンパニー本部までは、10分ほどです。で、例の社長の件ですが」
バックミラーで例の不審車が追ってきているのを確認してから、デイヴィットは意味ありげな表情でつぶやいた。
「食えないやつですよ。彼は」
「食えるようでは、ここまでの巨大企業にはできないだろう」
「確かにそうですが…」
No’5のいうとおり、Mカンパニーは現社長T.プライスが就任してから異常ともいえるほどの成長を果たしていた。このあたりも、黒いうわさのゆえんであった。

事前に約束をしていた為か、惑星連合の肩書きのおかげか、両者はほとんど待たされることなく若きMカンパニーの社長に会うことが出来た。
扉が開いて現れた40代半ばと見られる社長は、活気を漲らせた笑顔を浮かべてテラからの客人に歩み寄った。
「遠いところをわざわざご苦労様です。私がセオドア=プライスです」
「お忙しいところ、ご協力感謝します。惑連テラ本部恒星間捜査担当、アンドル=ブラウンです」
実在はするが、実際には異なる所属で、No'5は事務的に返答した。以前に面識がある No'21とは挨拶もそこそこに、プライス社長はおもむろに本題に入った。
「さて、予備調査後に上の方が来たところを見ると、まだ我が社の疑惑は晴れてはいない様ですねえ」
「まあ、普通社内調査でも拘禁まではやりすぎだと思うんですが」
何気ないNo'21の言葉に、若社長は過剰なまでに反応した。
「それは大袈裟ですよ。たまたま長時間の話し合いになったので、部屋を用意して泊まってもらっただけの事を、あの新聞社ときたら…」
「我々は公平に物事を理解したいのです」
両者のやり取りを、No'5の平板な声が遮った。
「被疑者にあわせていただけますね」
静かな圧力に、社長は首を縦に振らざるを得なかった。

act5

地下へと降りるエレベーターの中は、気まずい沈黙で包まれていた。その狭い空間にいるのは3人。Mカンパニー社長のT.プライスと、或連テラ本部より派遣された捜査官、アンドル=ブラウンとデイヴィット=ローである。
厳密に言えば、本当の意味での「人間」はT.プライスのみである。しかし、その狭い空間は奇妙な息苦しさで満たされていた。 20秒ほどでエレベーターは最下階に到達した。鈍い衝撃の後、目の前の扉が静かに左右に開いた。
非常灯のような明かりだけが点る殺風景な長い廊下を、高い靴音だけが響いている。突き当たりには、これまた殺風景な扉があった。社長が何やらパスワードを入力すると、それは何の抵抗もなく開いた。
そこは、予想に反して、部屋ではなかった。ガラスのようなものがはめ込まれており、その向こう側に、女性が浮かび上がって見えた。
「申し訳ないですが、彼女と話をさせていただけます?その…」
言いにくそうに言うデイヴィットの心中を察してか、社長はしぶしぶ席を外すことを了承した。
「分かりました。終わったらそちらのインターフォンで連絡してください。警備のものが案内に参りますので」
そう言い残すと、忙しいのでこれで失礼、と言い残し、社長は2人に背を向けた。
「…さて、始めますか」
面白がっているようなNo’21に対し、まったくの無表情でNo’5はガラス越しに女性に話し掛けた。
「ミス・デニー、こちらの声が聞こえますか?」
『或連の人ね。わざわざご苦労様』
女性はわずかに笑みを浮かべ、落ち着きなく指先を動かしながら返答した。その声は機械を通されたようであり、捜査の機密は守られそうにない。
『残念ながら私に聞いても何も進展しないわよ。新聞社の方当たってみたら?』
あまりにも突き放した言い方に、両者は思わず顔を見合わせた。気を取り直して、No’5は再び尋ねる。
「われわれが知りたいのは、ただ一つです。…貴方にかけられた疑惑は、真実ですか?」
少しの間の後、クレア=T=デニーは答えた。
『さあ…私はただ、待っているだけよ。待ち人がこなければ死ぬわけにもいかないし』
死、という言葉に、わずかにNo’5は眉をひそめた。それに気づいてかNo’21が言葉を継いだ。その間、No’5の視線は、クレアに固定されている。
「待ち人って、誰です?」
『私の、半身よ』
謎めいた言葉を、クレアは口にした。そしてこれがすべての始まりであり、謎を解く鍵であった。

「ところで、マルスの惑連本部へはもう行かれました?」
帰り際に、人のよさそうな警備員は二人の捜査官にたずねた。一方が否、と答えると、警備員はさも納得したように2.3度頷いた。
「ここはテラとは違いますんで、まあ、お気をつけて」
短く礼を言うと、二人は車に乗り込んだ。しばらくNo'21は珍しく黙って目を閉じていたが、やがていつになく晴れやかな笑顔をNo'5に向けた。
「大丈夫。盗聴も爆弾も、すべて麻痺させました。今ごろあちらさん、鼓膜破れているんじゃないですか?」
「…便利なものだな。私はまったく気がつかなかったが。君らがいないと私はもう何回破壊されたかしれないな」
「仕方がないですよ。でも、自分は少佐殿が羨ましいですよ。裏を返せば一番『人間』に近いってことでしょう?」
「『ヒト』に近い、と、『ヒト』であるとは、大きな違いだ。私は二度再びびヒトになることはできない」
気まずい沈黙が車内に流れた。車はそうこうするうちにMカンパニー本社を後にし都心のビルの谷間の中に出た。沈黙に耐えられない性分(プログラム)なのか No'21は話題を変え、話し始めた。
「ところで、マルス支部へはどうします?ここからすぐですが」
「いや、行くつもりはない。むしろ行かないほうがいいだろう。恒星間通信社の支部へ回してくれ」
一旦No'21は了承しかけたが、突然急ブレーキを踏んだ。
「…危ないな…」
「っでも!どういうことです?!惑連マルス支部へ行かないほうがいいってのは?」
「彼女が言っていた。我々との応答の間に。気がつかなかったのか?」
「…あ!」
そう言えば、クレアは常に手を動かしていた。おそらくその間、両者を隔てるガラスに何かを『書いて』いたのだろう。それにNo'5は気がついていたのである。
「お見それしました、少佐殿。そう言えば彼女の事なんですが」
「サーチしたのか?」
「ええ。…かなりの拷問を受けていますよ、あれは」
そして、これはあくまでもサーモグラフィによるサーチですが、とNo'21は付け加えた。
「でも、誰かに似ているんですよ。顔とかではなくて雰囲気が」
「やはりそう思ったか」
「それに…半身って何でしょうか」
「まあ、彼女の助言に従ってみよう。恒星間通信社の支部へ」
「了解しました」
かくして両者は事件の発信元へと向かったのである。

act6

その小さなオフィスは、ひっきりなしに人が出入りし、健全な活気に溢れていた。お世辞にも立派とは言い難いビルの中に、その恒星間通信社マルス支部はあった。
「遠くからようこそ。少々散らかってますが、ま、適当に座ってください」
受話器を片手に、資料やディスクの谷間からひょっこり顔を出した、マルス支部長カスパー=クレオは人の良い笑顔を浮かべつつ、テラからの客人を迎えた。果たして指し示されたソファーも支部長の机と大差無い状況であったため、客人たちは思わず顔を見合わせていた。
受話器を置くと同時にけたたましく電話が鳴り支部長は再び客人そっちのけで何やら早口で話し始めた。慌ただしい場所ではあったが、先ほど尋ねたMカンパニーよりもはるかに人間的な環境ではないか、と客人は等しく内心思った。
「いやあ、失礼失礼。なにぶん人手が足りないもので…と、お掛けに…」
とりあえず受話器を置き、支部長は始めてそこに有るものがかつてソファーであった「物置」であることに気がついたのだった。

「申し訳ない。細かいことを気にするなと言うのが、ウチのモットーなんで」
小ぢんまりとした喫茶店の中に、支部長の豪快な笑い声が響いた。その場にいる客達も慣れたもので、こちらを気にしている様子はまったく無い。テーブルの上には、コーヒーが3つ。うち手がつけられているのは1つだけである。
「で、いったいどんな用件で?」
本題に入ったところで、初めてアンドル=ブラウンは無言でIDカード(無論作戦用)を示した。
「なるほど、その件ですか」
飲み込み早く、支部長の顔から笑みが消え、『報道者』としての厳しい表情が現れた。
「あれは、うちでなければ書けないものですから」
マルスの有力企業にはあらかたMカンパニー資本が入っているからと言う支部長に対し、テラからの客人はもっともだと言うようにうなずいた。
「正直、こちらも貴社の報道で始めて知った次第です。恥ずかしながら」
組んだ足を崩しながら、デイヴィット=ローが言った。意味ありげな笑みを浮かべながら、支部長はコーヒーを口に運ぶ。
「当然ですよ。惑連マルス支部は、特定の個人企業に対しては、ザルも同然なんですから」
思いもかけない支部長の言葉に客人達は絶句するほか無かった。
「天下りってヤツですよ。いずれも数年の短期間だが、おかげで惑連関係の入札はほぼ93パーセントMカンパニー資本がとってますよ」
すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干して、クレオ支部長は吐き捨てるように言い放った。その様子を、デイヴィット=ローはカップ片手に興味深げに眺めている。
「おまけにMカンパニーは主な報道をすべてカネで押さえやがった。寄らばなんとやらでマルスの世論はMカンパニーの手の内ですよ。困ったことに」
「心中、お察しします。しかしなぜ、あの件を捕まれたのです?」
無機質ともいえるアンドル=ブラウンの落ち着いた声は高ぶっていたクレオ支部長をわずかに引き戻したようだった。頭を冷やすようにお絞りで顔をぬぐってから、支部長はゆっくりと話し始めた。
「いや…つかんだというのは正確ではないですが…。私は彼女の知り合いだから救いたいだけです」
そして、ふと思い出したように支部長は周囲を見回してから突然語調を変えた。
「お二方、宇宙軍情報部の特務というのをご存知ですか?」
思いもかけない展開に一瞬デイヴィットの表情が強張った。意図的か『システム』の違いか隣に座るアンドルには何ら変化は見られない。別段どうということもなく、彼は答えた。
「特に危険な任務に就く特殊な部隊のことですが、それが何か?」
「いや…その、彼女はその特務と関わりがあるんですよ」
「…は?」
あまりにも間の抜けたデイヴィットの声が喫茶店の中に響いた。慌てて口をつぐんでからデイヴィットは少し小さくなり、恐る恐る隣の人物に目をやった。アンドルはわずかに首をかしげ、改めて支部長に向き直った。
「彼女は待ち人がいる、と言いましたが、関連でも?」
「待ち人、と言いましたか、あの子は…」
「正確には『ヒト』ではないでしょうが」
アンドルの言葉に支部長は煙草に火をつける手を止めた。まったく感情の動きを感じられない双眸が、支部長を見つめている。一つため息を吐いて、支部長は呟くように言った。
「Mカンパニーは今回の件で特務が出てくるのを待っていたんですよ。ある技術開発のためにね」
「つまり彼女ははめられた、と?」
身を乗り出さんばかりのデイヴィットに、支部長は嬉しそうにうなずいた。さらにデイヴィットは支部長に詰め寄る。
「じゃあ待ち人がこなかったら?彼女はどうなるんです!?」
「用済み、ですか」冷たい氷のようなアンドルの声がその場に投げかけられた。先刻から微動だにせず彼は両者のやり取りを同じ姿勢を保ったまま眺めていたようだ。
「そう…ですね。残念ながらこのままでは」
落ち込んだような支部長に、アンドルはいつになく強い語調で行った。
「彼女を殺させはしない。…我々が」
その言葉に、支部長は目の前の客人をまじまじと見つめていた。

act7

Mカンパニー及び恒星間通信社への直接訪問から、捜査はしばらく行き詰まった。再度調査を依頼しても、さまざまな理由をつけられて許可されることはなかった。加えてMカンパニーは、マルス惑連を通してくれなければ困る、と言い出したのである。
「やはり、やましい所があるんでしょうねえ。何もないなら会せてくれても良さそうなものなのに」
行儀悪くテーブルの上に足を投げ出してNo’21はぼやいている。それを聞いているのか定かではないが、No’5はいつもの無表情で、何やら左手を気にしていた。
「どうしました?やばいですか、そろそろ」
それに気付き、No’21は慌てて座り直した。少し見ただけでは分からないが、 No'5の左手には人造皮膚の手袋がはめられている。しばらくNo'5は手を開いたり閉じたりしていたが、どうもしっくり来ないようだった。
「一度テラに戻ります?」
そう言ってしまってからNo'21は周囲を見回した。ロビーは幸い混雑しており、彼等を気にするものはいそうもなかった。No'21の問いには答えず、No'5はゆっくりと立ち上がった。
「少し出てくる」
「お一人で、ですか?」
軽くうなずくと、No'5は何か言いたげなNo'21を尻目に、足早にロビーを抜け、ホテルを後にした。一瞬No'21は止めようかとも思ったが、自分よりはるかに実戦を経験しているのだから、と思い直し、再び行儀悪くテーブルに足を投げ出した。

街のショーウィンドゥには、どこも似通った服が並んでいる。それを覗き込む人々も、ちょっとやそっとでは区別がつかないほど画一化されている。これがMカンパニーの行った『情報管理』の結果である。作られた流行に乗る人々の活気は No'5の目には空虚であった。
「やあ、先日はどうも」
背後から突然声をかけられて、No'5はゆっくりと振り向いた。いつのまにかそこには恒星間通信社の支部長、カスパー=クレオの姿があった。
「こちらこそ。お忙しい所を失礼しました」
「いえいえ…ついでですので、少しどうです?」
裏表のない支部長の笑みに逆らえず、No'5はその誘いに乗ることになった。賑やかな表通りを一歩入ったところにある、落ち着いた店に、支部長は知り合ったばかりの惑連捜査官を案内した。そして席につくなり、こういったところは、Mカンパニーの資本が入っていないから、と言い、例のように笑った。
「残念ながら、お話できるほど進展してはいません。申し訳ないのですが」
そんな支部長の本心を見透かすように、アンドル=ブラウン氏は何気なく切り出した。決まり悪そうに咳払いを一つした支部長だったが、ふと意外そうな表情を見せた。
「…何か?」
「いや、あなたの様な穏やかそうな人でも、前線経験があるのかと…あ、気に障ったら申し訳ない」
その言葉の根拠が、左手の人造皮膚であることを理解し、さも自然だ、と言わんばかりにアンドルはその手を目前へとかざした。
「前回がフォボスだったので。ああいった状況のほうが、むしろ調査対象は多いものです。それにしても、よく気がつかれましたね」
珍しく饒舌なアンドルに、少々驚きつつ、支部長は煙草を出しながら答えた。
「以前従軍記者のようなことをしていたものでね。あんなのしょっちゅう見てましたよ」
差し出された煙草を固辞しながら、アンドルは更に何気ない口調で尋ねた。
「失礼ですが、動乱好きで?」
「いや、本当のことを知りたいだけです。知った以上は埋もれさせるわけに行かないでしょう」
「それで惑連の機密にも通じておられるわけですか?」
一瞬、支部長の動きが止まった。御冗談を、と笑おうにも、目の前の捜査官の目には、ユーモアのかけらすら見当たらない。咳払いをしてから、支部長は乱暴に煙草を消した。
「最早、特務は公然の秘密ですよ。尾鰭がついて、そのメンバーは一人で数千人分の兵力になるなんて、本気で考えている人もいるくらいで」
「それがプライス社長ですか?」
支部長は肯定も否定もしなかった。そしてふと思い出したように付け加えた。
「数年前、マルス惑連から出向と言う形でMカンパニーに、テルミン博士と言うのが来たようですが」
アンドルの表情が、ごくわずかに変化した。それを確認してから、支部長は憎らしげに続けた。
「彼が、クレアの存在を思い出さなければ、こんな事態にはならなかったのに…」
「どういうことですか」
支部長が答えようとしたとき、けたたましいサイレンの音が、表通りから響いてきた。その台数は尋常ではない。異常を感じて、両者は立ち上がった。
「何だ?火事にしては派手だな」
「煙は見えますが…あれは火事ではないですね…爆破か?」
アンドルの冷静な声に、支部長は窓からその方向を見やった。そして、蒼白になった。
「…支部が…やられた…!」

act8

ビルの周辺にはすでに野次馬が集まり、もうもうと煙を上げ続けるビルを、彼らは遠巻きにして眺めている。いや、それはもうビルではなく、瓦礫の山といった状態であった。
その瓦礫の山の中から、次々と怪我人や遺体が運び出されている。煙と塵と、血のにおいが交じり合った、市街戦独特の臭気があたりには漂っている。
「…どうでしたか?」
黒山の人だかりを向けてきたカスパー=クレオ支部長に、アンドル=ブラウンはいつもの落ち着いた声で尋ねた。
「かなりみんな出払ってたのと、上の階だったのが幸いしたよ。重傷者は出たが命に別状はない」
言葉とは裏腹に、支部長からは静かな怒りが滲み出ていた。それを察してか、アンドルは静かに言った。
「…対戦艦用破壊弾ですね。空気中だったのであの程度ですみましたが」
通常、宇宙船内は空気中より酸素濃度は高くされている.そのため、戦艦用の爆弾の類は空気中ではそれほど破壊力はない。再び破壊されたビルを見やって、支部長は絞り出すようにつぶやいた。
「…Mカンパニーか…警告というわけだな」
「いえ、惑連でしょう。おそらく」
断定するアンドルの声は冷たく、突き放す様でもあった。支部長が何やら言い返そうとした時甲高い電子音が響いた。失礼、といいながら、アンドルは携帯電話を取り出した。
「私だ」
『少佐殿?今、恒星間通信社が…』
上ずったNo’21の声が受話器から聞こえてくる。それに対しNo'5は落ち着き払って答えた。
「今、現場にいる」
『支部長はどちらに?!』
「一緒だ」
電話の向こうからほっとしたような吐息が聞こえてきた。話が見えない支部長は冷静過ぎる捜査官をいぶかしげにみつめている。
『今そちらへ向かっています。…あちらさんついにキレました。あそこも限界です』
「わかった」
彼が何を言わんとしているのかを理解して、No'5は電話を切った。携帯をしまうと、No'5 は静かな口調で支部長に伝えた。
「マルス惑連のねらいは貴方であるようです。われわれには貴方も守る義務がある。ご同行願えますか?」
「しかし…!貴方も惑連の人でしょう?それがなぜ…」
声を荒げる支部長をNo'5は手で制した。その手をそのまま目にやり、何やら外す仕種をする。再び差し出された手の上には、コンタクトレンズが乗っていた。
「…貴方は」
改めて目の前の『人物』を見て、支部長は絶句した。人ではありえない、ガラスのように対象を射抜く双眸がそこにあった。

これ以後、恒星間通信社支部長と、二人の惑連捜査官は、ぱったりと姿を消した。

Act9

Mカンパニー本社ビル最上階、1フロアをすべてとった社長室で、Mカンパニー社長 T.プライスは、不機嫌そうに報告を聞いている。陰湿な秘書の声に、社長はいらただしげに反応した。
「…エル=ロッホ支部、4.7パーセントの業績低下です。対フォボス輸出の低下が大きな…」
「経営努力不足だ。本社から調査員を派遣して、てこ入れを図る」「分かりました。次にダイモスの支店ですが」
乾いた秘書の声を、インターフォンの呼び出し音が遮った。受話器を取らずに音を止めると、社長は手を振って秘書を下がらせた。一礼して退出する秘書と入れ違いに、初老の気難しげな男性が、大股で入ってきた。
「これはテルミン博士、お元気そうで何よりです」
その姿を認めて、社長は立ち上がり、嫌味と皮肉をたっぷり込めて言った。こちらも不機嫌さを隠そうともせず、テルミン博士は怒鳴るように言い返した。
「元気なものか!全く君の部下も惑連も無能なくせに大口をたたいて困る」
そしてどのみち捜査官二人も,恒星間通信社の支部長も見つかっていないんだろう、と吐き捨てた。
「時間の問題です。どの道マルスは私の手の内ですから。それより彼女はどうしました?一応『有能』な我が社の社員なんでね。あまり長引くと出張費も馬鹿になりませんよ」
嫌味と皮肉に加え、悪意をも込めて、プライス社長は目の前の『かつての惑連技術部のホープ』に言い放った。しかし博士には、まったく堪えた様子はない。かえって自分の研究に触れられたものと勘違いしたらしい。一転して饒舌に話し始めた。
「結果は順調だった。20年以上経っても機能自体は落ちていない。これで後は、テラに残してきた片割れを調べられれば完璧なのだがね」
そう語るテルミン博士の瞳には、狂気の光が見えた。いかに天才の誉れが高く、自らの『事業』に有益な人物であったとしても、手を組んだのは誤りだったのでは…と、一瞬若社長の心中に弱気の虫が頭をもたげた。
特務を形成するDollの主要開発メンバーでありながら、惑連本部から追われたニコライ=テルミン博士は、プライス社長にとって、渡りに船の存在だった。『黒い商売』で飛躍的に成長したMカンパニーにとって、新たな『商品』の開発は必要不可欠であった。
同様にテラ本部というバックボーンを失ったテルミン博士にとって、Mカンパニーのように『カネと設備』はなくてはならない存在であった。
このような両者の思惑が合致して、手は組まれたわけであったが、ここの所恒星間通信社及び惑連捜査官の来訪など、邪魔が入り始めている。時間がない、と社長が焦っていたのも事実であった。
そして、ことを終えた後は一刻も早く、この狂気の博士と手を切りたかった。さらに嫌味の一つでも言ってやろうと若社長が口を開きかけたとき、緊急通信用のモニターに青ざめた顔のオペレーターの顔が映し出された。
「社長…マルス惑連が、占拠されました…!」

act10

話は数時間前にさかのぼる。
マルス惑連事務長が、身支度を終え、今にも帰宅しようとしたまさにその時、蒼白になった一人の警備員が駆け込んできた。何より定時帰宅を邪魔されるのを嫌う事務長は、IDと鞄を手にしたまま、いらただしげに言った。
「何事だ?騒々しい!!」
「事務長…たった今…」
そこまで言ったとき、警備員の瞳は突然焦点を失い、彼自身も音を立てて倒れた。その後ろから、長髪の軍人が姿をあらわした。
事務長が軍人と理解したのは、その服装からである。見慣れた宇宙軍の軍服を彼は着ているのだが、どこか違和感があった。
「わざわざ案内ご苦労さん。事務長さんが帰る前で良かった」
そう言って男が笑ったとき、肩のあたりにある所属を示すエンブレムが目に入った。通常の宇宙軍のそれとは異なる、ガラスの目を持つ鋼鉄の鷹のそれを見たのは、事務長は始めてであった。だがそれが何を意味するのか、彼はすぐ理解することができた。
「ど…Doll…!」
「そゆこと。たった今より惑連規定特例の二条にしたがってもらう」
特例の二条、すなわち非常事態における特務による直接指揮への移行である。半ば失神しかけながら何かを探す事務長に、No’21はブラスターの銃口を向けた。
「宣言が為された以上、何かしたら反逆行為とみなされるけど、良いんですか?」
その言葉に、事務長はがっくりと肩を落とした。

巨大スクリーンや大型コンピュータが並ぶ、さながら要塞司令室のような中央管制室に No'5はいた。
彼のほかに動くものは、そこには何も無い。勤務していた職員たちは、等しく本人たちが予期せぬ眠りに就いている。
奥の扉が開いて、No'21が姿を現した。
「事務長は押さえました。残りも皆こんな状態です」
等しく倒れ伏す人々の群れを見ながら報告するNo'21に、無言で頷いて応じると、No'5 は、再び端末の一つに向かった。
「支部長殿は表で待機中ですが、入ってもらいますか?」
「そうだな。その方が安全だ」
その言葉とほぼ同時に、No'5の打ち込んだパスワードがヒットした。画面上に次々と図形が展開される。その中に、探すものを発見したNo'5は、ゆっくり立ち上がった。
「被疑者を発見した。保護に向かう」
「それなら自分が…」
それを制止し、まだ内部に制圧されていないものがいるかどうかのトレースを指示すると、 No'5は管制室を後にした。
Act11 
四方を壁と扉で囲まれた狭い部屋に、もうどれ程長い事拘留されているのか、馬鹿らしくて思い出す気にもなれない。数日に一回、検査と称して連れ出される以外この部屋から出る事もなかった。ただ一度を除いて。
壁にもたれながら、クレアは珍しくため息を吐いた。彼女の腕には、「検査」で刻まれた無数の傷がある。No'21が以前サーチした物である。
しかし、それらの傷はその深さに反比例するようなスピードで治癒しつつあった。そしてその事実を何より気味悪く感じていたのも彼女自身である。
ただ一人、そんな彼女を歓喜の目で見つめる者がいた。「博士」と呼ばれる人物の、狂気に満ちた視線を、クレアは以前にも見たような気がした。けれども、それが何時の事だったのか、どうしても思い出す事が出来ないでいた。
この間、分厚いガラスを通して会った惑連の捜査官、そしてクレオ支部長は無事だろうか、ふと思いを巡らしたとき、クレアは直感的に感じた。『おかしい』と。
厚い扉の向こうから、慌ただしさが伝わってくるのが分かった。それとほぼ時同じくして、通常決められた時間外には開かないはずの扉が、ゆっくりと開いた。驚くクレアの目の前に現れたのは、青ざめたMPであった。
しばらく空ろな目で彼は呆然と立ち尽くしていたが、背後からの靴音にふと我に返った。おもむろに彼はクレアに歩み寄ると、その背後に回り、扉の方に銃口を向けて、叫んだ。
「く、来るな!!き...来たら打つぞ!!」
一オクターブ高い声に応じるように、もう一つの人影が現れた。MPの物と良く似た、しかし微妙に異なる宇宙軍の軍服を来ている事は理解できたが、逆光で顔は見えない。言葉が出ずに唖然とするクレアに対し、MPは震える手で銃を握り締めた。
「や、やめろ!来るな、化け物!!」
そのままMPは引き金を引いた。幾筋もの光が交錯するが、ねらいが定まらない。それを理解しているのか、まったく動じる様子もなく、人影はゆっくりと近づいてくる。光の加減で、生気のないガラスの瞳が鈍く光る。クレアはその顔に見覚えがあった。
「うああああああ!!!」
絶叫と同時に、MPは至近距離なのにも関わらず銃を乱射しつづけた。一条の光が、目前の進入者の左手を貫いた。鈍い音と同時に、進入者の左手が後方にちぎれて飛んだ。金属質の血の匂いではなく、なんとも言えない腐臭が、周囲に漂う。
しかし表情一つ変えずに、『彼』はMPの前に立ち右手のブラスターをMPの眉間に当て、トリガーを引いた。クレアが目を閉じ、耳をふさぐ前に、カチリ、という乾いた音が響いた。
「あいにく,生殺与奪の権限は与えられていない」その言葉が終わらぬうちに、MPは失神していた。
 ACT12
待っていたとはいえ、『Doll』の現物を見るのは、クレア自身初めてだった。初めて会った『待ち人』は、冷酷ともいえる冷静さでMPが完全に気を失っているのを確認すると、わずかにクレアに向けて会釈した。とっさのことに何も言えず呆然とするクレアではあったが、水が滴るような音でふと我に返った。
観ると、彼女の恩人の腕から流れ落ちるどす黒い血が、床に半ば池を造りつつあった。慌ててクレアは何か止血するものを探そうとしたが、彼はそれを無言で制すと、先程から小さく鳴り続けている通信機に小声で応答した。
「私だ。これより帰還する。止血用の冷却スプレーを用意してくれ」
『え...じゃあさっきの銃声は!』
「被疑者に別状はない。以上だ」
一方的に通信をきると、彼は無言でクレアに対しついてくるように促して、暗い廊下へと出ていった。慌てて彼女はそれを追った。
しばらくの間、両者は沈黙のまま歩いていたが、彼らの後に残る血痕を気にして、クレアは申し訳なさそうに尋ねた。
「あの...大丈夫なんですか?」
そして、足早に歩み寄ると、ようやく見つけ出した大判のハンカチで傷口を覆った。曰く、むき出しにされていると、自分の精神衛生上よくない、と。
「元々、時間が足りずに定着しきらなかった古傷です。限界なので仕方がありません」
わずかに苦笑いを浮かべて答えるNo'5の口調は、先ほどまでの冷酷なものではなく、クレアが知っている「惑連捜査官」の物だった。その穏やかな口調で、彼はとんでもない事をさらりと言った。
「私自身『生きた死体』ですから。いつああなるとも知れません」
あまりにもあっさりとしていたので、クレアは一瞬何を言っているのか分からなかった。しかし、それがどういう事を示しているのか理解して、クレアは返答に詰まった。無理もない。『アンデッド』など小説や映画の中の物であり、現実の物ではない。
「もっとも『死体』は私だけですが...我々を待っておられたのですでにご存知かと思いましたが。...恐いですか?」
首を激しく横に振ってクレアは否定の意を示すと、努めて平静な口調で言った。
「その...支部長さんが『特務』は正しい人をかならず助けてくれる、と聞いていたので ...ロボットとかサイボーグとかそういうたぐいの物かと...すみません」
あまりにも正直なクレアの言葉に、No'5はめずらしく笑顔を見せてから、「ロボット」と言う言葉を自分以外の『特務』の前では口にしないように、と付け加えた。
「しかし、われわれの存在は、惑連でもかなり上層でなければ知らないはずですが。支部長殿はお詳しいようですね」
「何でも、私に関係あるとか......そう言えば支部長さんは?!」
そうクレアが叫んだとき、ウワサをすればなんとやらで、聞き覚えのある声と同時に懐かしい顔が現れた。
「クレア、無事か?!」
「支部長さん?どうしてここに?!」驚くクレアに対し、支部長はにやにや笑いながらNo'5を見やった。
「Mカンパニーが動き始めたので、同行して頂きました」
「そういうわけだ。それより少佐さん、ひどいじゃないか。早くこっちへ」
支部長はその場の主よろしく、帰還者たちを迎え入れた。
カスパー=クレオ支部長の戦場仕込みの荒っぽい応急処置を受けながら、No'5は端末を前に苦労しているNo'21に適切な指示を出していた。やがてそれが終わるころには、マルス惑連の建物はわずか2名の特務の制圧下に完全に置かれることとなった。
「システム的には98.3%、こちらの支配下に入りました。あと、トラップの可能性がありますが、問題はないでしょう」
そう言って振り返り、いたずらっぽく笑うNo'21の姿は、『ヒト』そのものだった。鈍く光る瞳を除いて。まだ慣れずにわずかにあとずさるクレアに手を振ってから、 No'21はNo'5と支部長に話を振った。
「でもそれより少佐殿、平気なんですか?」
「中枢は無事だ。何ら問題はない」
軽く支部長に頭を下げ謝意を表してから、No'5は鋭い視線を投げかけた。わずかの間にその場の空気に緊張が走る。それに対応するように中央のコンソールテーブルから、けたたましい音が鳴り響いた。すぐにNo'21は手元の端末で対応する。
「支配外の裏回線です。...どこからの通信かはまだ判断できませんが、逆探知しますか」
「回線はまだ開くな。それで可能か?」
「直通回線ですから何とか」その場にいるだけでまったくのお荷物になってしまった支部長とクレアは、『二人』のやり取りをも、それから互いに顔を見合わせて苦笑いするしかできなかった。
act13 
「...応答せよ!こちらMカンパニー、惑連、応答せよ!!」Mカンパニー地下、セキュリティ室では、先刻から緊迫した雰囲気の中、惑連との直接通信を試みようとしている。しかし、何度試してみてもむなしく呼び出しのランプがともるだけだった。
「先刻からこんな調子です。非常のランプが一度点いたんですが」
「そのアラームは、いつついたんだ?」
「...17時...前後かと」
「なぜ早く知らせない?!」
プライス社長の怒声に、オペレーターは小さくなった。無理もない。社長が根連絡を受けたのは、事態が起きてから3時間はたっていたのだから。
「まったく。どいつもこいつも」
そこまで言いかけてから、社長は言葉を飲み込んだ。背後からのテルミン博士の陰湿な歓喜の視線を感じたからだ。一つ深呼吸をして平静を繕ってから、社長は振り返った。一応年長者を立てて、意見を乞うた。
「いかが思われます?以前中央にいた人間としての見解は?」
「2条の発動だな。予想以上のよい展開だ」
低く笑うテルミン博士に対して、社長はいまいましげに、かつ本人には聞かれないように低く舌打ちをした。元々気に食わない奴だ、と思ってはいたが、これほどまでに憎らしく思えたのはこの時が始めてだった。その上、目前の「墜ちたエリート」は、若社長の反応を一々楽しんでいるようにも感じられた。
「2条の発動?我々にも理解できるように説明していただけますか?」
しかし、この場は博士に頼らないわけにはいかない。苦虫をかみつぶしたような顔で尋ねるプライス社長に対し、テルミン博士はさらに憎悪を掻き立てるように、得意そうに笑ってみせた。
「惑連法の裏、といわれる特例の2条だ。職員でも一部のものにしか正確な内容は知らされてはいない」
「...つまりはどういう事です?」
事態は一刻を争う。それなのに前置を語る時間があるのか。口には出さないまでも、社長の言葉の端々にそれを感じ取ったのか、ようやく博士は、彼のスポンサーをからかうのを止めた。
「特務が出てきたということだ。恐らく今ごろ、あの建物で一騒動...いや、終わったころか」
社長にとって不吉極まりない予言が成就するまで、さほど時間はかからなかった。それまで沈黙を保っていた回線が、突然開いたのである。
「社長、つながりました!!」
オペレーターを押しのけるようにしてマイクの前に陣取ったプライス社長は、すぐさま通信をONにした。しかし、相手側が映し出されるはずの前方のスクリーンは砂嵐のままである。ヘッドホンからは抑揚の無い声が、録音を再生するかのように淡々と事実を繰り返し告げていた。
『繰り返す。こちらマルス惑連。本日一七〇〇をもち、特例2条の発動に伴い、通常の職務を停止する...』
先刻聞いたばかりの単語に、プライス社長は悪寒を感じた。だが、確かめなければならない。
「待て!貴官の所属と姓名は?テロによる制圧ありと、テラに通報する!!」
一瞬、カセットテープのような声が途切れた。双方に緊迫した空気が流れる。ややあって、それまでの声が無感動に告げた。
『現在、マルス惑連は、シリアルID012・00・005が総指揮を執っている。以上』
そして通信は一方的に切れた。社長が命令するよりも早く、一人のオペレーターが IDをデータベースに照合する。そして程なく結果がはじき出された。ほとんどの情報がunknowとされている中、その所属だけが不気味な存在感を放っていた。
「う...宇宙軍...特務...」
血の気を失っていく社長の耳に、テルミン博士の冷静な声が飛び込んできた。
「No'5か。相変わらず見事のものだ」そしてこの時始めて、プライス社長は自分の行ったことの重大さに気がついたのである。
「...どうします?もう一度つなぎますか?」
「いや、そのまま待機。向こうからつないでくるまで動かすな」
オペレーターの問いに、社長はようやくそう答えると、力なく頭を揺らした。
act14
文字どおり顔色一つ変えず、No'5は通信を切った。その隣でNo'21が少々小さくなっている。そして直通回線にロックをかけ始めたNo'5に、No'21は頭を下げた。
「申し訳ありません」
「つながってしまった以上、仕方がない。重要なのは与えられた条件下でどう動くかだ」
そう言いながら、No'5は右腕一本でプログラムを変えていく。それにもかかわらず、No'21の今までの操作に比べると、格段に早かった。カスパー=クレオ支部長はしばらくその手際を見つめていたが、やがて感嘆の吐息を吐いた。
「いや、お見事...、しかし、わざわざ貴方がたが来ているのを知らせてやる必要はなかったのでは?」
「警告の代わりです。我々が出ていると知れば、下手には動かないでしょう。正常ならば」
この分ではおそらく重要機密もMカンパニーに筒抜けだろうから、と付け加えて、No'5は手近な椅子を引き寄せ、倒れ込むように腰を下ろした。口ではいつもの無表情を保ってはいるが、先ほどの破損がかなり影響しているらしい。
不安げな視線を投げかける外野をよそに、No'5はすぐさますべての惑連施設に対し、マルス惑連における2条の発動を伝達するよう、指示を出した。沈黙の中に、キーボードをたたく音だけが響く。ふと、深い思考に沈みかけたNo'5の視界に、心配そうに見つめるクレアの姿が入ってきた。
「...ごめんなさい...私のせいで...」
「謝らなければならないのはこちらです。もっと早くにお助けできれば良かったのですが」
逆に頭を下げられて、慌ててクレアは首を横に振る。そのクレアに、No'5は何か引っかかるものを感じていた。しかし、今は彼女を安心させるほうが先である。
「我々は本来このような事件ではなく、もっと血生臭い状況下に投入される『モノ』です。 ...貴方の方こそ、傷はもう大丈夫なのですか?」
思いがけないNo'5の問いに、クレアは言葉に詰まった。しばらくの間彼女は迷っていたようだったが、決心がついたのか、No'5に歩み寄った。
「ええ...これを観ていただけますか?」
そういうと、クレアは左のブラウスの袖を、肘の辺りまで捲り上げた。その皮膚には無数の傷が刻み込まれている。だが、それらの様子は明らかに普通とは違っていた。
「こんな調子じゃ、被害の物的証拠にはなりませんね。...でも、何故か分からないんです」
クレアの言葉どおり、傷は刻一刻とまさに「目に見えて」治っていく。目の前の信じがたい状況に、No'5はわずかに眉をひそめた。このような治癒は『ヒト』にはありえない。ありえるとしたら...。 そこまで考えが及んだとき、No'21の声がNO'5を現実へと引き戻した。
「少佐殿、テラの本部からです。宇宙港周辺の異常について、統一見解が出たそうです」
つないでくれ、との言葉に応じて、中央のメインスクリーンに映像が映し出される。
『特務少佐殿、お忙しいところ申し訳ありません。お尋ねの件についてなのですが...』
報告を始めた、やや硬い表情の、冷たい雰囲気を持つ端整な顔立ちの女性の姿に、その場の者は等しく息を呑んだ。
『どうされました?』
異変を感じ、彼女は報告を中断し、同じく絶句した。『ヒト』と『Doll』。異なるとはいえ瓜二つの顔を持つ両者が、スクリーンを通して初めて対峙したのである。
「...なるほど、そういうわけか」
No'5の脳裏で何かがつながった。そして再び呆然とする両者を見比べてから彼はいつもの抑揚のない声で言った。
「No'14、統一見解とやらを聞こう。すべてはそれからだ」
その声で現実に引き戻されたように、No'14はスクリーンの向こうで慌てて一礼した。そして先ほどと変わらない落ち着いた声で続けた。
『失礼いたしました。まず、現場周辺の衛星写真をご覧ください』
その言葉に応じるように、大スクリーンが二分割され、その片側に奇妙な物が映し出された。拡大します、とのNo'14の言葉にNo'5がうなずくと、その部分が大写しされる。するとその異常さが明らかになった。
宇宙港を起点として、首都に向かう幹線道路を取り巻くようにきれいな長方形の形にぽっかりと緑が抜け落ちているのだ。みなが怪訝そうに見つめる中、クレアだけが何かを思い出したようだった。
「これは...、Mカンパニーの工場団地予定地じゃないですか?」
「ミス・デニー、ご存知なのですか?」
No'5の問いにうなずいてから、しかし資金面で目処が立たず、何年も放置されたままのはずだ、と付け加えた。画面の向こうで、No'14がその言葉を引き継いだ。
『用地買収後、整地を行った形跡はありますが、着工の形跡はありません。Mカンパニーの内部資料では、計画自体が白紙撤回された後は人の手は入っていないようです』
「じゃあ、ほったらかしのままでこんなにきれいなんですか?雑草一つ生えずに?」
「草刈りもしてないんでしょう?何かばらまかなきゃ、こんなはずは...」
思わず顔を見合わせるNo'21とカスパー支部長をよそに、No'5はポツリとつぶやいた。
「そう言えば、数年前、小規模群発地震の記録があったな...」
「でも、特に被害はなかったと思いますが、それが何か?」
怪訝そうに答えるクレアに僅かに視線を向けてから、No'5はほかに何か注目すべき点はないかテラにむけてたずねた。スクリーン上でNo'14は僅かにうなずいた。
『これは予定地周辺で撮影された物です』
赤茶けた大地に変わって映し出されたのは、常識では考えられない物だった。奇形ともいえるトカゲや蛙が、多数這っている写真だった。言葉を失うマルスの面々とは対照的に、事務的なNo'14の言葉がよどみなく流れた。
『いずれも人為的な手が加わった結果です。何らかの科学物質による汚染の影響と考えられます。何かまでは断定できませんが』
「調査を行う『口実』としては十分、というわけか」
どこか突き放したようなNo'5の言葉を、No'14は肯定も否定もしなかった。問いには答えずに帰還後何か必要な物はないか、との言葉が戻ってきた。
「さし当たって左腕一本...それと我々の生みの親のデータを至急送ってくれ」
『分かりました』
一礼すると、スクリーンは再び灰色になった。しばらくNo'5それを見つめていたがやがて低くつぶやいた。
「どうやらわれわれは茶番に利用されていたらしいな」
act15
思いがけないNo.5の言葉に、一同の視線はそちらに集中した。足を組み直しながらスクリーンを凝視しつづけるNo.5に、No.21はおそるおそるといったように尋ねた。
「茶番って...どういう事です?」
「惑連はMカンパニーに以前から目はつけていた。しかし証拠に欠け、手出しできなかった」
一度言葉を切ると、No.5は改めて各々の顔を見回した。だが、ただ一人、カスパー支部長だけがばつが悪そうに、その視線から目をそらした。納得したように一つ肯くと、No.5は言葉をついだ。
「内部事情に絡んだ事件の捜査を口実に、惑連はわれわれを派遣した。...何らかの危険を伴うと上が判断しなければこのような事はありえない。だとすれば、」
「別件捜査の可能性、ですか?」
No.21の言葉を、No.5は肯定した。
「Mカンパニーが我々に対して素直に協力すれば当面はシロ。抹消に動けばクロ。そして現実に惑連は賭に勝った」
そこで再び、No.5は息をついた。一同はあまりの事に声さえも出せずにいる。
「...きっかけは多分、群発地震と先ほどの衛星写真だろう。あの地下で化学兵器の大規模実験でもしていたんだろう」
一片の感情も込められていないNo.5の声は、皮肉を通り越して他人事を話しているかのようであった。重い沈黙が流れる中、突然アラーム音がひびく。テラ惑連から先刻注文した資料が届いた事を知らせるものだった。
「しかも当局に都合が良い事に、あなたが被疑者だった。それだけでも惑連が動いた時点で先方にかなりのプレッシャーを与える結果となったのです」
その言葉が自分に向けられている事に気づき、クレアは2、3度瞬きをした。軽く肯いてから No.5は立ち上がり、端末に歩み寄った。慌ててクレアもその後を追う。No.21の操作で画面上にある人物のデータが映し出されていた。その顔写真を見て、クレアは小さく悲鳴を上げた。狂喜の笑みを浮かべながら実験を指揮していた、まさにその人だったからである。
「これから先は、あなたに説明していただきましょう。...支部長殿」
画面を目で追うNo.5の言葉に、支部長は青ざめながら後ずさった。
「ご、ご冗談を...いきなり何をおっしゃるんです?」
そう言って支部長はNo'5の言葉を笑い飛ばそうとしたが、不発に終わった。その間もNo'5のガラス色の瞳は次々とデータを吐き出す画面に固定され支部長を顧みようともしない。ただ、冷たい言葉だけが投げかけられた。
「では質問を変えましょう。以前にも言いましたが、我々の存在は惑連の最高機密です。...我々を知る、退官した者に対しても、それなりの対応がなされています」
抑揚の無い声が容赦なく支部長に向けられる。その時点でようやく、感情の無い No'5の視線が支部長に突き刺さった。
「つまり、どこから漏れるかは把握できるということです。しかしあなたにはそれらの人との接触が認められない」
「いや、それは従軍記者として...」
「残念ながら、我々は『軍隊』の戦闘には参加していません。それに長官クラスに随行するようなあなたではないはずです」
何とも言い難いクレアの視線が支部長に向けられる。それに気づき支部長は大きく息を吐き出した。
「降伏しましょう...何より真実を隠すのは私の性に合わない...ただ」
心配げな支部長に対して、クレアはわずかに笑みを浮かべうなずいた。それを観て支部長は安心したようだった。
「まだ一介の下っ端のころでしたよ、こいつに会ったのはね...」
画面の中でわずかに誇らしげな笑みを浮かべているテルミン博士に対し、支部長は回顧とも憎悪ともつかない口調で語り掛けた。
「あのころ、こいつはすごい奴だった。人体工学と医学じゃ惑連で右に出るものはいなかったんじゃないかな...始めてあったのは、なんかのレセプションでしたが」
そう言うと、支部長はモニターに歩み寄り、その上部を2.3度叩いた
act16 
若手記者で、惑連番のカスパー・クレオ氏が新進気鋭の科学者ニコライ・テルミン氏に初めて会ったのは、惑連で行われたレセプション会場であった。メモパッドを片手に駆け回るカスパーを、直接の上司が博士に紹介したのである。
物腰も穏やかでにこやかに話すテルミン博士に、カスパーは『科学者』という固定観念を改めざるをえず、豪快に笑う明るいクレオ記者にテルミンのほうも、今まで身近にいなかった人種である事から驚きを覚えたらしい。
ともかくこれまで全く異なる人生を歩んできた二人であったが、ほんの偶然から顔を合わせれば食事をしながら世間話をするような付き合いが始まったのである。
ある日、いつものようにネタを探して惑連ビルを歩き回っていたカスパーの視界に、何時になく青ざめ、取り乱したような博士の姿が入ってきた。軽く手を挙げ合図すると博士もその姿を認め、足早に近づいてきた。
「すみませんが、車をお持ちなら出していただけませんか?」
その言葉に尋常でないものを感じ、カスパーは頷きつつも何事かとたずねた。
「娘の様態が急変したと、たった今連絡が逢って...あいにく公用車はすべて出払ってて」
博士に家族があったという事は初耳だった。しかし、事の重大さに慌てつつもカスパーはとるものも取り敢えず博士を伴って指定された病院へと向かった。
「お嬢さんはどちらがお悪いんです?...差し支えなければ...」
「心臓です。移植を待っていたんですが...。技術的には人工臓器に何ら問題はないのに、倫理機関がうるさく、今まで何も出来なかった...」
がっくりと肩を落とす博士に、カスパーは心から同情した。病院に着くと礼もそこそこに走り出していく博士の後ろ姿を、カスパーは祈るような気持ちで見送っていた。
「しかし、あそこで気がつくべきだった。もうあの時、やつは常軌を逸し初めていたって事をね」
深くため息を吐きながら、支部長はつぶやいた。
「まもなくですよ。けたたましいサイレンを鳴らして救急車が出ていったのは」
「行き先は、博士の研究室ですね」
感情のないNo'5の声に、支部長は機械的にうなずいた。
「病院から走り出してきたテルミン夫人と一緒に、すぐその後を追いました。私らは、惑連へ逆戻りし、奴の研究室へ行ったんです...そこには、」
思い出したくはない事実を突きつけられ、支部長は苦悩しているようだった。一瞬迷った後、支部長は絞り出すように言葉を継いだ。
「奴がいました。その後ろにはばかでかい試験管のような物があって、その中に瓜二つの二人の女の子が、薬液付けに...」
一同の視線がクレアに集中した。すでに彼女の顔は青ざめ、立っているのがやっとといった状況だった。手を貸そうとしたNo'21は脅えっ来たような視線を向けられて、困ったように肩を竦め、No'5に助けを求める。だが、No'5の口から出たのは辛辣とも言える言葉だった。
「この先を聞くかどうかは、貴方の自由です。強制はいたしません」
「いえ、聞きます。自分のことですから、逃げません」
力強いとは言い難いクレアの言葉にわずかに頷いて、No'5は支部長に続きを促した。
「一体...何をした...これは...」
呆然としながらも、カスパーは気を失いかけた夫人を支えながら、ようやくこれだけを口にした。一方思いもかけない来客に、博士は誇らしげに笑ってみせた。その瞳には異様な光が宿っていた。
「頭部を健康な身体に移植したんですよ。臓器ではないから倫理委員会には引っかかりませんし、娘の身体から増強培養したものですから、拒絶反応も問題ない」
「しかし、こんな事許されると思っているんですか?」
思わずカスパーは叫んだ。しかしその声は博士には届かない。
「この日のために、研究を重ねてきました。『DOLL』計画を立案したのも全ては娘の...クレアのためですよ」
独白のように博士はつぶやき、そして低く笑いつづけた。
そこで支部長の話はとぎれた。一瞬の沈黙の後、No'5が端末上のテルミン博士のデータを読み上げる。
「ニコライ・テルミン。医学博士。『Doll』計画を立案、実行。No'0からNo'14までに携わる。その後プロジェクトから離脱。各支部において技術指導に当たる」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、緊張の糸が切れたのかクレアが床に崩れ落ちた。すでにその意識がない彼女を仮眠室へ運ぶよう、No'5はNo'21に無言で促した。
両者の姿が扉の向こうへ消える頃、支部長は頭を抱えながら行った。
「結局あの子は取り残されたんですよ。結局私は片棒を担いでしまった訳ですから、できる限りの償いはしてやりたかった」
「貴重な御証言、有り難うございました。彼女にとって不利にならぬよう、尽力します」
機械的なNo'5の言葉に、何か言い返そうと支部長は腰を浮かせた。だがそれを遮ったのは牧歌的とも言えるNo'21の言葉だった。
「彼女、良く眠ってます。支部長殿も少し休まれてはどうですか?」
さすがに毒気を抜かれたように、やや憮然とした表情で、支部長はうなずいた。二人の姿が視界から消えたのを確認してから、No'5はゆっくりと目を閉じた。
act17
久しぶりに帰宅した家の中は、真っ暗闇だった。その誰もいない闇の中に、何か蠢くものを感じ、博士は立ち止まり、護身用においてあるはずのブラスターを手探りで探した。
「お探しのものはこれですか?」
その博士の背後から、突然声がした。と、同時に明かりが点く。ぎょっとして振り向く博士の目の前に、見覚えのある顔があった。
「お前か...まさかこんな所まで来るとはな、No'5」その姿を認めた博士の瞳に狂喜の光が宿る。ブラスターをと手を差し伸べる博士を冷たく一瞥すると、No'5はその銃口を静かに博士に向けた。
「な...なんのつもりだ!」
驚き後ずさる博士に、No'5は抑揚のない声で言った。
「われわれは非公式の存在です。それだけ申し上げればご理解頂けると思いますが」
No'5の生気のない瞳が、鈍くガラス色に光る。その静かな圧力に押され、博士はついに壁にぶつかった。
「まて!!私を殺せば、お前がどこの誰だか知るものはいなくなるんだぞ!!」
博士の絶叫にわずかにNo'5は目を細めた。そして、いつになく激しく言った。
「それを奪ったのは、他ならぬ貴方ではないですか?」
博士の頭上を、光の筋が通過する。力なくしゃがみこむ博士に、No'5は冷たく言葉を投げかけた。
「すでにMカンパニーは兵器製造の事実を認め、惑連による調査に同意しました。ここにも捜査が及ぶでしょう。もし良心が少しでも残っているのなら、すべての事実を述べて下さい」
博士の目の前に、ブラスターが放り投げられた。がっくりと肩を落とす博士に対し興味を失ったのか、No'5はきびすを返した。
完全にその姿が見えなくなった後、室内にはいつまでも鳴咽が響いていた...。
テラ行きの船内は閑散としていて、幸いなことにNo'5を気にするような乗客の姿もない。券に記された席に就くと、No'5はブラインドを下ろした。
船内に、出発時間を告げるアナウンスが響く。公の記録に残らない仕事に、何ら意味は見出せるのだろうか。答えのでないいつもの問いとともに彼の乗る船はゆっくりとマルスを後にした。
テラでは、『長い休暇』が待っている。それが終われば、今回のすべての記憶が、彼から失われる。
消え行く記憶を懐かしむように、No'5は静かに目を閉じ、つかの間の眠りに就いた。
この日、Mカンパニーの惑連法違反と、セオドア=プライス社長の引責辞任及び逮捕拘束が、全世界へと報道された。
エピローグ 
「突然呼び出してすみません。お忙しかったでしょう?」
本当に申し訳なさそうに言う目の前の青年に、クレアは笑顔で答えた。
「いいえ、全然。ようやく一段落ついたところで...何かあったんですか」
青年はしばらく言いよどんでいたが、ようやく決心が付いたのか大きく深呼吸してから切り出した。
「急な話なんですが、今日いっぱいでこちらの任を解かれることになりました。明日一番の便でテラに戻ります。それをお伝えしようと思って」
驚きの表情を浮かべるクレアに、青年は困ったように言葉を継いだ。
「お伝えしようか迷ったんですが...今回はケースがケースな物で...あの、大丈夫ですか?」
「え、ええ...お二人には本当にお世話になりました。何だか...」
寂しげに呟くクレアから、青年は視線を逸らした。だが延々と続きそうな沈黙に耐えられなくなったのか、慌てて付け足した。
「何と言っていいかわかりませんが、その、安心してください。今回の件を知るのは、少なくともこのマルス上にはいなくなるわけで、ええと...」
「お陰様で以前と変わらずにやってます。でも、知ってしまった事実は消えません」
再び両者の間に沈黙が流れた。このわずかな間に、彼女の身に起きた出来事を思えば、当然のことだろう。
「でも、貴女は間違いなく『ヒト』です。人間として生まれてた事実があって、家族もいる。自分たちとは違って」
予想外の青年の言葉に、クレアは思わず顔を上げた。いつになく真剣な表情を浮かべた青年が視界の中に入ってきた。
「自分たちがどんなに笑おうが泣こうが、それは与えられた0と1の情報の集合以上の何者でもありません。ヒトらしく振る舞うことはできても、人にはなれない。それが自分たちです。でも貴女は違う」
こらえきれなくなった涙が、クレアの目からこぼれた。それを見て慌てる青年に、クレアは慌てて笑顔を見せた。
「ごめんなさい...お二人とも、私のこと心配してくださってるのに、私って」
「気になさらないでください。当然のこと...普通ならあり得ないことなんですから...」
それから青年は、万一今回のことでまだ不利益を受けるようであったら速やかに知らせて欲しい、と付け足し、一枚のメモを手渡した。
「これは惑連の最高機密ですから、決して他に知られないようにしてください。特に支部長さんみたいな方には」
冗談めかして言う青年に対し、クレアは笑った。心から笑ったのは何年ぶりだろう、と思いながら。そして、ふと思い出したように切り出した。
「そう...前、少佐さんを見送った時、渡しそびれてしまったんです」
彼女が鞄から取り出したのは、何の変哲もない封筒だった。お礼状です、とほほえみながら言うと、クレアはそれを青年に手渡した。
「たぶん無駄なことかもしれませんが、今度お会いする機会があったら渡していただけませんか」
クレアの言葉が何を意味しているのか、青年は痛いほど知っていた。だが彼はそれをクレアから受け取ると、大切そうにポケット中へしまい込んだ。
「わかりました。次に少佐殿が『起きる』ときには、必ず」
そういうと、青年は少しはにかみながら敬礼をすると、お元気で、といい残し背を向けた。
マルスで起きた事件は、この日を持って記録上すべて終わった。


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変光星
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