Ameshyst Fantasy 第一部 ダウンロード版

月が青い光を落としている。
いや、正確に言えば、光を反射して青白く輝いているのだ。
自分では光っていないのに、結果的には暗闇にぽっかりと浮かんでいる。
まるで俺自身だ。
ヴェルトークは、夜空を仰ぎ呟いた。

「…やはり行くのですか?」
閉ざされた瞳の奥から静かな視線を向けられて、ヴェルトークは言葉に詰まった。
この人は、光を持たない双眸で全てを見ているのだ。
知っている。知っていたはずなのだが、何処かでまだ微かな希望を持っていたのだ。
それが、この一言でうち砕かれた。
「…何故、行くのですか?」
静かなサフィールの問いかけは、だが残酷だった。
全てを知った上での問いかけは、哀しかった。
「貴女は、御存知の筈だ…姉上…」
逆に、この一言が、姉の希望をうち砕くと言うことも、ヴェルトークは知っていた。
予想された答に、サフィールは静かに頭を垂れた。
「すぐに…起ちます…」
迷いを断ち切るかのように、ヴェルトークは呟いた。
「兄者とともに、皆を導いてください。それが俺の唯一の望みです」
その言葉に偽りはなかった。何よりそれこそが、彼が旅立ちを決意した最大の理由だった。
「…一族と貴女に、平安あれ」
ヴェルトークは踵を返した。
そして、振り返ることはなかった。

…彼は、『赤の砂漠』へと歩みだした…。

「アル=カーヒラ殿か?」
背後からの場違いな女性の声に、声をかけられた側は足を止めた。
目前に広がるのは、赤茶けた砂の大地。もとよりこの二人の他、動く物は他に何もない。
「だとしたら?首を持ち帰るか?」
フードの奥から漏れる言葉は物騒だが、何処か面白がっているような響きがある。
女性はゆっくりと頭を振った。見事な金髪が揺れる。
「我が主の命により、貴方をお捜ししていました。…お護りせよと」
「…護る?わたしを?」
意外だ、と言うように、フードの人物は僅かに振り返る。
「東の青頭公配下、筆頭騎士のイリナ=メイスです」
「『蒼の盾』か。ご高名は伺ったことがある」
するり、と、フードをはずす。薄いアメジスト色の瞳は、僅かに笑みを浮かべている。
「赤頭公子、アル=カーヒラの名が意味することを、貴女は御存知か?」
「南の赤頭公の公子、そして、不世出の魔術師」
「あとは、第一級のお尋ね者だ」
そう言うと、カーヒラは面白くて仕方がない、と言うように声を立てて笑った。
「貴女は、わたしと共に、死ぬ覚悟がおありか?」
尋ねるカーヒラの顔から、既に笑みは消えている。
「大陸全土に響き渡る名誉を捨て、わたしと共にこの砂漠に足を踏み入れる覚悟がおありか?」
目の前には、『赤の砂漠』。
正しき神の託宣を、足を踏み入れる物に下すという『死の砂漠』。
熱い風が二人の間を吹き抜けた。
「…全て、仰せのままに…」

『赤の砂漠』は、二人の旅人を迎え入れた…。

何かが起こりそうな気がする。
『砂漠の守人』カルマ=ヴァーンは、ぼんやりと思った。
澄んだ空には、いつもと変わらず無数の星が輝いている。
そして、窓の外には正しき者には神の託宣を与え、道を誤った者には死を与えるという『赤の砂漠』が広がっている。
無事帰還を果たした者からは神聖視され、命を落とした者の肉親からは呪詛される『赤の砂漠』。
カルマは元騎士で先代の『守人』であった父に連れらて幼い頃にここに来た。
父親の死後は自らが『守人』として、この砂漠と現実世界との境界上に住んでいる。
それからというもの、代わり映えのしない毎日が只漫然と流れていたが、今日はいつもと違う。
何かが変わりそうな気がする。
何が起こるかは、分からない。
だが、カルマには魔術師が持つような『先見』の力はない。
漠然とした予感、と言う言葉の方が、むしろしっくりする。
以前、この想いに捕らわれたとき、カルマの元に今は『友人』として同居するベスが現れた。
だから、カルマは予感を信じていた。
必ず、何かが変わる。
まもなく、カルマの代わりに砂漠を見回りに行ったベスが帰ってくる。
『赤の砂漠』に呑まれる命がないかどうか見回りに飛んだベスが戻ってくる。
友人が現実を変える何かを持ってきてくれるような気がする。

何かが起こりそうな気がする。
カルマは澄んだ空を見上げていた。

砂漠には砂の目と言う物があるという。
それに足を取られたら最後、砂に飲み込まれた物は二度と戻ることはできないと言う。
だが、目の前を歩く不世出の魔導師には、その砂の目が見えているのではないか。
いや、砂の目だけではなく、常人には計り知れない何かを見ているのではないだろうか。
『蒼の盾』と呼ばれた騎士、イリナ=メイスは、いつしかそのようなことを思うようになっていた。
「…今ならまだ、貴女を国元へ送り届ける力が残っている」
おもむろに、前を歩く魔導師アル=カーヒラが振り向いた。やはりフードに隠れていて表情を伺い知ることはできないが、その言葉にはやや切迫した響きがあった。
だが、イリナが無言で首を横に振ると、赤頭公子はわずかに苦笑を浮かべたようだった。
「だが、万一、わたしが貴女より先に力つきたら、どうするおつもりか?」
「…ご冗談を…」
そう答えるイリナの声は、やや固い。
思いも寄らない、あり得る未来の可能性を突きつけられ、言葉に窮したのも事実だった。
「いや、冗談ではない。…騎士殿、あれが見えるか?」
そういうと、カーヒラは遠くに見える砂山の一つを指さした。赤茶けた砂が広がるばかりで、その言葉と行動が、何をさしているのか分からない。
「あそこに、何か埋まっている」
その言葉に、イリナは目の前の魔導師をまじまじと見つめた。カーヒラの顔に、無論笑みはない。
「我々と同じ、託宣を求めて入り込んだ者だろう。普通ならそれで終わりだ。だが…」
「術者の枷、とおっしゃられるのですか?」
イリナの視線を、カーヒラは正面から受け止め、それを肯定するように点頭した。
「ならば、参りましょう。貴方が術者の枷に従うと同様、私も主命に従わねばなりません。…貴方と共に行くのが、私の受けた命です」
騎士の決意は固い。それは今更確認するまでもなく明らかだ。わずかに苦笑を浮かべ、小声ですまない、と呟くと、再び無言のまま、カーヒラは砂の大地に足を踏み出した。

人は誰しも魔術に通じるわけではない。
『術者の枷』はそれをもっとも端的に表した物でもある。いわば、ある『誓い』と引き替えに『超常の力』を操るというわけである。
死の砂漠の中、術者にとって命取りになりかねないその枷が、カーヒラの目前にあった。
ようやく何かが埋もれたところまでたどり着く。そこに僅かに身をかがめたカーヒラの口から感嘆の声が漏れた。
「騎士殿、こちらへ。…竜族だ」
イリナは思わず耳を疑った。
竜族。それは人とは比べ物にならないほどの古い歴史を持つ一族であり、人とは比べほどにならないくらいの超常の力を持つとされている種族でもある。
本来蜥蜴のような姿をしていた彼らは、人と交流することによりその姿を人に似せ、一時は交流もあったという。
しかし、いつしか両者の行き来は途絶え、歴史の表舞台から姿を消して久しい。その一族が何故、ここにいるのか。だが、カーヒラの口から漏れる言葉は、疑問をさらに大きくする物だった。
「…この方は…直系の王族だ。…どうしてこんな所に…」
「殿下でも解らないことが、おありなのですか?」
イリナの問いかけに、カーヒラは僅かに笑みを見せた。
「魔道に通じることと、真実に通じることは似ているようで、違う。すべてを知っていたら、今頃わたしは追われていないだろうな…」
苦笑を浮かべながら答えるカーヒラに、イリナは初めて親近感を持った。
「問題は、彼を助けられるかどうかだ。いかに枷とはいえ、この状況下では厳しすぎる…」
ふと、カーヒラの表情がかげる。照りつける太陽と、つきることのない砂の上を歩むことは、予想以上に両者に消耗を強いていた。
「…私のことでしたら、どうぞ気になさらず…」
ふと、両者の視線が交差する、ちょうどその時だった。
不意に、あり得るはずのない陰が、二人の上に落ちる。慌てて身構えるイリナは、信じられない物を見た。
鳥、いや、鳥にしては大きい、偉大な翼ある物が、二人の上空を力強く旋回している。それはまるで、伝説でしか語られることの無い…。
「盛り上がるのはいいけれど、困るのは『守人』なんだよ。よけいな仕事、増やさないでほしいな」
声と共に、それはゆっくりと降下してくる。
エメラルド色の鱗が、灼熱の太陽に反射する。それは目の前に埋もれている竜族の若者の先祖たちの古の姿であった。
その力強き聖獣の背には、一人の若者の姿があった。
砂埃を巻き上げて、聖獣は旅人たちの前へ舞い降りた。
初めて目にするその姿は、恐ろしくもあり、慈愛にも満ち、雄々しくもあった。そう、この世の物とは思えない不思議な生き物だった。
見とれる旅人たちをよそに、その竜の背から一人の若者が降り立った。
「ぼーっとしてるなよ。そっちのお兄さん、危ないんだろ?」
そういうと、若者は足早に歩み寄り、そして絶句した。
「…竜族でも砂に呑まれるのか?飛んで行けば良いのに…」
「彼なりに思うところがあったんだろう、それに…」
冷静なカーヒラの言葉に、若者は思わずそちらを見る。
「それに?」
「彼は、貴方の友人とは、種族が違う。それに、本人が望まなければ、力を持っていたとしても行使されることはない。違うか?守人殿」
「やめてくれよ。ちゃんとカルマ=ヴァーンって言う名前が有るんだから…。でも、そうすると、このお兄さんはここにこのままにしておいた方がいいのか?」
カルマの問いかけに、カーヒラはゆっくりと頭を振った。
「貴方がここに来た以上は、その役目を果たさなければならないだろう?それからどうするかは、この方次第だ」
「解った。じゃ、掘り起こすのを手伝ってくれないか?後はベスに乗せていってもらうから」
焼け付く砂は重く、崩れる。一行に進まないカルマとイリナを見かねて、カーヒラは低く呪文を唱えた。
竜族の青年の体が、僅かに浮き上がる。同時にカーヒラの額に汗がにじみ出た。
「早く…今は、これ以上、保たない…」
かすれたカーヒラの声に答えて、慌ててイリナが青年の体を受け止め、脇へと横たえた。同時に砂が地に落ち、カーヒラは膝をついた。
「殿下…!」
「大丈夫…。それにしても、守人殿が来てくれて、本当に良かった…」
僅かにカーヒラは笑みを浮かべると、そのまま、砂の中へと倒れ込んだ。

いつものように『術師』としての勤めを終え、赤頭公子アル=カーヒラは宮殿の中を、自室に向かい歩いていた。
丁度、衛兵たちの交代の時間に当たっているのか、いつもは殺伐とした宮殿内に珍しく人気はない。
不気味なまでに赤い夕焼けによって、この宮殿はその二つ名の通り、外から見れば赤く染まって見えることだろう。
大陸を統べる黄帝配下、南の赤頭公の子として生まれ、今や並ぶ者もない屈指の『術師』たるカーヒラにとって、だがそれは、何一つ変わらない日常の繰り返しに過ぎなかった。…ここまでは。
ふと、前方の扉が開いているのが目に入る。この時間、何事もなければすべての公務を終えた父がいるはずの、書斎の扉だった。
僅かな一人の時間をじゃまされるのを嫌う父が、扉を何故、開け放しておくのだろうか。不安がカーヒラの脳裏によぎった。
「…父上…おられるのですか?」
カーヒラは、扉から室内を伺う。返事はない。だが、奥の椅子には、確かに赤頭公はいる。
「…父上…失礼いたします」
一応一礼してから、カーヒラは部屋に足を踏み入れる。風向きが変わり、異様な匂いがカーヒラの鼻を突いた。
「父上!!」
叫ぶと同時に、カーヒラは赤頭公に駆け寄る。
眼前には、胸に短剣を突き刺しすでに事切れている父の姿があった。
「…ご乱心!殿下が公を…!!」
振り返るとそこには、侍従の姿があった。物言わぬ死体と、自分。その二つは、彼の目にどう映ったかは、明らかだった。
「近衛隊!何をしている!早くこの謀反者を…」
怒声が宮殿内に響き渡る。無数の足音が近づいてくる。そして…。

「…気が付かれましたか?」
そこには、見事な金髪に碧眼という容姿を持つ美貌の騎士、イリナ=メイスがいた。
慌てて起きあがろうとするカーヒラを制し、彼女は穏やかに言った。
「ずっとうなされておいででした。…良くない夢でも見られたのですか?」
「…夢ではなくて、過去だ…わたしは…」
「今はお休みください。追っ手も砂漠に恐れを成して、よもやここまでは来ますまい」
「…あの方は…竜族の…」
半ば途切れかけの意識の向こうで、イリナは静かに告げた。
「ヴェルトーク殿は先ほど気が付かれました。命に別状は無いようです」
「そうか…それは…」
言葉にならない声が、カーヒラの口から漏れる。
再び公子は、深い眠りに落ちていった。

 
目覚めると、そこは見覚えのない空間だった。
石造りの壁や床は殺風景だが、堅牢で、この砂漠に吹き荒れるどんな嵐にも耐えうる物であろうことは明らかだった。
その質素な部屋の、使い込まれた寝台の上で、ヴェルトークは目を覚ました。
確か、すべてを捨てるためにこの砂漠に入ったはずだ、だが、どうして自分はここにいる。
疑問に思いながらも半身を起こすと、そこには一人の少女が座り込んでいた。
何故、このようなところに…そう思いながら、彼はあることに気が付き、言葉を失った。
金色に光る少女の目は、無表情に彼を見つめている。
まさか、と、ヴェルトークは思った。『失われた一族』に、こんな所で出会うとは。
無言のまま、少女は部屋を出ていった。その消えた先を、彼は何も言うことができないまま見つめていた。

古来、ヴェルトークらの『竜族』は、人々が現在思い描くような、雄々しい姿をしていたという。
だが人と触れ、その姿を映すようになるに連れ、彼らは本来の姿を忘れていったという。
ヴェルトークの一族は、その本来の姿を忘れた『竜族』だった。
だが、中には人との接触を嫌い、いずこかへ姿を隠した者達もいるという。先ほどの少女は、明らかにその伝え聞く特徴…とがった耳と、金色の瞳、そして真っ直ぐに伸びた角…を持っていた。
やはり、一族のしがらみは、どこへ行っても途絶えることはないのか。
やりきれない思いを抱いて、彼は天井を仰ぎ見た。

「やあ、気が付いたかい?」
次に姿を現したのは、これまた見覚えのない若者だった。だが、人の良さそうな笑顔を見る限り、悪人の類ではないようだ。
「…あんたは?」
「砂漠の守人。名前はカルマ=ヴァーン。どうでも良いことだけれどね」
「…じゃあ、朱の騎士団の…?」
「良く知ってるね。さすが『知恵者の一族』。でも、自分は違うよ。親父はそうだったらしいけど」
親父が死んでから、勝手にその仕事を継いだ。そういってカルマは笑った。
「赤頭公領でもここは何の役にも立たないところだからね。後任も来ないみたいだし…なんだかいろいろとごたごたもあったみたいだし…でも、そんなことは君たちから見たら本の一瞬なんだろ?ええと…」
「俺は、ヴェルトーク。見たとおりだ」
しばらくカルマは聞いたばかりのその名を反芻していたようだったが、やがてにっこりと微笑んだ。
「とても高貴な名前だ。うらやましいよ」
「名前負けしてるだけだ。…だから、俺は、逃げ出した」
無言のまま、カルマはヴェルトークを見つめていた。
「守人殿の手を煩わせたのは申し訳なかった。けれど…」
「今は良いよ。それより後で、魔導師殿が気が付いたらお礼を言った方がいいよ。見つけてくれなかったら、今ここにはいなかったんだから」
そういうとカルマは様子を見てくる、と言って立ち上がった。戸口には先ほどの少女が立っている。
「何かあったらベスに言ってくれればいい。こんな所だけれど、それなりにいろいろあるから」
そういうと、カルマはベスと入れ替わりに部屋を出ていった。

居間、と言うにはあまりに質素すぎる空間に佇むイリナの姿は、異質でもあり神々しくもあった。
自らを見つめる視線に気が付いた彼女は、振り返り穏やかに言った。
「…どうか、されました?」
「ごめん。見とれていた。気を悪くしたら謝る」
正直なカルマの言葉に、イリナは首を振り、穏やかに微笑む。北方民族特有の見事な金髪碧眼は、他の民族からすれば称賛されるに値する物であると言うことを、彼女は良く知っていた。
「けれど、砂漠に差し込む激しい日の光には、全く役に立たない代物です」
貴方がいなければ、一体どうなっていたことか。僅かに頭を下げるイリナに、カルマは照れながら手を振った。
「そんなことはないよ。守人は当然のことをしただけだから…それより…?」
「カーヒラ殿は、先ほど気付かれて…今また、お休みになっています」
「そうだろうね。慣れないところで、とんでも無いことをしたわけだし」
そう言いながら、カルマはイリナの正面に腰を下ろす。ふと、イリナの視界に、カルマの胸にかけられたペンダントが入ってきた。
「何?あ、これ?死んだ親父の肩身。これと、剣と、それを使う術しか、親父は残してくれなかった」
怪訝そうな表情に気が付いたカルマが、鎖をもてあそびながら答える。
「確か…それは、赤頭公配下の騎士に与えられる記章では?」
「そう。元々親父は騎士だったんだけど、演習か何かで足をやられて…偉い人は引退を勧めたみたいだけれど、志願して守人になったらしい。自分が物心付いた頃には、もうここにいた」
けれど、自分は正式に叙任はされていないから、これは返さなければならないのかもね。そう言いながらカルマは笑った。
「そうだ。本物の騎士に会ったら聞いてみたいことがあったんだけれど、良いかな?」
突然のことに、イリナは戸惑いながらも頷く。
「騎士にとって、主君に使えることは、そんなに大切なことなのかな?」
あまりに核心に迫った問題を、あっけらかんとした口調で問いかけられて、イリナは二三度瞬きをした。
「親父は、それこそ死ぬまで赤頭公に使える騎士であろうとした。自分にはそれが良く解らない。単に意地を張っているようにしか見えなかった。それは、自分が騎士ではないからなのかな」
「…難しい質問ですね」
指を組み直し、イリナは僅かに首を傾げた。長い金髪が光を受けてさらさらと揺れる。
「確かに、我々にとって、主の命令は絶対ですし…主に使えることが騎士としての存在意義でもあります…。けれど、自らの命を預けても良いと思えるほどの人物でなければ…」
「…赤頭公は、親父にとって、それ程の人だったんだろうか…」
ふと、カルマの顔が曇る。何と言葉を返して良いか解らずに、イリナは口をつぐんだ。
「ごめん、また変なことを言ったね。後は自分が見てるから、ゆっくり休んで。殆ど寝てないんでしょ?」
上に空いている部屋があるから、と、カルマは促す。いったんは断ろうとしたものの、屈託のない笑顔に押されて、イリナは部屋に引き取った。

窓の外では、赤い砂が嵐のように吹き荒れていた。

壁際に腰掛け、じっとこちらを見つめる少女は、先ほどから何も話そうとはしない。
無言のまま、こちらを見つめている。ただそれだけのはずなのに。
「いや、大違いだよ。全然違うじゃないか」
不意にそんな言葉がヴェルトークの口をついて出た。
自分で発した言葉に驚き、思わず彼は瞬きし、そして改めてベスを見る。けれど彼女は相変わらず無表情にヴェルトークを見ている。けれど。
「君は仲間からはぐれただけだろ?俺は一族を飛び出した。…君にはどこかに帰る場所がある。でも」
一度息を付き、彼は白い布団に目を落とした。
「俺は、帰るべき場所を、自分から捨てた」
沈黙が流れる。再びベスは、ヴェルトークをじっと見つめる。
「…あの二人もそうなのかって?」
ヴェルトークは首を傾げる。自分は一人でこの砂漠に入ったはずだ。連れはいない。
改めて気が付いてから今までのことを反芻する。そういえば『守人』は助けてくれた『魔導師』に礼を言うように、と言っていたような気がする。二人とは、『魔導師』とその連れのことなのだろうか。
「俺か?…俺は…」
ヴェルトークは切り出したものの、言葉に詰まった。
まっすぐに見つめるベスの視線から逃れるように、彼は窓の外に目を向けた。相変わらず赤い大地は風に吹きさらられ、大荒れの様相を呈している。
「俺には、姉と兄がいるんだ。…でも…俺がいるから、いや、俺の存在が、二人の立場を、危うくする…」
独白に似た言葉は、常に彼の心中にくずぶっていた思いだった。
「…どうして全部、自分で背負おうとするのかって?」
意外だ、というようなヴェルトークの言葉に、ベスは初めてうなずいた。
「いや、姉上や…兄の方が、俺より苦しい思いをしていたと思う…俺よりも、ずっと…」
いつの間にか、ベスは彼の横たわる寝台のすぐそばまで来ていた。そして、やはりじっとその顔を見つめながら、自らの手を彼の手の上に重ねた
「…ありがとな…」
ベスの手はとても温かく、そして、どこか寂しげな思いが伝わってくるようだった。

相変わらず吹き荒れる砂嵐を、イリナは無言のまま見つめている。
何も生み出すことがない、真紅の砂漠。だがイリナはその死の世界にどこか懐かしさを覚えていた。
一体、どこでそれを見たのだろうか。自らの記憶をたどり、それが幼い頃間近に見ていた荒れ果てた大地であるときがつき、ふと苦笑を浮かべていた。

そこは、作物を育てるには適さない、痩せた大地だった。耕しても石しか出てこない、荒れ果てた土地だった。
その年も、国同士のいざこざがあった。国境に近いその村には、例年にない重税が課せられた。
人々は領主である黒頭公を呪いながらも、だがその命令に従わないわけにはいかず、途方に暮れていた。
そして、至った結論は、残酷だが生き残るためには仕方のないことだったのだろう。
雪が降り始めた荒れた大地に一人取り残され、彼女は呆然と立ちつくしていた。
冷たい風が、埃にまみれた金髪を撫でていった。
歩き続けなければ確実に死は訪れる。けれど歩き続けていたとしても、訪れる結末をわずかに先延ばしにするだけだ。
後から後から降ってくる白い雪を、彼女は見上げた。
固い大地に、彼女は崩れるように倒れた。そして…。

再び気がついたとき、彼女は柔らかな寝台の上にいた。
彼女より少し年長とおぼしき少女が、その顔を不安げに見つめていた。
その少女が、東の青頭公公女と知るまで、さして時間はかからなかった。

ふと、肌寒さを感じ、イリナは目を開いた。
どうやらいつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだった。
窓の外では、嵐はすでに収まり、月の光が穏やかに赤の砂漠を照らしている。
…私は、何処へ行くのだろうか…
図らずも幼いあの日抱いた同じ思いを、今またイリナは感じずにはいられなかった。

いつの頃から、それが存在していたのかは定かではない。
あるいは、悠久の時を渡る龍の一族であれば、その始まりを知っているのかもしれない。

大陸の中央には、そのすべてを統べる『黄帝』が存在しているという。
そして、四方には『黄帝』の命を受けた『四頭公』が、主に変わり、各その領土を治めている。
飽きることなく、脈々と続くこの体制を、疑う者はいなかった。
いや、自分の生まれる遙か以前から潜在する物に対して、疑いを持とうとすることすらしようとしなかった。
けれど、根本の所を、彼らは忘れていた。
比較的身近な存在である『四頭公』は、一生のうち少なくとも一度はかいま見ることは可能である。
現に四方の『国』の首都にはその居城があり、絶対的な力を持つ物の存在を感じさせずにはいない。
だが、彼らを束ねる『黄帝』はどうだろう。
大陸の中央に『存在』していると誰もが言い伝え、信じて疑わないが、その姿を見た、と言う話は聞かない。
いや、『四頭公』ですら、自らが使える『黄帝』を『知って』いるのだろうか…

いつの頃からか、それが存在しているのかは定かではない。
だが、それは非常に危うい存在の上に成り立つ安定であると言うことに、気が付く者は少なかった…。

「…公子様は不思議なことを言うね」
言いながらカルマは数度瞬きした。そして自分は思いも寄らなかった、と言うように大きく息をつく。
ようやく意識を取り戻し、元の『状態』に戻りつつある赤頭公子アル=カーヒラはそれこそ古の神官か預言者のような口調で、静かに告げた。
「全ては我々のあずかり知らぬ所にある。全ては我々のすぐそばにある…。真実とは確かに、そんな物なのかもしれない」
だが、そうは言ってみた物の、当の本人に深い意図はないらしい。すぐに苦笑を浮かべると、公子は僅かに姿勢を崩した。
「別段、わたしは、この世の真実を知ろうというわけではない。知りたいとも思わない。…けれど、わたしたちのすぐ身近だが全く知らないところで、何か恐ろしいことがおきているような気がする。それが不安なんだ」
質素だが、こざっぱりとした食堂にいるのは『ヒト』が3人に『古の一族』が2人。カーヒラは自分以外の列席者に、ゆっくりと視線を巡らせた。
「…確かに、大いなる存在が瞬いた、と、姉上が言っていたことがある」
その視線が交錯する刹那、ふと、ヴェルトークが口を開いた。一同は思わずそちらをむく。
「けれど、それは昨日今日のことじゃない。…尤も俺達の感覚だから…」
いつのことかはさだかじゃない。そう彼は言葉を濁した。悠久の時を渡る彼らの時間の感覚が、『ヒト』とは大幅に違っているのは当たり前のことだ。
「では…黄帝は既に、存在しないのではないか、と?」
イリナが僅かに首を傾げる。さらさらと流れる金色の髪を、真向かいに座るベスが不思議そうに見つめている。少しの間の後、カーヒラの口から出たのは、意外な言葉だった。
「既に存在しないのではなくて、始めから存在しないのではないか、と…」
言いながらカーヒラはくすくすと笑う。初めてみるその表情と、思いもかけない言葉とに、イリナは驚きのあまり数度瞬いた。一方『守人』カルマの反応は少し違っていた。
「そりゃそうさ。誰も会ったことないんだから、いるかどうかなんて確かめようがない」
「確かにそうですが…」
だが、カルマの言葉にも、イリナはまだ納得がいかないようだった。
「そして、真実とは時に形をなさない物でもある…」
そのイリナの頭上を、カーヒラの言葉が流れる。先ほど口にした詩篇の結びの一説である。それを口の中で反芻してから、彼女は苦笑を浮かべる。
「よほど真実とは私たちにとって残酷な物のようですね」
「…知らなければ幸せなことの方が、よほど多い」
「…それはそうと…公子様は何を求めているの?」
不意に投げかけられた言葉に、それまで雄弁だった公子は口をつぐむ。次はカーヒラが瞬きをする番だった。
「赤の砂漠に入る者は、多かれ少なかれ自らの進むべき道を求めている。そして自らを試そうとしている。志のない者を、砂漠は受け入れることはない」
自分をのぞいてね、そうカルマは笑う。だが、俯いたままカーヒラはぽつりと呟いた。
「…ている…」
「え?」
「わたしは、逃げている…いや、むしろ逃げるべき術を、探してる…」

「これだけは覚えておいて欲しい。砂漠は道を求める物には開かれる。絶望を求めるもには閉ざされる。そして、答えを求める物にはヒントを与える。その形は有にして無、足を踏み入れる物によってその姿を変える」
すっかり回復したカーヒラが旅立つその日、装備を調えるのを手伝いながら、守人カルマは何ともなぞめいた言葉を口にした。その真意を測りかね、イリナは数度瞬きする。
「砂漠の本来の姿は、受け止める側によって異なる、と言うことなのでしょうか?」
「もしかしたら、本来の姿なんて言う物は、始めから無いのかもしれない」
謎かけのような両者のやりとりに、不世出の魔導師は、僅かに笑みを浮かべながら口を挟む。
「解っているのは、そこに砂漠がある。それは事実であって、真実ではない。そう言うことだろう?守人殿」
「翻訳するとそう言うことになるのかもしれないね」
にんまりと笑いながら、カルマはカーヒラの言葉を肯定した。
「少ないけれど、守人が出来ることはこれが精一杯なんだ。砂漠の横断者に平安あれ」
また会えるといいね、言いながらカルマは手を差し出す。無言で頷くと、カーヒラはその手を取った。
「守人殿の生活が、乱されぬよう…」
ひとしきり笑い合うと、二人は守人の館を後にした。

小さくなっていく『ヒト』の姿をヴェルトークは二階の窓から見つめていた。が、不意に気配を感じ振り向くと、戸口の所に物言わぬ『同族の友人』がいた。
「…行かないのかって?」
物言わぬ問いかけを、彼はオウム替えしに口にした。じっとこちらを見つめたまま、ベスはこくりと頷いた。再びヴェルトークは窓の外に視線を巡らせた。
「…元々、始めから一緒にいたわけじゃないし…たまたま、ここで出会っただけだから…」
ベスはゆっくりと歩み寄り、前触れもなくヴェルトークに抱きついた。
「お…おい…」
「…一人でいるのは、寂しいよ…?」
初めて聞くその声は、消え入りそうで、やはりどこか哀しげだった。
「…俺は…」
無言のまま、再びベスはヴェルトークの顔を見上げる。
「道を…自分の道を見つけるまで…?」
ヴェルトークの言葉に、ベスはまた、こくりと頷いた。静けさをうち破るように、守人の声が階下から響く。
「兄さん、まだいるの?早くしないと、公子様達に追いつけなくなっちゃうよ!」
やれやれ、と彼は苦笑を浮かべる。どうやら周囲は勝手に彼も一行のメンバーに加えてしまっているらしい。
「逃げようとしているご一行様か。なかなか面白いかもしれないな」
言いながら、ヴェルトークは自分を見つめるベスの頭をくしゃくしゃと掻き回す。
「君も…いつか仲間の所に戻れるといいな。じゃ、また」
立ち上がり、ヴェルトークは戸口へと向かう。その間にも守人の声はだんだんと近くなってくる。
「何してるの?…お兄さん一人で行くのは勝手だけど、また埋もれちゃって助けるのはごめんだからね」
「解ってるよ。そんなに喚き立てなくても聞こえてるって」
階下へと消えていくヴェルトークの姿を、ベスはやはり無言のまま、見送っていた…。

Amethyst Fntasy  第一部完

宜しければご意見ご感想、頂ければ幸いです。
なお、無断転載、改編、改良(笑)はしないでくださいませ。
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ひろいそら@変光星
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