the PASSION ダウンロード版
しつこいようですが(笑)、もしこの駄文に著作権なる物が派生するとするとそれらはひろいそらに帰属するかと思われます。
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act1                                            

ルナは、テラの衛星であり、もっとも早く居住が可能となった星である。クレーターに覆われた岩石の固まりであったルナは、人為的に人の手が加えられ、僅か数年で緑が生い茂る人類第二の故郷となったのである。

その後ルナ人口は増加の一途を辿り、今や星の表面だけでは到底居住区域を賄いきれなくなった。そのため、現在では二層に及ぶ地下都市が形成されている。テラにせまる勢いで繁栄を続けるルナではあったが、やはりここも多くの問題を抱えていた。その最たるものが、テラの宗主権である。

かつてテラの植民星であったルナは、その他の衛星都市が次々と独立してもなお、事実上テラの支配下に置かれていた。双方の遺恨は同じような問題を抱えているマルスとフォボス、ダイモス両衛星都市のそれより、数段深刻なものであった。

そこに発生するのは、いつの時代でも独立を求める人々の叫びであり、状況を打開できない政府に対する急進的な活動である。ルナには大小合わせて五十以上のテロ組織があったが徹底的な摘発のため壊滅的状況に陥っていた。だが、その状況下で再生したのがIB(イレギュラー・ブレイン)であった。

10年ほど前、新たな指揮官ドライが現れるやいなや、飛躍的に勢力を伸ばしはじめたIBの行動範囲は全宇宙に及び、フォボス等と連動してテラ主導型の惑連に反発し、真の平等を求める反政府活動を行っているといわれている。

だが、どの様な主義主張を持っても、暴力であることには変わりない。ルナ市民は無差別とも言えるIBのテロに恐れつつ日々を過ごすといっても過言ではなかった。

    それら凶悪な事件に対応するため、惑連が組織したのが『特務』である。だが、彼らが人ではなく人為的に作られた『亜人種』であることが、大きな問題になりつつあった…。

act2

「じゃあ、直前までマルスにおられたんですか?…テラのほうも随分と人使いが荒いですねえ」
呆れたように案内係の職員は客人を頭のてっぺんから爪先まで眺めやった。退官間近とおぼしき彼の目には、長髪にノータイの客人の姿はどのように写ったかは、想像に難くない。
「いや、でも命令ですし。上の命令にぜったい服従ってのは、制服組も何も無いですよ」
そう言うと、客人は人好きのする笑顔を浮かべた。歳の頃から言えば彼の息子と大差無く見えるこの客人が、泣く子も黙る情報部中尉殿とは時代も変わったものだ、と彼は内心思った。しかし、時代の変化は感じたものの、驚きはしなかった。似たような経験をもっと前にしていたからだ。
「そうですねえ…宮仕えの寂しさって所ですか?失礼、こちらです」
第三会議室のインターフォンに向かって来客を告げると、飾り気のない扉は無愛想に来客を迎え入れた。窓一つ無い室内の一番奥にはスクリーンが掛かっており、既に全ての出席者は出そろっていた。
予想外のことに戸惑う客人の前に、一人の男が歩み寄った。客人の次に若いのではないかと思われる黒髪の男は、僅かに笑みを浮かべながら客人に手を差し出した。
「テラのデイヴィット= ロー中尉ですね。遠いところをようこそ」
恐縮しながら握手に応じるデイヴィットに対し、男は落ちついた様子で続けた。
「『017 事件』責任者、ルナ情報局捜査部首席捜査官黄小龍大尉です」
この時、デイヴィットは初めて黄大尉の顔を正面から見ることができた。遠目に見たときも朧げながら感じていたが、改めて彼はある印象を強くした。『あの人』に似ている、と。
そして、ふと視線を合わせて、彼は思わず2 、3 歩引いた。黄大尉の眼鏡の奥の目は、笑ってはいなかった。

017号事件は、連日ニュースでの報道が行われている、謎を多く残した事故である。 最も安全と言われ、ここ数十年無事故を続けていたルナ−テラ間航路で、稀に見る悲惨な事故が起きた。ルナを出発後、順調に航行を続けていた017 号便が、突然連絡を断ったの である。異変を察知した両星の管制官は直ぐさま星間警察及び惑連宇宙軍へ通報した。果して直ぐさま捜索は開始され、航路から3 光時離れた場所で017 号便は発見された。だが船体後部に開いた亀裂から空気が流失しており、乗客・乗員船員の死亡が確認された。
これだけならば単なる悲劇的な事故であり、今後の安全航海への大きな教訓となって完結する。だが、現実はそれでは納まらなかった。

先刻からスクリーン上には延々と事故機のスライドが流されている。その余りの凄惨さに、室内は重い沈黙に包まれていた。
「正直、ナマで見るとこんなモンではないです。帰還後暫くはトマト系の物は食う気になれませんでした」
当時、事故機に調査のため乗り込んだ下士官は冗談めかしてこう言ったが、不発に終わった。事実、船体の穴から空気が抜け、減圧した船内の様子は、悲惨なものだった。
直接犠牲者の姿は写されなかったものの、所々に赤黒いものが浮かんでいるのを見せられると、いかにプロの捜査官とはいえ、目をそらすものも居るほどであった。
「つまり、状況から判断するに、生存者がいた可能性は無いわけだな」
そんな中、僅かに冷静を保っているうちの一人である黄大尉が、釘を刺すように質問を投げかけた。それまで僅かに笑みさえ浮かべていた下士官も、思わず背筋を伸ばした。
「ええ。脱出用のシャトルも全機、使用された形跡もなく船内に残ってましたし」
「乗客32名も、全員が搭乗したことが確認されている。シャトルも使われていない、にも拘らず…」
一旦言葉を切り、黄小龍はその場の全員に視線を巡らせた。その鋭さに耐えかね、僅かに逸らす者もいた。デイヴィットもその一人であった。そんな室内の様子に呆れたかのように、黄大尉はぽつりと言った。
「一人分の死体が見つからないというわけか」

act3
 
何度も議題に上ったであろう事実を繰り返しただけにも拘らず、わざとらしいどよめきが室内を駆けめぐる。どうもこういった雰囲気は馴染めない。自覚しながらも仕事と割り切って、デイヴィットは口を開いた。
「行方不明になっていルナ中央大助教授キャスリン= アダムス博士は、テラ当局招集の会議に出席予定でした。…会議自体は予定通り行われていますが」
今度は本当のざわめきが、小さくあちらこちらから聞こえてくる。それが納まるのを待つがてら、デイヴィットは一旦言葉を切り、黄小龍に視線を向けた。黄大尉が詰まらなそうに先を促すのを確認してから、デイヴィットは言いにくそうに言葉を継いだ。
「機内から採取された有機物質を化学分析にかけた結果、助教授と認められる物は有りませんでした」
一瞬室内は水を打ったように静まり返る。一同がショックから立ち直るのを見計らうかのように間を置いてから、先程の下士官が再び立ち上がった。そして、機体から放り出された場合到達すると予想される宙域にも、それらしいものは無かった、と証言した。
「そもそも、この位置に穴が開いても外に放り出される可能性は無いわけでしょ?…博士がそれこそ煙みたいに消えたとでも言いたいの?」
最初から全く表情を変えることなく聞き入っていた、次席捜査官の楊香中尉がおもむろに口を開いた。一瞬そちらに目をやってから黄大尉は一つ咳払いをした。
「これが事故なら、手品でもない限り無理な話だが…事件だったらどうでしょう」
これまでの調査の方向を全く覆す黄大尉の発言に、先程より少し大きなざわめきがあちらこちらから起こった。相変わらず面白くなさそうに、黄大尉は手元の端末を操作する。すると、参加者各々の前に据えつけられたディスプレイに無味乾燥な文面が浮かびはじめた。
始めのうちは何気なくその文字を追っていた参加者の視線が、目に見えて熱を帯びる。それを確認し追い討ちをかけるかのように、黄小龍がたたみかけた。
「I.B.からの犯行声明文です。これは一級機密事項になります。宜しいでしょうか」

ルナはもっとも早く改造および植民が行われた星である。岩とクレーターだらけの死の衛星は、二層のジオフロントを持つ植民星へと短時間に変化した。今やルナは母星であるテラと肩を並べるほどの繁栄を誇っているが、だからこそ様々な軋轢を抱えることとなったのである。
宗主星であるテラと同等、或いはそれ以上の経済力を持ちながら、ルナは未だに独立を手にしてはいなかった。尤も、黙っていても多量の利益をもたらす金の卵を、そう易々と手放すはずはない。この点は人類が地上のみに暮らしていたときと大差ない。
そしてもう一つ、人類に変わらない所があった。自らの主張…この場合は独立と自由を主張し、必要以上に暴走する人々、即ちテロリズムである。
IB= イレギュラー・ブレインは、ルナでは最も歴史があり( という言い方も妙ではあるが ) 、且つ強大な組織力と戦闘力を保持するテロ集団である。その勢力たるや、フォボスの独立戦線に一枚かんでいると噂される程である。
かつて惑連宇宙軍発足直後、執拗な攻撃を受け壊滅的状況に陥ったとされたIBであったが、再び活動を開始したのである。そのきっかけとなったのが、"the Third" または"Drei" と呼ばれる人物の登場であった。
彼が何処から現れたのか、知るものはいない。分かっているのは、彼が分断され孤立していた各部隊を再編する事により、IBは瞬く間に壊滅以前の、いやそれ以上の勢力を得ることとなった、と言うことである。
以後、IBはテラ寄りの政府に対して各種のテロ活動を展開している。その凶悪性にも係わらず、ルナ市民の反発が殊の外少ないのは、市民感情の根底に母星テラに対する嫌悪が有るからだろう。
かくして、IBは文字通り目の上の瘤といった存在となっていた。

act4

「まあ、百歩譲ってその予告状が本物だったとしよう。だがね、この事件を起こすことがIBに何かメリットをもたらすものなのか…」
半ば苛立ったような声が上座から上がる。見ると先刻から一言も発しなかった捜査部室長であった。
初老と言うにはまだ早いものの、いかにも名誉職と言った風体の捜査部室長が若い首席捜査官を快く思っていないことを、デイヴィットはこの一言で確信した。
両者の確執はどうやら今日に始まったものではないらしく、言われた側の黄大尉は、室長を軽く一瞥すると、面白くなさそうに視線をスクリーンへと映した。
議場の面々にもこの一見を全く気にする様子は無かった。寧ろ両者から等距離を保つことによって、自らの保身を図っている用でもあった。
次第に、会場全体にだれた空気が流れはじめる。皆の集中力もそろそろ限界と判断したデイヴィットは僅かに姿勢を正した。そろそろ頃合いである。退屈な会議場から逃れるべく、彼は爆弾投下を決意した。
「諮問会議参加者は、当局が反対意見を持つアダムス博士を秘密理に暗殺したのではないかとの考えが主流になりつつあります。このまま事実関係を有耶無耶にしていれば、惑連の存続にかかわる問題になりかねません…」

ようやく重苦しいだけで無意味な会議室から開放され、デイヴィットは大きく伸びをした。人気のないことを確認しての行動であったが、だが不意に背後から彼を呼び止める声があった。
「好きなだけかき回して、しかもアゴ足付きとはいい身分だな。No.21 」
冷気さえも感じられる声に、恐る恐る、と言うようにNo.21は振り向いた。姿を現したのは、先程まで同じく会議に出席していた黄小龍大尉であった。
最初に会った時とは全く異なり、一片の好意すらない視線を正面から受けて、No.21は無理矢理笑顔を返そうとしたが、不発に終わった。
「…いきなり妙なところから出てこないで下さいよ、大尉。趣味を疑われますよ」
「そんな物好きな推測をする奴はここにはいないさ。まあいい、ここじゃ安心して話せやしない」
無愛想に言い放つと、無言で着いてくるよう促し、黄小龍大尉は先に立って歩きはじめた。おそらくこれが彼本来の姿なのだろう。それにしても…。
一瞬、その姿を見送ってから気付かれないよう小さく溜め息を着くと、No.21は慌ててその後を追った。
「待ってくださいよ黄大尉。こっちはまだ来たばっかりで不慣れなんですよ! 」
「まどろっこしいから『名前』で呼ばなくても構わん! いいから着いてこい」
振り向きもしない『先輩』の背を見ながら、その姿だけではなく性格までも、『あの人』にやはり似ているとNo.21は思わざるを得なかった。

act5

「で?本当のところ、当局はどう思っているんだ?」
殺風景な個人執務室へ入るや否や、黄小龍大尉は間髪を入れずに切り出した。だが、No’21が答えるよりも早く、デスクに腰をかけた先客が妖艶な笑みを浮かべながら口を挟む。
「まったく、少しくらいは社交辞令を大切にしたらどう?そんなんじゃ出世しないわよ、No'18」
出鼻をくじかれた黄大尉ことNo'18を後目に楊香はさらに笑って見せた。
「こっちは一つ事件を片付けてきたばかりだって言うのに。ねえ?」
急に話を振られて、勢いよく首を横に振り否定してみせるNo’21に対し、No'18は相変わらず不機嫌なままだった。
「いい加減にしろよNo'17。どのみち俺らは使い捨ての道具に過ぎないんだ。社交辞令なんかに気を使うだけ無駄だろ」
「あら、それ以前の問題じゃないの?円満な人間関係なくして任務の完遂はできないと思うけど」
まったく動じる様子のないNo'17こと楊香に対する反論を断念すると、No'18は改めてNo'21に向き直った。そして無言のまま、先刻の質問に答えるよう促した。両者のやりとりを前にして、必死に笑いをこらえていたNo'21は慌てて体勢を立て直した。
「あの犯行声明が出る前から、上の方はIBを疑っているフシはありましたから。…尤も、『あの事件』もIB絡みと思ってたようなんで、何とも言えませんが」
「実際はN.テルミン博士をたきつけた一企業の単独犯、という訳か。しかし、今回IBを疑う根拠は?室長の真似じゃないが、IBに何かメリットでもあるのか?」
分からない、というようにNo'18はNo'17を省みる。けれども、No'17は同じく首を横に振るだけだった。
「キャスリン=アダムス博士は研究面では今の主流からは外れている筈よね。仮にIBが何かたくらんでいるなら、もっと若手の研究者を抱き込んだ方がリスクはないと思うけど」
「これはJから聞いた話なんですが」
何気なくNo'21が口にした『生みの親』の名に、No'18は明らかに嫌悪の表情を見せたが、辛うじてそれを押さえ込むと、黙ったまま続きを促した。
「アダムス博士はD計画発足当時のメンバーだったそうです。方針の不一致で辞められたそうですが」
「でも…そんなデータ、私たちには回ってきてないわよ。第一、それをIBが掴んでたとして、どうするつもりなのかしら」
当然の疑問を口にするNo'17に対して、No'18はゆっくりと頭を振った。
「確かに、アダムス博士が告発するようなことになったら、惑連の弱体化や崩壊を招くのは容易だろうな。法的にも人道的にも許されない実験をしてるんだから」
一瞬皮肉な笑みを浮かべた後、再び鹿爪らしい表情を作ってからNo'18は静かに呟いた。
「だが…これだけでは事件の真犯人がIBだという決定的な根拠にはならないな」
事態は再び、振り出しに戻ってしまったようである。

act6

結局、事件の捜査に関してはそれ以上の進展は見られず、次第に迷宮入りの様相を呈してきた。以後新たな報告も底を尽き、当のIBも特に目立った動きを見せることはなかった。
そうこうするうちにテラ惑連情報部所属デイヴィット=ロー中尉のルナへの派遣期間は満了し、予定通りに帰還命令が発令された。
「とんだ無駄足を踏ませちゃってごめんなさいね。まとまりのない捜査陣の実体を露呈させただけだったけど」
宇宙港まで見送りに来た楊香は苦笑いを浮かべながら、紛れのない本心(もっともそのようなプログラムがあるのかは定かではないが)を口にした。何となく気まずさを感じ、デイヴィットは思わず視線を彷徨わせる。
「情けないわよ。あそこまで意識する必要ないと思うんだけど。…見え見えじゃない。張り合って手柄あげようとしてるのが」
あまりにも真実を突いた発言に、デイヴィットは吹き出した。それを知ってか知らずか、楊香はさらに続ける。
「なんて言うのかしら…そう、出来過ぎた親に反抗する息子って感じ?でもちょっと違うな。遺伝子的に言えば同一人物なのよね」
落としてはいるものの、彼女の声は否応なしにデイヴィットの耳に入ってくる。何故かやり切れなさを感じ、ため息を付いた彼の視線の隅に、何やら光る物が入ってきた。
違和感に捕らわれて、デイヴィットはそちらに意識を切り替えた。光る「物体」は次第に空気中への体積を増した。同時に危険信号が彼の内部で激しく鳴り響く。宇宙港にいた人々もさすがに異変に気が付いたらしい。見通しの良いロビーの中で人々は一様に騒ぎ始めた。
「…水銀ドームが発動するなんて…!」
その中で、何が起きているのか理解している唯一の『人物』である楊香がこわばった表情で呟いた。同時にデイヴィットがそれまで感じていた、ドーム内にいるはずの黄小龍の気配が、完全に途絶えた。

水銀ドーム。ルナの主要施設に配備された総合防御システムの通称である。液体状の特殊金属がドームのように施設全体を覆い、ミサイル・レーザーを問わず、内部へのあらゆる物理的攻撃を不可能にする。
平時には決して見ることのできない「それ」が、今目の前にある。わずかに傾いた日の光を反射した水銀ドームを見た者は、戸惑いながらも場違いな美しさを感じたことだろう。
「そりゃ確かにレーザーは中まで届くわよ。でも複雑に乱反射して実際届くのは木漏れ日程度じゃないかしら」
軽く溜め息をつきながら楊香ことNo’17は忌々しげに呟いた。
「だから上は馬鹿だって言ったのよ!自分らが中にいることしか考えてないんだから!助けに行く方の身にもなって欲しいわ!!」
などと叫びながらも楊香は第二層に配備されていたルナ惑連宇宙軍陸戦部隊を押さえると同時に、テラの本部にも話を付けていた。その手際の良さにNo'21は舌を巻いたが、その時の彼女が今目の前にいて上層部を愚痴っている楊香とは同一人物には思えなかった。
「所で犯人の目星はついているんじゃないですか?その様子だと」
水銀ドームとNo'17とを交互に見やりながら、そのままルナ待機を命じられてしまったNo'21は遠慮がちに話を振った。
「見当も何も…他に考えようが無いじゃない」
ドームを見つめるNo'17の視線が鋭さを増した。思わずNo'21は後ずさる。
「船をやった奴らね。それは分かるんだけど」
一旦言葉を切ってから、No'17はNo'21を省みる。
「何をしたいんだか、分からない」
「大尉殿は大丈夫でしょうか…」
「大丈夫も何も…ちょっとやそっとじゃ壊れない…ちょっと待ってよ」
不安げとともとれるNo'21の言葉に、改めてNo'17はまじまじとドームを眺める。そうしながらドームに関するデータを再構成しているようだった。
「さっきから大尉殿の『生態反応』が感じられないんです。同一惑星内にいるT型以上であれば、分かる筈なんですが…」
遠慮がちなNo'21の言葉が終わらぬうちにNo'17は鋭く舌打ちした。
「ドームは完全に外と内とを切り離すのよ…ホストとの連絡が切れると、このままじゃ彼、暴走する…!!」

act7

宇宙港がパニックに陥るほんの数分前に話は遡る。
パニックの原因となった当のルナ惑連ではいつもの如く、捜査部室長と主席捜査官の口論が行われていた。
「しかしね…。これ以上我々が調べて何か出てくる保証はあるのかね?」
いかにも退屈だと言わんばかりに、だが理にはかなった室長の発言に、黄小龍大尉は真っ向から反論した。
「疑問が残る以上、捜査を進めるのが筋ですし、その必要があると思われますが。迷宮入りのまま捜査を打ち切っては相手をつけ上がらせるだけではなく、信用問題にも発展しかねません」
暫しの沈黙が両者の間に流れる。溜め息と同時にそれを打ち破ったのは以外にも室長の方であった。
「…まあここだけの話だが、我々の調査は表向きだけだ。テラからの通達でお膳立てをしたまでのことだ」
「…は?」
「I.B.が関わってるとの決定的な証拠が出た時点で、テラは我々にこの件を任せておく気はない。最初からこの事件は我々の物ではなく、テラの管轄下に置かれた物だ」
「テラ…の、ですか?」
「結局は茶番だよ。我々の見せかけの捜査はテラが本格的に動くまで相手を油断させるための時間稼ぎでしかない。…君も一つの事件を自分一人の手で片付けたいのであれば、こんな所に燻っていないでテラ惑連に異動を願い出ることだね」
僅かに困惑したような表情を見せる黄小龍に、室長は意味ありげな視線を向けた。
「…と、建前はこのくらいにして、君は何も聞いていないのかね?」
「…は?」
何をです。と言いたげな小龍を手で制し、室長は更に続ける。
「事件は我々の手を放れ、君らの領分に入った、と言うことをだよ」
「…御存知…だったのですか?」
戸惑うNo'18に対し、室長は初めて好意的な笑顔を浮かべていた。
「正直、こうして君を目の前にしていても信じがたいがね。いろいろと煩いことも言ったがこれも演技の内と大目に見てやってくれんかね」
これまでの昼行灯と噂されていた室長の行動は、反発を最小限にして管轄をテラへ移動させるための演技に過ぎなかったのである。その事実を目の前に突きつけられ、相手の方が一枚も二枚も上手であったことを理解したNo'18は、暫し言葉に詰まった。当の室長は僅かに悪戯を仕掛け成功させたような少年の表情を浮かべていたが、一瞬の後、公人としてのそれを取り戻していた。
「まあ、君の気にさわるような発言があったことは申し訳なかったがね…」
「…いえ、お気遣い、感謝…」
ようやくその言葉を口にしたとき、No'18の『体内』で何かが文字通り停止した。目眩を感じた彼は、思わず室長のデスクに手を付く。その視界の端に、鈍い光が広がっていくのが見えた。
ほぼ同じくして、背後で扉が開いたのが分かった。だが体内で起きている『変化』に対応しきれず、振り向くことはおろか、声を出すことすらできない。
「な…なんだ、お前は?」
叫ぶと同時に室長は立ち上がり、人事不省に陥りかけている部下をかばうように一歩前へ踏み出した。その僅かな身のこなしからも、それまでの愚鈍さも単なる演技の一環に過ぎなかったことは明らかだ。だが、目の前に現れた相手は、それこそ想像の範囲を超えた物であった。
鈍い音が響いた後、何かが崩れる音。自分の周囲で何が起きているのか、No'18には見えないまでも理解することはできた。まだ十分には言うことを聞かない体で無理矢理扉の方に向き直る。と、まず目に入ってきた物は床に倒れ伏した『上司』であった。その脇には、侵入者がいた。
かすむ視線をゆっくりと上へ移していくと、薄笑いを浮かべる侵入者のそれとぶつかった。
「お前は…!」
かすれた声でNo'18は呟く。だがそれだけだった。頭上で何かが閉ざされるのを感じた。同時にそれまでの『動力』が完全に停止した。腹部に感じるはずのない鈍い『痛み』を感じ、『人形』のように彼は倒れた。

act8

「何をしたの?無関係な人を巻き込まない条件でしょ?」
背後からかけられた鋭い声に、男は振り向いた。その顔には薄笑いが浮かんだままである。戸口には初老と呼ぶにはまだ早い、理知的な美しさの女性が立っていた。
「失礼ドクター。でもこの二人を言葉で納得させるのは、気弱なルナ支部長を抱き込むよりも何十倍の労力を必要とすると踏んだからですよ。特にこのお兄さんはね」
そう言うと、男は自分に寄りかかるようにして意識を失っている若き大尉の顔を、女性の方に向けて見せた。女性は大きく後ずさる。
「まあ力は加減したから、二人とも死んじゃいませんよ。安心してドライの処置の準備をしてください。アダムス博士」
無言で立ちすくむ女性に、男は獲物を追いつめた肉食獣のような笑みを向けた。
「…尤も我々はまだ貴女を信用してはいませんが。惑連ってのはそういう所なんでしょう?…常に我々の目が背後にあることをお忘れなく…」
無数の毒針を含む冷笑から逃れるように、キャスリン=アダムス博士は足早に立ち去った。その脳裏には忘れようとしていた『ある人物』の姿が、浮かんで離れなかった。

彼女が惑連に籍を置いていたのは、もう一昔以上前のことである。
当時惑連情報局内では通称”D計画”と言う疑似生命体を主体とする研究が進められ、彼女もその主要メンバーの一人であった。
そのまま行けば将来を約束されたも同然の環境を彼女が離れるに至ったのは、ある事故がきっかけであった。資料保存用液体を保管していた容器の爆発事故により、研究員の一人、エドワード=ショーンが脳死状態に陥った。苦楽をともにした同僚を失うことだけでも彼女を悲しませるには充分すぎることではあったが、現実は更に残酷だった。…同じ研究に携わっていた一部のメンバーが、研究家庭にある技術を彼に施してしまったのである。
仲間を『実験台』にした、と、彼女は手術に関わった同僚を非難した。同時に彼女は今まで研究の名の下に自らが行ってきた行為を悔いた。自分の声はそれまでの研究に用いられた『検体』となった人々の家族、友人達の声そのものである。
その事実に気がついたとき、彼女は愕然とすると同時に、惑連を離れる決心をしたのである。

多くを語らないまま、彼女は惑連を離れた。
事実を見つめる時間を得るために生まれ育ったルナへと戻った。
だが、彼女が惑連で関わったという現実は、彼女をそう容易くは解放してくれなかったのである。
先刻見た、倒れ伏す大尉の顔が記憶の中の寝台に横たわるかつての同僚のそれと重なり、キャスリンは思わず立ち止まった。
苦い思い出を振り払うように頭を揺らすと、彼女は再び歩み始めた。
今度こそ現実から逃げ出すまいと決意して。

act9

冷たい空気を頬に感じ、黄小龍は目を覚ました。
水銀ドームの発動により電子系統による生体維持回路は完全に停止していることはすぐに分かった。そうでもなけれはあんな所で無様に殴られるはずもない。
半ば体を起こし、首筋に手をやると血管が脈打つのが感じられた。これが『生』の証か?俺は生きてはいないのに…。
矛盾した思考に陥りかけた小龍を現実へと引き戻したのは、皮肉にもそのきっかけを作りだした張本人であった。
「もう気がついたのか。私服組最強の噂は伊達じゃないな」
「貴様…連んでいやがったのか…!」
そう言う感覚もいつもと違う。『デジタル』と『アナログ』の違いと言ってしまえばそれまでだが、違和感に慣れるまで少々時間がかかりそうだ。
その小龍の目前で皮肉な笑みを浮かべているのは先日まで事故機の調査結果を説明していた下士官だった。小龍の言葉を困惑と受け取ったのか、彼は勝ち誇ったように話し始める。
「連むも何も…まともな身元調査もしないそちらの人事部に問題があるんじゃないの?普通はこんな体のやつは健康診断の段階で不採用だと思うがな」
言うと同時に彼は右手首をはずした。そこには紛れもない銃口が鈍く光っていた。
「自分の体を改造したのか…馬鹿なことをしやがって…」
低く呟く小龍をせせら笑うかのように、下士官は続けた。
「馬鹿?それを言うあんたらの方がもっと凄いことをやっているんだろ?え、大尉さんよ?」
「D、いい加減になさい!」
更に続きそうな下士官の言葉を遮ったのは、以外にも場違いな女性の鋭い声だった。流石の下士官も一瞬とまどいの表情を浮かべたが、すぐにそれを収めると振り向きもせずに言った。
「ほら、張本人のご登場だ。こんな殺風景なところに何のご用です?アダムス先生」
小龍は自らの耳を疑った。だが、ようやく光に慣れた目が捕らえた物は、見紛うはずもない、行方不明のキャスリン=アダムス博士その人であった。
「怪我人の診察よ。ちゃんと許可は取ってあります。貴方の方こそ持ち場に戻らなくても良いの?」
やれやれとでも言うかのようにDと呼ばれた下士官は軽く両手をあげると部屋を出ていった。鍵をかけていかなかったのは言うまでもない。
「…大した自信だ。確かに部屋から出てもドーム外に出るのは不可能だからな。…この分じゃ解除パスワードも変えられてるだろうし…」
うそぶくNo'18には耳も貸さず、アダムス博士は無言のまま跪き、No'18の腕を取った。僅かに彼の顔がこわばる。だが、アダムス博士は二、三度掴んだ手首と顔とを見比べたが、呆れたようにため息をついた。
「脈拍は正常、顔色もまあ平常の範囲ね。気を失うほどの暴行を受けた直後とは思えないわね。…一体どんな訓練を受ければそうなるの?」
確かに、常識で考えれば機械化手術を受けた人間の一撃を喰らってけろりとしている方がおかしいのである。曖昧にはぐらかしておいてから、黄小龍は謝意を表すと同時にそれ以上の診察を固辞した。
「骨折ほどの重傷だったら自分で分かりますよ…それより博士、どうしてI.B.何かに…」
「断っておきますが、肩入れしているわけではありません。こんな事態になってしまったら、信じろと言う方が無理とは分かっているけど…」
少し肩をすくめると、アダムス女史は小さく溜息をついた。いつもならばこれが本心なのか否か、容易く見分けがつくのだが、流石に今はそうはいかない。No'18は僅かに舌打ちした。が、あることを思い出し顔を上げた。
「さっきの…Dとか言う下士官、調査に入ったって…まさか…」
彼の問いかけをアダムス女史は無言でうなずくことにより肯定した。更に続けようとする小龍の言葉を遮って女史は立ち上がった。
「タイムリミットだわ。もうすぐ私がここに呼ばれた理由が来るの。…結局私は、いつまでも自己満足の偽善者に過ぎないのだけれど…また来ます。当分無理はしない方が良いと思うわ」
「待っ…!」
悲しげに笑うと、アダムス女史は意を決したように部屋を出ていった。それを追おうと立ち上がろうとした小龍の視界を、黒い陰が遮った。
「な…!」
訳も分からないまま、小龍は膝をつく。視界と同様、思考にも黒いもやがかかり始めた。
そして、彼の意識は完全に途切れた。

act10

周囲が暗い。音は何も聞こえない。ただ、心臓の鼓動だけが不自然に頭に響く。
ここは何処だ?何故急に途切れる?…あの銀色の幕の所為だ。
うつろな目を開き、彼は窓の外を見据えた。
あの幕さえなくなれば全てが元に戻る。そう、何もかも。
備え付けの端末に彼の手が触れた。画面が不意に明るくなる。進入を警告するアラームがまもなく部屋中に鳴り響くが、彼が何かを打ち込むとたちどころに沈黙する。
惑連の全てのセキュリティシステムは、彼のIDに対して無抵抗にその進入を許可した。それだけの権限を彼は与えられていたし、今の彼はそれを行使することに何らためらいを感じることはなかった。
やがて、問題の箇所に彼は到達した。無意味にもとれる数列が羅列する画面を、彼はしばらく無言のまま見つめていたが、先ほどのアラームとは異なる警告音が異常を知らせた。
誰かが彼の進入に気がついたらしい。それが彼の味方ではないのは明らかだった。だが、このまま引き下がっても面白くはない。
彼の顔に、僅かに笑みが浮かぶ。そして…。

頭の片隅に鈍痛が走る。だが、この痛みは物理的外傷に起因するものではなく、精神や思考といった実体のない原因に由来するものだ。そう黄小龍は直感的に理由付けようとして、すぐに苦笑を浮かべた。0と1から成立するプログラムが、全く別系統である思考回路と痛覚(破損知覚系統)を混同するはずがない。もし万一、本当に思考回路の異常から成る頭痛であれば、それこそバグに他ならない。
しかし、それにしてもな何故突然『意識』が途切れたのだろう。アダムス女史が部屋を出ていったところまでは記録がある。自己修復に伴う『眠り』が必要なほどのダメージをうけたわけでもないし、小龍は自らの変調に説明を付けられずにいた。
「ったく…どうなってんだか…」
ぼやきながら頭をかき回し、僅かにずれていた眼鏡を直すと、次第に鈍い頭痛が霧のように消えていく。そのタイミングを見計らうかのように、扉が開いた。
「…お前か、何の用だ?」
不快感と嫌悪感が入り交じったNo'18の視線を真っ正面から受けてもなお、”D”は不敵な笑みを崩してはいなかった。その不気味とも言える笑みを唇の端に貼り付けたまま、Dは無言のまま歩み寄ると前触れもなく若き大尉に掴みかかった。
「油断も隙もありゃしねえな。え?大尉殿?!」
そう吐き捨てると、Dは小龍を床に叩き付ける。衝撃で外れた眼鏡は次の瞬間Dによって踏みつぶされていた。
「いきなり怪我人になにしやがる…俺はついさっきまで、意識不明の重体だったんだよ!」
幾ばくかの誇張はあるが、小龍の言葉は大筋で間違ってはいない。その反応が演技なのか否か、Dはしばらく測りかねていたようだった。
「ホストに侵入して非常事態を解除しようとしたやつがいたんだよ。ご丁寧にパスワードを変えて行きやがった…あんたじゃないのか?」
「普通はその手の機密は敵にわざわざ報告には来ないと思うぜ…第一、一介の大尉じゃ中枢部へのアクセスは不可能だがな」
暫し、両者の視線が空中でぶつかる。その緊迫した空気を先に破ったのはDの方であった。
「…『普通』の大尉殿なら、確かに無理だろうけどな…」
皮肉な笑みを浮かべて自分を見下すDに、No’18は返す言葉に詰まる。ようやくかすれた声で、何のことだ、と言うのが精一杯だった。
「さっきも言っただろ?お前らの方がとんでもねえことをやってるって…俺の名の由来でもある、情報部の特殊部隊…」
「馬鹿な…何を言って…」
「惑連が開発した最強『兵器』Doll…俺は会ったことがあるぜ…最初に会ったのは、まだガキの頃だったけどな…」
この男は一体何を知っているのか、何を言おうとしているのか、小龍はまだ全体像が見えずにいた。

act11

ルナ宙港内の一室に臨時のテロ対策本部が置かれたのは、水銀ドーム発動から2時間弱が経過してからだった。その間、楊香中尉はただ手をこまねいていたわけではない。ありとあらゆる手段を尽くして、ルナ政府や警察、ルナ駐留のテラ宙軍司令部などと接触を試みていた。だが、水銀ドームの発動と同時に、ルナ内には自動的に厳戒令が発令され、その原因究明のため各機関は混乱に陥っていたのである。状況が全く掴めない主要機関は、当然の出来事に全く役には立たなかったのであった。
かくして、有事に対するもろさをさらけ出した各機関に匙を投げた楊香は、ようやく連絡の取れたテラ惑連本部に対してこう告げた。
「各庁ともお忙しいようですので、小官の独断で2条を発動いたします。以後、よろしく」
…早い話が、勝手に最善を尽くすので後始末は任せた、と言うことである。だが、だがこれは『彼ら』に与えられた正当な権利であるから、後方は口出しが出来ない。こうした紆余曲折を経て、対策本部設置に思いの外時間をとられてしまったのである。
管制室に続々と機材が運び込まれ、急ごしらえの司令部が作られつつあった。以外にも宙港の総責任者である橋本将氏は、楊香の言葉を借りれば「どこぞの指揮官も見習って欲しい」ほどの危機管理能力を持ち、柔軟な対応で彼らの注文に応じた。
幸い、突貫工事の間、ドームに覆われたルナ惑連本部ビルには外も内も目立った動きは見られない。どうやら『敵』もこちらに準備時間を猶予してくれたらしい。そう好意的に解釈した楊香は、何度目かの中間報告に現れた橋本氏に丁寧に謝意を示した。
「申し訳ございません。突然の不躾な申し出ですのに…」
「いえ、当然のことをしているだけですから…」
そう言うと、橋本氏はこの混乱下では通常業務はとても出来ないから、と言って笑った。恐らく宙港内に取り残された客も相当数いるであろうのに、それを全くおくびに出さないのは見事である。それまで両者のやりとりを黙ってみていたデイヴィット=ロー中尉であったが、思わず当然とも言える疑問を口にした。
「所で、見事な危機管理体制ですが…何か特別な訓練でもなさっているんですか?」
予想をしていたのか、橋本氏は照れたように破顔した。一見気むずかしげではあるが、笑うと存外柔和な印象を受ける。たぶんこちらが本性なのだろう、とNo.21の考えが及んだとき、その答えがようやく導き出された。
「以前、ハイジャック事件に遭遇したことが有るんですよ。…こっちに就任して以来、非常時の訓練は徹底して行っているんですが。まだ若い頃で…強烈な印象でしたからねえ、あれは」
そう言うと、橋本氏はこんな時にちょっと不謹慎ですが、と前置きをしてから事件の話を始めた。

act12

ハイジャック犯とのにらみ合いは、事件発生後2日経った今でも何ら好転する気配はない。空港の管制室に詰めている警察や軍の要人らは、いずれも疲労の色は隠せなかった。
膠着状態に陥っていた事態が急展開を始めたのは、昼過ぎのことであった。『人道的観点』から、病人、妊婦、そして子どもの合わせて10数名が前触れもなく解放されたのである。すると当局はこれを利用しようと考えた。すぐに入院加療が必要な1名を除いて、解放された人質は全員、管制室に集められた。機内がどのような状況なのか聞き出そうという寸法である。
だが、現実はそう旨く運ばなかった。厳つい顔をした男達に囲まれて、幼い子ども達は怯え、泣き叫ぶばかりである。お偉いさん達がほとほと困り果て、頭を抱えていた時、一人の少年が窓の方に歩み寄った。そして、立ち往生している飛行機を指し、言った。
「銃を持ったおじさんはあそことそこに一人ずついたよ。みんなはあの辺に集まってる」
大人達は慌てて少年が指さした先を見つめた。どうやら操縦室に一名と、客室に一名、という布陣らしい。大人達は何気ない少年の言葉に色めき立った。
「で?その銃を持ったおじさん達は、銃以外に何か持っていたかい?爆弾とか、ナイフとか…?」
「ナイフは持ってたよ。爆弾も鞄の中に入ってるって言ってた。でも、見せてくれなかったから本当かどうかは分からないけど」
少年は大人顔負けの冷静さで状況を観察していた。その話によると、心配されていた引火性気体の機内散布は行われていないようだった。暫し話し合いが行われた後、軍服姿の一人が立ち上がった。
「大尉、出番だ」
その声に応じて、先刻から大人達の輪から離れたところに座っていた一人の男が、静かに立ち上がった。音もなく近寄ってくるその男に、少年は部屋に入ったときから妙な違和感を感じていた。だが、男を間近にしてその原因を理解した少年は、少年は息をのんだ。
生気のない硝子色の瞳が、少年を正面から捕らえた。そのあまりの異様さに少年は目を疑った。存在自体が不自然な、そう、まるで人形が動いているような…そこまで考えが及んだとき、男の口が開いた。
「引火性の気体をばらまいたら、自分らの方も発砲できなくなる。連中もそこまで馬鹿では無かったようだ」
「御託は良い。お前が腕前を見せつけてくれりゃ、全てが終わる。早くしろ」
男の上官らしい軍人の言葉には、心なしか皮肉と嫌みが必要以上に加味されていたように少年にも感じられた。だがもっと不思議経ったのは、期待を一身に背負っているはずの男に向けられる大人達の視線が、等しく冷ややかであり、中には恐怖や嫌悪すらも含まれていることである。
当の本人はそれらを気にする様子もなく、手慣れた動作で何やら組み上げている。どうやらレーザーライフルの類のものであるらしかった。かなりの重量のあるそれを軽々と担ぎ上げると、男は窓際へ歩み寄った。
「おい…大丈夫なのか?そんなに堂々と…」
「これだけ離れていれば肉眼でこちらは確認できない。普通の『ヒト』ならば」
そう言い捨てると、男はライフルを構えた。その口元には薄笑いさえ浮かべている。その異質な神秘さに少年は釘付けになった。内心嫌悪を感じながらも、大人達も少年と同じく男から目が離せずにいる。
男はスコープを通して狙いを定めた。硝子色の目が僅かに細められる。引き金が引かれるまで、時間はかからなかった。ためらいや迷いと言った『感情』は、全くと言ってよいほど感じられなかった。一本目の軌跡が消えぬうちに男はライフルを構え直し、再び引き金を引いた。
ライフルをおろした男が僅かに頷くのを見た軍人が慌てて出動の命令を下す。二日間に渡ったにらみ合いの結末にしてはあまりにあっけないものであった…。
act13

「最初は夢を見ていたのかと思った。何せ、その後のニュースじゃ『あの人』には全く触れちゃいねえ。おかげでガキの戯言なんざ、誰も耳を貸さなかった」
Dは何かに憑かれたように話し続けていた。最早、唯一の『聴講者』である黄小龍すらその眼中には無いようであった。
「あの人は確かにいた。俺は夢を見ていたわけじゃない。俺は一瞬にして事件解決の功労者から大嘘吐きにされちまった。そうしたのは他でもない、お前らだ」
ようやくDは自らの視界の中に他者の存在を認めた。その他者に対して、Dは怒りに満ちた視線を投げかけた。
「それから後はひどいもんさ。落ちるところまで落ちた俺は、I.B.に拾われて…あの人に再会した」
「会った…だって?」
かすれた声で呟く小龍に、Dは勝ち誇ったような、だがどこかで引きつったような笑みで応じた。
「あの人…サードは全部教えてくれた。お前らが正義面してウラで何を創っているか…その結果、できあがったのが自分だ、とも」
そう言うと、Dは小龍の胸ぐらを掴んだ。間近に見るDの瞳に小龍は有る物を見いだしていた。すなわち、狂気。もしも自分が正真正銘の『ヒト』であったなら恐怖を感じるだろう、と冷静に判断する小龍とは対照的に、Dは感情に全てをまかせているようである。
「お前らは治療と称して、回復の見込みのない軍人に脳手術をして『人形』に仕立ててるそうじゃないか。しかも不具合が出たり、修復不可能になったら廃棄処分だ。それが宇宙の仲裁者のやることか?え!?」
確かにDの言うことは正しい。事実、No.18自信もいつ廃棄を言い渡されてもおかしくない立場にある。そして彼自身の存在も、Dの言うような行為の積み重ねの末にある。理由はどうあれ、『惑連』が行ってきた行為は正当化されるものではないだろう。
小龍の返答がないのをどう受け取ったのか、Dはそれまで掴んでいた手を離した。言いたいことを全て話し終え、対象に興味を失ったようでもあった。
「エリートさんには信じられない話かもしれんが、全部事実だ。…もうすぐサードが来る。生き続けるために。そうすりゃあんたも今までの忠誠心がいかに無駄だったかが分かるだろうよ」
笑いを残してDは部屋を出ていった。部屋を出ていった。
取り残された小龍がふと窓の外に視線を移すと、小型シャトルがドームの外へ飛び立つところであった。特定のシリアルを打ち込んだシャトルと車だけが、この銀色の防御壁の内と外を物理的に結ぶ手段である。
何処まで惑連の機密はざるなのか、と思わず小龍は苦笑いを浮かべた。
とにかく、事態を知りたい。そして外に伝えなければ。どうにかして…。

「まあ、私は管制室の外で右往左往していただけですから。その時からでしょうかね、普段の心構えが危機管理には一番大事だと感じたのは」
そう話を締めくくると、橋本部長は気弱そうな微笑みを浮かべたまま、やや寂しくなった頭をかいた。そのままにしておくと延々と続きそうな彼の懐古談は、一人の空港職員の乱入によって中断された。曰く配線の突貫工事が全て終了したとのことである。
「どうもありがとうございます。…差し支えがなければ、現在離陸可能な機の数と、その発着を押さえていただけませんか」
楊香に微笑みかけられた空港職員は、耳まで真っ赤になってぎこちなく頷くと、慌てふためいて出ていった。その後を追うように橋本部長が部屋を後にするや否や、二名の惑連職員は搬入されていた機材に向き直った。
「ドームにつなげる周波数に合わせてくれる?こっちはテラの方に繋ぐから」
鋭い指示がNo.17から飛ぶ。先刻までの笑みはすでにない。デイヴィット=ローはその変わり身の早さに感心した。慌てて端末に触れたNo.21であったが、ふとあること思いだし、おもむろに口を開いた。
「そう言えばさっき、大尉殿が暴走するって仰ってましたが、一体どういうことです?」
一瞬No.17の手が止まる、やや間をおいてから口を開くその顔には、心なしか諦めの表情が浮かんでいるようでもあった。
「東洋の小国の古いことわざに『火事場の馬鹿力』ってのが有るんだけど、知ってる?」
的外れとも思えるNo.17の言葉に、戸惑いながらもNo.21は首を縦に振った。確認するようにこちらも頷くと、No.17はようやく確信に触れた。
「彼の性格プログラムを組んだときに、妙なことを考えた研究員がいたのよ。果たしていかにヒトに近いプログラムが組めるかってね」
「それとこれと、どう関係が有るんです?」
「…主な人格、つまり平時のNo.18の人格が危機的状況に陥ったとき、『火事場の馬鹿力』が発動するって訳。この裏人格ってのが厄介で、自称常識人の彼の理性を完全にふっとばしちゃうの。自分の生体維持と安全の確保のために、ひたすら突っ走る…」
「あんまり楽しくない想像ですね…」
「想像じゃなくて現実よ。だからあいつは反抗的なの。それだけが原因じゃないけど…ちょっと何それ」
No.17の言葉の最後は、スクリーンの一つに反応したものだった。銀色に輝くドームを捕らえ続けているスクリーンの一点を指している。
「シャトルが、出ていく…」
「奴ら、何を考えているの…?」

act14

行き交う足音が、不意に思考を中断させた。扉一枚隔てられていても、次第に足音が高く、慌ただしくなっていくのは容易に理解出来た。先ほど出ていったシャトルが関係しているのは間違いない。今までのDの話を加味すると、恐らくシャトルはI.B.の指導者である『ドライ』を迎えに行ったのだろう。
現状を知りたい。せめて外に出れば…。だが、流石に警戒されたのか、扉は内側からは開かなくなっている。腹いせに蹴りでも入れてやろうか、そんな思考が不意によぎったのに気づき、小龍は思わず苦笑した。
あいつに殴られてから、正確には水銀ドームが発動してからどうもおかしい。もっとも電気系統が停止したのは初めてなので、そこで何らかのバグが発生している可能性もある。何より認めたくはないが、もう一つの『人格』が暴走し始めたらたまらない。気は進まないが、一旦テラに戻る必要がありそうだ。この状況から無事に帰還できるのなら。
無事、と言う言葉を口にして、小龍は再び苦笑した。本来危機的状況に投入される自分が、帰還を望んだことに矛盾を感じたのだ。
「さて、どうした物か」
他人事のように呟くと、No'18はゆっくりと立ち上がった。本来ならば目抜き通りに面した大きな窓に、全身像が映る。その自分の姿に、彼は一瞬身じろぎした。眼鏡のない顔は厭なくらい『あの人』にそっくりだ。だが、外見はともかく、実績は『あの人』には遠く及ばない。例えキャリアの長さを差し引いても。
苛立ちを押さえきれず、No'18は硝子に激しく手をついた。その向こうから、眼鏡というフィルターを失った人口眼球が無感動にこちらを睨み付けている。その背後で、前触れもなく扉が開いた。
振り向きざまに放たれた鋭い視線が、アダムス女史の怯えたそれとぶつかる。慌ててNo'18は視線を逸らしたが、先刻とは異なる女史の白衣が、目に痛かった。
「何か…ご用ですか?…それより、よろしいんですか?」
Dの言葉から察するに、女史はI.Bにとって賓客ではあるが同時に『招かれざる客』でもあるらしい。その女史が自分の所にやってくることは、その微妙な立場が更に危うい物にしてしまうのではないだろうか。
「皆、『サード』を迎える準備でそれどころじゃないわ。仕事が始まるまで、私は煙たい存在だから…」
彼らの目に付かないようにしている、とアダムス女史は言い、寂しげに微笑んだ。そして、今のところ、職員の中で制裁を受けたものはいない、と告げた。
「何とか怪我人だけでも解放するよう掛け合ったけど、駄目。一応応急処置はしたから、命に別状は無いけれど」
「ドーム解除後も無事でいられるという保証は無いですからね。下手すりゃ皆殺しになりかねない」
言ってしまってから小龍は少し後悔した。その意図はなかったとはいえ、明らかに女史への当てつけともとれる発言であると気づいたからだ。
「確かに…処置さえすめば、私も用済みね」
だからといって、彼女は『ドライ』に対する『治療』をおざなりにすることは無いだろう。小龍は目の前の女性に、妙な確信を抱いていた。しかし、それにしても…。
「けど…何故貴女は、そこまでI.B.に…『ドライ』に必要とされているんです?」
ごく当たり前な、だが今まで思いも寄らなかった疑問を小龍は何気なく口にした。だが、当然とも言える疑問は、予想外の効果をもたらした。
目の前の女性は、一瞬息をのみ、再び目をそらした。心なしか青ざめたように見えるアダムス女史は、やや一瞬の間をおいてから、思い口を開いた。
「彼は…『サード』は、私たちの犠牲者なの…」

act15

先に非常回線を開いたのはNo'17の方だった。
呼び出しに応じて、それまで灰色だったディスプレイに映し出された彼らの『生みの親』であるジャック=ハモンドは、心なしかいつもより疲れているようだったが、不快な様子は見せなかった。だが、それまでの経緯をNo'17がかいつまんで報告すると、その表情はやや曇った。
「中に小龍がいるのは確かなんだな?…とは言っても、確証は…」
話を振られてNo'21は勢い良く首を左右に振る。やはりそうか、と言うように、一つ頷くと、ジャックは腕を組み黙り込む。暫し、画面から目をそらし、何か呟いているようではあったが、こちらからは内容までは分からない。
「取りあえず、ルナの駐留軍は押さえました。第一級臨戦態勢を取って貰ってます。それは良いとして、I.B.の…『ドライ』の考えが読み切れないんです」
「ドライ…ドライか…」
二、三度、ジャックこと、Jの口から顔すら明らかになっていない、その存在すら疑問視されている敵の首領の名前が漏れる。彼は人差し指で米噛みのあたりを叩いていたが、不意にそれが止まった。
「ドライ…サード…、いや、まさか…だが…」
いつになく厳しい表情を見せるJに、ルナの両者は顔を見合わせる。その戸惑いを感じたのか、或いは決心が付いたのか、Jはようやく正面に向き直り、重い口を開いた。
「…キャスが乗った船をI.B.がやったのは確実なんだな?」
数秒の間をおいて、No'17は頷く。画面の向こうにいる彼らの親が、一体何を考えているのか、そしてどのような結論に達したのか、子ども達には想像も付かないでいる。
画面を挟んで、両者の間に重く長い沈黙が流れる。その沈黙に耐えきれず、No'21が口を開きかけたとき、Jの口から、重い独白が流れた。
「…まず、脳死宣告を公にしなかった時点で臓器移植法違反、次に認可されていない脳手術を実行した時点で死体損壊罪。いや、あのとき脳死が確定していなけりゃ、傷害罪、下手すりゃ殺人未遂だ。しかも、一度や二度のことじゃない。同じことをしてもバックの有無で大きな違いだ」
更に続きそうなジャックの独白は、突然中断した。画面を通して注がれる視線に気が付いたのだ。一つ咳払いをしてから、改めてJは両者の視線を受け止めた。
「すまん。年寄りの戯言だ。忘れてくれ。…この歳になると、厭なことばかり思い出して困るよ」
言葉の後半は彼なりのユーモアだったようだが、残念ながら不発に終わった。もっとも彼の『子ども達』に、齢を重ねると言う感覚と、それに伴う愚痴を理解できるかどうかは謎である。決まり悪そうに苦笑を浮かべてから、Jは表情を引き締めた。
「…J…、ひょっとして、貴方には事件の真相が見えているんじゃ…」
ようやく発言の機会を掴んだNo'21の何気ない言葉が、普段は穏和なJの表情をより厳しい物にした。その険しい表情のまま、ジャックは果たして頷いた。
「見えている、と言うよりは、推測にすぎん。だが、悪趣味な想像ほど最悪の現実に近いと言うこともある」
自分に言い聞かせるためか、ジャックは低く呟いた。
「まだ若い頃さ。お前さん達の原型を研究していた頃の話だ。俺らのラボに瀕死の軍人がかつぎ込まれてきた。頭部にでかい傷を負っていて、我々は脳死状態と結論付けた」
そこでジャックは一度言葉を切った。苦い思い出を自分の中でかみ砕いて言葉にするのに苦慮しているようでもあった。
「上からの命令は、彼を助けろということだった。そのままでは彼の死は明らかだ。命令か人としての良心か、我々は二者択一を迫られた。そして奴は…ためらいもなく決断を下した」
固唾をのんで次の言葉を待つルナの両者に、ジャックは予想に違わぬ言葉を口にした。
「実験中の…成功率はコンマ以下とはじき出されたA.I.の埋め込み手術を、実行したのさ…」

act16

「…そして被験者となった患者は生き返ったわ。でもそれは単純に生き返っただけ。起きあがった患者には、生前の記憶は残されていなかった」
「それが『サード』なんですか?」
黄小龍の問いかけに、キャスリン=アダムス博士は力無く頷いた。
知りたくない現実から目を背けるように、小龍は窓の外に視線を転じた。ちょうど先刻出ていったシャトルが戻ってくるところだった。
「サード…そうね、正式にはNo’3と呼ばれていたわね。射撃や白兵戦の腕を買われてしばらく惑連にいたらしいけど…」
事件捜査中に消息不明。除籍時に二階級特進で大佐へ。それがNo'18の持つ、No’3の情報全てだった。その中には先程”D”から聞かされたハイジャックの記録もある。Dの話は絵空事ではなかった。"Doll"No’3との出会いが、一人の少年の人生を、大きく狂わせてしまったのだ。
「さっきのシャトルに『サード』がいるの。突貫的なA.I.手術が不具合を起こしていると、彼が助けを求めてきたのがテラに建つ直前。悪戯だと思って無視していたんだけど…今更ながら、本当だったのね」
No'18から逃げ出すように、博士は話を打ち切り扉へと向かった。
弁解はしない。その代わり慰めも受けない。博士の後ろ姿は、まるでそう言っているようだった。
そして再び、室内にはNo'18だけが残された。
頭の中で足音が反響する。窓に写る自分の姿が目前に迫る。そして…。

侵入されたことに気が付いたらしい。どうやら奴らも馬鹿ではないようだ。
この状況下でもう一度ホストに侵入を試みるのは難しい。
そう言えば先刻、『ドライ』が来たと、博士は言っていた。
これまでの奴らの動きからして、相手の人数はそう多くはないらしい。その少ない奴らが『ドライ』の警護にあたれば、こちらの監視は手薄になる。動くなら今だ。
『彼』は扉に向かって歩み寄る。閉ざされた扉に強引に手をかける。一瞬抵抗した後、扉はゆっくりと開いた。
『彼』の顔に笑みが浮かぶ。いつもより明かりが落とされた廊下に、彼は消えた。

宵の帳が降りた中に、水銀ドームは周囲からライトを浴びて異様な圧迫感を見る者に与えていることだろう。だが、そこで威圧感を覚えた時点で、既に設計者の術中にはまっているという事実に、気づく者はどれだけいるだろうか。
難攻不落。そう広く宣伝されてきた水銀ドーム。あらゆる物理的攻撃を無力化するというこの防御システムを、だが実際に攻撃した者はいるのだろうか。
全ては設計者のしかけた罠だ。そうつぶやき、『彼』は低く笑った。
ここまで来る途中、彼は二桁のカメラを動作する以前に破壊してきている。セキュリティシステムの管轄外にある非常階段を下へ、下へと降りていく。
そしてついに階段は尽きた。暗く、だだっ広い空間が、そこには広がっていた。
彼は迷うことなくその中へ足を踏み入れる。柱の一点に手を触れると、そこから端末が姿を現した。
唇の端に僅かに笑みを浮かべると、彼はそれに向き直った。

act17

「すまん。遅くなった」
灰色になっていた画面に再びジャックが姿を現した。疲労の色は先刻よりもいっそう濃くなっている。やや心配そうな視線を投げかけるルナの面々をよそに、当の本人は単刀直入に本題に入った。
「まだ奴らは何も言ってこないか?」
No'17が無言で頷くと、ジャックは深く溜め息をついた。やや間を置いてから、彼はためらいを振り払おうとするように口を開いた。
「これからの話は、年寄りの悪趣味な想像だ。最悪の条件がそろわなけりゃ成立せん。上に報告できるような代物でもない。だが現状に一番近いんじゃないかとは思っている」
再びNo'17は神妙な顔で頷く。
「分かった。…ちょっとこれを見てくれないか?」
そう言うとジャックは、デスクの上にあるものを指し示した。なんの変哲のない人体の頭部模型のある一点を叩きながら、彼は続けた。
「我々が実験段階のA.I.を埋め込んだのはちょうどこの位置だ。あの頃は目の前の患者を生き返らせることで手一杯で、それ以外のことは考えていなかった。で、これがNo’3に埋め込んだチップの模型だ」
ジャックの手には、遠目にも無機質に鈍く光る『部品』が乗っていた。大きさ、形を例えるなら、ちょうどカッターナイフの刃を一折りしたくらいだろうか。だが、それがいかに小さいとは言え…。
「あの…拒絶反応とか、組織の癒着とか、そう言ったことは…?」
No'21の問いかけに、ジャックは首を横に振った。
「今、少尉にシミュレートして貰ったところだ。もし万が一、No’3が今現在も生存していると仮定すると、この部分の脳細胞が壊死している可能性がある」
ジャックは頭部模型を持ち上げた。そしてその指は移植箇所を中心として円を描いていた。
「くわえてNo’3がI.B.の『ドライ』であると仮定する。奴の命はA.I.によって辛うじて保たれているとは言え、根本の脳本体はかなりやばい状況になっている。彼は生きながらえるために有る人物に目を付けた。惑連から離れ、且つ自分の蘇生時の医療チーム中心メンバー、加えて脳神経の第一人者…」
「キャスリン=アダムス博士、ですか…」
No'21の呻き声に似たつぶやきを、ジャックは今度は苦虫をかみつぶしたような表情で肯定した。
「だから『最悪な条件がそろったら』という仮定にすぎん。あちこちに根をはっているI.B.のことだ。キャスが乗ったシャトルの機長や、調査団、こいつら全員が連んでいるとしたら…可能性は低いが、不可能じゃない」
「必要な『モノ』は全て水銀ドームの中、ってことね。患者、有能な医師、そして設備…」
「I.B.の技術力から行けば、惑連内のシステムが有れば人工脳くらい生成できますよね。後は移植時の状況を知る誰かに、アドバイザーになって貰えば…」
一見無関係に見えたこれまでの出来事が、仮定の上とは言え一本の線でつながった。後に残るのは、謎が解けた快感ではなく、なんとも言い難い後味の悪さだった。
「…これだけの事件になっちまったのは、奴を『造った』我々の責任だ。…尤もこれだけですめば良いんだが…」
ジャックの独白の後半は余りにも低く、ルナには届かなかった。だが音声として伝わらなくとも、その苦悩は痛いほど伝わっていた。

act18

静まり返った室内に、着信を知らせる電子音が響く。
定時外の突然のことに、「I.B.対策本部」の両者は怪訝な表情で顔を見合わせ、取りあえずそれを拾おうとした。
「…ルナ惑連の非常回線からです…!この通常端末では…」
「取りあえず拾って!復元は私が何とかするから!」
緊張が走る室内に、No'17の鋭い声が飛ぶ。慌ててNo'21がその指示に従うと、もう一つ画面が立ち上がり、意味不明の電文が表示され始めた。
「どうした?何かまずいことにでもなったのか?」
ルナでの異変を感じ、画面の向こうでジャックが身を乗り出す。端末を操作しながら返答したのはNo'17の方だった。
「ルナ惑連から非常通信が入りました。復元解析がもうすぐ終わるので、直通回線でそちらにも転送します」
程なくして、例の通信文を受け取ったジャックは、ざっと目を通すなり深々と溜め息をつく。
「おい…こりゃあ…」
苦笑いになりきらない表情を浮かべたジャックは、先ほどよりも心なしか疲労の色を濃くしたようだった。
「…奴がテラに戻ってきたときが思いやられるよ。こりゃあ、また嫌われるなあ…」
「今はそんなことを行っている場合じゃありません!」
ジャックの愚痴をぴしゃりと跳ね返すと、No'17は真剣な表情で復元された電文を目で追う。
「どうやら、大尉殿は無事なようですね」
「でも、あまり無事とは言い切れないみたいよ」
緻密なまでに状況を報告する文章は、いかにもNo'18の物らしい。だが、決定的な、何か根本的なところが、いつものNo'18、黄小龍とは異なっていた。
「…今後、各地に配備されている水銀ドームの安全性の再確認を上申する必要があるな。…地下か…狐につままれた気分だよ」
「そうですね…あの、どうします?」
遠慮がちに尋ねるNo'21に、No'17は鋭い視線を突き刺した。一瞬たじろぐNo'21に、No'17は矢継ぎ早に指示を下した。
「装甲隊はそのまま待機。出来る限り彼らの視線を引きつけさせて。動ける機動隊はどれくらい出てるの?」
すぐさまNo'17は軍及び警察の特殊部隊の配備状況を確認する。弾き出された結果を、彼は報告した。
「第二、第四が現在配置に付いています。数はそれぞれ500」
その言葉に呼応するように、第三の画面が立ち上がり、配備図が映し出された。No'17はそれをしばらく眺めていたが、やがてある一点を指し示した。
「ここなら内部からは死角になるわね…両方の司令官に繋いで」
いつになくNo'17の目に好戦的な光が宿っている。空恐ろしさを感じながらNo'21は次の命令を待った。
「…G35排水溝経由で突入。取りあえず動けるだけで良いか。時間は追って指示する」
一瞬の間を置いてから、我に返ったようにNo'21はルナ宇宙軍臨時司令部に回線を繋ぐ。サブ画面ではジャックが頭を抱えていた。それらを一通り眺めてから、No'21は再び先刻の非常通信に視線を移した。
――なお、水銀ドームは上空及び側面からの攻撃に対しては完璧な防御能力を誇るが、それはあくまでも上空及び側面…地上からのあらゆる物理的攻撃に限られる。籠城が長期化したときのための補給路及び脱出路が確保されており、そのゲートは小官が開放した…――
「地下排水溝と、地下街、第三層居住地区を繋ぐ、網目状の一大迷路か…とんでも無い物を造ったもんですね」
「…テラがルナを信用していないか、その逆のどちらかね。行くわよ」
画面の向こうのジャックに一礼すると、No'17は足早に部屋を出ていった。その後ろ姿とジャックとを暫し見比べた後、No'21も敬礼を残し、No'17を追った。
スクリーンは灰色に戻り、室内には不気味な静けさだけが残された。

act19

鈍い衝撃音と、それに続く呻き声で、黄小龍は我に返った。
見るとそこには前歯を数本折られたテロリストが数人、転がっていた。
「貴様…たふぁですふとふぁ、おもふなひょ!!」
すごんでみる物の、息が漏れ、迫力に欠けるその姿には、そこはかとなく笑いを禁じ得ない。だが、拳の先に僅かながらも痛みが残っているところから、彼らをのしたのは小龍自身にまず間違いはないだろう。けれど、彼にはアダムス博士と別れた以後の記憶が、無い。
その内心の混乱をあおるかのように、拍手の音、そして足音が近づく。
「いやあ、お見事。お手並み、確かに拝見いたしました」
わざとらしい賞賛の声とともに現れたのは、他でもないDであった。
半ばうんざりとした表情を隠すため、小龍はDに背を向けると、ひらひらと両手を頭上で振って見せた。
「あいにく必勝法の講義はできないぜ。何せ重度の記憶障害なもんでな」
嘘は付いていない。一連でなければならないはずの記憶回路が一部、虫食いのように完全に欠落している。原因は不明。
そろそろ自分もガタが来たか。ならば帰還後スクラップになるのも、ここでやられるのも同じだろう。半ば自棄になっていた小龍の背に投げかけられたのは、意外な言葉だった。
「相変わらず気にくわない野郎だな。え?大尉殿」
その声にはいつもの嫌みな自信が無い。不審に思い振り返る小龍の目に入ったDの顔には、いつもの不敵な笑みがなかった。だが、続けざまに発せられた言葉は、更に予想を裏切る物だった。
「…着いてこいよ。『ドライ』がお会いになる」
そう言い捨てると、Dは小龍に背を向け歩き始めた。突然のことに訳が分からず立ちつくす小龍に、Dは振り向きもせず釘を差した。
「俺は反対したんだが、『ドライ』の命令は絶対だ。…仕方ないから連れていってやる。俺の気が変わらねえうちに早く来い!」
『ヒト』が言うところの『投げやり』とはこういうことか。溜め息をつくと小龍は妙に納得しながらDの後を追った。

非常灯だけがともる薄暗い廊下を、Dは足早に進んでいく。平時ならば『暗視モード』が使えるのだが、この状況下ではそうはいかない。見失わぬよう細心の注意を払いながら、小龍はその後を追った。
恐らく占拠時に職員らが抵抗したのだろう、足下にはそこらに薬莢が転がっている。それらに足を取られぬよう更に進むと、見慣れた巨大な扉が、目の前に立ちふさがった。
「…中央司令室、か…」
薄暗がりの中にそびえ立つ扉を見上げ呟く小龍をよそに、Dが入室のためにパスワードを打ち込む。恐らくこれも、小龍が知る物とは替えられているのだろう。運良く彼らを撃退出来たとしても、復旧までにどれほどの予算がかかるだろうか。そう考えが及んだとき、扉が音もなく開いた。
「…何つっ立ってんだ?早く入れよ」
Dの機嫌は更に悪くなっているらしい。これ以上損ねるようなことがあれば、本当に分解されかねない。何より伝説の指導者を見てみたい。
場違いな期待とともに、小龍は更に暗い中央司令室へと足を踏み入れた。

act20

僅かな電子音と、機械音が低く、途切れることなく聞こえてくる。
見慣れたはずの司令室も、メインの照明が落ちると、その雰囲気は全く異なる。眠らないはずの『司令室』が、今その活動を完全に停止している。流石に、テラを初めとする各惑連も、こちらの異常に気が付いただろうか。いや、それ以前に、水銀ドームの発動で誰かが動き始めているだろうか。だとすればそろそろ何らかのアクションがある頃だろう。
それを見越してこの会見を設定したのだとすれば、『ドライ』はかなりの策士だ。いや、壊滅状態のI.B.を立て直した時点で、ただ者ではない。その『ドライ』が、ここにいるのだろうが、だが…。
確かアダムス博士は、蘇生手術の際に埋め込まれたA.I.チップの不具合を修正するためにここに来る、と言っていたではないか。手術はもう終わったのか?それにしても回復が早すぎる。ICU並の設備が必要な大手術になるのではないか?
様々な疑問が小龍の脳裏をかすめる。
「こっちよ」
不意にアダムス博士の声が響く。正面のメインスクリーンを背に立つ博士は、何処か神々しく見えた。だが、『ドライ』の姿は、無い。周囲を見回す小龍をよそに、博士はメインスクリーンのスイッチを入れた。
『…成る程…君が…噂の…惑連の…ホープか…』
かすれがちな声が、途切れ途切れにスピーカーから流れてくる。眼前のスクリーンに映し出されたのは、椅子に深々と身を沈めた、細身な軍服姿の男だった。
何かが違う。常人とは違う、奇妙な威圧感を彼は持っていた。僅かに後ずさる小龍に、『ドライ』は低く笑って見せた。
『…君は…私と同じ…だな…。見せかけの…『命』に…踊らされて…いる…』
「こちらにいらしていたのではないのですか?…『ドライ』…」
『恐怖』を見透かされまいとして発せられた小龍の苦し紛れの問いに、『ドライ』は再び笑った。何処か死に神を思わせる笑みだった。その時、小龍は違和感の正体に気が付いた。『ドライ』が身につけていた軍服は紛れもない、『特務』の物だった。
「私が止めたの。この状況でここに来るのは、危険だと判断したの」
思いもかけない言葉に、小龍は思わず博士の顔を見つめる。
「さっき一往復したシャトルでI.B.メンバーの半数が脱出したそうよ。それを指示したのはサードだけど」
再び小龍はスクリーンの『ドライ』を見つめる。相変わらず伝説の首領は剃刀のような笑みを浮かべている。だが先刻感じた死神は、確実に彼を蝕んでいるようだった。僅かにその息が荒い。
『博士は…実に的確な…指示を…私の主治医に…してくれた…。直に…多少は…動けるように…なるだろう…』
「私が言ったのは、あくまでも応急処置よ。根本的に治せるのは…」
『Jだけ…か…。分かった…直接、会いに…行こうか』
「な…!!」
声を荒げる小龍に『ドライ』は声を立てて笑った。その時、室内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
『タイム…リミット…だ。君の同朋が…突入を…開始した…ようだな…』
「待て!話はまだ…」
『私は…時間稼ぎだ…仲間は…脱出を…完了した…だろう』
小龍は慌てて振り返る。戸口にいたはずのDの姿が、無い。コンソールテーブルに目をやると、シャトルの発着ゲートと、地下の脱出ゲートが開いている、と光の点滅が告げていた。
『君と…話せて…良かったよ…最後に…もう一つ…』
『ドライ』の息が更に荒くなる。近寄ろうとする何ものかを手で制してから、彼はささやくように言った。
『君は…エドに…似ているな…』
スクリーンが闇に染まる。室内に光が戻った。
駆け込んでくる無数の足音は、小龍の耳には入らなかった。

終章

「命に善人悪人の違いはないわ。綺麗事とは分かっているけれど…結果的に私の行動が、解決を遅らせたことに代わりはないわ」
雑踏の宇宙港ロビーの中、そこだけ空気が違っているようだった。
「惑連は、私の行動を、I.B.への協力と取るかしら?そうするとペナルティは公民権停止程度ですむかしらね」
「…少なくとも、死者が一人も出なかった点では、博士の行動は評価されると思います。…例の件も、脅迫による物と判断されると思いますので、特には…」
僅かに離れたところに座る黄小龍大尉は、キャスリン=アダムス博士とは目を合わせようとはせず、事務的に返答した。その様子を楊香、デイヴィット=ロー両中尉はにやにやしながら見ている。
「でも、全ての命を救おうとするのは間違っているのかもしれないわね。…ニックはその一線を越えてしまった。私は彼に着いていけずチームを逃げた。…一番辛い思いをしたのは、残ったJかもしれないわね」
博士の独白は、更に続く。
「『サード』はまだ息があったの。あの時点では『治療』だったんだ、と無理矢理思いこむことは出来たわ。でも、エドは…既に息はなかった…」
「…エドワード=ショーン技術士官の事故、ですね?…ここに来る前に、Jから聞きました」
思いもかけない一言に、一同の視線はデイヴィットに集中した。
「J…ジャックを知っているの?」
「一応…自分たちにとっては親代わりみたいな物ですから…失礼かと思いましたが、経緯は全てJから」
知っていたなら報告しろ、とでも言わんばかりに睨み付けてから、小龍は初めてアダムス女史に向き直った。
「あの…『ドライ』が言うに、小官はショーン技術士官と似ているそうですが…」
一瞬の空白のあと、アダムス博士は寂しげに笑った。そしておもむろにバッグの中から『何か』を取り出した。
「確かに似ているわね…髪の色も、瞳の色も違うけれど…」
それを見て、デイヴィットは小さく声を上げた。目の前に出された写真は、Jの部屋に貼られていた、色あせた写真に他ならない。ただ、Jの物では破り取られていたある人物の顔が、そこには残っていた。
中央に豪快に笑うジャック=ハモンド、左手側に斜めに構えたニコライ=テルミン。そして、右側に静かに微笑むのは…。
「…少佐殿…?」
脇腹を楊香に小突かれて、デイヴィットは慌てて口をふさぐ。幸いその声は耳には入らなかったらしい。僅かに視線をあげてから、博士はジャックの写真では失われていた顔を指さして、言った。
「これがエドよ。…これが最後の写真になるのよね…」
4人の間に沈黙が流れる。アナウンスがテラ行きの船への搭乗が開始になったことを告げる。
「時間ね。色々ありがとう。…じゃ」
再び写真を大切そうにしまうと、アダムス博士は立ち上がった。僅かに会釈を残すと、彼女は足早に雑踏の中へと消えていった。残されたモノたちの間に、気まずい空気が流れる。
「…博士は、自分たちの『正体』を、知らないんですよね…?」
確認するように呟くNo'21に、No'17は僅かに頷いた。
「どちらにせよ、話すわけにもいかないでしょ?…よけいややこしいことになるし…どうしたの?」
No'17の視線の先には、うずくまるように頭を抱えるNo'18の姿があった。
「結局…俺は…少佐殿のコピーでしかないってことかよ…」
低く漏れるNo'18の言葉に、両者は顔を見合わせる他なかった…。

それぞれに傷を残し、事件は一応の解決を見た。
だが、それに続く危機は、すぐ目前に迫っていた…。

the PASSION end

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変光星
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