鎮魂曲〜死神の瞳〜ダウンロード版
序章 覚醒
少年の目は生まれつき光を感じることが出来なかった。彼の両親はその事実を知ったとき、ひどく悲しんだ。だが、何故か彼は日常生活に不便を感じることはなく、普通に友人と走り回る息子の姿に安堵を覚えた。父親の跡を継いで軍人になるのは無理かもしれないが、『司祭』になれるくらいの『力』は有るのだろう、と。
だが、少年が学校に通うようになった頃、彼の運命を決定付けるとある事件が起きた。
学校から帰ってきた少年は、家の中に入るなり鞄を放り出し、窓の外を真剣に見つめているのである。そんな少年に、母親は尋ねた。一体、何を見ているのか、と。訝しげに同じ方向を覗いてみるが、いつもと変わらぬ街の風景が広がっているだけだ。けれど、少年は頬を上気させこう言った。国境で戦いが起きているんだ、それを見ている、と。
その日の夜、母親は昼間に起きた出来事を父親に告げた。
翌日から少年の生活は一変した。少年が通う先は友人達がいる学校から、厳つい大人がいる軍務省の諜報局へと変わった。少年に遠方を見る『力』が有ることが判明し、それを伸ばす訓練が行われた。やがて少年がその『力』を自在に操ることが出来るようになったとき、彼にある任務が課された。彼らが住む、マケーネ大公領とアルタント大公領からなるエドナ連盟に対立する、ルウツ皇国及びその宰相が支配するマリス侯領に深く根付く『草』…つまりスパイと繋ぎを付けること。以後、少年は軍務省の地下にある小部屋から、視線を遠く遙か彼方へ飛ばし、手に取るようにその内情を諜報局長へ告げることとなった。当然のことのように。
ある日、いつものように皇都エル=フェイムへ視線を飛ばした時だった。突然少年の身体を激痛が襲った。恐る恐る視界を開くと、目の前に血の海が広がっている。同時に全身を貫くような絶叫が彼の脳裏を浸食する。声は自分とさほど変わらぬ年齢の男の子の声だった。苦痛を感じながら少年はさらに視界を広げる。そこには恐怖におののくセピア色の髪をした子どもの顔が見えた。それが最後だった。痛みに耐えかねて、椅子から転げ落ちる少年を、諜報局長は冷たい目で見下ろした。
「…少し休ませてやれ。気が付いたら別の地域がまだあるのだからな」
怒って席を立つ局長に、同席していた少年の父親は恐縮したように頭を下げる。
何故。
少年の脳裏にそんな疑問がよぎった。自分の痛みより、自分の『見る』物の方が国の大事なのか。光を感じない少年の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それからどこに視線を飛ばしてみても、諜報局長が望む物はもう見えなかった。少年が痛みを感じた瞬間に、敵国内で一斉に『草刈り』が行われ、防御網が強化されたのは明らかだった。再び『草』を根付かせるには時間とリスクとが伴う。暫し、少年の『力』は無用の長物と化した。だが、それでも少年に自由は与えられなかった。
国家機密に触れてしまった少年を、そう易々と野に放つ筈もない。少年の身柄は士官学校の寮に置かれ、国の監視を受けることとなった。
そこで少年は、『力』の様々な使い方を学んだ。攻撃、防御…直接刃を交える戦闘に必要な物は、既に制御方を知っていた少年にとって覚えるのは容易かった。そして、彼は見えぬ敵を直感で察知し、先回りして叩くことが可能だった。さらに相手の隙を見、その穴を突くのに長けていた。
士官学校を終了する頃、かつて諜報局の懐刀だった少年はエドナ連盟の各隊が欲しがる人材となっていた。人事に従いマケーネ大公配下イング隊に配属された彼は、初陣で敗色の濃い戦況で途中から指揮を執り、五分の線まで引き戻して見せた。新たな英雄の誕生に、エドナの両大公は喜びながらも内心眉根をひそめていた。
それから五年あまり。
『レギオン』の称号を手にした彼は、エドナからは『軍神』と呼ばれ、対立する国々からは『死神』と呼ばれるようになった。イング隊を率いるようになった彼は、東の国境に広がるアレンタ平原に駐留していた。『軍神』…そう呼ばれるロンドベルト=トゥーループは、ようやく三十代に足を踏み入れたばかりであった…。
第一章 ルドラの戦い−1
 
周囲には腰の丈程まである草が、見渡す限り広がっている。この草原のどこかに、目には見えない国境線があり、その向こう側はエドナ連盟から袂を別にしたセナンという国になるのだという。セナンの東の端にもやはり国境線と言う物が存在し、ノイエ=リンピアスという国がその向こう側にあるのだ。この大陸には、目には見えない無数の国境線が引かれ、いくつもの国に分けられているのである。光を感じることの出来ない自分が、目に見えない物を護るためにここにいる。その事実に皮肉を感じ、ロンドベルトは苦笑いを浮かべた。
「何か面白い物でも見つかりましたか?」
聞き慣れた声に彼は振り向いた。目に見えるわけでもないのにわざわざそうしてみせるのも奇妙な物だ。内心そう思い、彼は再び笑った。部屋に入ってきた副官、アルバート=サルコウがそんな上官に困惑の表情を浮かべている。空気の流れで、ロンドベルトにはそれが手に取るように解る。律儀に敬礼をしてから、アルバートは上官の側に歩み寄った。
「いや…国境はどの辺りかと思っただけさ」
光を写すことのない黒い瞳でロンドベルトはアルバートに座るよう促す。そして自らも卓についた。頬杖を付きながら、何かあったのか、と尋ねてくる上官に、アルバートは手にしていた書類を読み上げた。本来であればこの仕事は事務補官のヘラ=スンの役目なのだが、あいにく彼女は今、エドナの軍務省で後方事務を片付けるべく奮闘中である。結局副官のアルバートにその役割が回ってきた…と言うより押しつけられたのである。
「本日○八○○、ルドラで侵攻中のシグル隊が戦闘に入りました。状況は未だ不明。本隊にもいつでも参戦できるように、とのことです」
軍人にしては穏やかなアルバートの声を聞きながら、ロンドベルトは指先で卓を楽器の鍵盤を奏でるかのように叩いていた。
「…この侵攻作戦がはじまってから、もうどの位経ったかな?」
「そろそろ一年になりますか?さすがのマリス侯も、これ以上友好国の危機を放っておけなくなったようですね」
間髪を入れずに答えるアルバートに、ロンドベルトは微笑を浮かべる。
「丁度、お前が俺の配下に来た頃か」
そう、一年前、二十代前半にして『レギオン』の称号を得ていたアルバートの存在は、エドナではかなり微妙な立場にあった。一隊を預けるには若すぎる。かといってその能力故に、誰かの下に配するのも気が引ける。行き場のない彼を引き受けたのがやはり若き『レギオン』であったロンドベルトである。以後、常に一歩引き与えられた命令をそつなくこなすアルバートは、『双頭の蛇』とも言われるイング隊、そしてロンドベルトの戦略上、無くてはならない人材となっていた。
「今まで、良く我慢していられましたね」
「お前がか?」
「シグル隊とマリス侯ですよ。…あそこの司令官は短気で有名ですし、マリス侯もプライドが許さないでしょうから」
心外、とでも言うようにアルバートは真面目に答え、手にしていた書類を卓の上に置いた。ロンドベルトの決済印が必要なのである。常のように気配でそれを理解し、ロンドベルトは副官をからかうのを止め、まるで見えているかのように定められたところに印を押す。その様子をアルバートはいつもの如く感嘆の表情で見つめる。
「で、どうしてる?」
「総員、戦闘体制は整っています。隊長殿が武装を整えて、命令一つしていただければいつでも出られますよ」
どうやら一年の間に、この生真面目な若者も上官の毒舌に感化されてしまったらしい。まだ多少不自然な部分もあるのだが。
「で、どこだ?」
「…はい?」
副官が首を傾げるのを察したのだろう。ロンドベルトは頬杖を付いたまま再び問うた。
「敵は…マリス侯は、一体誰を出してきた?」
「わざわざ私に聞かなくても、見えているんじゃないですか?」
その一言に、ロンドベルトは光を写さぬ瞳を、すい、と細めた。そして低い声で呟いた。
「『蒼の隊』か…そこまで侯に嫌われているとは、どんな御仁かな、無紋のレギオン殿は。余程貴族とやらには食えない性格のようだな」
「…隊長殿にかなうほどではないですよ、たぶん」
書類を受け取りながらアルバートは言う。唇の端を僅かに上げるロンドベルトに、一時間後に群議開始の用意が出来ていますから、と言い残し、またしても律儀に敬礼をしてからアルバートは執務室を後にする。その気配が完全に消えてから、ロンドベルトは呟いた。
「…無紋のレギオンか…皇国もエドナも、内情は似たような物だな」
第一章 ルドラの戦い−2
きっかり一時間後、軍装をすっかり整えたロンドベルトが会議室に姿を現した。甲冑からマントまで、常の如く黒ずくめである。おまけに髪と瞳も黒い為、どうやら皇国では『黒い死神』と呼ばれているらしい。だが、イング隊を示す旗印自体が黒いから丁度良いじゃないか、ロンドベルトは笑って言ったという。
「で、あれから何か動きは有ったか?」
人ごとのように言うロンドベルトに、出席者の大半が閉口する中、アルバートが立ち上がり軌道修正を計る。
「多少、ですが、シグル隊が有利にことを運んでいるようです。しかし、蒼の隊のことですから、何か仕掛けてくるのではないかと」
頷きながらロンドベルトはふと別のことを考えていた。この外見は穏和に見える若いレギオンが自分の副官になって一年あまり。彼の幕僚としては長続きしている方である。何処でどう間違えたのか、性格がかなりねじ曲がっていると自負する彼直属の部下で、隊長職を拝命してから残っているのは事務補官のヘラだけである。その他の面々は自ら転属を申し出たり、戦死したり、辞表を出したりと、一年ももつ者はまれであった。
が、このアルバートは根気があるのか、辛抱強いのか、はたまた単に鈍感なのか、全くこの役職を苦にしている様子を表に見せない。流石のロンドベルトも感心していた。
「では、高みの見物、と言うわけには行かないな」
「戦わないまでも、一応出ていかないと、後でアルタント大公直々のお達しが来るでしょうね」
決定権はあくまでも貴方にありますよ、とでも言うようにアルバートは言葉を継いで着席した。左手で頬杖を付き、右手の指先では卓を叩いている。見えぬ瞳で暫し地図を見つめると、ロンドベルトは、すい、と右手を地図上に走らせた。
「副官、お前はこのまま南下し、後背から援護。俺はバドリナードを迂回して、前面に出る」
「敵も味方も挟み撃ちですね」
短い口笛を吹きながら、赤毛の男が軽口を叩く。その脇腹をアルバートは軽く小突いた。が、当の司令官はそれこそ死神のような邪悪な笑みを浮かべる。
「ルイスの言うとおりだな。三十分後、出発できるか?」
「可能です。現地到達は一○○○頃になるかと」
落ち着いたアルバートの声が、浮き始めた場の空気を本筋にもどす。同時に各分隊長は出撃のために散っていった。その中一人残るアルバートに、ロンドベルトは顔を向ける。
「…何か意見でも?」
「いえ…敵がまさかここまで脆いとは思っていなかったので…少し気になっていたのですが」
「主役が出てくるのは最後、と相場は決まっているじゃないか。大方、主力別働隊がまだどこかに隠れているんだろう」
「ならば何故、そちらに奇襲をかけないんです?隊長殿らしくもない」
「そこまでシグル隊にしてやる義理はないさ。所詮、他人の戦だ」
「…わかりました」
やや呆れたような溜息をつきながら、アルバートは会議室を後にする。その背中を、ロンドベルトは見えぬ瞳で見つめていた。
そして、泣く子も黙るイング隊が『双頭の蛇』の陣形でルドラに到達したとき、既に勝敗は決しかけており、シグル隊に甚大な損害を与えていた皇国の蒼の隊は、新たな敵の来襲を察したのか隊列を整え国境まで撤退しようとするところだった。
「深追いは止めろ!味方との合流を急げ!」
金属がぶつかりあう音と、敵味方の血が入り交じった鉄臭い空気が漂う中、ロンドベルトは叫びながら馬を進める。恐らくその足下には、無数の死体が転がり、自分たちはそれらを踏みつけかき分けながら進軍しているのだろう。後方から嘔吐を我慢するような声が漏れ聞こえてくる中、この時ばかりはロンドベルトは自分の目が光を写さないことに感謝した。お陰で指揮には不要な情報を、意識的に遮断できるのだから。その所為で周囲からは冷血漢などと呼ばれているらしいが、ならば自分以上に適切な判断をして見せろ、と、彼は気にも留めていなかった。
「これは、軍神殿。わざわざご出馬頂くとは…」
すっかり恐縮しきった様子の乗り手を背にした馬が、数騎の取り巻きを引きつれ近寄ってきた。シグル隊帳ブラウ。血の気は多いが実力が伴わないと噂されるその男の、あからさまな作り笑いに、ロンドベルトは冷笑で応じた。
「いや…もう少しで勝敗が決するところ、こちらこそ要らぬ世話を焼いて申し訳ない」
その嫌味を、ブラウは額面通りに受け取ったようだ。突然彼はそれまでの恐縮をどうしたのか、馬上で笑い出す。
「いやはや、そこまでお気遣い頂いては…そう、もう三時も有れば状況は変わっていたでしょう」
「…ですが、貴官がお望みとあらば、まだ英雄になれる機会は残されておりますが」
意味ありげに呟くロンドベルトに、ブラウは笑いを納めた。憶測ではあるが全軍の五分の一近くを失っている、この勝ち戦とは言い難い状況下、まだ英雄になる機会があるという。ブラウは神妙な面持ちでロンドベルトの光を写さない瞳を見つめた。
「…まだ英雄、と申されましたが…それは一体…」
ぎらぎらとした名誉欲がその身体から溢れ出ているのをロンドベルトは感じ、再び冷笑を浮かべる。片手を上げると同時に、彼の後方に控えていたイング隊精鋭部隊が、静かにその周囲を取り巻く。訝しげな表情を浮かべるブラウに、ロンドベルトは常とは替わらぬ口調で死刑執行を宣告した。
「…貴官らがここで死ねばいいのです。そうすれば戦場で華々しく散った英雄となれましょう」
その言葉が発せられると同時に、精鋭部隊は各々剣を抜く。驚きの表情を張り付けたまま血でぬかるんだ大地に転がった遊軍の将には目もくれず、ロンドベルトは言った。
「副官に伝達。シグル隊司令部は壊滅した模様。臨時に残存部隊は我が隊の指揮下に置く物とする」
恐らくこの命令を受け取ったアルバートは、困ったような表情を浮かべつつも、残存部隊をまとめて合流してくるだろう。低く笑いながらロンドベルトは速やかに隊列を整えるよう続けて命じた。
ルドラから国境線ぎりぎりの所で、ロンドベルトの本隊はアルバート指揮下の別働隊と合流する。だが、肝心の副官の姿は見つからなかった。
「副官殿なら医療班に拉致されました。何でも医務官が足りないとかで」
それを察したのか、副官付のルイス=ロップが口を挟む。そう、司祭職の父親を持つ副官は、イング隊が誇る医療スタッフでもあった。
「何か、急ぎのご用でも?」
「いや…一応捕虜交換の交渉をしなければならないからな。使者に立って貰いたかったのだが」
「それくらいなら自分が行きますよ。一応自分は序列三位ですから、相手に対し礼を欠くことも無いでしょう」
何より、『無紋のレギオン』と呼ばれる人を生で見てみたい。笑いながらそう言うルイスに、ロンドベルトは僅かに表情を崩した。
「解った。では頼まれてくれるか?…聞く限りではかなり癖の強い御仁のようだからな」
第一章 ルドラの戦い−3
使者である印を槍の先にくくり、たった一騎でやって来たルイスはすぐさま敵陣へ迎え入れられた。程なくして司令官である『無紋のレギオン』こと、シーリアス=マルケノフなる人物がいる本陣へと通される。その間、ルイスは自分の両脇に居並ぶ人々の列に素早く目を走らせる。ぱっと見た印象は、『寄せ集め』と言われているにしては統制がとれているようだ、という物であった。年齢も他の部隊より全体的に若く見える。そして、その全てを自在に操る人物が目の前にいる。
初めて目の前にするその名将は、癖のない真っ直ぐなセピア色の長い髪と、殆ど黒と言っても良い濃紺の瞳が印象的だった。しかし、そうそう批評ばかりしていられない。ルイスは跪き、自分の役職と所属、そしてこの場に来た理由を述べようとする。が、敵将はそれを遮った。
「失礼ながら我が隊は、ルドラ侵攻中のシグル隊と一戦を交えていたはずだが、イング隊とは?」
予想通りの反応にルイスは少々失望し、その表情を隠すため深々と頭を下げた。
「シグル隊司令部は、先の戦闘により壊滅。現在はイング隊トゥーループ司令官が指揮をとっておりますので」
言いながら、ルイスは上目遣いで無紋のレギオンの様子をうかがう。無表情だった敵将の顔に、一瞬皮肉混じりの笑みが浮かんだ。言葉の裏にある何かを理解したようだった。そしてようやく今回の来訪の目的を問われ、ルイスは戦死者の遺体の共同回収と、捕虜交換を望んでいる、と告げた。だがそれに対して戻ってきた言葉は予想外の物だった。
「貴官は、我が皇国の支配体系を御存知か?」
「は、はあ…」
一応そう答えてから、ルイスは僅かに首を傾げる。それを待っていたかのようにシーリアスは少し笑いながら言った。
「皇帝陛下を頂点に、厳格な階級制を取っている。自分はその底辺にあたる平民であり、特例により一軍を率いてはいるが、それ以外の交渉を行う権利を持ち合わせてはいない」
この一言に、ルイスは呆然として目の前の敵将を見つめた。その場にいる殆どの人間が彼と同じ顔をしていただろう。僅かなとどよめきが収まってから、シーリアスは無表情な瞳をルイスに向けながら続けた。
「加えて、その交渉権を持つ参謀長殿は、名誉の戦死を遂げられた。つまり、自分は貴官の申し出に応じることが出来ない」
その言葉が発されるのと同時に、一際気弱そうに見える金髪の騎士がさっと青ざめたのを、ルイスは見逃さなかった。この言葉には何か裏がある。そう、例えればシグル隊とイング隊との間に起きたようなことが。しかしこのままでは自分がここに来た意味がない。そう告げたルイスに、敵将はとんでもないことを言いだした。
全ては混乱の中で行われた、ということにすれば良い、と。
「貴官はここには来なかった。互いの軍は、時を違えて遺体を回収し、『行方不明者』は自力で自軍に戻った。そうすればわざわざエドナきっての名将が、こんな青二才に頭を下げずともすぐ」
たしかにその通りなのだが、ここでルイスが、はい、そうですか、と言うわけにも行かない。彼は改めて頭を下げた。
「恐れながら小官一人の判断では決めかねる大事、願わくば、一度自分に戻り司令官の判断を仰ぎたく存じます」
「返答にさいし、わざわざご足労には及ばない。狼煙一本上げてくれれば事足りる」
「…は、では早速に…」
言いながらルイスはもう一度頭を下げ、その場を後にした。噂通り食えない御仁だ、と思いながら。
ようやく全ての負傷者の処置を終え疲れ切ったアルバートは、妙な表情を浮かべているルイスに出くわした。一体どうしたんだ、と問うアルバートに、ルイスは小首を傾げながら言った。
「いや…たった今、例の敵将殿に会ってきたんだけれど…」
「『無紋のレギオン』殿か?」
「確かに若くて、『力』もある。にもかかわらず、何故上から嫌われているのかも何となく解った。…けど、どっかで…誰かに似ている気がして…」
ルイスが先方から受け取った提案は、二つ返事でロンドベルトに受け入れられた。その方が確かに楽で良い、と気に入ったようだが、頭の固い中央のお偉方から見れば眉根を寄せる所だろう。そんなルイスにアルバートは深々と溜息をついた。
「すぐ身近に居るだろ?うちの軍神殿だ」
その言葉に、ルイスは成る程、と納得したようにぽんと手を打った。そんなルイスに、アルバートは疲労がさらに増してくるのを感じた。あんな人は一人いれば充分だ、と。
第一章 ルドラの戦い−4
シグル隊残存部隊を抱え、約1.5倍に膨れ上がったイング隊は、ルドラからアレンタの駐留地へ戻ったが、兵力全てを納めるのにその広さは充分では無かった。そして何より、その命令系統及び諸般の事務管理能力を有する物は、今現在残念ながらここには居なかった。
さらに勇猛で知られるシグル隊がそれこそいとも簡単に崩壊したという事実を、エドナのお偉方はどうしても納得がいかなかったらしい。戦の後の現場におけるごたごたが一段落したある日、やれやれ、とでも言うような表情を浮かべたアルバートの手には、連盟から軍部を通さず直接送られてきた公文書の照明である、両大公家の透かしが入った紙があった。
「…ついに来ましたよ」
「やっと、の間違いじゃないか?」
疲れ切ったような副官をロンドベルトは茶化すが、された側はそれに乗っては来ない。殊更その言葉に反論することなく、だが彼にしてはやや投げやりな口調で、その公文書を読み上げた。
「…先に行われたルドラ会戦に於いて、不明な点がいくつか見受けられる。よってイング隊隊長をエドナに一時召還し、その説明を要求する物である。以上です」
「早い話が出頭命令だろ?ならば何故こんな回りくどい言い方をするんだ?」
「公文書だからじゃないですか?流石に定食屋に出前を頼むのとは訳が違いますよ」
言いながらアルバートは手にしていた文書をロンドベルトの前に置いた。受け取る側は、両大公の透かしを確認するように紙の上に指を走らせてから、いつもの如く寸分違わぬ所に真っ直ぐに決済印を押す。いつもながらの見事な一連の動作をアルバートは無言で見つめている。印が押されたそれを受け取りながら、無駄と知りつつもアルバートは釘を刺した。
「エドナで何もないところに煙を立てて来ないでください。お願いですから私の頭痛の種をこれ以上増やしていただきたくはないので…」
「煙なんて立てないさ。第一それじゃ面白くない。どうせなら大火事にした方が派手で良い」
予想通りの返答に、アルバートはいつもの如く律儀に敬礼し、執務室を出ていった。
その翌日、ロンドベルトは数人のごく僅かな護衛官と共にエドナへと出発した。
エドナは連盟を形成するマケーネ大公領とアルタント大公領両国の境界線の丁度中程にある。両大公が皇国を事実上私物化している宰相マリス侯に対抗する条約を結んだのがこの地であり、以後両大公の領土をまとめてエドナ連盟と呼ぶことが慣例となっていた。
出来上がってからまだ歴史の浅い都市エドナに立ち並ぶ行政関連の建物は、比較的まだ汚れてはいない。その中の一つ、連盟軍務府の建物にロンドベルトは直行した。その中の一室がイング隊後方部の事務所として割り当てられている。長いことその主を司令官の机は、久方ぶりにその役を果たすことが出来た。帰還したロンドベルトの前に、髪を短く切りそろえた整った顔の女性が立った。
「お疲れさまでした。アレンタはどんな様子ですか?」
外見を裏切らない歯切れの良いその声に、ロンドベルトは肘をつきながら答えた。
「暇なときは暇だが、便利屋のようにあちらこちらから呼び出されるのが玉に傷だな。何より事務補官がいないから、ややこしいことが片づかないから困る」
久々に聞く上官の毒舌に、当の事務補官ヘラ=スンは安心したように笑みを浮かべる。
「…ルドラの件は、こちらでも情報が錯綜してまして…一体何があったんです?」
「戦闘時の混乱はどこにでもあるってことさ」
「敵にも、味方にも、ですね?」
すっかり上官の考え方に対応しているヘラは、留守番役の生真面目な副官とは異なり、危険な発言はさらりと流す。そして何事も無かったかのように彼女は手元の書類に目を通す。
「連盟議会には到着予定時刻を三十分遅く伝えてありますので、少しお休みになられては如何ですか?」
要領の良いヘラに、ロンドベルトは僅かに笑った。何をするでもなく忙しそうに立ち回る事務官を見つめること暫し、議会から迎えが来たことが告げられた。
「では、出頭するとするか」
自分の帰りは待たずに、いつも通りに帰って構わない。そう言い残して彼はその場を後にした。
連盟議会で説明を求められたロンドベルトが、何を語ったのかは一切公にはされなかった。ただ、この場で彼がエドナ連盟内でより強固な地位と発言権を確立したのは確かである。結局シグル隊は再結成されることなく、イング隊に吸収合併することが既成事実として認められた。有ることを条件として。
エドナにとどまること三日。ロンドベルトは急ぎ任地であるアレンタへと戻った。議会に絞られて少しはまともになっているのではないかと期待していたらしいアルバートは、全く変わらぬ上官の傍若無人ぶりに目に見えてがっかりしたようである。しかし、彼は律儀さを忘れることとは無縁だった。
「お疲れさまでした。こちらは特に何も起きませんでした」
「それはそうだろ。俺がいない間に面白いことが起きたら大変だ」
これが他の人間であれば冗談で済むのだが、この人の場合は本気で言っていることが明白なので始末が悪い。閉口してついてくるアルバートに、ロンドベルトはさも楽しそうに言った。
「所で副官殿、バドリナード詣でに出る気はないか?」
「…はあ?」
自分の方を省みる黒い瞳。それこそにっこり笑って何かたくらんでいるような人だ。その言葉が額面通りであるはずはない。完全に疑ってかかるアルバートに、『軍神』は不意に鋭い表情を浮かべた。
「命令だ。ザルツボーゲンと国境を接するマリス侯領ザハドを制圧しろ」
第二章 ザハド攻防戦−1
「ったく、お前は本当に馬鹿正直だよなあ」
馬首を並べるルイスに、アルバートは答える気力もない。
僅かな準備期間を置いた後、イング隊副官アルバート=サルコウ率いる西南方面別働隊は、ザルツボーゲンへ向かっていた。彼の地はアルタント大公領の東の端であるが、それはあくまでも大公の居城を起点としての考え方であり、古の首都バドリナードから見れば立派な城下町である。しかし大陸が分裂した今となっては『島流しの地』・『左遷の代名詞』などと、不名誉な異名が先に立つ。
それは隣の皇国でも似たような物であるらしく、ザルツボーゲンと国境を挟んだ今回の攻略目的地ザハドも、領主が代替わりしてから退廃の一途を辿り、今や大商人と領主ソルト伯は癒着し、街はいかがわしい風潮で溢れているという。
それをエドナの連盟議会は侵攻の好機と見た。理屈は解る。だが何故お鉢が自分に回ってきたのか。疑問に思いながらもアルバートは命令に従い、こうしてザルツボーゲンに向かっている。
「隊長殿が素直に部下に武勲をあげさせる訳がない。絶対何か企んでるぞ」
副官付、と言う肩書きのためとばっちりを食ったルイスは、更に続ける。それも全くまっとうな意見であることは明白だ。だがアルバートは深々と溜息をつくばかりで、返答しようとはしない。
「このままじゃ、見殺しにされるか、暗殺されるか、最悪な二者択一だぞ」
「解ってる」
ようやくアルバートは口を開いた。自分がこの侵攻に成功すれば、ロンドベルトはエドナに対し、より強固な地位と発言権を確立できるし、失敗すれば自分を更迭する正当な理由を与えることとなる。解ってはいる。けれど…。
「上官の命令は絶対なんだから、仕方がない」
自分に言い聞かせるようにアルバートは呟く。やれやれとでも言うように今度はルイスが溜息をつく番だった。
「本当にお前、この仕事向いてないな」
「それは自分が一番良く解ってる。…正直今すぐ親父のあとを継いで聖職に入りたい位だ」
同郷の幼なじみの両者は、馬上で顔を見合わせ互いに苦笑を浮かべあう。
「じゃ、取りあえず嫌がらせを兼ねて、生きて帰るとするか」
冗談めかしてルイスは言う。少し笑いかけてからアルバートは再び前方を見やる。そしてあることを考えた。抜け目のないあの人のことだ。一段高いところからこの会話の一部始終を見ているんだろうな、と。
「…どうかされました?」
アルバートとほぼ入れ替わりにアレンタ入りしたヘラは、虚空を見つめ僅かに笑うロンドベルトに声をかける。
「いや、流石に副官殿は鋭いな、と思っただけさ」
頬杖を付きながら笑う上官に、ヘラはすっとお茶を出す。奇妙な物で同じ仕事をしているはずなのだが、何故か今までのそれとは違う。それは付き合いの長さが成せる技か、或いはアルバートが単に不器用なだけなのかは定かではない。
「どうやら無事ザルツボーゲンに入ったようだ」
「敵に会う前に何かあったら大変じゃありませんか?」
「…どうもあの副官殿は、余計な仕事を抱え込むのが性分みたいでね」
その原因を作っているのは何処の誰ですか、とヘラが返す前に、定時報告書が届いた。受け取りそれを読み上げるヘラの声に、ロンドベルトは目を閉じる。報告書の時点では、まだザルツボーゲンの手前、となっているが、日付を見る限り順調にいっていれば先程ロンドベルトが言ったとおり、目的地へ到達した頃だろう。こうして直接『見る』方が遙かに早くて確実なのに、生真面目に報告書を作っているアルバートの姿が目に浮かぶ。
「それにしても、何故こんな無駄なことをしなければならないんでしょうね」
同じことを考えたのか、そんなことを言いながらヘラは報告書を卓に置く。決済印を押し終えたそれを返しながらロンドベルトは僅かに唇の端を上げた。
「司令官が皆、別働隊の動きを『見られる』訳ではないし、こうやって常時書類に残しておけば、何より資料整理官が楽できる」
「つまり事後事務をさせられている、と言うわけですね」
「…無報酬超過勤務って所だろうな」
言いながらロンドベルトは、ザルツボーゲンに何か妙な物…正確に言えば気配を感じていた。以前にもこの気配を感じた気がする。あれは確か…。
「如何されました?」
不安げに顔をのぞき込んでくるヘラに、何でもない、と軍神は答える。そしてこう続けた。
「…どうやらこの戦、派手なことになりそうだ」
 
第二章 ザハド攻防戦−2
ザルツボーゲンは本来、アルタント大公の領土であるから、そこに駐留する部隊もアルタント大公家に属するのが常である。エドナ連盟とは呼ばれている物の、両大公家の治める地の間にはきちんと国境が存在し、互いにそれは犯さないと言う不文律が存在した。何より、両大公家は皇帝の宰相マリス侯を敵として行動を共にしているだけであって、表向きは軍事同盟を結んだものの実際仲は悪い。
そんな中、マケーネ大公配下である自分が、何故ザルツボーゲンに行かなければならないのか。日々その命令に矛盾を感じながらも、アルバートが率いるイング隊別動部隊はザルツボーゲンに到着してしまった。残念ながら。が、新任駐留軍指揮官の噂を知ってか、街にはこれと言って不健全なものは見あたらなかった。…正確に言えば、殆どの者が摘発を恐れて街を出ていってしまったのである。まあ巻き添えになる一般人が少なくなる分には良いことだ。そうアルバートは思い直し、街の中央広場に本陣を構えた。ここからでも堅牢な城壁に護られたザハドの城はよく見える。
「…で、どう思う?」
「何が?」
背後からルイスに声をかけられたアルバートは、その城壁を見上げながら珍しく無愛想に答えた。
「落とすまで、どれだけかかると思う?」
再び問いかけてくるルイスに、ようやくアルバートは振り返った。
「出来れば一日二日で済ませたい。補給路が長くなってるだけ、こっちの方が確実に不利だし、何よりルドラと同じことはしたくない」
「でも、上手くいくか?」
「ザハドは城こそ堅牢だけど、治める人間次第でその強度は変わる。そこを突ければ何とか…」
それに、あの軍神殿は自分の名前に傷が付くことだけは絶対にしない、たぶんザハドに何か手を打っているはずだ。そう言うアルバートに、ルイスは腕を組みながら返す。
「…お前があの隊長殿をそんなに信用しているとは思わなかった」
「希望的観測ってやつさ。結局…」
が、その言葉は突然の報告によって遮られた。駆け込んできた偵察の者が、血相を変えて跪く。
「戦闘が…市街地に出ていた小隊が、怪しい旅人と戦闘になっています!」
「戦闘?喧嘩じゃないのか?」
呆れたように答えるルイスに、駆け込んできた偵察兵はまだ荒く息をつきながら続けた。
「戦闘です!双方剣を抜きました!!」
一瞬、アルバートとルイスは顔を見合わせる。だがすぐに活動を開始したのはアルバートの方だった。
「おい、何処へ行くんだ?」
「部下の不始末は上官の責任だ。止めてくる」
「って、わざわざお前が行くこともないだろ?」
だがその言葉を完全に無視し、アルバートは自分の馬を駆って本陣から飛び出した。
砂埃の舞う街の中、さながらその一角は果たし合いの場となっていた。三対一の不利な状況。だがその状況下でも旅装の男は遠目に見ても余裕を持って対峙しているようだった。当初、何の関係もない一般人を巻き込んでは、との思いで慌てて出てきたのだが、実際現場を見て自分の考えが誤っていたことに気がついた。両者の実力の差はどう見ても明らかである。このままでは本当に戦闘が始まる前に戦死者が出てしまう。
「待て!貴官ら、持ち場を勝手に離れて何をしている!!」
叫びながらアルバートは騎乗のまま両者の間に割って入った。それまで殺気立っていた空気は霧散し、持ち場を離れていた三人は司令官の登場に慌てて跪く。やれやれ、と思いながらアルバートは馬を降りた。
「申し訳有りません副官殿。怪しい侵入者を…」
弁解を気に留めず、アルバートは巻き添えにしてしまった旅人を改めて見つめ直す。身につけているのは何処にでもある分厚いフード付きのマント。武装は全くしておらず、武器はこれまた何処にでもある短剣のみ。しかし、その目は紛れもなく戦場を知る者のそれだった。どうやら三人は『のせられて』剣を抜いたのだろう。そう察した彼は、旅人に頭を下げた。
「配下の者がご迷惑をおかけしました。私はエドナ連盟マケーネ大公国イング隊本隊副官、アルバート=サルコウと申します」
『あの人』がこの場を見たら、何故そんなに下手に出てやる必要が有るんだ、と皮肉を込めた笑みを浮かべるだろう。内心そう思いながら、彼は握手を求め手を差し出す。深い紺色の瞳が我に返ったようにこちらを見、そして両者の手が触れる。瞬間、彼はあることを確信した。この人はただ者じゃない、と。間近に見る容姿は、伝え聞くある人物の特徴と酷似する。だが、その正体が知れ、味方に要らぬ不安を与えるわけにもいかない。内心不安を感じていたが、思いの外、旅人の口からは感情が感じられない、しかし全く癖のない大陸標準語が漏れる。
「…いや、治安の悪い所でぶらついていたのだから当然のこと…こちらこそ軽率だった」
ほっとしてアルバートは笑う。だが、相手はまだ納得がいかないようだった。
「それにしても、…何故貴方がこんな所に…イング隊は…」
「その質問は、そのまま貴方にお返しさせて頂きます」
貴方も最近までそこにいたのでは。そう言外に言ってから、アルバートは旅人が腕に僅かながら傷を負っているのに気がついた。とにかく先走って戦闘を開始した三人に早く持ち場に戻るよう命じるアルバートの様子に、旅人は自分が誰であるか相手が理解したことを察したようだった。三人の姿が完全に見えなくなってから、低い声で旅装の男は言った。
「見ての通り、俺は単独行動で、野暮用だ」
確かに、男が手にしているのは『ソル・ソード』ではなく、ありふれた短剣だ。伏兵がいる気配もないし、ザハドの領主が変わる、という情報も入っていない。
「どうやらそのようですね」
言いながらアルバートは『野暮な単独行動中』の敵国の名将が負った傷に手をかざす。一瞬相手は身構えたが、次の瞬間傷は跡形もなく消えていた。驚いたようにそれを見つめる敵将に、彼は笑って言った。
「門前の小僧ですよ。私の父親はマケーネの司祭なので」
お陰で戦が終わったあとの方が走り回ってる始末です。そう続けるアルバートに、敵将は低く呟くように言った。
「…俺の親は『草』で、皇国に殺された」
そんな自分が当の皇国でこんなことをしているのも妙なものだが、と言う敵将に、アルバートは返す言葉を失った。もしかしたら同じ旗の元で戦ったいたかもしれない、セピアの髪の青年は、そんなアルバートの様子を気にするでもなく軽く会釈し、踵を返した。
「お手数をかけた…いずれまた、ゆっくりお会いしたい…出来れば戦場以外の場所で」
その姿はあっという間に砂煙の中へ消えていく。その後ろ姿を見送りながら、アルバートは思わず呟いた。
「あれが『無紋のレギオン』殿か…寂しい方だ」
何故そう思ったのかは解らない。ただ、彼を取り巻いていた『気』は確かに他者を受け入れない、言い難い孤独を孕んでいた。やがてその姿が完全に見えなくなると、今度は目の前にあるザハドの城壁を見上げた。簡単に落ちてくれれば良いな、と思いながら。
第二章 ザハド攻防戦−3
臨時の駐屯地と化した中央広場に集結した兵員は約五千弱。皇国のザハド駐留軍の半分に満たない。だが戦意と熱気に溢れたその場所を通り過ぎながら、アルバートは困ったように溜息をつく。その姿を認め、赤毛の幼なじみが近づいてきた。
「よう、どうだった?こっちは無事集結完了だ。お前の命令一つでいつでも出撃できる」
決戦を間近にし、何故か嬉しそうに見えるルイスに、アルバートは苦笑を浮かべながら馬を降りた。
「いや、まだ早い。完全に日が落ちるのを待とう」
気弱と思われても仕方がない言葉に、ルイスは上官であるはずの人間の肩を軽く小突く。同郷の幼なじみと言うこともあり、アルバートはさして気にも留めず馬を預けると、穏やかな目をルイスに向けた。が、そんなアルバートに、ルイスは更に言う。
「弱気でどうする?一応お前はエドナで一、二を争うレギオン殿だろ?」
「この程度なら上を行く人ならいくらでもいるさ。うちの軍神殿は言うに及ばず…今もその一人に出くわした所だ」
「…隊長殿がアレンタをほっぽって、ここまで来たのか?」
「いや、そうじゃなくて…『無紋のレギオン』殿さ」
その言葉に、今まで軽口を叩いていたルイスが急に押し黙る。それほどまでに『無紋のレギオン』の存在はエドナに不吉な影を落とし、何よりつい最近その姿を直接目にしているルイスは強烈な印象を受けている。強張った表情を浮かべる友人の背を、アルバートは並びかけながらぽんと叩き、押し殺した声で告げた。
「噂ほどには…普通の無口な人に見えた。今回は私用らしい」
「って、…本人が言ったことを信用する気か?前みたいにどこかに伏兵を置いていたらどうする?」
「…ソル・ソードは持っていなかった。何より伏兵を指揮する人間が、日中堂々と町中を歩くのはどう考えても不自然だ。信用して大丈夫だと思う」
それに蒼の隊は今まで他の『色』の部隊と共同戦線を張ったことはない。言いながらアルバートは上空を仰いだ。空の色は朱とも灰色とも紫色ともつかない奇妙な色合いに変わっている。この混沌の後にそれは深い色一色に染められるのだろう。そう、あの『無紋のレギオン』の瞳に似た、限りなく黒に近い来い青に。
「夜半から動き始めよう。ここの篝火は出陣前にともして出発する」
「了解、すぐ全軍に伝えとく」
伝令に向かい走るルイスを見送ってから、アルバートはザハドの城を省みる。堅牢な城壁は、不気味に夕暮れの空に浮かび上がっていた。
完全に日の落ちた夜の闇を、ロンドベルトは『見つめて』いる。報告書によれば、今日この夜の闇を突いて、ザルツボーゲンの部隊はザハドに攻め入ることになっている。
夜襲を命じたのは他ならないロンドベルトだ。それは単に、敵の虚をつくと言うだけではなく、有る事実を彼が見ていたからだ。ザハド領主ソルト伯は、夜な夜な城下の商人を城に招きの目や宇田絵の大宴会を開いているのである。ざっと見たところ、大隊長級の人間まで出席を許可されているようで、その時間帯を狙えば労せずしておとせると言うわけだ。だが、ロンドベルトはもう一つの策を仕掛けていた。
「…そろそろかな」
部屋にヘラが入ってきたのを察し、ロンドベルトは小さく呟いた。ヘラは一つ黙礼する。
「先にザハドに潜入していた者から報告が入りました。出入りの商人にそれとなく今回の侵攻を匂わせたそうで…予定通り、城外へ逃れる手引きを依頼されたとのことです」
「まさか、教えた張本人が敵の手先とは思っていないだろうな」
言いながらロンドベルトは声を立てずに笑った。そう、空っぽの城を本隊に攻撃させ、城主はロンドベルト直属の精鋭部隊により城外へ誘い出しその身柄を拘束する。それが今回の侵攻の真の姿だった。ロンドベルトの能力と、ヘラの父でもある諜報局の人脈を利用した『巧妙な』作戦である。貴官はもう戻っても構わない、そう言うロンドベルトに、ヘラは首を横に振った。
「一応前線では作戦決行中ですから、お気になさらず」
何か飲み物でも、と言うヘラに、今度はロンドベルトが首を横に振る番だった。
「前線で戦いが起きているのに、後方司令部がそれじゃまずいだろ。…どうやら始まったようだ」
戦闘が始まると『力』が乱反射するのでそこを見ようとすると『視界』が乱れる。幼い頃、国境線での戦闘に気がついたのもその所為だった。皮肉にもそれを親に告げたことが彼の持つ『力』を周知の物にさせたのだ。卓に再び肘をつき、指を組んだ上に顎を載せる。そのロンドベルトの顔には、僅かに苦笑が浮かんでいた。
目を閉じ、『視界』をザルツボーゲンからザハドへと移す。ロンドベルトの目には、数人の取り巻きとロンドベルトの息がかかった商人を従えたソルト伯が、腹に付いた脂肪を揺らしながら必死に城下を走っているのが見えた。そう、その先を行った角に、精鋭部隊が伏せてある。そう、真っ直ぐ…。
「どうかなさいました?」
上官の異変に気付き、ヘラが慌てて声をかける。ロンドベルトはそれまで組んでいた指をとき、右手を額にあてている。その顔には既に笑みはなかった。
「…消えた…いや、見えない」
かすれた声がその口から漏れる。今までくっきりと見えていたザハドの街が、急に霧が立ちこめたかのように、突如として何も見えなくなったのである。考えられることはただ一つ。『力』による妨害。だがその地にいるそれが出来うる者…レギオンは、彼の片腕たるアルバート一人であるはずであり、彼はこんな事をする必然性はない。それ以前に、アルバートはこの作戦の真実を知らされていない。だとすると、他の誰か…。
「やられたな」
言いながらロンドベルトは腕を組み、卓に目を落とす。霧が晴れたその後に飛び込んできたのは、二人の従者と、首と胴とを切り離されたソルト伯の死体だった。
「ザハドの連中にすぐ繋ぎを付けてくれ。伯の遺体を回収し、副官と合流させる…予定が狂った」
解りました、と一礼し、ヘラは慌ただしく出ていく。一人残されたロンドベルトは、低い声で呟いた。
「なかなかやってくれるじゃないか…ルウツ皇国も…」
そして彼は、『死神』の笑みを浮かべていた
第二章 ザハド攻防戦−4
自らも剣を取り、前戦に立つアルバートの元に、本陣からの伝令が到着したのはようやくザハドの外堀を手中に収めた頃だった。急な伝令の到来に何かあったのか、と問うアルバートに、とんでもない返答が戻ってきた。
「司令官殿直属の小隊がザハド城下でソルト伯の遺体を確保し、本陣に…」
何と言うことだろう。その時アルバートはこの作戦の真実の姿を知った。要はこの大がかりな戦闘は茶番だったというわけだ。奇襲を本領とするロンドベルトらしいと言ってしまえばそれまでだが、利用された側としては面白くない。
「やっぱりな。あのあの隊長殿が正面切ってまともに落とせ、なんて言うから妙だとは思っていたけどさ」
隣にいたルイスは、アルバートの心中を代弁してから、で、どうする、とでも言うように視線を向けてくる。向けられた側はやりきれなくなって深々と溜息をつく。確かにこの方法ならば、ほぼ確実にザハドは落ちる。けれどその代償として、失われる必要のない敵、味方の命が奪われるのだ。
「…取りあえず、先に城に入った連中を止めないと。これ以上の流血は不要だから」
言ってからふと、アルバートはあることを思い立ち、伝令に問うた。
「所で、伯は直接司令官殿の小隊に暗殺されたのか?」
それに対し、伝令は首を横に振る。何でも彼らは頭と胴とが離れた遺体を発見し、本陣にやってきた、と。だとすると、城下に誘い出されたソルト伯は、ロンドベルトの策略とは全く関係のない第三者に討たれた、と言うことになる。
「けど…余程ソルト伯って人は嫌われていたんだな」
そう言ってくるルイスに、アルバートは上の空で頷く。瞬間、その脳裏にある物がよぎった。深く無表情な、限りなく黒に近い紺色の瞳。何故彼がここにいたのか、それならば説明が付く。再びアルバートは溜息をつく。
「取りあえず…早急に伯のご遺体を元に戻して…先方に引き渡しても恥ずかしくないようにしてくれ。…行くぞ」
言いながらルイスを省み、アルバートは前方の城に向かって馬を駆る。やれやれと思いながらルイスは停戦を叫びながらその後を追う。その時だった。炎とは異なる白い光が、空を焦がしているのが視界に入った。アルバートとルイスは思わず顔を見合わせる。
「…『力』、だな」
無言で頷いてから、アルバートは城への道を急いだ。
「…で、伯のソルソードは不明、緑の隊は皇都へ戻した、と言う訳か」
取りあえずルイスをザハドに残し、アレンタに急いで立ち戻り、一連の状況報告を終えたアルバートに、ロンドベルトは頬杖を付きながら言った。その顔には毒を含んだ笑みが浮かんでいる。対するアルバートは彼にしては珍しく無愛想に頷いた。
「何だ?だしに使われたのがそんなに不服だったのか?」
「ご命令ですから、自分としては従う以外の方法はありません。ですが、今回は些か仕掛けが大がかりすぎたのではないかと思うだけです」
「敵を欺くならまず味方から、と言うだろう?」
言いながらロンドベルトは背もたれに体重を預け、足を組む。しかし真面目な貴官ではそう考えても仕方がないな、と言いながら笑った。
「解った。次回からはなるべく巻き込む人数を少なくなるよう努力しよう」
所で、と身を乗り出し話題を変える上官に、アルバートは姿勢を正す。
「伯のソル・ソードは何処に消えたと思う?」
そう、ロンドベルト直属の『黒い刺客』がソルト伯の姿を認めたとき、既に剣はなかった。遺体返却の前にアルバートは周囲を捜索させたが、どうしても見つけることが出来なかった。
「全てご覧になっていたのではないですか?」
「全知全能の神というわけではないさ。見えなかったところもある」
そしてロンドベルトは光を写さぬ瞳をアルバートに向けた。薄々気が付いているんじゃないか、とでも言うように。
「伯を暗殺した真犯人が持ち去った、と考えるのが定石ですね」
「誰が手を下したんだと思う?」
アルバートはその問いかけに無言で応じた。ザルツボーゲンで起きた開戦前の小競り合いに関しては、今回の件を想定していなかったので報告をしていない。正直、それを今口にするか否か、彼は迷っていた。確かにあの場所で、彼はある人物に出会った。だがその人物が今回の件に関係してくるかどうかは、現場を見ていないから定かではない。
「…新しい『力』が出てきた、とも言っていたな」
その彼の内心の葛藤を知ってか知らずか、ロンドベルトは再び話題を変える。慌てて彼はそれに答えた。
「はい、先のルドラに従軍していた人物だと、ルイスが言っていました。従者として敵本陣に赴いたときにその場にいたので間違いがないと…」
「…表向き、私は使者を送っていないがな」
微妙にその言葉を修正し、ロンドベルトは再び卓に肘をつく。
「その素質に、皇国が気付いていたかどうか…」
「蒼の隊の司令官はともかく、皇国の首脳部が理解していたかどうかは疑問ですね」
「…まるで会ってきたように言うな。そんなに敵将を買っているのか?」
鋭い突っ込みにアルバートは口をつぐむ。そして決まり悪そうに視線を逸らした。
「蒼の隊は厳密に言えば傭兵隊のような物と考えられます。そんなところに前途ある騎士を配置するとは思えませんので」
その返答に、ロンドベルトは声を立てて笑った。
「じゃ、そう言うことにしておこうか。…しばらくザハドを任せるが…」
「拝命します」
一礼をして、アルバートは執務室を後にした。内心、どこか後ろめたい物を感じながら。
第三章 生誕祭−1
統一歴一五〇年は静かに始まった。最も見渡す限りの草原が広がるばかりで、その他には墓地しかないアレンタの地ではこれと言った娯楽はない。各々友人の宿舎に酒とつまみを持ち寄って乾杯をするか、長期休暇を取って家族の待つ故郷へ戻るかのどちらかである。
約半数の人員がザハドへ移り、加えて休暇中の者もいるため、すっかり人気の無くなった駐留本部の執務室に、だがいつもと変わらずロンドベルトはいた。
「…お戻りでは無かったのですか?」
突然かけられた声に、ロンドベルトは振り向いた。そこにいたのは他でもない、事務補官のヘラ=スンだった。
「戻ったところで相手にはされないさ。何せ子どもの頃から諜報局に引っ張られたと言うだけで近所には散々気味悪がられた」
言いながらロンドベルトは苦笑する。申し訳ありません、と頭を下げるヘラに、彼は手を振って言った
「気にすることはないさ。もう慣れたから…それより貴官こそ…」
「夏の生誕祭の前に、今から準備しないと間に合わないことが少々ありましたので…」
それに、副官殿から頼まれていた書類もまとめないと、と言うヘラに、ロンドベルトは意外そうな表情を見せた。
「何でも慰霊碑に関係する資料が必要なんだそうです。少し気になることがあるとか…」
その言葉に、ロンドベルトは納得したように頷いた。マケーネ大公領の東の果ての地であるここは、よく言えば国境の要、悪く言えば僻地である。そのため、中央に置くと都合が悪いものが色々と押しつけられてくる。立ち並ぶ慰霊碑の群もその一つだった。着任して間もない頃、形式的に行われる慰霊祭を、アルバートは少し気にしていたと、ロンドベルトは記憶していた。
「口うるさい上官から解放されて、ようやく羽根がのばせて好きなことが出来る、と言う訳かな」
恐らく、ザハドで生真面目な副官はくしゃみをしていることだろう。足を組みながら呟くロンドベルトは、不意にあることを思い出した。
「如何なさいました?」
「あの中に確か『草の碑』もあったな…?」
『草の碑』。それはその名の通り、幾世代にも渡り皇国に根付き一般人を装いながら情報を流す、意wばスパイの犠牲者を慰めるための物である。幼い頃、ロンドベルトはその『草刈り』の現場を偶然『見た』ことがある。皮肉にもそれを最後に彼は諜報局での役割を終えたのである。あの時の恐怖に怯える『草の子ども』の顔は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。そしてふと、あの少年はどうなったのか、との疑問が頭をもたげた。
「でも一体、どうしてでしょうね。わざわざ名簿が欲しい、と言うことなんですが」
「知り合いの行方不明者でもいるんじゃないか?捕虜の碑もあることだし」
言いながらロンドベルトは自分の言葉を反芻した。そして、自分が見たあの瞬間を思い出す。そしてある結論を導き出した。
「…申し訳ないが、休み明け早々に副官を呼び戻してくれ。少し確認したいことが出来た」
「休み明けで宜しいんですか?お急ぎならすぐにでも…」
「いや、ゆっくりで構わない…もう手遅れだからな」
不思議そうに首を傾げるヘラに、ロンドベルトは笑っていった。
「それに少しくらい骨休めさせてやらないと、身体がもたないだろ?これ以上副官つぶしの悪名を高めたくはない」
そして休みが終わるとほぼ同時に、アルバートはザハドから召還された。久しぶりに顔を見る副官に、ロンドベルトは意地悪く笑って見せた。
「…何故呼ばれたか解ってるな?」
不承不承頷き、アルバートは頭を深々と下げた。
「報告義務を怠ったのは事実ですから、いかなる処分でも受けます。この上は…」
「それは置いておこう。今更蒸し返しても無意味だし、こちらにとっては有利に事が進んだ。少し計画は狂ったが」
言いながらロンドベルトは頬杖を付く。
「何故名簿が必要なんだ?」
「少し、気になることがありまして…」
諦めてアルバートは、あの時ザルツボーゲンで何が起きたのかかいつまんで説明し、そしてこう付け足した。
「事務補官殿から頂いた名簿の写しと、実際に返却されこちらに埋葬された遺体の数が、食い違うんです。最も混乱もあったと思うので、許容範囲内とは思いますが…」
「…先方は『草の子』だと、確かに言ったんだな?」
射抜くように見えぬ瞳を向けてくるロンドベルトに、アルバートは間違いないと答えた。何処までも生真面目なその様子に、ロンドベルトは唇の端を上げる。
「解った。聞きたかったのはそれだけだ。…お陰で私も引っかかっていたことが一つ解決した」
珍しく素直に納得する上官を、アルバートは虚をつかれたように見つめる。
「で、目指す名前は、名簿に有ったのか?」
「いいえ…おそらくは皇国に籍を置くにあたり、名を改めたのだと思います。…表向きは先の皇国の大司祭の養子、となっているくらいですから…」
だろうな、と答えてからロンドベルトは切り出した。
「…大帝の生誕祭には、貴官にも同行して貰おう。それが今回の件に関する処分だ」
何よりもそれが一番堪えるだろ、と笑うロンドベルトに、アルバートはその表情を隠すように深々と頭を垂れた。
第三章 生誕祭−2
古の都バドリナードに、この時期だけは最盛期を誇ったときと同じかつての賑わいが戻る。色とりどりの旗が掲げられ、花吹雪が舞う。常ならばいがみ合っているはずの主要国元首が形ばかりの平穏を演じてみせるのだから白々しい、とロンドベルトは聞こえよがしに言った。だがその言葉通り、対立しているマリス侯もエドナの両大公も、その昔大陸の統一を成し遂げた大帝、ロジュア=ルウツの存在無くしては各々の正当性を主張出来ないのである。それを当の本人達が理解しているのかどうかと、更に続けるロンドベルトに、アルバートは深々と溜息をついた。自分に付き従う副官がそう言う反応を示すであろうと理解した上での発言なのである。
そんな外野をよそに、墓前では粛々と儀式が進んでいる。その場にいるのは代替わりしたばかりのまだ若いアルタント大公、いい加減に引退したらどうかと言われてもおかしくないマケーネ大公、痩せぎすでいかにも政争で暗躍していると思しきマリス侯、そして皇帝の名代妹姫ラ・ミレダ=ルウツである。初めて目にする皇妹の整った目鼻立ちにアルバートは思わず暫し見とれていたが、目前に立つロンドベルトが僅かに振り返り意地悪く釘を差す。
「殿下は『朱の隊』指揮官を務めるレギオンだ。下手に手を出すと返り討ちになる」
「…今回は流石に部隊を率いていないようですね」
「皇都に陛下の身辺警護のため置いてきたんだろう。だが…」
ロンドベルトはしばし周囲に注意を払っているようだったが、やがて僅かに首をひねった。
「目指す御仁が見あたらないな」
そう、警備要員として皇妹に同行しているはずの『蒼の隊』がこの場には見あたらない。どう思う、とでも言うように振り向くロンドベルトに、アルバートは言った。
「マリス侯のプライドの問題ではないでしょうか。彼から見れば傭兵隊と大差ない『蒼の隊』を神聖な墓所へ入れたくないと考えられます」
ですから外の警備についているのかもしれません、というアルバートに一つ頷いて見せてから、ロンドベルトは徐に歩き出した。慌ててアルバートはその後を追う。
「ならば少し付き合え。面白い物がある…大帝時代からの不思議らしい」
大帝の墓所から離れること暫し。皇帝一族の墓の中にただ一つ、誰が葬られているのか解らない墓があるという。どうせならその謎解きをしてみないか、というロンドベルト。が、その背後でアルバートは足を止めた。目的地には既に先客が居た。細かい細工と深い藍色の護符があしらわれたソル・ソードを腰にはき、その護符の色によく似た瞳は、無表情に墓碑を見つめている。アルバートが声をかけようとしたその時、前を幾上官が一歩足を踏み出した。
「何時の世も変わりませんね。大地は血をいくら吸っても飽きることはない」
その声に、皇国の若いレギオンは驚いたようにこちらを振り向く。そして両者の姿を認めた彼は、無表情のまま会釈を返した。僅かに笑みを浮かべ、アルバートは言う。
「ご無沙汰しております。貴方の願いが叶って良かった」
「大帝に御礼を申し上げるべきかな…そちらは?」
無表情な紺色の瞳が、アルバートが最も触れて貰いたくない方へ向けられる。一方当の本人は口許に斜に構えた笑みを浮かべながら言う。
「失礼…申し遅れました。貴方がたからは死神と嫌われている人間です」
「では、貴方がロンドベルト=トゥループ殿…」
だがその言葉には僅かにとまどいが含まれているようにアルバートは感じた。が、ロンドベルトは死神のような笑みを相変わらず浮かべている。その時、『無紋のレギオン』と呼ばれているその人は、ロンドベルトの『目』に気が付いたようだった。
「いや、驚くのは尤もでしょう。ですが、この目のお陰で様々な物を見ることが出来る。エドナを離れ、大陸の果てまでも」
一体自分の上官は敵国のレギオンに何を言おうとしているのだろうか。両者の顔をアルバートは交互に見やる。ロンドベルトの光を写さぬ瞳から逃れるように、セピアの髪のレギオンは墓碑に目をやる。…両者の間に何かがあったのではないか…いやな予感を感じるアルバートを気にも留めず、ロンドベルトは更に続ける。
「何時の世も変わらない。しかも血が流されるのは戦場だけとは限らない。何も知らない人々にさえ、時にそれは牙をむく」
「失礼ながら、何を仰っているのか…」
平静を保とうとしているのだろう。俯きがちに答えるシーリアス。これ以上上官にしゃべらせてはまずい。直感したアルバートは、慌ててそれを遮るため口を挟む。
「我々の任地の果てに、慰霊碑が建っているんですよ。十年以上前、そちらから引き渡されたエドナ籍の人々のご遺体を埋葬したとか…」
言いながらアルバートは疑問に思った。何故ロンドベルトは敵将に妙な言葉を投げかけるのだろう。そしてふと、ある事柄が脳裏をよぎった。ロンドベルトはかつて諜報局にいた。そして目の前の敵将は自らのことを『エドナの草の子』と言った。はめられた、と気が付いたときは既に手遅れだった。
「エドナ籍の?それは処刑した捕虜か何か?」
その言葉は無関係を装おうとしていることにアルバートは気が付いた。だが死神は容赦なく言葉という名の鎌を振るう。
「刈られた『草』ですよ。それこそ老若男女の区別無く…何も知らなかった子どももかなりいたと聞いています」
更にとどめを刺そうとするロンドベルトの言葉を何とか止めようとしたとき、ファンファーレが響いた。
天の助け、とばかりにアルバートは上官の黒いマントを引いた。
「墓前の儀式が終わったようです。そろそろ戻りませんと…」
大公から睨まれるのがオチですよ、と言外に言うアルバートにロンドベルトは声を立て笑った。ようやく死神は鎌を納める気になったらしい。
「失礼、お時間を頂きました。では我々はこれで…」
何事もなかったかのように漆黒のマントを翻し、ロンドベルトは踵を返す。表を見る限りでは鉄面皮を装っている敵将に頭を下げ、アルバートはその後に従った。
終章
「何を見ておられるのですか?」
宿舎のテラスに一人立つロンドベルトに、アルバートは問うた。見えぬ瞳を上空に向けて、ロンドベルトは答えた。
「どうだ?バドリナードの街は、燃えているだろう?」
その言葉に、アルバートは上官の脇に立ち眼下に広がるバドリーナードの旧市街を見つめる。確かに真っ赤な夕焼けの紅に染まるその様子は、燃え上がっているようにも見えた。その様子に、ロンドベルトは押し殺した声で笑う。
「甘んじて受け入れようじゃないか。再生の前には必ず破戒があるのが世の常だ」
その言葉が一体何を意味しているのか、アルバートは理解できなかった。この人は見えぬ瞳で一体何を見つめ、何を行おうとしているのか。そんな疑問に彼は捕らわれた。
統一歴150年、『不敗の軍神』ことロンドベルトは、エドナに置いて両大公に並ぶほどの武力を掌握した。だが両大公は、その矛先が常に皇国にたいして向けられていると信じて疑うことはなかった。
軍神が死神に変貌するときは、もうすぐそこまで迫っていた。
鎮魂曲〜死神の瞳〜 おわり
宜しければご意見ご感想、頂ければ幸いです。
なお、無断転載、改編、改良(笑)はしないでくださいませ。
お願いいたします。
ひろいそら@変光星
http://henkousei.fc2web.com/
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