『夜明けの歌 月夜の涙』第一部ダウンロード版
いい加減にしろ、との声も聞こえてきそうですが、万一著作権なる物が発生するとします
と、それらはすべてひろいそらに帰属するのではないかと思われます。
なので、無断での引用、転載、改編、改良(をいをい)はしないでください。
よろしくお願いいたします。
なお、加筆修正を行いますので、今後発行される冊子とは若干の違いが生じますので、よ
ろしくお願いいたします。
『夜明けの詩 月夜の涙』
 
序章『すべての終わり』
雨が降る。灰色の空から降り注ぐ雨が、立ち並ぶ天幕を打ち付ける。その谷間を縫うよ
うに、甲冑姿の人の群が右往左往する。
突然の隣国サヴォの侵攻から一年。いよいよ王都ラベナ奪還の戦いを目前にして、士
気はいやがおうにも高まっている。
その甲冑の群から僅かにはずれ、一人の騎士が陣の中央へ向かって足を進めている。
無骨な兵士たちも、青年を認めると、等しく礼をする。
彼らに一目置かれたその騎士の名はホセ=アラゴン。フエナシエラ神聖王国の今は
亡き大将軍の息子であり、パロマ侯の筆頭騎士でもある。まさに名実共に申し分のな
い人物である。
兵士たちに会釈を返しながら、ホセは本陣のひときわ大きな天幕にたどり着いた。足を
止め、一息つき、姿勢を正す。
「…お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「かまわない」
短いが、はっきりとした返答を確認してから、ホセは中に入った。そこには、彼と対して
変わらぬ年齢の、やはり甲冑に身を固めた青年が、空を見つめたたずんでいた。
「…さすがの貴方でも、決戦を前にすると緊張するんですね」
ホセに声をかけられ、青年は僅かに顔を上げると、苦笑を浮かべた。
「戦うことは怖くない。負ければすべてが終わるだけだ。ただ…」
「ただ?」
「俺が王都に入っても、皆は俺を認めてくれるだろうか。皆が待っているのは、カルロス
だ。けれど…」
一度、青年は言葉を切り、目を閉じた。
「あいつは、もういない…」
重苦しい空気が、しばし流れる。だが、ホセはいつもと変わらぬ穏やかな口調でそれを
遮った。
「皆を守りたいと願う気持ちは、殿下も貴方も変わらないでしょう?だから殿下は貴方に
すべてを託した。違いますか?バル」
バル、と呼ばれた青年は、持っていた剣の柄をさらに強く握りしめた。
天幕を打つ雨の音が、やや強くなる。
「今夜でけりを付ける。…力を貸してくれるか?」
「今更バルらしくもない。貴方の流儀でやってください」
その言葉を待っていたかのように、バルは勢いよく立ち上がった。
「…日没と同時に出る。雨がやむまでにできる限り近づいておきたい。後は…」
「日の出と共に、後背を打つ」
図らずも意見が一致し、二人は笑い合った。
程なくして、陣中に全軍出立の号令が響き渡った。
…後世、解放王もしくは武帝の異名で呼ばれるようになるバルトロメオ一世がサヴォか
ら王都ラベナを回復し、正式に即位したのは、この直後のことである…。
序章『すべての終わり』完
第一章『出会い』
それは突然の出来事だった。神聖帝国の二つ名を持つフエナシエラ王国の北の果て、
アプル山脈にほど近いアルタ村に、数名の兵士が姿を現した。所属を示す紋章はフ
エナシエラの『海の色』を地にした、見慣れた鮮やかな物ではなかった。
「者共、イノサン5世のおふれである!!」
聖堂前の広場で、隊長とおぼしき一人が声を張り上げた。脇ではその部下たちによっ
て高札がたてられようとしている。何事かと集まった村人たちは、固唾を飲んで次の言
葉を待つ。
「神聖皇帝と賞するカルロスは、偉大なるサヴォ王イノサン5世によって討ち取られ、諸
君らはサヴォの民となった。だが、カルロス嫡子パロマ侯は我らに恭順せず、未だに逃
亡中である!叛逆者パロマ侯とそれに組みする者を見つけた者は速やかに…」
村の中央でサヴォの兵が大音声を張り上げている頃、村にほど近い森の中を急ぐ旅
装の騎士の姿があった。
「殿下…少し休んだ方がよろしいのでは?」
先を行く黒髪の騎士が、後に続く主とおぼしきもう一人の騎士に声をかける。かけられ
た側は荒い息の下から僅かに顔を上げるが、返事はない。
「やはり少し休みましょう。先ほどの怪我の様子を…」
「そんな時間はない!」
若い騎士は声を荒げる。だが、その顔は青白く色を失い、ややもすれば立っているの
がやっとという様相であった。
「こうしている間にも追っ手が迫っている…一刻も早く…」
苦痛のため言葉が途切れ、整った顔をしかめて若い騎士は跪く。慌てて黒髪の騎士
が近寄ろうとした、ちょうどその時だった。
「…動くな」
凛とした声が澄んだ空気の中に響く。黒髪の騎士は腰の剣に手をかけ、もう一方も体
制を立て直し声のした方向を睨み付ける。
「何者だ?姿を見せろ!」
その声に応じるように、下草をかき分ける音がする。見るとそこには二人の騎士と対し
て歳の差はないとおぼしき青年が、弓を構え立っている。
「…誰に向かって弓を引いていると…!」
「死にたくなかったら黙ってろ!」
思いもかけない青年の圧迫感に、黒髪の騎士は図らずも口をつぐむ。そのまましばら
く、三人は凍り付いたように身動き一つ、しない。
どれくらい時が流れただろうか、或いはほんの一瞬か。二人の来訪者の背後で低いう
なり声が聞こえた。黒髪の騎士が注意深く振り返ると、大きな熊が、山へと帰って行くと
ころだった。黒い固まりが完全に視界から消えたところで、青年は弓をおろし、二人に
近づいてきた。
「奴はこの森のヌシだ。毎年何人かやられてる。どうやら血の臭いにつられてきたみた
いだな」
そして、気がつかなかったのか、と言いたげな表情で騎士らを見やってから徐に『殿
下』の側にしゃがみ込み、さらにまじまじと見つめた。
「それにしても…よくこんな状態でここまで来たな…」
「時間が…無いんだ」
「遅れはいずれ取り戻せるけど、命は戻らないんだぜ。あんたについてくる奴のことも
考えろよ」
そういうと、青年は前触れもなく『殿下』を強引に背負った。制止しようとする黒髪の騎
士に、青年は笑って言った。
「あんたがこの人を背負ったら、誰がこの人のために剣を振るうんだよ?」
「ところで、何であんな所に?」
背に揺られながら問う騎士に、やや間をおいてから青年は答えた。
「その質問、そっくりこっちがしたいくらいだ。…冗談は置いといて、月に何回か、下の
村に買い出しに出るんだ。けれど…今回はそれどころでなかった」
その言葉に、背の上の騎士が僅かに身を固くするのを、青年は感じ取った。
「まあ、俺のやっかいになってる村は僻地だから、秋に税金を納める方向が変わるだけ
だろうけど…偉い奴らには本気で取り入ろうというのもいるかもしれないな」
「そこまで知っているから、私が誰なのか聞かないのか?」
突然の騎士の言葉に、青年は思わず笑った。そして改めて言った。
「悪い。自己紹介がまだだった。貴族様は相手が下々だとこっちが名乗らないと名前も
教えてくれないんだっけな」
後から来る黒髪の騎士が何か言おうとしたが、青年は全く気にする様子はない。
「俺は、バルだ。物心つく前から、ここにいる」
「バル?」
「本当はもっと長いらしいけど、面倒くさいからそれでいい」
裏表のない青年の言葉に、『殿下』の顔に久しぶりの笑みが浮かぶ。
「私はカルロス。この騒ぎで処刑されたカルロス4世の嫡子で、パロマ侯ということにな
っている。私のこともカルロスでかまわない。彼は、私の友人の、ホセ=アラゴンだ」
「殿下…!」
短くバルが口笛を吹いた。
「じゃ、カルロスにホセ、俺の小屋は宮殿とは比べ物にならないけれど、しばらく我慢し
てくれないか?」
急に視界が開けた。眼下に広がる集落の中央広場には、サヴォの国旗が翻っていた
…。
 
第一章『出会い』完
第二章 『村』
二人の客人に気を使ってか、それとも単なる気まぐれか。バルは人目を避け裏側から
村に入り、『小屋』と自ら呼んだ家へと駆け込んだ。カルロスを自分の寝台の上へと降
ろすと、客人たちに装備を解いたらどうだ、と促した。
「ま、俺が信用できないならそのままでもかまわないけど」
内心を読まれ、言葉を失うホセと対照的に、カルロスは穏やかに笑っている。だが、甲
冑が外されると、その下からは所々血の滲んだ服が露わになる。思いの外、多くの傷
を負っているようだった。
バルは戸棚の一つを指さし、その中から適当に見繕って着替えてくれ、と言い残すと、
水をくみに中庭へと出ていった。その後ろ姿を見送ってからホセは扉を確認したが、鍵
はかけられてはいなかった。
「彼が私たちを売るなら、あそこで矢を放っているさ。もし通報されても仕方ない。私は
それまでの人間と言うことだ」
「殿下…」
これが主の良いところなのだが、どうも頼りない。やれやれ、と言うようにホセは溜め息
をついた。と、その視界に、前触れもなく何かが入ってきた。
「どうかしたのか?」
「いえ…剣が…」
それは、飾りもややはげ、一見みずぼらしい剣であった。だが、鞘に収まっている刀身
は並の物ではないだろう。ホセの騎士としての経験が、そう告げていた。しばらくホセは
その剣に見入っていたが、ふと違和感を感じ振り返る。するといつになく険しい表情で
カルロスも剣を凝視していた。だが、ホセの視線に気が付くと、決まり悪そうにうつむい
た。
「…彼は、騎士なのでしょうか…万一他国の騎士籍を持っていたとしたら、厄介で
は?」
「さあ…。戻ってから聞くことにしよう…私は、少し疲れた…」
ホセが主人の方を省みると、すでにその目は閉ざされ、穏やかで規則正しい寝息が漏
れていた。主の無防備な姿に、ホセは呆れつつも感心し、手近な椅子を引き寄せた。
そして、主を守るように腰を下ろした。
目が覚めると日差しはすでに傾き、ランプの明かりが室内を照らしている。カルロスは
自分の傷に手当が施され、血と泥で汚れた服が取り替えられているのに気がついた。
「気が付いたか?悪いな、粗末な奴しか無くて。…何か食えそうか?」
不意に扉が開き、食欲を誘う良い匂いと共にバルがひょっこりと顔を見せた。半身を起
こしカルロスがうなずくのを確認すると、バルは再び姿を消した。
薄暗さになれた目で改めてカルロスは室内を見回した。殺風景な室内にはこの家の主
の人となりを感じさせるような物は何一つ無い。隅の長椅子では、それまでのカルロス
の姿を映すかのようにホセが剣を抱いたまま熟睡していた。
「立派な物だよな。移動させたはいいけれど、剣だけは絶対放そうとしないんだ」
湯気の立つトレイを手に、再びバルが姿を現した。その顔には僅かに苦笑いが浮かん
でいる。
「そんなに大切な物なのか?…俺にはよく分からないけれど…」
「騎士にとっては、自分の生きている証と言っても良い物だから」
トレイを受け取りながら答えるカルロスに、バルは僅かに首を傾ける。
「じゃあ、剣を手放すときは?」
「…その騎士が、死を覚悟したときだと思う。それほどのことがない限り、私たちは剣を
手放すことはない」
「…そう、か…」
そう呟くと、バルは窓枠に腰を下ろし、何を見るでもなく外を見つめながら言った。
「…親父は、死んだんだな…」
「…お父上は、騎士だったのか?」
カルロスの問に、バルは無言で首を横に振った。
「解らない。でも、そこにあるだろ?親父の置き土産だ。顔も知らない、親父の…」
バルが指さす先には、先ほどホセが目に留めた、あの剣があった。ほの暗いランプの
明かりの中で、剣は異様な威厳をたたえていた。
「…親父が残した物は、あの剣と、時が来るまで抜くな、と言う言葉だけだ」
重苦しくなった空気の中に、カルロスの食事の音だけが響く。その音に気付いてか、ホ
セが僅かに身じろぎをする。その時、バルは前触れもなくカーテンを閉めた。
「…どうかしたのか?」
「誰か来る。厄介なことになるから、しばらくは音を立てるなよ」
低く言うと、バルは部屋を出ていった。その後ろ姿を見送ってからホセはカルロスに近
寄り頭を垂れた。
「大丈夫。何事もなかった。それより、そっちがホセの分」
そんな場合ではないだろう、と口には出さず、ホセは戦場さながらの身のこなしで扉に
張り付いた。扉の向こうからは、落ち着き払ったバルの声と、くぐもった老人の声とが、
途切れ途切れに聞こえてくる。やがてある単語を耳にして、ホセの顔色が変わった。
「アプル女侯…?」
「なんだって?」
カルロスはその言葉に耳を疑う。そして、客人を送り返した後、戻ってきたバルの顔は
ややおもしろくなさそうだった。
「鎌を掛けてきやがった…」
硬い表情のまま呟くバルに、ホセが思わず聞いた。その口調は、バルを信用し始めた
のか、本来の穏やかな物に戻りつつあった。
「アプル女侯が、わざわざお出でになる、と?」
「帰順の意を示すために、明日中央広場に全員集まれ、とのお達しだ」
「出席しなければ叛意あり、か…」
「おおかた、空っぽの家を家捜しするつもりなんだろ」
ホセに一つうなずいて見せてから、バルは寝台に腰を下ろしているカルロスに目をや
った。だが、カルロスの口から出た言葉は思いもかけない物だった。
「これ以上、迷惑をかけるわけにもいかないな。夜明け前に起つよ」
「馬鹿な!そんな怪我で動けると思ってるのかよ!」
言ってしまってからバルは照れたように横を向き、主従はまじまじと発言者を見つめた。
やがてふてくされたようにバルは呟いた。
「…やるだけのことはやる。諦めるのはその後だ」
 
第二章『村』完
第三章 『女侯』
暗闇は嫌いだ。幼い子どものような考えだが、真っ暗な闇はあの夜を思い出させてな
らない。
目の前で手が、首が、血飛沫が飛ぶ。悲鳴が上がる。後ではばたばたと人が倒れてい
く。所々で火の手が上がる。そして…。
「いかがなさいました?殿下?」
震える背後でホセの声がする所まで一緒だ。カルロスは大きく息を付き、額に浮かぶ
汗を拭った。そして見えるはずもないのに笑顔を浮かべて見せた。
「もう、だいぶ昔のことのような気がする」
何と答えて良いか解らず、ホセは押し黙った。その困惑を感じ取ってか、カルロスは小
さく笑い声をたてた。
「まだ…貴方の所へ行くわけには行きませんよ…陛下…」
低くカルロスは呟く。それをかき消すかのように荒っぽく扉が開け放たれ、数名の足音
が室内に響き渡った…。
聖堂前の中央広場に集まった人々の間に、ざわめきが広がった。
相も変わらずつまらなそうな村の三役を従えて颯爽と現れたのは、甲冑に身を固めた
初老の女性であった。正面を向き、居並ぶ人々を真っ直ぐに見つめるその顔は、威厳
と同時に高貴さに満ちあふれている。
「わざわざ、ご苦労であった」
その第一声が発せられると、人々は命令されるまでもなく口をつぐみ、姿勢を正す。広
場は水を打ったように静まり返り、女侯の次の言葉を待った。
「妾がサヴォよりアルプ地方を預かるテレーズ・ド・サヴィナじゃ。イノセン陛下の命によ
り、この地に参った」
良く通る、凛とした声である。言うなれば号令を発するに適した、上に立つ者特有の声
である。初めて目にする生まれながらの『支配者』に、人々の顔には緊張が走る。
すべてを計算し尽くしたようなタイミングで、アプル侯テレーズは整ったその顔に、穏や
かな笑みを浮かべて見せた。先ほどとはうって変わった慈愛に満ちた表情に、図らず
も人々の口から吐息が漏れる。
「案ずるな。陛下が妾を使わした理由はともかく、妾に何をしようと言う気はない。いわ
ば建前上の支配者に過ぎぬ。されど、来た以上はそなたらへの義務は果たす。万一
我が配下の者共がそなたらに理不尽な振る舞いをしたときは、遠慮なく申し出て欲し
い…」
完璧だ。短く口笛を吹こうとしてバルは止めた。彼は集団の最後尾にいたにもかかわら
ず、人々が抱いていた恐怖や不安が、次第に信頼に変化していくのが理解できた。ほ
んの僅かな時間で、この女性は初対面の半ば敵意を持つであろう人々の心を、ほぼ
完全につかんでしまった。今後、神聖王国がその王権を復活したとき、この村は元通り
フエナシエラに帰順するだろうか…そこまで考えが及んだとき、バルは思わず頭を振っ
た。
自分には全く関係が無いことだ。なのに何故、こんなことを考えるのだろうか…。彼らに
会ったからだろうか。
胸騒ぎを感じながら、バルは女侯をたたえる人々に背を向けた。
暗闇の中に静寂が流れる。もうどれほど息を殺して、ここにこうしているだろう。
侵入者たちはどうしたのか、ここからでは知る由もない。ついに耐えきれなくなり、カル
ロスは大きく息を付く。同時に頭上から僅かに光が射し込んだ。思わず身構え、剣に
手をかけるホセとカルロスの耳に入ってきたのは、聞き覚えのある声だった。
「悪いな、こんな所に押し込めて。大丈夫だったか?」
床板が完全に外され、梯子が降ろされる。ついでバルが手をさしのべた。
「こっちは大丈夫です。ただ数人踏み込んで来たようです」
カルロスを支えながら登ってくるホセが言う。その言葉通り、若干室内の調度は乱れて
いた。この床下の収納庫に彼らが気が付かなかったのか、或いは故意に見落としたの
かは定かではない。
「そっちは…何かあったのか?」
首を傾げるカルロスに、バルはようやく重い口を開いた。
「女侯が直々にお出ましだ。…あんなすごい人を、俺は今まで見たことが無い」
「テレーズ殿が?それは…」
カルロスは僅かに顔をしかめる。それが眩しさのせいなのか、サヴォの王族の名による
のかは解らない。
「何だ?知ってるのか」
「ああ。すばらしい方だ。私は足下にも及ばない」
中央広場で何が起こったのかを察し、カルロスは深く吐息をつく。そして聞こえないほ
どの小さな声で、低く言った。
「私がしようとしていることは、皆にとって、良いことなのだろうか…」
バルは2.3度瞬きをした。図らずも先ほど、直接女侯を目にしたときに感じたのと同じ
思いを、カルロスも持っている。妙な安堵感と、複雑な思いを感じて、バルはカルロス
をまじまじと見つめた。だが、カルロスの視線はバルを通り越してホセを気にしていた。
「どうかしたのか?」
カルロスに声をかけられたホセは、慌ててこちらを向いた。その顔には戦場さながらの
緊張が張り付いていた。
「…囲まれています」
ホセの短いがはっきりとした返答が室内の空気を打つ。何か言おうとするバルを手で
制して、カルロスは続きを促した。
「数までは解りませんが…完全に取り囲まれています」
「…付けられたのか…俺が…」
「バルは軍人じゃないんだ。解るはずがない」
一度頷いて、ホセはカルロスの言葉を肯定した。その顔には僅かに微笑すら浮かんで
いる。
「できるところまでは私が引きつけます。殿下は退避を…」
「俺も援護する」
突然のバルの言葉に、ホセは目を丸くした。
「剣の方はあまり使えないけど…弓なら自信はある。ここから狙えば多少は役に立てる
と思う」
じっと見据えるバルに、ホセはもう一度頷いた。
「助かります。では…」
「待て!あれを…」
カルロスの叫びにも似た声が両者の会話を遮った。
「いかがなさいました?殿下」
「誰かが、来る」
カルロスは一点を指さした。その言葉通り、狭められていた包囲の輪から一人、こちら
に歩み寄る者の姿が見えた。
「あれは…」
「女侯…?」
見まがいようもない。サヴォのアルプ女侯テレーズ・ド・サヴィナが、先ほどとは異なり、
平服でこちらに近づいてくる。
「…パロマ侯、こちらにおいでか?…是非、折り入って話がしたい」
先ほどと変わらぬ澄んだ声が、辺りに響き渡った…。
 
第三章『女侯』完
第四章 『会談』
単身室内へ迎えられた女侯は、バルとホセに軽く会釈を向けてから真っ直ぐにカルロ
スの元に歩み寄った。先ほどとは異なる平服姿ではあったが、威厳を損ねることはなか
った。やはりこの人は生まれながらの後続なのだ、と、思わずにはいられない。当惑す
るカルロスとは対照的に、女侯は跪き、完璧な所作で王族に対する礼を取った。
「…サヴォのなしたる行為、この場にて陛下に代わりお詫び申し上げます」
思いもかけない女侯の言葉に顔を見合わせるバルとホセに対し、カルロスは寂しげに
微笑むと、いつもと変わらぬ穏やかな声で答えた。
「…お手をお上げください。侯がそのようにされては、年少者の私はどうしようもない無
礼者になってしまいます」
「…太子殿…?」
顔を上げ、戸惑ったように2 、3 度 瞬く女侯に、カルロスは苦笑まじりに言った。
「私は、ただのパロマ侯です。…まだ立太子はされておりませんので…」
驚きの表情を浮かべるバルに、ホセは小さく頷いてみせた。
テーブルの上には4 つのカップがおかれ、それぞれから暖かな湯気が立ちのぼって
いる。そして各々の前には、亡国の王子とその従者、そして侵略者たるサヴォの王室
の一員と、偶然その場に居合わせてしまった自称『善良な一般人』が腰を下ろしてい
た。
最初、ホセとバルは辞去を申し出たものの、何故かカルロスが強く望んだため、同席す
ることとなった。対照的に何処か居心地が悪そうにしているバルに、女侯は笑いかけた。
「先刻、無断で立ち入ってしまった。…室内を少々荒らしてしまったようじゃ。申し訳な
い」
声をかけられた側は恐縮することもなく、だが僅かに姿勢を正し無言のまま首を横に振
った。そのバルの様子に、室内は笑いに包まれたが、だしにされたほうはふて腐れた
ようにそっぽを向いた。再びバルに笑いかけてから、女侯は改めてカルロスに向き直っ
た。
「しかし、よく無事にこの地まで辿り着かれた。侯は良い臣をお持ちじゃ」
「はい。今の私があるのも、皆が助けてくれたお蔭でしょう。ともすれば今頃、野辺に屍
を晒していたかと思います」
言葉こそ穏やかだが、その心中には計り知れない思いがあるのだろう。僅かにカルロ
スの目に光るものがあった。ある意味、どんな勇将よりも、自らの弱さを隠すことなくあら
わにできるカルロスは、計り知れない強さを持っているのかも知れない。ふと、そんなこ
とを考えていたバルを現実に引き戻したのは、何気ない女侯の一言だった。
「されど、何故このような地に?街道こそサヴォの兵が溢れているものの、プロイスヴェ
メへの道は、探せば幾らでも安全な道はあろうに…」
当然といえば当然の疑問だった。何より、バルが強く感じていながら口にできなかった
疑問の一つだった。落ち延びていくのにわざわざ適地に近いアプル山脈よりの道を辿
る意味はあるのか。確かに森に身を潜めることはできるだろうが、夕闇と同時に何が襲
いかかるか解らない。何か深い意味が有るのを裏付けるように、一瞬、カルロスの顔に
緊張が走った。
「ある方にお会いせよとの、陛下のご遺言がありました。そのため、殿下におかれまして
は、アプル山脈を目指されたのです」
咄嗟にホセが助け船を出す。女侯は暫し首をかしげ思案していたようであったが、や
がて納得したように大きく頷いた。一方全く話の見えないバルは、本来で有れば雲上
人であるはずの三人の顔を、無言のまま見つめていた。
「それで…お会いできたのか?」
再びの問いに、カルロスは曖昧に微笑を浮かべるだけだった。
「…その方が、どこにおられるか、詳しいことを何一つ、陛下には伺っておりませんでし
た。もちろん会ったこともございません。おそらくこの辺りにおられるだろうとは思ってお
りましたが…子細は理解したつもりです」
その曖昧な微笑から返された答えも、曖昧な物だった。女侯はしばし、カルロスを無言
で見つめていたが、一つ溜め息をつくと、これまた謎かけのような言葉を口にした。
「…そう、真実とは常に、身近な所にある物。それを忘れなければ、道を誤ることは無か
ろう…」
首を傾げるバルとホセとは対照的に、カルロスは当を得たように大きく頷いていた。
帰り際、女侯は自領に逃れてきたフエナシエラの民は丁重に保護している、と告げ、
同じく保護した負傷兵も傷が癒えた後カルロスに合流を望むので有ればそれを妨げな
い、と付け加えた。
「…確かに、あの方には、かなわないな…」
整然と撤退していくサヴォ軍と女侯を見やりながら、カルロスは小さく呟いていた。
第四章『会談』完
第五章 『疑問』
カルロスとホセが村に落ち着き、一週間が過ぎようとしていた。心配されたカルロスの
怪我も悪化することもなく、順調に快方に向かっている。また、女侯の本国への影響の
せいか、追っ手がかけられるような気配もない。
こう平穏な日々が続くと、あの逃避行が嘘のようだ。暖かい日差しを浴びながら、ホセ
は大きく伸びをした。その姿に村人は気さくに声をかける。
けれど、彼は単に散歩をしているわけではない。亡きカルロス四世の『遺言』に従い、
カルロスが探し求める『ある人』の手がかりを拾い集めているのだ。都合三日、いろいろ
歩き回ってはいる物の、まだホセは目指す目標にたどり着けずにいた。
ふと、ホセは前方を見上げた。村全体を見下ろす小高い丘の上に、ぽつりと建つ家。
それは彼らが厄介になっている所でもある。
妙だ。この風景を見やる度、ホセはこの思いを強くしていた。
確かに、貴族らの住む城や宮殿に比べれば、小さな小屋に過ぎない。だが、村に立ち
並ぶ家との違いは、一目瞭然である。自ら『余所者』と言って憚らないバルが、この『立
派な』家に一人住むのは、破格の待遇なのか、それとも疎まれているからなのか。
むくむくと大きくなっていく疑問を抱えたまま、ホセは柱だけが残る門を通りすぎた。
家の中にバルの姿はなかった。
カルロスは只一人、何をするでもなく窓から外の様子を見つめていた。
「お加減はよろしいのですか?殿下」
不安げに歩み寄るホセに、いい加減動かないと根っこが生えてしまう、と言ってカルロ
スは笑って見せた。
「バルは買い出しに行ってる。下の街で、定期市が立っているらしい」
そういえば、森の中で初めて会ったときも、そんなことを言っていたような気がする。僅
か一週間前のことなのに、もうずいぶんと昔なような気がする。ふと、深い思考の谷間
に陥りかけたホセを、カルロスの視線が現実へと引き戻した。
「あ、申し訳ありません。今日は長老から話を伺うことができました」
無言で頷き、座るよう促すカルロスに従い、手近な椅子に腰を降ろして一息つくと、ホ
セは話を切りだした。
「確かに、侯はしばしば、こちらに見えられたそうです。村人とも隔てなく付き合われる
ような方で、あのような型破りな、けれど立派な方は見たことはない、と」
「で…、フエナアプル侯は、今、どちらに?」
核心に触れ、僅かに身を乗り出すカルロスに、ホセは目を伏せ、首を横に振った。
「残念ながら…。今までの答えと同じです。ある時、国境の視察に出られた以来、こち
らには立ち寄られることは無くなったそうです」
「しかし…、それならばどうして配下の物が届け出ない?中央にはロドルフォ殿が亡く
なられたなんて知らせは全く…」
不意にカルロスの言葉は中断した。不審に思ったホセが振り向くと、そこには他でもな
い、この家の主が荷物と共に佇んでいた。
「…悪い。取り込み中か。じゃ、外した方がいいな」
苦笑を浮かべながらその場を離れようとするバルを、カルロスは神妙な面もちで呼び
止めた。
「いや、良いんだ。…丁度良い機会だから、バルにも話しておくよ」
「けど…」
戸惑うバルに、カルロスは珍しく有無を言わせなかった。珍しく遠慮がちにしているバ
ルと、厳しい表情を浮かべているホセを交互に見やりながら、カルロスは静かな口調で
言った。
「私が探しているのは、フェナアプル侯…この地の領主で、陛下の異母兄に当たられ
る方…ロドルフォ殿なんだ」
「この間、女侯に言ってた『遺言』の人か?けど、俺はここにずいぶんと居るけれど、領
主の話なんて聞いたことが無いぜ」
腕組みしながら壁に寄りかかり、バルは鹿爪らしい表情を浮かべてみせる。僅かに首
を傾げ、村長は居るけれど、領主なんて初耳だ、そういわんばかりにカルロスを見つめ
た。
「第一、王様の兄貴ってことは、あんたと同じ王子様なんだろ?それがなんでこんな山
間の貧しい所を治めてるんだよ?それに…普通は兄貴の方が、偉いんじゃないの
か?」
当然とも言えるバルの疑問に戻ってきたのは、何とも奇妙なカルロスの言葉だった。
「陛下も、ロドルフォ殿も…フエナシエラの名に取り憑かれておられた…。そして、おそ
らく、私も…」
 
第五章『疑問』完
第六章 『神聖王国』
「フェナシエラの、名前…?」
解らない、と言うようにバルは首を傾げる。そのバルの様子を見、カルロスはそれまで
の気難しげな表情を崩し、いつもの穏やかな笑顔で言った。
「ごめん。まず、フェナシエラと言う名前の由来から話さないと駄目だよね」
けれど、バルはまだ納得がいかない用である。寧ろ馬鹿にするな、とでも言わんばかり
にぼそりと呟いた。
「『善き王の国』だろ?自分の国のことくらい知ってるさ」
「その他にも『正しき玉座の国』と言う意味も、あるんですよ」
ホセの言葉に、バルは二、三度瞬きする。カルロスを省みると、先刻の笑みのまま頷い
ていた。
「じゃあ、『神聖王国』って呼ばれている理由は、聞いたことは?」
『神聖王国』。それは幼い子供ですら知っているフェナシエラの二つ名である。歴史有
る国は周辺にいくらでもあるが、そのように大仰な通称を持つのはフェナシエラだけで
ある。
しかし、奇妙なことにフェナシエラは『宗教国家』と言うわけではない。確かに領内には
大陸全土に信徒を持つ宗派の総本山を抱えてはいるが、それはフェナシエラとは全く
別の支配形態を形成している。そして歴代のフェナシエラ王も敬虔な信徒ではあるが、
王国の統治に宗教を持ち込んだことは、ほとんどない。
「…攻められたことがないとか…攻めたことがないとか…」
考えた末のバルの返答を、カルロスは柔らかな笑みで否定した。そしてふと、先ほどの
おだやかな表情に影が差す。
「不思議なことにね、『正しき玉座』はこれまで一度も血塗られたことがないんだ。継承
争いが起こらない王家なんて、常識で考えれば奇妙だろう?だから皆、畏怖の年を込
めて『神聖王国』と呼ぶのさ」
そのカルロスの口調は、いつもの穏やかな物とはほど遠かった。自嘲と皮肉とが混じり
合ったような辛らつな言葉に、バルは目を丸くする。そして僅かに身震いしてからこう
呟いた。
「…何だか…とんでもない名前なんだな…」
今度は一つ頷いて肯定すると、カルロスはさらに続けた。
「普通に考えれば、悲しいことだけれど絶対的な権力を前にして争いが起きる方が普
通なんだ。けれど、歴代の王族達は、フェナシエラの名前が傷つくことを恐れた。それ
こそ異常なほどにね」
それは王族だけでなくて、重臣達も同じだけれど。そう言ってしまってからカルロスは
慌てて口を閉ざした。不安げなホセの視線と、無表情なバルのそれに気が付いたから
だ。変なことを言ってごめん、そう謝るカルロスの顔に、ようやくいつもの穏やかさが戻
っていた。
「…名前の由来は、良く解った。でも、それと『遺言の人』との関係が…」
言いかけてバルは慌てて口を閉ざした。通りすがりの一介の庶民が、いかに好意とは
言え、こちらからはこれ以上踏み込んではいけない。直感的にそう判断したようである。
「いや、構わないよ。…実を言うと、私も立場的にはバルと似たような物だから」
「…は?」
再びバルは首を傾げる。目の前の王子様は一体何を言い出すか解らない。当のカル
ロスは、静かに笑っているだけで、その内心を知る由もない。意識的にかその部分を
無視し、カルロスは先を続けた。
「…そう…陛下とロドルフォ殿下は、聞くところに寄ると、とても仲の良い兄弟だったらし
い。けれど、それが一番の原因だった」
ようやくカルロスの話は核心に触れた。既にホセは止めるのを諦めたらしく、外の様子
を伺っている。それほどまでに王家の暗部は根深い物らしい。一方バルは、カルロス
の言葉に飲み込まれたように身動き一つせず聞き入っている。
「仲が良かったからこそ、二人は互いに王位を譲り合った。それを察知した重臣達が分
裂し始め、ロドルフォ殿下は自らフェナアプル侯の継承を申し出、王宮を去った」
「だから、どうして兄貴の方が追い出されたんだ?」
普通に考えれば逆だろう。もっともなバルの言葉に、先ほどから黙りを決め込んでいた
ホセが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「…ロドルフォ殿下は、カルロス4世陛下の異母兄に当たられるんです」
「え…じゃあ?」
不謹慎だ。そう解っていながら、身を乗り出さずに入られない。口ごもるカルロスに代わ
り、少し言いにくそうにホセは続けた。
「つまり…その、ロドルフォ殿下は、先王陛下の正嫡ではなかったんです」
王家に限らず、貴族の間でも良くある話である。生まれた順番と血筋とが逆転してしま
う。両者の間にどんな感情があったかは想像に難くない。
意図的に感情を抑えたようなホセの声は、バルの背筋を冷たく滑り落ちていった。その
バルの耳に、カルロスの言葉が、流れ込んできた。
「…だから…王都陥落の直前、陛下は私に遺言を残された。音信不通になっているフ
ェナアプル侯…真の王を探せ、と…」
第六章『神聖王国』完
第七章 旅立ち
いつものように日は暮れた。
何事もなかったかのように、家々から炊事の煙が立ち上り始める。バルも、何事もなか
ったかのように、客人と自らの食事の支度を始めた。
いや、正確に言えば、何事もなかったかのように振る舞うしかなかった、というところだ
ろうか。本当ならば知ってはならないところに足を踏み入れてしまった、いかにバルと
は言え、その思いが無かったとは言い難い。
そして、いつになく重苦しい雰囲気の中で夕食は終わり、沈黙が支配する中、三々
五々、彼らは床についた。
「…神聖王国か…」
ふと、暗闇の中でバルは呟いた。
今まで意識すらする事の無かった、自分の『故国』。皮肉なことに、それを身近に感じ
た今、既に存在はしていない。
扉を隔てた向こう側に、その最後の本流が、文字通り風前の灯火のように存在するの
みである。
「…フェダル…あんたは、一体何がしたかったんだ…?」
返事が戻ってこないと解っている問いかけを、闇に向かって投げかけていた。
「結局、侯が亡くなられたのは、ほぼ間違いは無いんだね」
念を押すようなカルロスの顔には、寂しげな笑みが浮かんでいる。いたたまれなくなっ
て視線を逸らしながらも、ホセはゆっくりと頷いた。
「確かな証拠は得られませんでしたが…、侯を知る方が皆…」
「もう良いよ。…何となく、解っていたことだし…」
そう言いながらカルロスは几帳面に折り畳まれた書状をホセに手渡した。怪訝そうにそ
れを受け取り、文字を目で追うホセの表情が、次第に熱を帯びていく。
「…これは…」
「今日、女侯から届いたんだ。…侯も、ご自分の運命を何となく理解していたんだろう
ね…」
読み終えたホセは、それを元通りに丁寧に畳むと、カルロスに恭しく手渡した。苦笑を
浮かべながら受け取るカルロスを、ホセはどこか沈痛な面もちで見つめている。
「…どうした?」
「…今後、如何なさいます?」
カルロスの顔から笑みが消える。そう、国王の遺言が果たされないと決定した今、それ
が当面の問題だった。
カルロス4世がカルロスに残した遺言は、『真の王ロドルフォ=フェナシエラを探し、そ
の旗の元でフェナシエラを再興せよ』。だが、『真の王』はもはやこの世にはいない。
「皆を見捨てるわけには、いかない」
そう、同盟関係にある隣国のプロイスヴェメには、『フェナシエラの象徴』の帰還を信じ
て必死の思いで戦火を逃れた同胞達がいるはずだ。カルロスが目指す目的を果たせ
なかったからと言ってここにとどまれば、その彼らの思いを踏みにじることになる。それ
だけは彼の性質が許さなかった。
「では…」
「ああ、もう大丈夫」
頷くカルロスに、迷いはもう無かった。
いつもと変わらず日は昇った。
朝靄の中、家々から煙が上り始める。
僅かに冷気を感じるようになった静かな朝、いつものように起き出したバルは、自分が
知らないところで起きたことに気付き、思わず苦笑を浮かべていた。
日が高くなるに連れ、木漏れ日が地上に届くようになった。
もうどれくらい歩いただろうか。鬱蒼と生い茂った木々の中にいると、方向だけでなく時
間の感覚も無くなってくるようだ。
「本当によろしかったのですか?」
振り向きざまに尋ねるホセに、カルロスは頷いた。
「これ以上、巻き込むわけにも行かないだろう?女侯がいてくださればまだしも、万一
私たちと係わったことで…」
そう、カルロスの言葉に偽りはない。
いつ何時、イノサン5世直属の追っ手がかけられるか。そして彼らをかくまったアルタ村
の人々がどのような仕打ちを受けるか。想像には難くない。
「こんな事ばかり考えているから、私は駄目なのかもしれないけれどね」
呟きながら、カルロスは立ち止まる。木々の間を吹き抜ける穏やかな風が、上気した頬
を急速に冷やした。そして…。
「その割に、肝心なところが抜けてるんじゃないのか?」
前触れのない第三者の声に、二人は身構えた。だが、息を切らしながら後を追ってき
た人物を視界に捕らえ、張りつめた空気は元に戻った。
「バル…どうして…?」
咎めるように言うカルロスに、バルは片目をつぶって見せた。
「地図に載ってる道だと、めぼしいのはこれしか無いから…。でも…」
これから何日もかけて山道を進むのにその格好では自殺行為だぞ、そう言いながらバ
ルは持ち出してきた毛布を二人に向け放り投げた。
「この道だと、サヴォの国境すれすれを通ることになる。それよりは間道の尾根伝いを
行った方が近道だし、換えって安全だと思う」
「けれど、バル…良いんですか?」
「あんた達が目的地に着かなきゃ悲しむ奴はたくさんいる。余所者の俺があそこからい
なくなっても、誰も気にしない。そう言うわけさ」
言い終わるが早いが、バルは先頭に立って歩き始める。フェナシエラの主従は、当惑
しながらも思わず笑みを浮かべあう。そしてふと見やったバルの背には、あの剣が申し
訳なさそうに顔を覗かせていた。
短い夏は、終わろうとしていた。
第七章『旅立ち』完
次回予告
ついに同盟国プロイスヴェメにたどり着いたカルロス主従とバル。
だが、『氷の女帝』ことマルガレーテは思いもかけないことを告げた。
果たして彼らの運命は?そして、ホセの負っている悲しく深い『傷』とは?
『夜明けの歌 月夜の涙』 まだまだ(一応)連載中(爆)
ご意見ご感想などもしありましたら
sorah04@hotmail.com
までお願いいたします。
変光星
http://henkousei.tripod.co.jp/

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送