〜interval FIRST CONACT〜

 

 

やっぱり父様はいない。
父様どころか、看護婦さんも、お医者様も。この間母様が買ってきたお花も、無い。
ここは病院じゃないの?壁も床も、シーツも布団も、病院と同じで、真っ白なのに。
…そう言えば、わたし、どのくらい眠ってたの?
長い眠りから覚めたクレアは、半身を起こした。僅かに感じる肌寒さに首を竦める。それから改めて周囲を見渡すと、窓一つないその部屋が、彼女が良く知るICUでは無いことがはっきりした。
ゆっくりと、クレアはベッドから降り立った。心なしか体が軽い。そのまま扉に向かい歩み寄る。堅く閉ざされたそれは、彼女が僅かに触れると音もなく開いた。
そして、吸い込まれていくように、彼女は真っ白な空間へと足を踏み出した。

「…いなくなった?」
技術士官ジャック=ハモンドは、医療部からの緊急報告に絶句し、次に癖毛の頭をかき回した。
時間的にもう気が付いてもおかしくはない頃合いだ。さすがに『閉じこめる』訳にはいかないものの、まさかいなくなるとは。
深々と吐息をついてから、『患者』の親権者が出張で席を外していることを、不謹慎ながら彼は神に感謝した。
「…迷子か…。仕方ない、全館に非常線を張ってくれ。一刻も早く見つけてくれないと、風邪でも引かれたら大変だ」
冗談のような現実に、ジャックは苦笑いを浮かべるしかなかった。

何処まで行っても真っ白な壁と廊下が続いている。ここは何処なんだろう。それに、今日は何時なの?
窓がない建物の中では、今が昼なのか夜なのかも解らない。どれだけの時間歩いたのかも、定かではない。
いい加減歩き疲れたクレアは戻ろうとして、はたと気が付いた。真っ白な空間の中で、完全に方向感覚を失っている。帰りたくても、どこから来たのかすら、解らない。
途方に暮れ、泣きそうになった彼女は、ふと突き当たりの扉が僅かに開いていることに気が付いた。誰かがいるかもしれない。僅かな希望を抱いて、彼女は扉に手をかけた。

薄暗い室内には、何台かのディスプレイが並び、途切れることなくキーボードを操作する音がする。うち一台が仄明るい光を放ち、同時にその前に座っている人影が見えた。
「…どなたですか?」
彼女が何か言おうとする前に、室内から声がした。だが、肝心の声の主は振り向こうとはしない。
「…迷ってしまって…あの…」
「…どなたですか?」
まるで機械のように、『彼』は先ほどと同じ問いかけを繰り返す。得体の知れない物に対する恐怖を感じ、だが、クレアは震える声で思い切って、答えた。
「…わたし…クレア…。クレア=テルミンといいます…」
不意に、キーボードを叩く音がやんだ。
「…テルミン博士のお嬢さんですね?話は聞いています」
言いながら漸く『彼』は振り向いた。一見穏やかだが、感情のない硝子色の瞳が、こちらを見つめている。
「…貴方…は?」
「私はシリアルID012-0-005。通称5。ですがJは私をエドと呼んでいます」
静かな『彼』の声に警戒心が解けたクレアは、おずおずと歩み寄る。一方『彼』は再びディスプレイに向き直り、作業を再開した。
「じゃあ、ここは父様のお仕事場?」
そう言いながら彼女はディスプレイと『彼』の顔とを交互に覗き込む。その間にも画面上には無数の文字が流れ続けていた。
「そう言うことになりますね。今、Jに連絡を取ります。すぐに迎えが来るかと思います」
平板な声がそれに応じる。だが、返事はない。
「どうか、しましたか?」
再び『彼』は手を止める。画面を見つめるクレアの目には、僅かに涙がたまっていた。
「でも…父様は、来ないんでしょう…?」
大粒の涙が、頬を伝う。緊張が解け、泣きじゃくるクレアの頭を、『彼』は優しく撫でていた。
「大丈夫…万一、いらっしゃれなくても、ここにいる私たち…私が、貴女をお守りしますから…」

漸く駆けつけたジャックは、目の前の物を見て、唖然とした。
「…おい…エド…こいつは一体…」
呆れたように言うジャックに、彼はいつもと変わらぬ無感動な声で答えた。
「現在、彼女は熟睡状態にありますので、搬送にはくれぐれも細心の…」
「それはそうだが…」
彼の膝には、ちょこんとクレアが乗っている。すっかり眠り込んでしまったクレアを左手で支えつつも、だが残る右手は作業を続けていた。
「…先ほど、第三セクタにバグを発見しました。修復をしたいのですが…」
「それは後でいいよ。無骨な軍人さんに頼むよりも、君が運んだ方が早そうだ」
僅かに首を傾げる『彼』に、ジャックは頷いて答えた。では、と『彼』はそのままクレアを抱えたまま立ち上がり、扉の外へと消えていった。
その二人の姿を見送りながら、ジャックは何とも言えない感情にとらわれた。厳密に言えば『二人』とも生物学上の『ヒト』ではない。一人は既にその生を全うし、もう一人は…。
とっさにジャックはその考えを頭から振り落とした。

真っ白な空間が、広がっていた。

 

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