『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第二十五章 『決別』

「何故…何故お前のような平民が候に必要とされて、私の同行が許されないんだ!!」
思い出すたび、プロイスハイム伯の嫡子、エドワルドの鋭い視線が、バルに対してこう問いかけてくる。溢れ出る感情を抑えようともせず、彼はこうも言っているようだった。
「私は…私はお前のような輩を、栄光あるパロマ候の同行者として、決して認めないからな!!」
だが、鋭い感情とは裏腹に、その目には僅かに涙が光っているようでもあった。
…自分が…どこの馬の骨ともしれない俺が…どうしてこんな所にいるんだろう…その上、必要とされている?…
一度わき上がった疑問は大きくなる一方で、頭から振り落とそうとしてもこびりついて離れることはない。
確かに、エドワルドの言うところは正しい。バルは一介の平民に過ぎず、本来であればこのようなところにいることは許される存在ではない。
それが何処でどう間違ったのか、それともどさくさに紛れてしまった結果か、ずるずるとカルロスの厚意に甘えるような形で、おそれ多くも偉大なる氷の女帝の居城に厄介になっている。
「…俺が…必要とされて…る?」
今度は口に出して、その言葉を反芻してみる。だが、彼の残していった一言は、バルの心中に一抹の陰を投げかけていた。
けれど、俺はここにいても良いのだろうか、と。
質素だが、今まで自分が使っていた物とは比べ物にならないくらい立派な寝台に横たわったまま、バルは自分にあてがわれた部屋の中をぐるりと見回す。そしてその視線は必ずある一点で停まる。
部屋の片隅には、重いと思いながらも手放せずにいた、顔も知らない父親の形見の剣が無造作に立てかけられていた。

突然のノックの音に、カルロスは慌てて顔を上げた。
最近、どうもおかしい。眠いというわけではないのだが、ふと意識が飛んでしまうことがたびたびある。やはりこの逃避行で多少なりとも疲れが出ているのかもしれない。そんなことを想いながら、彼は扉に向かい姿勢を正した。
「殿下、失礼します。よろしいでしょうか?」
入って来たのは、外見も性格も、得意とする活躍の分野すらも全く正反対の、だがカルロスにとってかけがえのない二人の忠臣だった。
「構わないよ…ヴァルキューレ殿はもう出立されたのかな?」
何気ないカルロスの言葉に、オルランドは意味ありげな含み笑いを浮かべながら、隣に立つホセを小突く。僅かに赤面しつつ頷くホセに笑みを向けてから、カルロスはふと机上に目を落とした。その上には何通かの書状が無秩序に散らばっている。目敏くそれに気付いたオルランドが、表情を改めて口を開く。
「…正直、如何ですか?」
「予想通り、かな。それなりの見返りを露骨に要求してきたり、何か思うところがあるのが見え見えな物もあるしね」
苦笑を浮かべるカルロスが差し出す書状を受け取り、ざっと目を通しながら、オルランドは僅かに皮肉な笑みを浮かべて見せた。
「…ま、人間よほどの聖人君子でもない限り、只では動かない物ですから…」
「…じゃあ、そう言うオルランドもそうなのか?」
冗談めかしたカルロスの一言に咳払いをすると、ばつが悪そうにオルランドは手にしていた物をカルロスに返した。受け取りながら、カルロスはそれまで口を挟むことなくやりとりを見つめていたホセに、徐に向き直った。
「所で…突然なんだけれど…」
急に話を振られ、ホセは慌てて姿勢を正そうとするが、まだ傷が響くのか僅かに顔をしかめる。楽にしていて良いよ、と付け加えてから、少し固い表情で、カルロスは言葉を継いだ。
「…バルを…どう思う?」
「…バルを、ですか…?」
予想だにしない主君の問いかけに、ホセは数度、瞬きを返す。やや時間をおいてから、彼は言葉を選ぶようにゆっくりとその問に答えた。
「始めは…あの森の中で会ったときは、それこそ何を考えているのか解らない粗野な印象を受けたのですが…」
「今は?」
「今では、…そうですね、なんと言ったら良いか解らないのですが…そう、戦場で安心して背後を任せられる、というか…そう言う感じですね」
それは、彼ら騎士達にとっては、最高の賛辞と言っても良かった。満足する答えを得たからか、いつも以上に穏やかに笑うカルロスに、でも何故、と言いたげなホセだったが、当のカルロスは無言で只ほほえむだけだった。

やはり城の中というのは勝手が違う。人目に付きたくないと言う心理が働くせいもあって、ただでさえ迷う城内で、バルは完全に方向を見失っていた。
「そんな格好で、何処へ行く気だ?」
険のある声が背後から投げかけられる。よよりにもよって一番遭遇したくない人物に見つかってしまったようだ。観念しながらバルは振り向く。果たしてそこには、不機嫌そうなエドワルドが立っていた。
「あんたが思っているとおり、俺は偉い人に対する口の効き方を知らない、ただの一般人だ」
全く臆することもなく見返してくるバルの視線に、エドワルドは僅かに引く。だが、それを全く気にする出もなく、いつものぶっきらぼうな口調でバルは続けた。
「俺だってそのことは良くわかってる。だから、ここを出ていく」
「な…!!」
複雑な表情が混じり合って一瞬エドワルドの顔に浮かんで消えた。その中に歓喜のそれを見て取って、バルはややほっとしたような奇妙な気分に陥った。そしてふと、あることを思い立った。がちゃり、と重い音が、廊下に響いた。何事か、と目を丸くするエドワルドに、バルは背負っていた剣を差し出した。
「これを、あんたにやる」
「やる…って、どういうことだ?」
戸惑いながらもそれを受け取ったエドワルドは、みすぼらしい外見の中に隠された剣の持つ威圧感を感じ取り、訝しげにバルを見やった。
「元々、親父の形見だ。親父は騎士だったらしいけれど、俺はそうじゃない。それならちゃんと使える人の所にあった方が良い」
唖然とするエドワルドに、じゃあな、と言い残すと、バルはくるりと背を向け、去っていった。

「如何なさいました?」
テラスに立ち、ぼんやりと彼方を見やるエドワルドに、カルロスは声をかけた。かけられた側は、心ここにあらずと言った用な顔で、こちらを振り返る。その手に握られていた物を認め、カルロスは僅かに色を失った。
「それは…バルの…」
「私に、やる、と言い残して、…先程…」
なんてことだ、小さく呟くと、カルロスはそれまでエドワルドが見つめていた方向に視線を巡らす。だが深い森林に遮られて求める姿を見つけることは不可能に近かった。
「私たちにとって、剣が何を意味するか、御存知ですよね?」
何時になく鋭いカルロスの口調に、エドワルドは数度、頷く。
「それをおいていく、と言うことも、何を意味するか…もちろん知っているはずですよね?」
どこまでも続く森林と山脈とを見つめる、青ざめたカルロスの顔を、力のない夕暮れの光が僅かに染めていた…。

 

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