『夜明けの詩 月夜の涙』
 

第四十二章 『残されし者達へ』

長い机の上座には、古ぼけた剣が置かれている。
今や物言わぬそれこそが、彼らを烏合の衆ではなく騎士団として統率していると言っても良かった。
かつてパロマ侯の元でその名をとどろかせていた猛者達は、言葉もなく、ある者は自らの手元を見つめ。っまたある者は涙を堪えるように目を閉じている。
そして、当の剣の持ち主はと言えば、相変わらず仏頂面で末席にも座ろうとせず、扉に寄りかかりながら腕を組みそんな『屈強な戦士』達を見つめている。が、足音に気が付いて、あわてて上体を起こした。
扉は音もなく開き、最も年長であり、人望も厚いルーベル伯ピピン・デ=イリージャが封印が施された油紙の束を手に室内に入ってきた。そして空席となっていた剣に最も近い席に立つと剣に向かい深々と一礼し、一同をぐるりと見回した。
「殿下は、ご自分の寿命を悟っておられたようだ。ここに、有り難くも我々にあてられた殿下のお言葉がある」
そして恭しく剣を取ると、すらりと抜き放ち油紙に施された白刃で油紙に施された封印をといた。中から現れたのは、フェナシエラの象徴である獅子の透かしが入った、公文書用の便箋の束だった。僅かに部屋を包む空気に緊張が走る。再び一同を見やると、ルーベル伯はややしわがれた、だが重々しい声でそれを読み始めた。

…これが無駄になってくれることを祈っているけれど、それが不可能であることを私自身が最も良く解っている。かくなる上は、来るべきに私を信じて付いてきてくれた全ての者達が、各人にとって最良の道を選び、歩んでいくことを祈るだけだ。
私は、自分の死後まで皆をフェナシエラという亡霊に縛り付ける気持ちはない。先の陛下の死と同時に、『神聖帝国』の名は血塗られ、その神秘性を失ってしまったのだから。いや、正確に言えば血に汚されていない玉座という物自体が、最初から存在していなかったのだから。
形のない物に皆が捕らわれる必要はない。公にはされてはいないが、幾多の人々の血と涙に彩られたフェナシエラがここで滅びても、私は構わない。
だが、それでも尚、それを大事に思いつなげていこうと思っているのであれば、私にはそれを止める権利はない。今はサヴォの元にいるフェルナンドの麾下にはいるのも良いだろう。彼にはその資格が…聖なる玉座を受け継ぐ血を持っているのだから。彼と共に、かつての仲間と、いつの日か海色の旗を王宮に掲げ羅留事を願うのならば、私はそれを見守ろう。
けれど、それを良しとせず、他国へ仕官するというのであれば、それも正しい選択の一つだ。皆、畏れられた名だたる騎士だ。何処の国でもそれなりの礼を持って迎え入れられるだろう。
最後に…最期まで私の我が儘を聞いてくれるのなら、真の聖なる玉座の主を護って欲しい。玉座につけてくれとは言わない。ただ、彼の命を守って欲しい。そして、彼の望みを叶えて欲しい。
そして、決してフェルナンドを恨まないで欲しい。裏切り者とさげすまないで欲しい。
彼は、ただ私のためを思ってこの行動に出てくれただけなのだから。
知ってるとは思うが、私は噂通り先の陛下の実子ではない。聖なる玉座には本来、相応しくない存在だ。その私を玉座につける大義名分のために、フェルナンドはこの行動に出たのだから。
王家の血を引く者が私だけになれば、先の陛下のお子でなくても私しか神聖帝国を受け継ぐことができなくなる。フェルナンドはそう考え、先の陛下に反旗を翻し、父殺しという大罪まで犯してくれたのだから。
だから、彼が私に抱いている思いは、ここにいる皆と変わることはない。それが私と共にあるかないか、それだけの違いなのだから。
だけど、私は、先の陛下の遺言に縛られていた。
先の陛下はロドルフォ殿下こそが玉座に相応しい方と思っておられた。だからこそ、フェナアプルに隠棲された殿下の子である私を実子として今まで育ててくださり、有り難くもパロマ侯の地位を与えてくださった。だが、私にはそれが重すぎた。
玉座に相応しいのは、あくまでも先の陛下の血を受け継ぐ者だ。それは私ではない。私は玉座には相応しくない。
然るべき時は、ロドルフォ殿にご即位願い、それから改めて私が玉座につくように。
それが先の陛下が常々私に言われていたお言葉だった。
だから私はロドルフォ殿下にお会いすべく、皆と共にプロイスヴェメへは向かわずアルタへと向かった。ロドルフォ殿下がおられると言う辺境の地へ。
けれど、時は遅すぎた。ロドルフォ殿下はそのお優しさ故、ある者が犯した大罪を最期まで陛下に知らせることはなかった。…もう20年以上も前に、ロドルフォ殿下…私の本当の父上はみまかられておられたのだから。…イノサンと組んだ大将軍の手にかかって。
私はそれを女候殿から伺ったが、フェルナンドがそれを知っているかは解らない。いや、彼の行動を見ていると、恐らく知っているのかもしれない。
ともかく…私はこれ以上の流血は望まない。
玉座を巡る決して表に出ることのない血塗られた歴史が、ここで終わってくれることを望んでいる。
もうこれ以上、誰にも傷ついて欲しくはない。それが虫のいい願いであるとは解っていても、葬願わずに入られない。
生きて欲しい。私の後を追おう等という馬鹿げたことだけは、絶対にしないで欲しい。例え不本意であっても。
…最後に、できることなら先の陛下の、本当のお子をこの血塗られた連鎖からお守りして欲しい。彼の存在を知れば、フェルナンドは必ず、彼を殺そうとするだろうから。他ならぬ私のために。私はそれは望まない。

全納を統べたる大いなる意志の加護が、皆の上に有るよう、私は祈っている

パロマ侯カルロス=デ・フェナシエラ 記す

部屋のあちらこちらから、すすり泣く声が聞こえる。
カルロスは、最後までその優しさを失うことは無かった。残されたその手紙は、カルロスその物だった。
誰も言葉を発することができぬ中、ルーベル伯はやや充血した瞳でその手にした遺書を改めて見やると、恭しく卓の上に置き、深々と一礼した。そして、何故かつかつかと、バルの方へと歩み寄った。
「今までは我々に向けられた殿下のお言葉だ。そしてこれが、そなた個人に送られた物だ」
言いながらルーベル伯はもう一通の書状をバルへ手渡した。
半ば青ざめた顔でそれを開いたバルは、中身を一瞥するなり低く呟いた。
「…そんな…あんたがそれを言う必要はないのに…全部、俺の所為で…」
放り出すように遺書を卓に置くなり、バルは部屋を飛び出していった。不審な表情を浮かべながらその姿を見送る面々の中、ルーベル伯は改めて置き去りにされたバル個人にあてられた遺書に目をやった。
そこには一言、こう書かれていた。

…巻き込んでしまって、ごめん。

第四十二章『残されし者達へ』 終

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