AGAINsideA
act1

テラでは平穏な日々が続いている。
情報局の事務所で、日々何と言うこともないデスクワークを続けていると、初めて稼働してからここ数ヶ月
の慌ただしさがまるで嘘のように思われてくる。
だが、彼が係わってきたことは、いずれも悲しい現実である。事実、マルスでのMカンパニー関連の事件はは佳境に入っているし、ルナの惑連でも先頃すべて書き換えられたパスワードなどのセキュリティシステムの復旧作業で技術方は青息吐息の毎日らしい。
それら一連の経過報告文書に目を通し終わってから、デイヴィット=ロー中尉は不謹慎にも大きく伸びをした。
表面上は今のところ、何事もなく平和が保たれているようだ。フォボスの独立戦争も現在休戦協定は守られてはいる。ルナのI.B.もあの一件以来、目立った動きをしていない。
何より平和を裏付けるのは、デイヴィットがこうして、次の出向先が見あたらず、事務方の勤務に就いている、と言うことである。
それはそれで良いことなのかもしれない。本来、自分たちが必要とされない世界こそが、もっとも望ましいのだから。だが、そうすると、自分たちの存在意義とは何なのか。
デスクワークに付き初めてから何度となく思った疑問に、彼は突き当たった。いわば自己の存在矛盾である。
考えても仕方がない。自分の運命は自分自身の手の中にはない。解ってはいるが、思わずにはいられない。
やれやれ、とデイヴィットは小さく溜め息をついた。平穏であると言うことは、どうやらいらないことまで気
を回してしまう物らしい。苦笑を浮かべるデイヴィットの端末に、ランプが点灯した。何か着信したらしい。
一瞬、良からぬ想像をしたが、その可能性はまずない。
万一非常召集であれば、こんな長閑に命令が送られてくるはずもない。これは紛れもなく、一惑練職員デイヴィット=ロー個人に当てられた、何らかのお知らせ、の類に過ぎなかった。
「お、面会人か?いつの間に?お前も隅に置いておけないなあ」
それを隣から覗き込む同僚が、軽口をたたいた。冗談はやめてくださいよ、と受け流してから、はて、とデイ
ヴィットは首を傾げた。面会人。全く心当たりがない。
「そういや、お前、今まで家族やら友達やらの話、全然しないよなあ。どういう風の吹き回しだ?」
それとも大本命は何処かに隠していたのかと、ここぞとばかりにまくしたてる同僚に、デイヴィットは曖昧な
笑みで答えた。確かに人当たりもよく、付き合いも悪くないにも拘らず、その手の話が全く無いのは妙なことである。だが事実、家族や友人が存在しないのだから、話しようもない。
「…自分も、全く見当が付かないんで…。何かの間違いでしょうか?」
「さあな。でも、間違いならサボりのいい口実になるじゃないか。取りあえず行って来いよ」
一件無責任だが、極めて建設的な同僚の意見に従って、デイヴィットは事務所を後にした。

一般人が入れるのは、二階のロビーと、指定された研学通路だけであるである。だが彼の面会人が待つのは、その見学順路からも外れた関係者以外立入禁止区域のはずの、プレス関係者の喫茶室だという。
報道関係者の知り合い、と言ってデイヴィットに全く心当たりが無いわけではない。だが、先方は自分のことを『忘れて』いるはずだ。
幾許かの不安を感じながら、デイヴィットは指定された場所へと急いだ。さして事件もない今時、普段は貪欲なプレスの面々もさすがにネタを拾う気力も尽きかけたのか、休憩室兼喫茶室は閑散としている。現金なものである。意を決し足を踏み入れ、怪訝な表情で周囲を見回すデイヴィットの視線が、ある一点で止まった。
一人の女性が、彼に気が付いたのか静かに立ち上がり、一礼した。目を丸くするデイヴィットに、彼女は笑いながら歩み寄った。
「御無沙汰しています、中尉さん。お元気ですか?」
「貴女だったんですか…どうしてここへ…?」
さしずめ『ヒト』であれば、苦い思い出に心を痛める所だろうか。この時ばかりは彼は自分が『ヒト』ではな
いことを感謝した。返す言葉に詰まりながら視線をさまよわせるデイヴィットに、彼女は首から下げられた身分証を示す。そこにはやはり見覚えのある単語が並んでいた。
「恒星間通信社マルス支局記者…クレア=T=デニー…じゃあ?」
驚くデイヴィットに、クレアは嬉しそうに一つ頷いた。
「あれから支部長さんの所でお世話になっているんです。まだまだ見習いと言ってもいいくらいなんですけれど…」
そこまで言って、ふと、クレアの言葉が止まる。きょとんとした表情で二、三度瞬くクレアの様子にデイヴィ
ットは何気なく後ろを省みた。
「…皆さん…何をしていらっしゃるんです?」
半ば呆れたようにデイヴィットは言う。柱や自販機の陰に隠れるようにしてこちらの様子を窺っていた彼の同室の面々は、照れ笑いを浮かべながら、気まずそうに去っていった。
「…ったく…」
憮然とした表情を浮かべるデイヴィットに、クレアはくすくすと笑ってみせた。
「髪を下ろしていらっしゃるせいかもしれませんけれど…何だかあの時と全然印象が違いますね」
そう言えるほど、クレアの中で、『傷』が昇華されつつあるのだろうか。少し安堵してから、デイヴィットは言った。
「ここじゃ何ですから、下のカフェの方に移動しませんか?味はあまり保証できませんが…」

 

次へ

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送