act3.
「とりあえず、宿舎に向かいます。Mカンパニーへは
一息ついてから行く、ということでいいですか?」
片手にハンドル、片手にファイルという、事故が起きても
文句は言えないような体制で、No’21は同意を求めた。
幸運にも危機は長くは続かず、前方の信号は停止になった。
赤茶けた大地を走る長い直線道路に、後続を含めて他の車影は見られない。それを良いことに、No’21は路肩に車を寄せ、
しばしの信号無視を決め込んだ。
「それより、詳しいデータが欲しい。数式で頭に入ってはいるが
いまいちしっくりこない」
平板なNo’5のしゃべり方の端々に苛立ちを感じ取って、
あわててNo’21は手元のファイルを差し出した。
しばらくそれにNo’5は目を通していたが、
おもむろに口を開いた。
「概要は分かった。だが、しかし」
ファイルを閉じ、手渡しながら彼は言った。
「これだけのことで、われわれが動くというのも奇妙なものだな。少し考えれば常識的におかしいと分かりそうなものだが」
至極当然なNo’5の言葉に、No’21は無言で頷き同意を示してから
言葉を付け加えた。
「そりゃ、そういうことを疑うってことは、それなりに
やましいことをしてるって証拠じゃないですか?」
なるほど、とつぶやいてから、No’5は、再び車窓から
殺風景な外の景色を見やった。
Mカンパニーはマルス有数の巨大企業であり、
さまざまな日用品の類を生産すると同時に、流通を牛耳っている。
マルスの住民にとっては巨大な雇用口であると同時に
生活上の生命線でもある。
しかし、そのMカンパニーにもよからぬ噂がない訳ではない。
惑星連合で採算を禁止している、恒星間兵器の生産という
黒い噂がまことしとやかにながれていた。
表向きは惑星間の自治は認められていても、
基本的に惑星連合下での連邦国家的な色合いが強い。そのため、その和を乱す行為として、恒星間兵器の生産は
惑連によって厳しく規制され、禁止されている。
しかし、すべての星がその規定に従ったわけではない。先に起こったフォボスの動乱も、その一端である。
宗主権を主張するマルスに対し、その衛星のフォボスの住民が
反発したのである。
このように、戦乱の火種は場所が変われどくすぶりつつけている。いつの時代にも、肥太るのは、黒い商人たちなのである。
Mカンパニーの現在の会長は、相当のやり手として
聞こえている。割り引いて考えてみても、彼がこの手の商売に乗り出したということは
考え過ぎとは言い切れない。
その矢先に、Mカンパニーの一社員がスパイ容疑で本社に拘束されていると、
ある通信社がすっぱ抜いたのである。正規の警察組織ならまだしも、
仮にも一民間企業が社員とはいえどもそのような行為に出ることは
尋常ではない。
前述の黒いうわさも含めて、調査が必要ということで
表向きは惑連の人権組織のメンバーという肩書きで特務の『二名』はMカンパニーの調査に当たることとなったのである。
不意にNo’21は厳しい表情になり、サイドブレーキに手を伸ばした。何事か、とNo’5がたずねる前にNo’21は車を急発進させていた。
「見てください。…ホテルを出たときからずっと来てるんです。つい先刻まで
姿が見えなかったんで。油断しました」
その言葉どおりバックミラーには不審な車の影が見える。おそらくは
異変を感じたMカンパニーの職員だろうか。しかし、その念入りなことから
ただの職員ではないだろう。
想像が事実であるならば、それこそ
洒落にならない。珍しくわずかに笑みを浮かべて
No’5はつぶやた。
「これは、非常事態だな」
「そりゃあそうでしょう。よほどのことがなければ『休暇中』の少佐殿に
お呼びがかかる訳ないでしょうから」
「まったくだ」
しばらく会話が途切れ、No’21の運転で車はホテルへと向かう。
やがて市街地に入り、前方にひときわ高い建物が見え始めた。
「あれが当面のアジトです」
「運営資本は?」
「独立系、となってますが、株式の38%はMカンパニーが保有してますね」
それから意味ありげな笑みを浮かべてNo’21は付け加えた。
「ま、ダミーを加えれば全体の60%以上を占めるようですが」
なるほど、と言ってからNo’5は腕を組み直した。
そして思い出したように口を開いた。
「ところで、空港周辺の様子だが、マルスの緑化は確か二年前に終わっているはずだが」
「そう言えば…自分も変だとは思っていたんですが、それが何か?」
「少し、気になる。それだけだ」
「一応、記録事項ですね。…入ります」
『二人』の乗る車は、吸い込まれるように地下駐車場へと消えていった。
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